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思惑
しおりを挟む王妃宮の侍女達は、ひっきりなしに響く破壊音に震え上がっていた。メナードは舌打ちして、そのまま扉を開けて中に入る。
「セレイア!」
メナードの一喝に、陶器を振り上げていたセレイアが振り返った。燃えるような赤毛を振り乱し、琥珀の瞳を爛々と光らせたセレイア。
「兄上、何用ですの?」
唇を捲りあげて凄絶な笑みを浮かべたセレイアに、メナードは口角を引つらせた。咳払いをして気を取り直すと、床に引き倒された椅子を起こして腰を下ろした。
「……執務室からお前が騎士に引きずり出されたことが噂になっている。」
「そうですか。そのうち黙るでしょう。《コラプション》は?」
「……ここに。在庫はもうほとんどない。」
「構いません。あの女を始末する分があれば十分です。」
「お前は……」
「必要ありませんよ。カーティスは十分壊れました。後は仕上げだけ。あの恥知らずが野犬に腰を振れば、大人しくなります。カーティスは誰にも渡さないわ!」
「……そう、だな。」
メナードは拭いきれない、一抹の不安に曖昧に頷いた。それでももう時間はない。アルヴィナを排除する他、道はなかった。
「野良犬は決めました?」
「いや、失敗はできない。」
「……そうですね。それならべーデルの長男にしましょう。次男がエクルドへの接触を図っているらしいですし……」
「……分かった。」
真っ赤な唇を吊り上げて微笑むセレイアに、メナードは薬瓶を渡した。
キロレスの使節が来るまで、後ひと月ほど。それをやり過ごせても、アルヴィナが身籠れば全てが終わる。
(……父上がいて下されば……!!)
病没した父親の面影に祈るような心地で、メナードは回廊を歩く。緻密に組み立てられ、寸分の狂いなく進んでいた。それなのに……。
(いや!まだだ!あの女さえ排除できれば!!)
《コラプション》には抗う術はない。もうセレイアの身内ですらゾッとするような、あの執着心に賭けるしかなかった。
※※※※※
回廊を足早に進むノーラの振動で、籠に入った薬瓶がカチャカチャと鳴った。扉の前に立ち止まると、護衛がノックの音を立て扉が開かれる。
「……陛下、キリアンを大人しくさせてください。」
籠を執務机に置き、ノーラは前置きなくカーティスに苦情を申し立てた。籠にチラリと目線を流し、ゆっくりとカーティスは顔を上げた。
「無理だな。」
「ネロを殺しかねません!」
「だから?」
「証人を失ってもよいのですか?解毒薬も彼が居なければ……」
「構わない。」
「ですが……!!」
「ネロは単なる罪人。証人としても大して価値はない。」
「………公爵閣下は生かすことを望まれていました。」
俯き拳を握るノーラに、カーティスはため息を吐き出した。
「だから今生かしている。勘違いするな。お前の忠誠がフォーテルであろうと構わない。その公爵が私に託した。今のお前の主は私だ。」
「………はい。」
ノーラは力なく項垂れ、カーティスは籠に手を伸ばした。薬瓶の隙間に挟まれていた紙片を取り出す。さっと目を通し、ノーラに向き直る。
「お前がすべきことはキリアンの八つ当たりを止めることではない。随分ねずみが多いな。」
「全て白亜宮で作られた食事に混入されていたものです。」
「万が一にも口にさせるな。アルヴィナには私の子を産んでもらわねば。」
「………ではなぜ大切になさらないのです?精神負荷は妊娠に影響を与えます。」
顔色を変え、鋭くした眼差しで睨みつけてくるノーラ。渦巻く罵声を口に出せず、唇を震わせる様を、カーティスはせせら嗤った。
医師としての矜持の高さが、カーティスへの苦言を飲み込ませている。
「ふむ、そうか。検討しよう。」
「よくも……!!」
怒りに顔を蒼白に染めたノーラに、カーティスは嘲るように手を振った。
「下がれ。」
歯を食いしばってノーラは、礼も取らずに踵を返した。ノーラが立ち去った執務室でカーティスは、籠から薬瓶を取り出した。透き通る緑の薬液が、キラキラと陽光を反射する。
「アヴィー……お前はどんな悪夢を見るだろうな……」
自分の悪夢はようやく終わりが近づいた。かざした薬液を見つめ、カーティスは夢見るように呟いた。
※※※※※
アルヴィナはマルクスが、差し出した紙片を受け取った。
《リーベンにいらした5年の間のダンフィルを知っても、私が必要であれば馳せ参じます》
流麗なエクルドの文字に、アルヴィナは思わず顔を俯けた。
(そうよね……)
何も知らずにいて何ができるのか。突き動かされる感情のまま、とにかく動こうとした焦りを見透かされた気がして、羞恥に顔が熱くなる。
(だけど……)
知ることが怖かった。否が応でもカーティスの変貌の理由を知ることになるからだ。
これ以上重く罪悪感がのしかかるのなら、もう顔を上げて歩くこともできなくなりそうだった。
(それでも、このまま知らずにいることができる……?)
自分への問いは、すぐに答えは出た。求められる贖罪の正当性を知らずに、ただ耐え続けることはもう限界だった。理由を知る権利がある。
マルクスをノーラをこれ以上、犬と侮辱されることにも耐えられない。その原因が自分ならなおさらだった。
「マルクス、エクルド卿へ……」
「失礼します。キリアン卿がお見えです。」
「……お通しして。」
立ち上がりかけたアルヴィナは、侍女の来客の知らせに頷いた。キリアンが礼を取り、その後ろに箱を捧げ持った騎士が控える。
「陛下よりしばらく白亜宮にて政務を進めるようにと。文書のやり取りはこちらの送文箱でのみ行います。こちらは陛下の送文箱に、こちらは私の送文箱に繋がっています。」
「はい。」
機密文書用のやり取りのため、魔道具が運び込まれるのを見守りながら、アルヴィナはちらりとキリアンを横目に見る。
(キリアン卿なら……)
誰よりもカーティスの側に仕え、アルヴィナを嫌っている。それなら過去の5年を確認しても、アルヴィナを気遣って濁される心配はない。
「こちらは陛下からの贈り物です。」
「……はい。」
そのまま開けずに机に置いたアルヴィナに、キリアンはぴくりとこめかみを引きつらせる。
アルヴィナはすっと息を吸い込み、キリアンに向かい合った。
「キリアン卿、少しお時間を頂けますか?」
訝しげに眉をひそめるキリアンを、アルヴィナは真っ直ぐ見据えた。
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