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矜持

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 食事と睡眠の時間を除いて、魔術整理にあたること約一週間。
 目の下にクマが浮くフィオナ、レオン、ヒースが見守る中、プルプルと震えるローランの手が魔術式の最後の一節を描き終える。と同時に白目でごとりと机に突っ伏したローランから、フィオナは満面の笑みで魔術式が描かれた紙を引っこ抜いた。

「完っ成……!!」

 魔術式を空中に翳しながらくるくると喜びに舞うフィオナとは裏腹に、レオンとヒースは力尽きているローランに心配そうに声をかけた。

「教授、大丈夫ですか? 生きてますか?」
「お疲れ様です。エディさんを呼びますか?」
「だ、大丈夫……」

 くるくる回っていたフィオナも、よろよろと顔をあげるローランに慌てて駆け寄る。

「あ、お父様……すいません。嬉しくてつい……」
「いや……いいんだ……フィオナの役に立てて良かった……」

 再びごとりと机に突っ伏したローランに、フィオナは慌てて飛びついた。

「お父様! エディ! お父様を部屋に……!」

 扉横に静かに控えていたエディが、頼もしく頷いて素早くローランを回収していく。見送っていたレオンとヒースは顔を見合わせてため息をついた。

「……フィオナ、ニヤつくのはやめろ。ここは心配そうな顔をするところだ……」
「うん……僕もちょっと表情の選択を間違ってると思うな」
「えへへ……つい……」

 ニマニマ笑みを隠しきれないまま振り返ったフィオナは、しっかりと片腕に抱きしめたままの魔術式の束に視線を落とし、ますますニヤついた。

「でもニヤつくなって方が無理でしょ?」
「まあ、ね……」

 ヒースが肩をすくめて短く認めた。
 ローランが長期に渡って集め歩いた膨大な魔術は、各大陸の庶民に伝わる汎用魔術がほとんどだった。「硬く結びすぎた結び目を解く魔術」やら「演劇効果音・ロマンス編・怪談編・ファンタジー編」など、一見すると非常にくだらなく微妙な魔術ばかりだった。

「それにしても……思い込みって怖いんだね。ちょっと驚いたよ」
「ほんと、それ! 終盤になってやっと、ちょっとコツが掴めたかなって。でもこれ、レオンがいなかったら無理だったんじゃない?」
「それはそうだね」
「……褒めても何も出ないぞ」

 フィオナとヒースに視線を向けられ、レオンが照れを隠すように憮然として手帳の山に視線をそらした。
 砂漠の中で一粒の砂金を探す気持ちで始めた、ローランの持ち帰った魔術の整理。でもその実とんでもない宝の山だったのだ。だが宝の山を目の前にしていても、レオンがいなければ砂金の一つも見つけられなかったかもしれない。

「謙遜する必要はないでしょ? レオンじゃなかったら「泥土」の魔術が「樹木育成」に応用できるとは思いつかなかったと思うよ?」
「そうね。現地でも「泥土」は畑の畔づくりくらいにしか、使ってなかったってお父様も言ってたし。開発した本人も気づいてなかったなら、もしかして世界中でレオンだけがこれに気づいたのかも……?」
「いや、誰かはさすがに気づいてるだろ……」
「でも、実際ないじゃない。泥土と樹木育成を組み合わせた魔術式は。私、固定概念って結構強固なんだって、改めて思い知った気分だもん」

 用途と目的が違うだけで、汎用魔術も戦闘魔術も同じ魔術。はっきりと区切っていた思考は、理解したつもりでいてもそう簡単には切り替わらないのものだった。
 魔術名のほとんどは、不文律のように用途に沿って付けられる。用途に沿った魔術名に引きずられて、それにしか使えないとつい思い込んでしまうものらしい。トマトの完熟を見分ける魔術と探知魔術が、簡単には結びつかなかったように。途中までほぼ同じ魔術経路を辿っているのにだ。
 同じ経路だからこそ魔力節約の工夫を発動効率をあげるために応用できた。土と水を混ぜて泥土を作り出す「泥土」だって、レオンは樹木が自然に生育する経過と結びつけた。確かに植物は整えられた土壌で、より伸び伸びと育つもの。業火に送風を組み合わせたように、効果効率が上がるのは当然だと説明されてようやく気がつけたのだ。逆にいえば説明されなければ気づけなかった。
 気がつくコツさえ掴めれば、当然の原理でもあるから理解は難しくない。でも繋がるまでが難しい。いちいちレオンに発動の手順をなぞってもらい、原理の説明を受けてようやく確かにそうだと納得するのを、何度繰り返したことか。

「……戦闘魔術、汎用魔術ってきっちり分類するのって良くないわね。そのせいで無意識に別魔術って分けて考えるようになるのよ……」
「でも分類にも意味はあるぞ」
「国際基準だしね。僕としてはこのまま脳内できっちり戦闘、汎用って、分けたままでいてもらいたいかな。もしも他国でも同じって気づかれたら、強力な魔術を開発されちゃうかもでしょ? 僕は我が王国が最強って肩書きが気に入ってるんだよね」

 にっこりと美しい笑みを浮かべたヒースに、フィオナとレオンは顔を顰めた。躊躇ない腹黒さはいっそ清々しい。

「ま、まあ……アレイスターでしか学べないって謳い文句は、黒字化への強みではあるわよね……」
「貴族は戦闘魔術に妙にプライドを持ってるから、汎用魔術とか言えばうるさくなるかもだしな」

 うんうんと頷いたヒースはフィオナが抱えたままの、ローランが最後に完成させた魔術式に笑みを向けた。

「でもはさすがに国際公開、かな」
「当たり前でしょ! これは公開よ! 人命にも関わるんだし。すぐにでもお父様とレオンの連名で魔術登録しないと!」

 今回の魔術整理での一番の収穫に、フィオナはニヤつきながら拳を握った。

「それにしても確かに原理はそうなんだけど……元はささくれ用の魔術かぁ……」
「すごいわよね! さすが理論主席! 天才すぎる!」
「……ただ思いついただけだ」
 
 頬を高揚させたフィオナに、レオンは照れるのを堪えるように仏頂面を顰めてみせた。

「言われてみればささくれも「怪我」だもんね」

 ヒースもご機嫌でレオンに笑みを向ける。

「まあな……」

 居心地悪そうにレオンが頷く。
 今回の最大の収穫になった魔術は、ささくれ用の魔術という非常に微妙な魔術だった。
 ピリピリして地味に気になるささくれに対処するため、体内の魔力と外部の魔力をくっつけて、めくれた皮を押さえるというごく単純な発想の魔術。相当微妙に思えるこの魔術は、人命を救う国際公開する価値のある魔術に変貌を遂げた。でも最初にその価値に気づけたのは、レオンだけだった。
 現状の治癒魔術は特異魔術に分類され、「治癒」ただ一つしか存在しない。方法としては体内に循環、蓄積されている魔力に、流し込んだ魔力で自然治癒力向上の魔力属性を付与するというもの。特殊な魔術のために展開する魔術式は複雑且つ膨大。そのため治癒の神官が刻印するのは、魔術効率のためにも治癒だけになる。その性質で「治癒」の魔術自体も、使い手もとても貴重になっている。
 そんな治癒魔術と一見全然関係なさそうな、ささくれ用の魔術はレオンがささくれも「怪我」だと気づいたことで価値が表面化された。レオンが気づかなければ、フィオナは微妙な魔術だと思ったままだっただろう。
 厳密に言えば魔力で傷口をくっつけて、一時的に蓋をするだけの魔術で「治癒」するわけではない。ただ傷口を一時的に塞ぎ、出血を最小限に押さえる応急処置として機能できる。
 考えてみれば布や手で傷口を押さえて同じことをしていたのに、使。その思い込みが治癒させることは無理でも、応急処置ならできるという発想を失わせていた。固定観念とは本当に思った以上に強固なものだ。

「神官は貴重だからね。でも応急処置の手段があれば、騎士団の生存率は格段に上がるはずだよ」  
「別に魔術登録は教授の単独で……」
「何言ってるの! レオンが気がつかなかったら、永遠に「ささくれ魔術」はささくれだけを塞いでたのよ!」
「いや、教授が見つけた魔術だし。怪我の応急処置に使えるレベルまで魔術式を構築したのも教授だ。俺はただそういう使い方もできるんじゃないかって思いついただけで……」
「それを思いつけなかったから、応急処置の魔術が今までなかったんじゃない! これって特異魔術の「治癒」と同等の価値があるのよ! 大発明じゃない! 神官じゃなくても扱える治癒魔術なんだから!」

 興奮気味に身を乗り出すフィオナに、レオンは困ったように視線を泳がせる。その様子にヒースはため息を吐き出した。
 
「……神官じゃなくても扱える治癒魔術とか、開発者に名を連ねたら魔術師としての格は相当上がるだろうね。でも嫌なら無理しなくていいと思うよ? まあ、僕ならプライドより開きまくってる差を縮めるのを優先するけどね」

 一際美しく笑みを浮かべたヒースを、レオンが鋭く睨みつける。しばらく無言でヒースを睨んでいたレオンは、低く唸るように声を押し出した。

「……わかった。教授が了承してくれるなら、連名で魔術登録する」
「え? あ、うん……」
「まあ、そうするべきだよね」

 にっこりと頷いたヒースを睨んだまま、急に意見を変えたレオンにフィオナは首を傾げる。

「……じゃ、じゃあお父様に確認してから、魔術登録を……」
「俺が行ってくる」

 困惑するフィオナからひったくるように魔術式を受け取ると、レオンはそのまま部屋を出ていってしまった。

「……レオン、なんか怒ってなかった? なんで……?」

 首を傾げるフィオナに、ヒースがおかしそうに肩を揺らす。
 
「ふふ……さあね。男心は複雑なんじゃない?」
「男心……」
「……さて、僕も騎士団に行ってこないとね。フィオナ、レオンに魔術登録急がせて」
「あ、うん、わかった……気をつけて……」

 ひらりと手を振って行ってしまったヒースを見送り、フィオナは複雑らしい男心とはなんなのか首を傾げた。考えたところでフィオナの筋肉質な脳ではさっぱり理解できなかったので、早々に考えるのはやめ鼻歌を歌いながら片付け始めたのだった。
 
 
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