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迫る夕暮れ
しおりを挟む魔筆を走らせるカーティスの視界に、するりと紙片が滑り込んだ。手を止めて読み下し、カーティスは口角を上げた。
《エクルド・レジスト侯爵、白亜宮にてアルヴィナ妃と接触》
「……キリアン、254年の予算編成書だが……?」
振り返ったキリアンの顔色に、カーティスは満足し手を振った。
「ああ、今は必要ない。来週までに手元に戻しておけ。」
「………はい。」
青くなって俯くキリアンに、カーティスはくすりと笑みをこぼした。
「気にするな。構わない。」
「………」
戸惑った表情を浮かべるキリアンに、可笑しさがこみ上げる。その年代の予算編成書が今手元にないことを、忠誠心の高いキリアンはある種の裏切り行為のように思うのだろう。
「本心だ。むしろ遅いくらいだ。」
「………はい……申し訳、ありません……」
カーティスにとってアルヴィナが、側につけたノーラとマルクスが、犬呼ばわりされている。それをここまで我慢したことの方が想定外だった。
(思ったより罪悪感は強いらしい……)
好都合。強ければ強いほどいい。知るほどに深く抉られアルヴィナは傷付く。痛みで立ち上がれなくなればいい。
(狂王の姿はお前の目に、どう映っただろうな?)
残酷であればあるほど無慈悲であればあるほどいい。剣を振り上げることに躊躇などないことが、彼女の聡明な知性により深く染み込むことをカーティスは願った。
ちらりと時計に目をやり、カーティスは手のひらに顔を埋めた。
「キリアン。……頭痛がする……薬を頼む。」
「……行ってまいります。」
できるだけ静かにキリアンが扉を閉め、立ち去るとカーティスは、平然と顔を上げて通信盤を眺めた。
ノーラがネロに食事を運ぶ、この時間ならキリアンと必ずかち合う。アルヴィナが白亜宮で、執務をとり始めて2週間。
(珍しく慎重だな……)
動きのない通信盤から目を逸らそうとしたとき、魔石が光った。点滅したのは赤と緑。カーティスがニヤリと口角を上げたと同時に、リースが執務室に飛び込んできた。
「陛下!」
「庭園入り口には人員を送るな。」
リースが目を見開いた。口を開こうとしたリースより先に、カーティスは底冷えする眼光を光らせ、脳に染み渡るように指示を出した。
「庭園入り口は注視。既に配備されている者は通常通り進入阻止を徹底。長引けばマルクスが駆けつける。
ナイトメアがアルヴィナの部屋に入室後は扉を固めて待機。誰も入室させるな。」
有無を言わさぬカーティスの命に、顔色を白くしたが即座に礼をし動き出した。一人になった室内で、カーティスは引き出しを開け小瓶を取り出しそのまま煽る。
「ようやく食いついた。」
唇を舐めとったカーティスの笑みは、狂気に歪んでいた。ゆっくりと歩き出した回廊は、夕日が差し込み赤く染められていた。
※※※※※
ノーラが退室した私室で、アルヴィナは羽ペンを手に予算編成書を読み返していた。
(軍務、保障金と復旧費用……)
特別拠出金の流れを追うと、その殆どがナイトメア被害に充てられていた。本来の行政事業には特別拠出金は一切充てられていない。例外を除いて。
(なぜリーベンへの街道敷設事業と白亜宮予算には割かれているのかしら?)
ナイトメアが犯した犯罪で、奪われた金品は見つからなかった。おそらくナイトメアを流した者に流れていたのだろう。
まるで汚い金は国政に関わらせないとでも言うかのように、きっちりと予算は明確に線引きされていた。問題は2つの例外で、少なくない特別拠出金が使われている。
(金額も合わない……)
莫大な資金が必要となる街道敷設。接収された財産だけでは、賄いきれない金額だった。
白亜宮にはカーティスの婚姻から今も、相当な拠出金が割り当てられている。
(どうしてこの2つだけ、例外的に予算を……?)
腑に落ちない奇妙さに、アルヴィナは書き出した予算編成書の内容を前に考え込んだ。
ふと扉の前が騒がしくなり、マルクスが顔を上げた。ノックに扉を開け、耳打ちにマルクスは顔を顰め窓に駆け寄った。
「マルクス?」
窓の外を確認してそのままカーテンを閉じると、マルクスはようやく振り返った。
「お嬢様、部屋から出ることがありませんように!」
「どうかしたの……?」
剣呑なマルクスの険しい表情に、アルヴィナが立ち上がりかけた。
「……離しなさい!!」
カーテンが閉じられた窓の外から甲高いセレイアの怒鳴り声が響き、アルヴィナは顔色を変えた。
「お嬢様、ここへ立ち入らせることはありません。すぐにお戻りいただきます。絶対に部屋からお出にならないでください。」
「……分かったわ……。」
不安げに手を握りしめたアルヴィナを、そっとソファーに落ち着かせると、マクエルは俯いて控えていた侍女と騎士に、その場を任せ足早に退室していった。
「……どうぞ。」
震える手を握りしめ、俯くアルヴィナに侍女が、湯気の立つ紅茶を差し出した。
「……ありがとう。」
ノーラが淹れるものより、薄く舌に残る甘さのある紅茶を飲み下す。それでも緊張と不安に体温を下げた身体が、熱を帯びホッと息をついた。
喉をすり抜け胃に滑り落ちた紅茶は、ほこほこと身体をあたためる。半分ほど飲んでからやっとアルヴィナは異変に気付いた。
「………っ!……はぁ……あぁ……はぁ……」
ドレスを纏う身体が熱くてたまらなくなった。内側から突き上げるように熱がせり上がってくる。頬が上気し、どくどくと心拍数が上がった。
「……ふっ……はぁ……はぁ……」
皮膚の下がざわめくように過敏になり、まとわりつくように感じるドレスが煩わしくて脱ぎ捨てたい。身動ぐだけで、皮膚にぞわぞわと熱が這い回る。
無言のまま痩せた騎士が俯いたまま近づいてきた。ゆっくりと伸ばされた手が、アルヴィナに触れる寸前、
「確保しろ!」
乱暴に開け放たれた扉から、騎士がなだれ込んできた。控えていた侍女はそのまま抵抗なく取り押さえられ、手を伸ばしていた騎士は俯けた顔を上げて猛然とアルヴィナに襲いかかろうとした。
寸でで襟首を掴まれ、騎士はそのまま引き倒される。床に叩きつけられた騎士の徽章がとれ、虚ろな目を血走らせた青年がなおもアルヴィナに向かって奇声を上げた。
「連れていけ。」
騎士姿の男を引き倒したカーティスが、顎をしゃくる。騎士は3人がかりで暴れる男を引きずりながら退室していった。
熱に浮かされたように、ぼんやりとそれを見つめていたアルヴィナに、
「さて、アヴィー?コラプションの味はどうだ?」
一人残ったカーティスは、ゆっくりと狂気をたたえた笑みを刻んだ。
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