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義務
しおりを挟む「一体どんなお話でしょうか?」
「騎士を下がらせて下さい。」
「申し訳ありませんが、アルヴィナ妃と二人だけで話をするわけにはいきません。」
「ですが……」
「それでお話とは?」
ひんやりとした慇懃な態度を崩さないキリアンに、アルヴィナは小さくため息をついた。諦めがつけば、視野は広くなるのかもしれない。
愛や優しさを求めて、自然に臆病になっていた。嫌われないように、機嫌を損ねないように。言葉にするのを躊躇い、小さく丸まることしかできなくなっていた。求めないと決めたら、覚悟は簡単に決まった。
(私は幸せだったのね……)
愛され嫌われないと信じていられた。何も恐れずにいられた。ほんの少し諦めたことを寂しく感じた。
今守りたいもののために、アルヴィナはキリアンをまっすぐに見据える。
「……いつまでそうした態度をとられるおつもりですか?」
「そうした態度、とは?」
せせら笑うように口角を上げたキリアンを、アルヴィナはまっすぐ見つめた。
「敬意を示せとは申しません。裏切り者と蔑むのも構いませんが、無理やり連れてきた側妃は裏切らないとでも思っておいでですか?
前例があるのに追い詰めるほど、我が身可愛さに逃げ出すとは考えもしないのですか?」
「……な、何を!なんてことを仰るのですか!!貴女の父上が……!」
ちらりと居並ぶ騎士にアルヴィナが視線を走らせ、キリアンは口を閉じ顔色を悪くした。
「……ディナを残し、後は下がれ。」
(仲違いは望んではいないのね……)
カップを傾けながら、アルヴィナはキリアンを盗み見た。騎士の隊服は王国近衛騎士。キリアンを追い詰めたことは、カーティスに報告されるはず。
ギリッと歯を食いしばり、キリアンがきつくアルヴィナを睨みつける。
「このような……!!」
「私は初めに人払いを申し出ました。お聞き届けにならなかったのは、キリアン卿です。」
「………っ!?貴女は!分かっているのでしょう?陛下は貴族達が王妃派か側妃派かを、見極めようとなさっている!万が一にも先程の話が漏れでもしたら!!」
「ええ、大変でしょうね。側妃派は見当たらなくなるでしょう。」
アルヴィナはにっこりと微笑んだ。白亜宮に出入りを許可された騎士なら、カーティスに伝わっても外部に漏れることはない。
「お伝えしたはずです。全て分かってなどおりません。私の推測がいつも正しいなどと驕ってもおりません。お話しくだされば協力いたします。……どのようなことでも、耐えましょう……」
「…………」
執務室の一件が過り、その惨めさにアルヴィナは俯いた。驚いたことに、キリアンからも気まずげな空気が漂っている。
「……もしや、陛下の独断だったのですか?」
頷いたキリアンが、苦しそうに顔を歪めた。
「……陛下は心の内を明かされません。情報は必要な者にのみ分散させます。」
(政務毎に担当者を分けて、情報を分散させているの……?)
「キリアン卿も全ては把握していないということですか?」
「はい。」
情報集約者がいないのでは、効率は落ち全容を握るカーティスの負担ばかり大きくなるはず。
「ナイトメアは終息したのでは?どうしてそんなことを……」
視線に顔を上げ、キリアンの表情にアルヴィナは息を飲んだ。
「確かに多くを握る者がナイトメアとなり、いくつもの機密が漏れましたね。」
皮肉げに口元を歪めた、キリアンは苦く笑みを浮かべた。
「単に誰も信じていないだけです。最も心を寄せていた方がダンフィルを去ってから。」
アルヴィナの唇が震えた。キリアンはまっすぐアルヴィナを見つめた。
「私が知ることができる分は、お伝えできる範囲で事前にお伝えします。その時は協力頂けるのですね?」
「ええ……」
「他に仰っしゃりたいことは?」
「……あ……情報を……過去5年のダンフィルの国内で起きた……」
「……送文箱でお渡しします。」
キリアンが立ち上がった気配に、アルヴィナは顔をあげられなかった。扉に手をかけたキリアンが、躊躇いを挟んで振り返った。
「………アルヴィナ妃。幼い頃の私にとって、前王のお側にあった、貴女の父君は私の憧れでした。父君のようにいつの日か、カーティスとアルヴィナ様をお支えする日を夢見ていました。
父君は亡命を決断された時さえも、王家に深い献身を捧げていかれました。」
「……献身……?」
「フォーテルの決断は一個人として、理解もできます。貴女が残っていたなら、今生きてここにはおられなかった。
それでも……それでも、父君譲りの才覚に触れるたびに思うのです。貴女なら切り抜けられたかもしれない。貴女が側にいたのなら、カーティスは……!!」
言葉を切ったキリアンは、強く拳を握りこみ上げてくる何かを堪えるように俯いた。
「……これまでの無礼をお許しください……」
やがて力なく呟いて、キリアンは静かに出ていった。
アルヴィナは言葉もなく、座り込んだまま動けなかった。ようやく立ち上がった時には、日は翳り夕闇が訪れていた。
ふと目についた、カーティスからの贈り物だという小箱に手を伸ばす。
「羽ペン……?」
そっと蓋を開けたアルヴィナは、見開いた瞳に涙を滲ませた。
細工も見事な羽ペンとインク壺。インクをあらかじめ魔石に吸わせる魔筆が主流の今、羽ペンは骨董品だった。簡単には手に入らない。
それでもアルヴィナは羽ペンが好きだった。頻繁にインクをつける手間があっても、筆跡に出るインクの濃淡が好きだった。
(覚えていてわざわざ探したの……?どうして……)
ぽたぽたと涙を落としながら、アルヴィナは声を押し殺した。
(残酷な人……)
諦めさせてもくれない。思い出にすがる程に辛くなる。その辛さは他ならぬカーティスが与えるというのに。
「ひどいわ……兄様……」
王妃もキロレス公主の姪も受け入れて、その上なお、優しく遠い思い出も忘れるなと言うのだろうか。
かつてアルヴィナだけのカーティスだったことを、忘れるなと。
《陛下は誰も信じていません。最も心を寄せていた方がダンフィルを去ってから》
そしてその仕打ちを恨むことさえ、許してももらえないかもしれない。
(…私のせいなの……?)
顔を覆った両手から涙がこぼれた。思い出に縋ることを、諦めたから求めた。守りたいものを守れるだけの、最低限のささやかな権利。
そのためにキリアンと対峙して、空白の5年の情報を知ろうとした。自分には知る権利があると。
目をそらし続けた5年間。その5年をカーティスがどう生き抜いたのか。
アルヴィナが権利と信じた過去5年を知ることは、権利ではなく義務なのかもしれなかった。
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