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切り札
しおりを挟むキロレスの非公式使節との顔合わせから5日。その間、カーティスの訪れは一度もなかった。
「お嬢様……少しお休みになってください。」
「いえ、本当にこうしている方が楽なの……」
積み上げた書籍の陰からアルヴィナは、心配げなノーラに顔を上げた。
突然前触れもなく起こる頭痛。その度に幻覚は鮮やかに蘇った。頭痛を鎮痛薬で抑えれば、抑えた痛みと共に幻覚は消えていった。
「ノーラごめんなさい。好きにさせておいて……」
「……はい。お嬢様。」
ただ、鎮痛薬と解毒薬は併用できなかった。解毒を犠牲にして頭痛を鎮めるか、幻覚に耐えて解毒をするか。アルヴィナは解毒を選んだ。
解毒が進むごとに依存性の頭痛の頻度は、目に見えて減少し始めた。
(それでも幻覚の苦しみから逃れられたわけではない……)
記憶が消えるわけではない。ノーラの言葉は真実だった。
焼き付いた鮮明な幻覚は、頭痛で強制的に現れる。でも見せつけられた幻覚は、頭痛が消えても記憶からは消えてはくれない。
アルヴィナはカーティスから贈られた羽ペンを、引き出しの奥に仕舞い込んだ。羽ペンを見るとカーティスを思い出し、紐付けされたようにあの光景も思い出す。
(ニーナ地方の別荘なら……)
突発的な頭痛の頻度は解毒で減っても、記憶として蘇ってしまうあの光景から逃げるように、アルヴィナは常に思考を巡らせ日々を耐えていた。
(白亜宮の余剰予算で十分賄えるはず。見込み人数は、キリアン卿……いえ、エクルド卿が先のほうがいい……)
「マルクス、エクルド卿にお会いしたいの。いいかしら?」
「……お呼びするのではいけませんか?」
「少しでいいから歩きたいの。」
「お嬢様、中庭ではいかがでしょう?外の空気を吸われたほうがよろしいかと。」
「……そうね、お願いしていい?」
「では、私はエクルド卿に確認してまいります。」
マルクスを見送って、アルヴィナは小さくため息をついた。ノーラとマルクスはアレコレと理由をつけて、白亜宮から出したがらない。
(キロレスの使節が噂になってるのね……)
ダンフィルはキロレスへ、輸出制限をかけている。制限内容からキロレスの食料事情はかなり厳しいはず。敵国となっていると言ってもおかしくない状態だった。
そこへおそらく意図的に、キロレス大公家の来訪の報が流れれば、様々な憶測がなされてもおかしくない。
(………愛らしい方だったわ……)
ヘレナ・ミニーエルを思い出し、胸が締め付けられるように痛んだ。ぱっと咲いた花のような可憐さ。来訪から姿を見せないカーティス。
二人がアルヴィナに聞かせたくないのは、寵愛をあっという間に失った側妃への蔑みなのは分かっていた。
じわりと滲んだ視界を無視するように、アルヴィナは貴族名鑑を引き寄せた。
(特別法の2条は適応対象とみなされるかしら……適応されるなら……)
アルヴィナは埋没するように文字を追い、湧き上がって来ようとする感情に、無理やり蓋をした。
※※※※※
中庭の四阿で、エクルドは受け取った紙束に唸った。
「……貴女がこれを?」
「はい。資金は白亜宮の余剰予算で十分かと。ただ見込み人数については私ではどうしても……」
「それについては私が動きます。貴族名鑑をお持ちですか?」
「ええ。ここへ来てすぐに渡されたものが手元にあります。」
「では全ての家門を念頭にお入れください。すぐに動きます。」
カップを持ち上げかけた手が止まった。絡んだ視線の先の、エクルドの表情にアルヴィナはカップを置いた。
「ニーナ地方の別荘ではなく、フォーテルの別館を使いましょう。ちょうど王国の中心地になる。現在管理は私が任されているので、すぐに準備にかかれます。」
「エクルド卿が?」
「はい。陛下から任されています。」
懐かしい実家の光景を思い起こし、エクルドが管理していることに安堵して、アルヴィナは小さく微笑んだ。
「特別法2条ではなく、7条を念頭に動きます。そちらもお任せください。まずはキリアン卿に話を通します。」
「キリアン卿ですか?陛下には……」
「いえ、キリアン卿です。陛下にはまだお話にならないでください。」
「どうして……白亜宮の予算を流用することになります。陛下の許可がなければ……」
「いえ、話さないで下さい。説明は直接キリアン卿からあるかと思います。それまでは陛下にこの件は伏せておくことを約束してください。」
「でも……」
アルヴィナが惑うように揺らした瞳を捉えて、エクルドは声を低めた。
「……これは陛下を救う切り札になります。切り札とするには、貴女の名前であることが最低条件で、貴女の名前だから成功する。敢えていいます、狂王の名では動かせません。
ですが、貴女の名前であることは陛下の逆鱗に触れるかもしれない。」
「……逆鱗?でも……」
「私はノーラから先日のコラプションの一件を聞いています。」
アルヴィナが表情をなくして俯いた。エクルドは迷うように唇を戸惑わせ、やがて心を決めた。
「……陛下は重度のコラプション中毒者です。」
「……え……?」
目を見開いたアルヴィナに、エクルドは頷いた。
《そうだろうな。よく知っている》
《アヴィー、いいのか?果てるほどに飢餓感は増すぞ?快楽を得るほどに嫌悪が募る。ああ、そろそろか。覚悟しろ、幻覚が始まる》
熱に浮かされてながら聞いたカーティスの声。消してしまいたいあの日の記憶から、不自然なほどコラプションを知り尽くしたカーティスが浮かび上がった。勘違いではなかった。
「コラプションは一部の者しか知らない。洗脳のナイトメアとは明らかに異なる症状なので、陛下の変貌は殆どの者はナイトメアへの怒りが原因だと思っています。
国王が薬物依存であることは格好の攻撃材料になる。中毒症状で感情の制御が難しい陛下を刺激することは避けるべきです。」
「……私がこの件に関わっていることが、刺激することになるのですか……?」
「おそらくは……だからこそキリアン卿の判断を仰ぎたい。」
「どうして私が……」
エクルドはアルヴィナを見つめたまま、それには答えなかった。伝えたところで、アルヴィナが納得しないことは分かりきっていた。
「キリアン卿へ先に話すべきです。陛下には伝えずにいてくださいますね?」
アルヴィナは沈黙を挟んで頷いた。
「……はい。」
全てを納得できなくても、カーティスを救う切り札になる。苦しみを知ったからこそ、始めたことで、それがカーティスを救うことにも繋がる。迷う理由はなかった。
(……清算できるかもしれない……)
見捨てたことへの対価となるなら、静かにどこかの離宮で過ごすことを許されるかもしれない。
色を濃くした瞳の奥の決意に、エクルドは頷いた。
「すぐに動きます。私への連絡は今後はキリアン卿の送文箱をお使い下さい。」
立ち上がったエクルドに、アルヴィナも続いた。
「キロレスの使節が今来訪しているのは、むしろ僥倖だ。」
独り言のように呟かれたエクルドの言葉に、ふとアルヴィナは足を止めた。
ぼんやりと薄れて漂っていた違和感が、無意識のまま言葉になった。
「……エクルド卿。陛下のリーベン来訪はいつ決まったのですか?」
「来訪1ヶ月前に決議されたはずです。キロレスの公示を受けて急遽決まったものです。」
「制限の理由はナイトメアではないですよね?」
「ええ、実際はどうあれ確たる証拠が提示できない現状、理由にはできません。制限の現在の名目は密輸・密入国です。」
「そうですか……。」
エクルドを見送り、アルヴィナは部屋に戻るなり、引き出しの奥に仕舞い込んだ羽ペンを取り出した。
《来訪1ヶ月前に決議されたはずです。キロレスの公示を受けて急遽決まったものです》
パレードで感じた違和感は、確信に変わった。
(急遽決まった……?私は、私はもう二度と、覚悟のない選択はしないわ……)
美しい装飾の羽ペンをしばらく見つめ、インクに慎重にペン先を浸すと、アルヴィナはトゥーリに宛てて手紙をしたため始めた。
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