17 / 66
野良犬
しおりを挟む俯きがちにアルヴィナは、カーティスの執務室に向かっていた。隔絶された白亜宮から行政区画の翠蒼宮へ足を踏み入れると、空気は一変する。
アルヴィナに礼を取りながら盗み見する視線。通り過ぎたあとに交わされる、潜められた囁き声。
ひと月が過ぎても、王宮は側妃を巡るざわめきは落ち着くことはなかった。
美貌を……リーベンが……王妃は……閨の……フォーテル……
いくつもの単語を胸に収めても、アルヴィナは表情を変えず、一定の歩調を保ったまま歩き続ける。アルヴィナは執務室に通う日々を経て、ダンフィルの情勢をある程度把握していた。
(素早い平定が国民の王家への信頼を回復させた……)
カーティス即位から、急速に治安は回復した。街の状況からも明らかで、国民の王家への不信は解消されている。
(それなのにあまりにも乖離している……)
国民の信頼は回復しているにも関わらず、国民と貴族の認識はあまりにもかけ離れていた。
一定の安定を保つ情勢でも、王宮内は濃く悪意と謀略、嫉妬と疑心が渦巻いている。
まるでキロレスの薬物名鑑で見た、蠱毒のように。
暴君……狂王……
時々カーティスを評するさえずりに、アルヴィナの不安が煽られる。さえずるのはベルタング寄りの貴族たちで、カーティスの変貌がそう言わせるのか、それとも……。
先導するノーラの背中に、アルヴィナは足を止めた。緊張を滲ませているノーラに、アルヴィナは顔をあげ息を飲んだ。
背後でマルクスもまとう空気を鋭くする。
「寵姫アルヴィナ様へ、ご挨拶申し上げます。」
炎のような赤毛に震えだしたアルヴィナを、そっとマルクスが支える。
丁重に見えて角度の浅い礼をする琥珀の瞳が、嘲るように細められた。
ぐっと力がこもったマルクスの腕に励まされ、アルヴィナは必死に声を押し出した。
「………ご機、嫌よう。メナード・ベルタング侯爵。」
微かに震えるアルヴィナの声に、メナードは口元に嗜虐の笑みを浮かべる。
「我が妹に聞いた通り、風雪に容易く手折られそうなたおやかさ。噂に名高いフォーテルの姫君は噂以上にお美しい。陛下の眩い寵愛も納得です。」
にいっと唇を吊り上げたメナードに、必死に唇を動かすも、恐怖に引攣れた喉からは声は出てこなかった。
「確かにダンフィルでも轟いたアルヴィナ妃の知性と美貌は、リーベンさえも魅了したそうですね。未だにリーベンのパレードが語りぐさとなっているとか。」
背後で口を開きかけたマルクスを、朗らかな声が遮った。
「自ら風雪を起こしそうな、健康的な王妃とは真逆ですな。メナード卿?」
ギリッと音がしそうなほど歯を食いしばり、メナードがエクルドを睨みつけた。
「………エクルド・レジスト侯爵……」
庇うように隣に立ったその人を、アルヴィナは呆然と見上げた。エクルドは優しく瞳を和ませて微笑んだ。
「お久しぶりです、アルヴィナ妃。陛下がお待ちなのでは?」
「それは……」
「早く行かれるがよろしいでしょう。」
エクルドの笑みを見つめ、アルヴィナは言いかけた言葉を飲み込んだ。
「では、私はこれで。」
アルヴィナは瞼を伏せるとそのまま足を踏み出した。まだ震える足は、エクルドのおかげでだいぶ力を取り戻していた。
「アルヴィナ妃!王宮には野犬が数匹うろついております。」
歩き出したアルヴィナに、メナードがねっとりと絡みつくように声をかけた。ぴくりとアルヴィナは、こめかみを震わせ足を止めた。
「飼い犬でも野良犬でも犬は犬。あまりにも誰彼構わず吠えるのですよ。王妃にさえね。
噛みつこうとした犬が処分されてからは、随分と大人しくなりましたが。
アルヴィナ妃、すり寄る犬に情がわいてもやがて処分される犬です。捨ておくのが賢明ですよ。」
ゆっくりと振り返ったアルヴィナに、メナードが笑みを刻む。燃え上がるような赤毛に、アルヴィナは初めて恐怖以外の感情がわき立つのを感じた。手に持った扇の柄を握りしめる。
「………狩猟の成否は賢い猟犬が決めるもの。」
笑みが消えたメナードは、探るように瞳を険しくした。
「質のいい猟犬ならば、大きな獲物の痕跡までつぶさに嗅ぎ分け、見つけ出すものです。」
そのままアルヴィナは踵を返して歩き出した。貴族名鑑に残されていた家門が、いくつも頭を過ぎる。
立ち去るアルヴィナを睨みつけ、メナードはエクルドに一瞥もせずその場を歩き去った。
「マルクス、ノーラ。」
「「はい。」」
「……いえ、何でもないわ。」
一瞬にして燃え上がった怒りを、マルクスとノーラの声がかき消した。
(捨て犬などと侮られるのは、フォーテルの……いいえ、私のせい……)
文字通り尻尾を巻いて逃げ出したのは、他でもなく自分。すべての権利も義務を放棄した。侮辱に怒る権利さえも。
(お父様……)
高潔だった父の背中を思い出し、アルヴィナは唇を震わせる。父に亡命を選択させたのは自分だ。食事も水も口にできないほど、悪意に怯えた自分。そんな娘にあの父が、何もせずにいられるわけがない。
ベルタング家は噛み付いたと処分し、吠えかかるからと権勢をちらつかせる。かつての友人たちが託つ不遇を、父はどう思うのだろうか。
密やかな囁きと、さえずる貴族達の言葉。最後の一匹になるまで潰し合う、悪意に染まった蠱毒のような王宮。
生き残った蠱はどれほどの毒を得るのだろうか。
(私は……)
惑って揺れる胸を押さえながら、アルヴィナは目の当たりにした現実に立ちすくむ事しかできなかった。
0
お気に入りに追加
325
あなたにおすすめの小説
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。
婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました
Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。
順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。
特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。
そんなアメリアに対し、オスカーは…
とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。
婚約破棄目当てで行きずりの人と一晩過ごしたら、何故か隣で婚約者が眠ってた……
木野ダック
恋愛
メティシアは婚約者ーー第二王子・ユリウスの女たらし振りに頭を悩ませていた。舞踏会では自分を差し置いて他の令嬢とばかり踊っているし、彼の隣に女性がいなかったことがない。メティシアが話し掛けようとしたって、ユリウスは平等にとメティシアを後回しにするのである。メティシアは暫くの間、耐えていた。例え、他の男と関わるなと理不尽な言い付けをされたとしても我慢をしていた。けれど、ユリウスが楽しそうに踊り狂う中飛ばしてきたウインクにより、メティシアの堪忍袋の緒が切れた。もう無理!そうだ、婚約破棄しよう!とはいえ相手は王族だ。そう簡単には婚約破棄できまい。ならばーー貞操を捨ててやろう!そんなわけで、メティシアはユリウスとの婚約破棄目当てに仮面舞踏会へ、行きずりの相手と一晩を共にするのであった。けど、あれ?なんで貴方が隣にいるの⁉︎
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【本編完結】若き公爵の子を授かった夫人は、愛する夫のために逃げ出した。 一方公爵様は、妻死亡説が流れようとも諦めません!
はづも
恋愛
本編完結済み。番外編がたまに投稿されたりされなかったりします。
伯爵家に生まれたカレン・アーネストは、20歳のとき、幼馴染でもある若き公爵、ジョンズワート・デュライトの妻となった。
しかし、ジョンズワートはカレンを愛しているわけではない。
当時12歳だったカレンの額に傷を負わせた彼は、その責任を取るためにカレンと結婚したのである。
……本当に好きな人を、諦めてまで。
幼い頃からずっと好きだった彼のために、早く身を引かなければ。
そう思っていたのに、初夜の一度でカレンは懐妊。
このままでは、ジョンズワートが一生自分に縛られてしまう。
夫を想うが故に、カレンは妊娠したことを隠して姿を消した。
愛する人を縛りたくないヒロインと、死亡説が流れても好きな人を諦めることができないヒーローの、両片想い・幼馴染・すれ違い・ハッピーエンドなお話です。
【完結】そんなに側妃を愛しているなら邪魔者のわたしは消えることにします。
たろ
恋愛
わたしの愛する人の隣には、わたしではない人がいる。………彼の横で彼を見て微笑んでいた。
わたしはそれを遠くからそっと見て、視線を逸らした。
ううん、もう見るのも嫌だった。
結婚して1年を過ぎた。
政略結婚でも、結婚してしまえばお互い寄り添い大事にして暮らしていけるだろうと思っていた。
なのに彼は婚約してからも結婚してからもわたしを見ない。
見ようとしない。
わたしたち夫婦には子どもが出来なかった。
義両親からの期待というプレッシャーにわたしは心が折れそうになった。
わたしは彼の姿を見るのも嫌で彼との時間を拒否するようになってしまった。
そして彼は側室を迎えた。
拗れた殿下が妻のオリエを愛する話です。
ただそれがオリエに伝わることは……
とても設定はゆるいお話です。
短編から長編へ変更しました。
すみません
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる