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涙 ★
しおりを挟む《カーティス、アルヴィナ妃が泣いていた》
キリアンの声を思い起こし、3週間ぶりに渡る回廊を笑みを浮かべて辿る。白亜宮に踏み入ると、僅かに強張りが解けた気がした。
物音に扉を開けた先の寝台で気配が動き、カーティスの口角が上がる。スタスタと足を運び、傍らに腰をおろした。
「アヴィー……」
頑なに顔をあげないアルヴィナに、不意におかしさがこみ上げてきた。
「アヴィー?」
それでも動かないアルヴィナに、カーティスは毛布を取り上げた。
隠すものがなくなって顕になったアルヴィナは、射し込む月光に淡く照らされ泣いていた。虚をつかれたようにカーティスは息を飲む。顔をそむけて、アルヴィナが顔を隠した。
キリアンの言うように、アルヴィナは泣いていた。怒るでも、嘆くでもなくただ静かに。瞬間、抱えてきていた復讐心が消え失せた。
空白になった心に、じわじわと込み上げてきたのは、常につきまとう怒りでも憎しみでもなかった。
「泣いていたのか?アヴィー?」
懐かしい感情に自然と声に、胸を満たした想いが混じった。淡く溶けるような愛おしさ。花冠を抱きしめ微笑む妖精へと、向けていたあの感情。
ゆっくりと仰向かせ、その涙に口付けた。安らぐような甘さに胸が詰まる。ひび割れて砕け、憎悪で歪に固められた心がその甘さに震えた。
「哀しいのか?アヴィー……」
小さな嗚咽が漏れ、あたたかな涙がアルヴィナの瞳から溢れ出る。甘い涙を吸い取るたびに、もどかしく震える心が愛しさに満たされていく。
「アヴィー……」
その涙はなんだ?
側妃としての尊厳を矜持を、傷つけられた涙には見えなかった。
まるでいつかカーティスも流した、深い物思いとのた打つ激情をこらえる涙。まるで愛を傷つけられたかのような嗚咽。
アルヴィナが流す静かな雫が、求めてはいなかった愛を期待させる。
カーティスを見上げるアルヴィナの頬に、そっと手を添えた。月明かりのような絹糸の髪。淡雪の肌。月明かりを反射する湖面のような深い瞳。泣きたくなるような、愛おしさを掻き立てる柔らかな体温。
「アヴィー……お前は私を……」
愛しているのか?
言葉にできない呟きを落として、陶然と心を満たすその美しさを、腕の中にゆっくり閉じ込めた。
今この時だけは、何もかも許してしまいたくなった。忘れてしまえるような気がした。悪夢も怒りも憎しみも、命の限りと誓った誓約への裏切りも。
深く口付けてアルヴィナの肌に手のひらを滑らせる。手首から肩へ肌を辿り、纏った寝衣からアルヴィナを取り出す。
「アヴィー……」
アルヴィナがカーティスへの愛を対価として、涙を流すのなら踏みとどまれる気がした。
遮るものを取り除き、カーティスはアルヴィナを愛した。唇で舌で指で。隙間なく全てに口付ける。
「あぁ……兄様……兄様……」
「アヴィー……アヴィー……私のアヴィー……」
欲望にではなく、憎しみにではなく、愛しさに急かされて繋がった。カーティスを包み込む、愛液に潤んだ粘膜さえも愛おしく、深く口付けを交わしながら、優しく撫でるように擦り立てる。
「はぁ……はぁ……兄、様……あぁ……」
「アヴィー……アルヴィナ……」
いつもより甘く切なげに啼くアルヴィナに、隙間なく肌を重ねて抱きしめた。自分しか知らない、快楽に蕩ける様を見つめながら、尽きることなく湧き出る愛おしさに浸る。
「アヴィー……アヴィー……」
「ふぅ……あぁ……あっ……兄様……兄様……」
目前に迫った快楽の果てに、カーティスは眉根を寄せてアルヴィナを引き寄せた。
「あぁ……アヴィー……アヴィー!!」
「兄様……!兄様……!あぁ……あぁ……あああーーーーー………」
ぐっと最奥に押し付けて、アルヴィナの中にたまりきった熱を吐き出す。ガクガクと身体を震わせながら、カーティスを搾り取るアルヴィナ。胎内に流し込み、詰めていた息を吐き出す。
搾り取られたのは、カーティスの中にある愛のように感じ、浮かんできた寂寞にアルヴィナを抱きしめた。
向けられるものは愛でなくてもいいと思っていた。止められない怒り。求めることをやめられない裏切りへの対価。
(それでもお前が私を愛するのなら……)
放棄することができなかった婚約の誓い。カーティスだけが守り続けた誓約。名を呼ぶ声が震えた。
「アヴィー……」
私を愛せ。
「アヴィー……どうか……」
救ってほしい。
たった一つ、悪夢から目覚めるための対価を与えてほしい。
カーティスの中の愛を搾り取った、アルヴィナの肚をカーティスは撫でた。繋がったまま抱きしめて、祈るように呟きカーティスは目を閉じた。
※※※※※
「兄様……?」
ふっと重くなった腕に、アルヴィナは顔を上げた。驚いたことに一度もアルヴィナの前で、眠ったことのないカーティスが、寝息を立てていた。
苦労して引き上げた毛布をそっとかける。ほんの少しだけ躊躇して、アルヴィナはカーティスにそっとすり寄った。
眠ったままのカーティスに、アルヴィナを抱き寄せられた。
「………っ!?」
アルヴィナは息をのみ、じわじわと胸が苦しいほどに締め付けられる。
まるで夢のように優しかったカーティス。驚いたようにアルヴィナを見つめ、それからずっと優しかった。柔らかな甘い声。肌に触れるあたたかな手。記憶にあるままのカーティス。
「カーティス兄様……」
王妃の寝所に通い、ヘレナの元で過ごしていたカーティス。
側にいることは惨めで苦しくて辛い。許しを得られたら静かにどこかの離宮で暮らしていきたい。それなのに、こうして体温を感じるとどうしようもなく胸が震える。
(この気持ちは何だろう……)
ある日突然、攫われるようにして身体ごと引き裂かれた。裏切りの代償は過酷で、耐え難いのにひどく離れがたい。
見捨てた罪悪感か、空白の5年への贖罪か、それとも淡く恋心を抱いた在りし日の思い出か。離れ難いと自分を引き止めるものは何なのか。
「カーティス兄様……」
そっと静かに眠る、美貌に手を伸ばした。
「ん……」
小さく漏れた声に、心が震えアルヴィナを包む体温が、何度もアルヴィナを呼ぶ声を蘇らせる。
《アヴィー……どうか……》
切実な響きの囁きの続きはどんな言葉だったのか。縋るように守るように、アルヴィナを抱きしめて眠るカーティス。その眠りが安らかであることを、アルヴィナはそっと祈った。
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