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話し合い

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 何度か口を開いては閉じながら、ローランはしばらく言葉を探していた。

「あのね、フィオナ。僕はエレインを……お母様を心から愛していたんだ。僕たちの元に生まれてきてくれた、フィオナのことも本当に大好きだよ。信じてもらえないかもしれないけど……」

 その第一声にフィオナの、頭に一気に血が昇る。

「じゃあ、なん、で……!」

 カッとなって声を荒げて顔をあげたフィオナは、ローランの表情に息を飲んだ。穏やかで優しそうな笑みは、ひどく切なげで今にも泣き出しそうに見えた。どうして今そんな表情なのか。繊細な心の機微を読み取るには、あまりにも脳筋なフィオナはなにも言えなくなってまた俯いた。

「フィオナも覚えているよね? エレインはとても綺麗で、強くて、優しくて……僕とエレインは学園で出会ったんだけど、エレインは人気者で……すごく、かっこよかった……みんなエレインが大好きだったんだ……」
「……お母様も何度も話してくれたわ。お父様とは学園で知り合ったって。お父様と出会ってから、学園がますます楽しくなったって……」
「……エレインが……? そう、話していたの……?」

 ローランの震える声に、フィオナは小さく頷いた。
 本当に何度も何度も学園で出会った二人の話を聞いていた。フィオナからも何度もねだって聞かせてもらった、二人の学園生活。エレインから語られる学園生活は、いつも明るくてローランとのエピソードは甘く優しく語られていた。でもローランから聞く母の話は、どこか切なく物悲しく感じる。

「……エレインは僕の家が集めた魔術が面白いって言ってくれて……たくさん笑ってくれて……僕は嬉しくて……身の程も弁えず、エレインに恋をして……」
「身の程もって……どうしてそんなことを……!」

 思わず反論を言いかけて、フィオナはグッと奥歯を噛み締めた。出かかった反論を必死に飲み込む。毎回癇癪を爆発させてしまっていたけど、今この時だけは堪えようと渾身の努力で口を閉じる。黙らなきゃいけない気がした。
 それでも理解はできなかった。あれだけ優秀なレオンすらも、ひどく気にする家門や血筋。魔術師にとって本当に些細なことなのに、いつも誰かが大事なことだと言っている。フィオナもルディオも、アレイスターなら気にもしていない。だけど他の誰もが気にしている。いつも関係ないと切って捨てるこだわりは、今この時だけは言ってはいけない気がした。
 黙り込んだフィオナに、ヒースが小さく頷いて見せる。それでいいと肯定された気がして、飲み込んだ感情が少しだけ落ち着きを取り戻した。

「……ごめんね。魔術師に必要なのは実力だって、言いたいんだよね。エレインもそう言ってくれたよ。でも……」

 言葉を切ったローランが痛みを堪えるように黙り、渾身の努力を振り絞ったように笑みを浮かべた。

「フィオナは本当にエレインに似ているね……髪色も性格も笑った顔も。誇り高きアレイスターそのもので……フィオナがエレインに似てくれてよかったと心から思ってる。僕に似ないで本当に良かった……」

 小さく息をつきローランは、持ってきたボロボロの手帳を見つめた。

「僕はとても誇れる魔術師ではない……でもどうしてもなりたかったんだ。エレインに相応しい夫に、フィオナが恥ずかしくない父に……だから旅を決意した。実技はとてもアレイスターの水準には届かなかったけど、魔術理論なら得意だったから……エレインも応援してくれた」

 顔をあげたフィオナに、ローランは小さく笑った。

「僕が見つける魔術はとても面白いって。フィオナにもたくさん教えてあげたいって。そう言ってくれて……僕は見つけ出した魔術で学園を建て直せるかもしれないって思った。それができたら二人に相応しい魔術師になれるんじゃないかって……そう思ったんだ……」
「……戦闘魔術は得意じゃないんでしょ? それなのに結界の外なんて……」
「隠密魔術がすごく得意なんだ」

 思わず口をついた言葉に、ローランが照れたように頭を掻いた。ローランが隠密が得意なことも、旅先で見つけた面白い魔術もフィオナは知らない。ずっと家にいなかったから。不気味なお土産はくれても、見つけた魔術を教えてくれる間もなく旅立っていった。
 急に癇癪を起こしてばかりだった過去に後悔が湧き上がった。不気味なお土産が普通に嫌いだったし、ローランがまず初めにごめんねと言うのが嫌でたまらなかった。それよりもエレインが素敵だと言っていた、面白い魔術の話を聞きたかった。もしあの時に逃げ出すことを堪えられていたら、二人が過ごす時間だからと我慢しなければ、見つけた魔術を教えてもらえていたのかもしれない。どうせならエレインと一緒に過ごせばよかったのかもしれない。どうしてそうしなかったのだろう。
 つんと鼻の奥が痛んで滲んできた涙を瞬きで必死に誤魔化しながら、どうしてもこれだけは言おうと思っていたことを伝えるために、フィオナは俯けていた顔をあげる。

「……お母様がお父様の魔術調査を応援してたのは知ってる。お母様は病気になってからも、治せないってわかってからも応援してた。でもだからって旅を優先する必要なんて……!」
「……治療法を見つけ出したかったんだ」
「治療法……?」

 頭を殴られたような衝撃に、フィオナは呆然と呟いた。神殿が派遣してくれた最高峰の治療魔術師すらも、無理だと言ったエレインの病。誰もが静かに見守るしか無かった中、ローランだけが治療を諦めなかったことが衝撃だった。
 
「エレインの病は治療できなと言われたけど、でも民間には一般には知られていない独自の魔術がたくさんある……もしかしたらその中にエレインの病を治す手がかりがあるかもしれないと思って……」

 パッと思い浮かんだ不気味なだけのお面で、とてもエレインを治せたとは思えない。ただローランにとっては、思ったよりも切実な願いが込められていたらしい。旅の苦労が見えるボロボロの手帳は、ローランの努力と願いの結晶なのだろう。でも。

「……それでも、行かないで欲しかった。可能性があったのかもしれなくても、奇跡が起きたかもしれなくても……お母様のそばにいて欲しかった……!!」

 ボロリと我慢していた涙がこぼれ落ちた。
 
「お、お母様は怒ってなんかいなかった。悲しんだりもしなかった。最後に会えないのは残念だけど、私のために最後まで頑張ってくれたって……だからお父様を責めたりしないでって……でも……私は、私はそばにいて欲しかった! お母様の手を握ってて欲しかったし、私のそばに……いて欲しかった!」
「フィオナ……」

 後から後から溢れる涙を乱暴に拭いながら、フィオナはしゃくりあげた。

「知ってるよ! エディもルディオ叔父様も、みんなお父様はお母様を助けるために頑張ってるって。お母様と私のために旅に出てるって……ずっとそう教えてくれてた……だからちゃんと知ってる……でも……でも……」

 本当は旅には行かない努力をして欲しかった。それが難しいのなら手紙を一通でもいいから書いて欲しかった。どんな魔術を見つけたのか教えて欲しかった。ごめんではなくてただいまと言って欲しかった。本当にローランにして欲しいことは、頑張っているんだと言われたら口には出せなくなっていった。

「ごめんね……フィオナ……でも僕はフィオナまで失うのが怖かったんだ」
「どういう、こと……?」
「もしエレインの病にフィオナまで罹ったらと……」
「でも……うつらないって……」
「そうだね。でもフィオナはエレインにそっくりだから……怖くて……僕はエレインの最後にも間に合えなかった。だからフィオナに嫌われてると思ってた。きっと顔も見たくないだろうって……治療法を見つけられたら許してもらえるんじゃないかって……」
「そのために旅に……?」

 フィオナは誰もがエレインにそっくりだと言う、自慢の顔にそっと触れた。ローランがエレインが亡くなっても旅を続けた理由が、エレインとフィオナを重ねていたのだとしたら。じわりと目の奥が熱くなる。

「でもそれだって言い訳だ……僕が弱虫なだけで……エレインを助けることもできず、なんの成果もあげられなかった。ただフィオナにはっきりと嫌いだと言われるのが怖かったんだ。心配してくれていたなんて思いもしなくて、本当にごめんね……」

 ポロポロと涙を流すローランを見つめ、フィオナは少しだけ心が軽くなった気がした。

(じゃあ、本当に私が嫌だった訳じゃないんだ……)
 
 視界が熱く歪む。旅に出るのはフィオナのためでもある。口を揃えてそう言われても、肝心のローランから言われたことはなかった。それがフィオナを不安にさせた。ただ嫌われているだけなのではないかと。でもそうではないと今、やっとローランから聞くことができた。そのおかげで言えずに溜め込んでいた気持ちが、ずっと居座っていた場所を譲ってくれたのを感じる。
 どうにもできないと塞がっていた気持ちが軽くなって、どうにかなると前向きな気持ちが緩やかに湧き上がってくる。嫌われている訳じゃないなら、目指すものは一つだけだ。沸々とアレイスターの血が熱くたぎり出す気がした。

「……私は確かにお母様とそっくりだわ。だから怒ったらお母様に責められてるみたいに感じるのかもしれない。もしかしたらお母様と同じ病気になるかもって思うかもしれない……でも……やっぱり何にも説明もなしなのは納得できない! おまけに国外逃亡なんて!」

 キッパリと言い切ったフィオナに、ローランが涙目になって項垂れた。

「でも話そうとしても、逃げる挙句に隠れたりするよね?」
「そもそも人の話を聞きもしないだろ……」

 それまで黙っていたヒースとレオンがボソリと本当のことをつぶやき、フィオナは二人をくわっと睨みつけ勢いよく立ち上がった。

「それが何よ! 私は旅にまでは出てないわ!」
「あ、開き直った」

 フィオナは顎を逸らしてヒースのツッコミを無視して、ローランを見下ろして勝ち誇ったように仁王立ちをする。

「そうでしょう? お父様!」
「うん……旅をやめる踏ん切りをつけられなかった僕が悪い……」

 しょぼんと肩を落としたローランに、フィオナは力強く頷いた。
 
「ほら、お父様も認めてる! だから私はお母様とルディオ叔父様が、わかってあげてって言ってたけど無理! だってわからないんだもん! 何をわかればいいのか、さっぱりわかんない。だから私はお父様を簡単に許したりしない! きっちりと反省してもらう!」

 高らかに宣言したフィオナに、ローランは戸惑ったように眉尻を下げた。

「散々逃げ回ったお父様は、しばらく旅は禁止です! お母様やルディオ叔父様がわかってあげて欲しいと言ったことを、私がわかるようになるまでどこにも行かせない! わからないまま許すなんて無理だし! だからお父様は私がわかるように努力するべきだわ!」
「フィオナ……」

 驚いたようにフィオナを見上げるローランに、フィオナは少しだけ口元を緩めた。エレインがルディオがわかって欲しいと願ったローランは、そばにいてたくさん話さなければきっとわからない。罹るかわからない病気の心配より先に、それは絶対にわかっているべきことのはずだ。

「私のための旅でもあったなら、今後は私のために家にいて。バルトル君が八つ当たりされてたのはお父様のせいなのよ。でも本当はお父様が受け止めるべきことでしょう? バルトル君に謝って!」
「でも……いいのかい? 僕がここにいるのは嫌では……」
「今までどんな場所に行ったのかとか、どんな魔術を見つけたのかとか、お父様には話す義務があるの。学園の研究費で旅に出てたんだし。今の学園長は私なんだから!」
「うん……そうだね……フィオナ。ありがとう」

 ひねくれた言い方にも嬉しそうに頷いたローランに、フィオナは素直に嬉しくなった。辛そうに絞り出されたごめんではない言葉が聞けるなら、わからなかったこともちゃんとわかっていける気がした。娘が笑ったことに元気付けられたように、ローランが勢いよく手帳を押し出した。

「……いくらでも見せるよ! 僕の見つけた魔術を全部。フィオナも魔術が大好きだもんね!」

 押し出された手帳の一冊が、ぼとりとテーブルから落ちる。レオンが拾おうと反射的に手を伸ばし、無造作に開いた手帳に固まった。

「……レオン?」

 訝しげにヒースが眉を顰め、フィオナもどうしたのかと覗き込む。開かれた手帳にはトマトの完熟を見分ける魔術式と書かれている。なんか役に立つのか立たないのか微妙な魔術に首を捻りながら、動かないレオンに首を傾げる。

「レオン?」
「紙と筆記用具……」
「へ?」
「紙と筆記用具!」

 唐突に叫び出したレオンは、勢いよく立ち上がると勝手にローランの机を漁り出した。

 
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