壊れた王のアンビバレント

宵の月

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憐憫

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 カトラリーの音だけが響く静かな食事を終え、アルヴィナは早々に寝室へ戻った。歓声の隙間から必死にアルヴィナを呼ぶウォロックの声が、耳から離れず心を重くする。
 混乱が続いていたダンフィル国から、主要取引国の最高位貴族の亡命の手助け。それは家門だけでなく、命さえも危うくする危険な賭けだったはずだ。
 リーベンに着いてからも母へ医師の手配。亡くなってからも、住まいや仕事とずっと世話になってきた。

 (ごめんなさい……)

 全てをかけて父への友情を示し、見守ってきてくれたおじ様とウォロック。彼らを巻き込んでまで逃げ、そして今連れ戻されようとしている。
 全部が無意味だったような虚無感が広がった。逃げ回り巻き込んで、ただ迷惑だけをかけてしまった。お別れの挨拶もこれまでの感謝さえ伝えられずに。

 (私はダンフィルに残るべきだったの?)

 あのままダンフィルに残れば、おそらく今アルヴィナは生きてはいない。それでもシルヴォロム家に返すあてのない恩ばかりを増やすことはなかった。そしてカーティスやキリアンに憎まれることもなかっただろう。

 (残って?残ってあの時の私に何ができたというの?)

 向けられた殺意に怯え、食事も水も飲めなくなった未成年の自分。
 ダンフィルをフォーテルを愛していた。カーティスが領民が大切だった。同じだけ両親が大切だった。家族の命を守りたかった。
 ……死ぬのが怖かった。生きていたいと願ってしまった。

 (全部を間違えていたの?)

 振り捨てて逃げた罪悪感はいつも消えずにアルヴィナを責め、守りたかった家族は失ってしまった。
 生きるには亡命しかなく、それは大切だった多くのものを捨てる選択だった。
 アルヴィナはきつく額を腕に押し付けた。強く押し付けた眼裏の暗闇を見つめながら、アルヴィナは歯を食いしばった。

 (ああ、そうね。私は、覚悟を決めなかったんだわ……)

 逃げてまで生きるなら、生きたいと願うことを肯定しきらなければならなかった。
 留まるなら命を賭して、何を守らねばならないか選ばなければならなかった。
 どちらの覚悟もできないまま、流されるまま国を出た。生きたいと願う心に急かされるまま。
 カーティスの変貌とキリアンの怒り。ウォロックの必死の呼び声。そのどちらかは覚悟を決めていたなら起こらなかったのかもしれない。
 蹲ったままのアルヴィナの耳に、扉の開く音が聞こえた。

 「兄……陛下……」

 カーティスが脱いだ上着を椅子の背にかけながら、部屋へと入ってきた。

 「なぜそんな顔をする?夫婦が寝室を共にするのは当然だろう?」

 びくりと怯えたアルヴィナに、カーティスは薄く嗤った。

 「シルヴォロム家から使者が来た。当然、今会うことは許されない。」
 「……はい。」
 「メリベル夫人の墓所は3年以内を目途にダンフィルに移す。」
 「え?」
 「ダンフィル王国の側妃の生母を、異国の地で眠らせるわけには行かない。」

 感情の読めない瞳でアルヴィナを見詰めたカーティスは、その視線を外しソファーに背を預けた。

 「……メリベル夫人の最後は?苦しまれたのか?」
 「………っ!?……いえ……眠るように息を引き取りました。」

 込み上げてきた涙をとっさに俯いて隠しながら、アルヴィナは嘘をついた。

 「……そうか。」

 小さく掠れた呟きを零し、沈黙が落ちた。静かに哀悼するような空気に、カーティスは瞑目し、アルヴィナは俯いたまま母へ思いを馳せた。

 「……シルヴォロム家にはダンフィルから正式に使者が立てられる。」
 「……はい。慈悲に感謝いたします。」

 平坦な声音のカーティスにアルヴィナは、先んじて頭を下げた。
 側妃となった自分の保護と、母の墓所を移動するまでの、管理に対する礼のための使者とするために。
 
 「……詳細はキリアンに報告させる。」
 「はい。ありがとうございます。」

 カーティスの返答にアルヴィナは内心胸を撫でおろした。シルヴォロム家が亡命に、手を貸したことを咎められることはないだろう。

 「………他には?」
 「え?」
 「………ウォロック・シルヴォロム。王宮通りに来て、お前を呼んでいただろう?」
 「はい。………これまでの謝意を伝えられればと思っております。」

 苦く胸をわだかまる罪悪感を吐き出すように、小さく息を吐き出した。商人である彼らからの無償の厚意。何か返したくても、アルヴィナが持つものは何もない。
 胸を押さえたアルヴィナに、カーティスが皮肉げに目を細める。

 「哀れだな。」
 
 哀れ?戸惑うように眉根を寄せたアルヴィナに、カーティスはますます笑みを深めた。

 「アヴィー、無償の献身など存在しない。利益を評価を見返りを求める。金を物を心を。」

 アイスブルーの瞳の奥に、揺らめく感情が理解できなくてアルヴィナは戸惑った。

 「お前は残酷だ。深く囚えるくせに簡単に背を向ける。」
 「陛下……?」
 「アヴィー、お前が自ら選び取り、手放さなかったものなど一つもないのだろう?」

 徐々に激情を募らせた始めたカーティスに、アルヴィナは困惑したように瞳を揺らした。
 カーティスの脳裏に、ウォロックを振り切るアルヴィナが蘇る。
 カーティスは立ち上がるとシャツに手をかけた。

 「アヴィー、側妃の義務を果たせ。」

 見上げたカーティスのアイスブルーが、色を濃くしてアルヴィナを見下ろした。




 
 
 
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