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功罪
しおりを挟む懐かしい父の癖のある筆跡が、アルヴィナの心を少し軽くした。
「お父様……」
陸と河川、両方の交通の要所を領内に持つフォーテル。父はキロレス公国の薬師を、運んでいた大量の原材料と共に捕らえていた。
ネロ・テンペス。平民出身のキロレス最高位医術薬師。
ネロの自白を元に、父はナイトメアの流通のからくりをまとめていた。
「……なんてこと……」
精製後のナイトメアの痕跡ばかり探していた捜査が、難航したのは当然だった。ナイトメアは原材料が持ち込まれ、ダンフィルで調合されていた。
医療用薬品にも当然に使われる素材も多く、輸出先のキロレスとの繋がりも、ネロが捕まらなければ見つけることはできなかっただろう。
「《コラプション》……?ナイトメアだけじゃなかったの……?」
ノーラが辛そうに顔を歪めて頷いた。
「………強力な媚薬です。ナイトメアと同じく高い依存性があります。
強烈な性的欲求を誘発し、性的接触を回避すると時間経過により、幻覚や妄想、強い不安や強迫観念を引き起こします。そのため軽微な洗脳をすることも可能で……妊娠を誘発する作用もございます。
貴族間でナイトメアと思われていた事件の殆どはコラプションです。」
「じゃあ、不自然な婚姻や廃嫡は……」
「……はい。記憶が消えるわけではありませんので……」
将来を嘱望されていた青年が、廃嫡せざるを得ない問題を起こし王宮から消えた。
純潔を失ったことによって、失意のうちに婚姻を結ぶことになった令嬢は何人いただろう。
婚姻どころか自殺者や失踪者は、どんなにか……。
「……閣下が情報を入手していなかったら、ナイトメアの影に隠れて、知られないままだったかもしれません。」
不祥事の内容が内容だ。殆どの貴族が口を閉ざすことも理解できる。怒りに握った拳が震えた。
「陛下はゲイルの情報で確信を得て、粛清を敢行しました。」
「なぜ……ネロという証人がいるではありませんか!彼は母親を人質に取られ、キロレスからベルタング家に引き渡された。そこで調剤を強制されていた!彼の証言があれば!!」
「彼は平民です。その上、他国民。物証が殆どない状態での証言だけでは……」
「でも!」
「何より陛下が望まなかった。」
「兄様が……?」
「時間をかけて議論を重ねるより、直接自らの手で断罪することを望まれました。」
アルヴィナが息を飲んだ。重い沈黙が落ちる。間違っている、とは言えなかった。
前王妃を亡くし、前国王も心労に倒れた。同じく母も父も亡くしたアルヴィナは、カーティスが自分の手でと望んだ気持ちが、分からないわけではなかった。
国を愛し家族を愛していた。全てを奪った元凶に、怒りがわかないわけがない。
「ベルタングの前当主の健康状態の悪化で、隙ができたのも大きかったでしょう。」
しっぽを掴ませない見事な辣腕。彼の斜陽がそのまま、ナイトメアの斜陽にも繋がった。
「ベルタングの最終目的は王家でした。ナイトメアで富と勢力を強め、仕掛けた混乱に乗じて王族入りを果たす。国政への絶対的優位性の確保。それが目的だった。」
「では、目的は果たせましたね……」
アルヴィナがいなくなっても、妃候補になるだろう名門貴族家の令嬢を貶めて。自分が進んで空けた席の重さに、アルヴィナは力なく俯いた。
エクルドはそれに意味有りげな含み笑いを返す。
「どうでしょうね。国政に全く触れられないのでは、王妃になっても意味がない。子供に必ずその才覚が受け継がれるわけではない。」
笑みを浮かべていても、その目には軽蔑が宿っていた。ふと笑みを消し、エクルドはアルヴィナを振り返った。
「もうお分かりでしょう?陛下は一線を越えました。」
ごくりとアルヴィナは喉を鳴らした。特別拠出金。それは強制捜査で踏み入った、家門の財産を没収して得た資金だろう。
カーティスがその命を刈り取り、当主を失った家門の財産も、王家が接収している。
暴君、狂王。それは悪意だけでなく、カーティスへの偽らざる評価に他ならなかった。疑わしきを切り捨ててきた、返り血で染まった王。
「個人として共感はできても、為政者としては踏みとどまるべき一線を越えた。このままだと旗は翻ります。」
「………」
エクルドがアルヴィナをまっすぐ見据えた。その瞳の静けさに、アルヴィナは涙を浮かべた。震える手でエクルドの上着の裾を縋るように引いた。
「……エクルドおじ様……だって……どうしようもなかった。レティス様は殺されたのよ?笑いながらそれを見ていたのよ?
あれほどお優しく、国のために尽くしてきた陛下も心労に倒れて、この世を去られた。どれほど無念だったか……。
……悪いのはナイトメアでしょう?ベルタングでしょう?キロレスでしょう?間に合わないなんておかしい!兄様じゃない……!兄様だって被害者なの……なのにおじ様まで……」
反旗を翻すというなら、カーティスはどうなるのか。国を取り戻したかっただけだ。家族を愛していただけだ。悪意がそれを奪った。誰よりも傷ついたのはカーティスのはずだ。あれほど愛していた臣民を、その手にかけたのだから。
「アルヴィナ様、ゲイルは父君は手立てを残しておられた。」
「ログナークですね……でも……お父様は果たせなかった……リーベンに辿り着けなかった!」
「……王太子でいるときに、引き継ぐことができたはずです。」
「それは……でも……」
フォーテルはナイトメアの根幹を掴んだ。証人と製造の要となるネロも確保した。王家に引き渡し、家族の亡命と引き換えに秘密裏にリーベンへの助力要請を約束していた。
友好関係が長く続くリーベンだとしても、他国の食料まで一手に担うダンフィル。王家からの正式な要請として、リーベンの助力を乞うことはリーベンだけでなく、リーベンと繋がる国との均衡に影響が出てしまう。
弱ったダンフィルの水源と、肥沃な広大な土地は、均衡を容易く崩すほどに魅力的だから。公然とリーベンに、助けを求めるわけにはいかなかった。それほどダンフィルが危機的状況だと、公表するようなものだった。
何より元凶の医療を握るキロレスに、できるだけ長く、切り札を掴んでいることを悟らせてはならなかった。
「トゥーリ殿下と陛下は幼馴染です。王太子の間なら、国としてではなく友人としてゲイルに代わって動けたのです。」
「でも……」
「剣ではなくログナークが悪夢を止められた。」
希少魔石の記録石。その特性から医師や薬師にだけ販売が許可されている魔道具。師から弟子に受け継がれる膨大な知識。
魔石そのものよりも、蓄積させた記録にこそ千金の価値がある。
「ログナークでの血液や毛髪分析で、現にナイトメアの解毒薬は完成した。
被害者も加害者も同等に切り捨てることをせずに、時間はかかっても悪夢の根幹を絶やすことができたはずです。
ゲイルは王家に、その道を示して命を賭けた。」
「でも!ログナークで一人ずつ調べろと?どれだけの時間がかかるか……その間に元凶は……」
「どれだけ時間がかかったとしても、そうすべきだった。ナイトメアが減れば、証拠を着実に押さえられる。」
エクルドの静かな瞳は凪いだまま、揺らぐことはなかった。アルヴィナは祈るようにエクルドを見上げた。
「陛下はゲイルの命を賭した唯一の道から背を向け、私怨から粛清を選んだ。そして元凶のベルタングから王妃を迎えた。」
「エクルドおじ様……!!本当にそうお思いですか?国民に明けない悪夢の終わりを待つ体力があったとお思いですか?」
「………」
それには答えず、エクルドは迷うように視線をそらした。
「……婚姻以降ベルタングはどういうわけか、少しずつ衰退している。必死に隠してはいますが……。」
「……衰退?」
婚姻以降に?ぼんやりとした思考が巡り、そのままアルヴィナは半ば無意識に呟いた。
「……特別……拠出金……?」
落ちた沈黙にアルヴィナは確信した。エクルドにゆっくりと振り返る。
「兄様の婚姻誓約書の写しを手に入れられますか?」
「………」
「確かめるべきです。……おじ様も迷っていらっしゃるのでしょう?それなら……!」
「……悪夢は去っても遺恨は残る。在りし日のダンフィルは還らない。狂王を戴き続ける限り……」
「無知は罪だと、おじ様こそが先に私に示されました。」
「…………わかりました……やってみましょう。」
ホッと安堵の息をついたアルヴィナに、エクルドは眉尻を下げた。
「ですが忘れないでください。陛下の即位から5年、ダンフィルのナイトメアの悪夢は、陛下の粛清と共に語られます。その元凶と公然と噂される王妃を自ら娶った。
ダンフィルを愛する臣民ほど、狂王を戴きはしないでしょう。」
「分かっています……」
唇を噛み締め、アルヴィナは頷いた。悪夢に押し潰されていた長い夜はやがて明ける。
抑圧されていた不信は夜明けと共に膨れ上がり、後には大きすぎる功罪が残される。
功と罪。天秤はどちらに傾くのか。ちょうど釣り合うことが、ないことだけは確かだった。
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