1 / 66
決別
しおりを挟む「……そうか……」
寝台に支えられた窶れた王は、ただ疲れたようにぽつりと漏らした。重く沈んだ室内に、静かな沈黙が澱んで混じる。
王がゆっくりと顔を上げたとき、固く閉ざされた扉の外が騒がしくなった。制止の声を振り切った王太子は飛び込むように寝室に押し入った。
「フォーテル公爵っ!!」
苛立ちと焦燥に美貌を歪ませた王太子は、王の寝台の横に立つ男に縋るように手を伸ばした。
「公爵!お願いだ!考え直してほしい!私が……私が必ず……!!」
「……申し訳、ありません。」
公爵はわずかに視線を逸らし、食いしばった奥歯を軋らせ詫びた。それだけでどれほど決意が固いかを王太子は悟る。それでも懇願せずにはいられなかった。
「頼む!どうか……っ!!アヴィーを、アルヴィナを心から愛しているんだ!!命に代えても今度こそ必ず守る!!どうか……お願いだ……っ!!」
震える手で公爵の袖を掴む王太子の手を、公爵はゆっくりと丁重に振り払った。
「……カーティス殿下……不忠をお許しください。フォーテルを愛し、この国を愛しております。それでも妻とアルヴィナを引き換えにはできない。私も愛しているのです。妻をアルヴィナを……。」
「……公爵……」
苦悶に顔を歪ませながら公爵は、それでも絶望にアイスブルーの瞳を滲ませたカーティスとまっすぐと向き合った。
「私が示せる最後の忠節です。どうかお受け取りください。」
公爵は後ろで恭順の礼を取る3人を振り返った。騎士、女、アルヴィナのドレスを着た小柄な少年。そのうちの一人は紙束をカーティスに捧げていた。受け取ったカーティスが視線を走らせて目を見開いた。
「……これは……っ!」
驚愕に目を見開いたカーティスに、公爵は頷いて見せた。驚愕から立ち直れないままカーティスは、紙束に視線を落とす。顔を上げた時には、その表情を絶望と怒りで歪ませていた。
ドレスを着た小柄な少年を憎悪の眼差しで睨みつける。少年はひどく怯えて肩を揺らし、掴みかかろうとしたカーティスから女が少年を庇った。
「殿下、どうか落ち着かれてください。彼を今殺すことに何の益もございません。」
毅然とした声で割って入った女を睨みつけ、血走った眼でその背に庇われ怯えている少年を睨みつける。身の内から湧き上がる殺意を、カーティスは必死に抑え込む。
「……陛下……これを。」
「……」
「父上!!」
恭しく捧げられた革張りの証書を受け取る王に、カーティスは鋭く非難の声を上げた。それに振り返らず、王は弱った手を上げ署名し玉印を押下する。そのうちの一枚を押し頂くように受け取った公爵は、深く頭を下げた。
「……申し訳ございません。」
「ゲイル、謝るのは私の方だ。これは王家の……いや、私の失態だ。」
「父上!どうか取り消してください!父上!」
「カーティス……すまない……」
厳然とカーティスを見据えた王に、カーティスは言葉を失った。止められない。カーティスの唇が震えた。
フォーテル家の爵位返上と、王家へ領地献上。フォーテル家は貴族籍を放棄した。野心など微塵もない王国一の忠臣は、混乱の最中の国と領民を捨てる。身分を連綿と受け継がれてきた栄誉を捨て、平民となって隣国へと亡命することを決断した。誰よりも重い献身を手土産にして、国を捨てて王家を捨てた。
「……っ!!アヴィー!!」
手のひらに顔を埋め、カーティスが愛しい名を呟いた。妻になると信じていた美しいカーティスの婚約者。フォーテル家が爵位を捨てたことで、彼女は王太子の婚約者たる資格を失った。
埋めた手のひらの隙間から涙がこぼれる。
「行かないで、アヴィー……愛しているんだ……」
もうずっと、初めて出会ったあの時から。堪えきれない嗚咽を漏らしながら、眼裏に浮かぶ少女に縋りつく。彼女しか愛せない。彼女しか欲しくない。彼女だけを愛している。妻どころかもう容易に会うことさえかなわない場所に、彼女は行こうとしている。自分を捨てて、国を捨てて。
「……どうか、お元気で……」
公爵の残酷な声が室内に零れ、カーティスの心を粉々に打ち砕いた。引き留める声は涙に詰まった喉でせき止められる。どうして引き止められようか。フォーテルが王家を見捨てた理由は明白だった。アルヴィナは今この世にいなかったかもしれない。それでも。
遠ざかりやがて聞こえなくなった公爵の足音。絶望に沈んだ心に、ふつふつと湧き上がってきたのは憎悪だった。身を焼き焦がす憤怒だった。
「……許さない……」
立ち上がった時には、カーティスの絶望の震えは止まっていた。みなぎるように沸き立つ怒りに、瞳が瞋恚に染まる。国を壊したものを、裏切りに手を染めたものを、自分を捨てた愛する人を。
「……許さない……!!」
紙束を握る手に力がこもった。
「……ついて来い。」
押し出された平坦で冷淡な声にか、立ち上る鋭い覇気にか、公爵が残していった3人にぞくりと震えが走った。逆らうことが許されない声に、3人は畏怖を持って従った。
この日粉々に砕けたカーティスの心は、二度と元の形に戻ることはなくなった。
妻と娘に偽装させた者を置いて、一人王宮を出た公爵は、先に隣国へと発った家族のもとへ辿り着くことはかなわなかった。
0
お気に入りに追加
326
あなたにおすすめの小説
【R18完結】エリートビジネスマンの裏の顔
白波瀬 綾音
恋愛
御社のエース、危険人物すぎます───。
私、高瀬緋莉(27)は、思いを寄せていた業界最大手の同業他社勤務のエリート営業マン檜垣瑤太(30)に執着され、軟禁されてしまう。
同じチームの後輩、石橋蓮(25)が異変に気付くが……
この生活に果たして救いはあるのか。
※サムネにAI生成画像を使用しています
見知らぬ男に監禁されています
月鳴
恋愛
悪夢はある日突然訪れた。どこにでもいるような普通の女子大生だった私は、見知らぬ男に攫われ、その日から人生が一転する。
――どうしてこんなことになったのだろう。その問いに答えるものは誰もいない。
メリバ風味のバッドエンドです。
2023.3.31 ifストーリー追加
ヤンデレ幼馴染が帰ってきたので大人しく溺愛されます
下菊みこと
恋愛
私はブーゼ・ターフェルルンデ。侯爵令嬢。公爵令息で幼馴染、婚約者のベゼッセンハイト・ザンクトゥアーリウムにうっとおしいほど溺愛されています。ここ数年はハイトが留学に行ってくれていたのでやっと離れられて落ち着いていたのですが、とうとうハイトが帰ってきてしまいました。まあ、仕方がないので大人しく溺愛されておきます。
先生!放課後の隣の教室から女子の喘ぎ声が聴こえました…
ヘロディア
恋愛
居残りを余儀なくされた高校生の主人公。
しかし、隣の部屋からかすかに女子の喘ぎ声が聴こえてくるのであった。
気になって覗いてみた主人公は、衝撃的な光景を目の当たりにする…
マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました
東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。
攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる!
そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。
寵愛の檻
枳 雨那
恋愛
《R18作品のため、18歳未満の方の閲覧はご遠慮ください。》
――監禁、ヤンデレ、性的支配……バッドエンドは回避できる?
胡蝶(こちょう)、朧(おぼろ)、千里(せんり)の3人は幼い頃から仲の良い3人組。胡蝶は昔から千里に想いを寄せ、大学生になった今、思い切って告白しようとしていた。
しかし、そのことを朧に相談した矢先、突然監禁され、性的支配までされてしまう。優しくシャイだった朧の豹変に、翻弄されながらも彼を理解しようとする胡蝶。だんだんほだされていくようになる。
一方、胡蝶と朧の様子がおかしいと気付いた千里は、胡蝶を救うために動き出す。
*表紙イラストはまっする(仮)様よりお借りしております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる