聖騎士様の信仰心

宵の月

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第二章 聖騎士様の復讐心

愛し子よ……

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 王宮から急いで邸宅に戻ると、まずリュカエルはギースと執務室に籠った。後始末をさっさと済ませて、夜を満喫するために。

「ヴァレンシア侯爵には、後日ご連絡させていただく旨を伝えております」
「……そう……ありがとう」

 ギースの報告にリュカエルは機嫌よく頷いた。最高に幸せな瞬間に、リュカエルはすっかり段取りを忘れて急いで屋敷に帰ってしまった。ギースのフォローは絶妙だと言えた。礼を言われたことに驚きながらも、ギースはこれも奥様の恩恵だと笑みを返した。エリスコアにもたらされた女神を侮辱されて、黙っていられないのはリュカエルだけではない。
 リュカエルはサラサラと手紙を数通書き綴るのを見守りながら、ギースは王宮での出来事に静かな怒りを燃やしていた。書き上がった書信に、封蝋を押してリュカエルがギースに手渡す。その宛先にきらりと瞳を光らせて、ギースは丁重に礼をとった。

「こちらはすぐに届けさせます。ご指示いただいていた件も、滞りなく完了しております」
「そう。じゃあ、僕はアンナが待ってるから」

 面倒な後始末をそそくさと済ませると、アンナの待つ寝室に弾む足取りで向かった。


※※※※※


 エリスコア邸宅の窓辺から、アンナは美しい庭をぼんやりと見つめていた。念入りに手入れされた庭は、ゆっくりと沈んでいく夕日に照らされ、昼間とは違う顔を見せている。
 リュカエルは何度この景色を見つめ、一人で泣いたのだろう。窓際にそっと置かれたアイギスを撫で、アンナは小さな声で語りかけた。

「アイギス様……リュカの側にいてくださり、ありがとうございます」
『愛し子よ。我が側にいて、あやつが喜んでいたことは一度もないぞ?』
「私、リュカがこんなに苦しんでいたなんて知らなかったんです。我慢強い子なのにあんなに涙を溜めて……」
『愛し子よ、あれは嘘泣きだ。あやつは今まで何一つ我慢したことがない』

 ギースと執務室にいるリュカエルを待ちながら、フォンフォンヒュンヒュンと鳴るアイギスにアンナは目を細めた。

「慰めてくださっているのですか? アイギス様はお優しい……馬車でもリュカをそうして慰め、一緒に怒ってくださって……」
『愛し子よ。我は確かに怒ってはいたが、それはあやつが嘘をつくことにだ』
「リュカが……一人でどんなに怖かったかと思うと……」
『愛し子? 怖がっていた奴はな、あのように生き生きと仕返しをしたりしない』

 涙ぐむアンナにアイギスは、カタカタと揺れて音を立てた。励まされているように感じたアンナが、優しくアイギスを撫でる。帰りの馬車内で念入りに、かわいそうなリュカエルを刷り込まれたアンナには、アイギスの意図は全く伝わらなかった。

「何もなかったって必死だったけど、リュカが嘘をつくわけないって知ってるのに……」
『まぁ、それは本当だ。あやつはとって愛し子以外の人間は、毛虫とさほど変わらない』

 独り言めいた呟きに、アイギスは初めて同意を返した。シュルツと神父。あとは孤児院の子供達くらいだろう。人として見ているのは。神すら畏れもしない。

「アイギス様。私は随分ひどいことをしていたのですね……しょっちゅうタルムに帰ってくるリュカに、何度も帰るようにって言ったんです。リュカはいい子だから心配をかけないように、王都が辛くても言えずにいたのに……」
『愛し子よ、本当に辛かったのは王都の大神官だ。毎日毎日アレに押しかけられて、気鬱の病だと診断書を書かせられていた。大神官こそが気鬱の病を患うのは時間の問題だった』
「今だってきっと辛いはずです。ギースさんと一緒に王女様とご令嬢方が、ひどいことにならないようにって……本当にリュカは昔から優しいんです……」
『愛し子? ちゃんと見ていたか? よりひどくなるように嬉々として、あやつが煽っておっただろう? 頑張っているのは「よりひどくなるように」だ。現実は正しく認識すべきだぞ?』

 アンナは顔を上げて朱からゆっくりと、藍に染まっていく窓の外に目を向けた。そして堪えきれないかように、我慢していたものを押し出した。

「でも……リュカが努力してるのに、私は許せなくて……」
『努力……』
「リュカは……私を庇うために、亡くなったお母様まで貶めなくてはいけなかった。あんなことを言わせてしまった、自分が許せない……」
『愛し子……』
「でもそれ以上にあの人たちが許せない……私は、私は愛し子失格ですね……」
『……そんなことはない。我はそなたほど神の寵愛が相応しい愛し子を見たことがない』

 神が寵愛するに相応しい、優しく美しい魂。同じだけきっと相応しくない。幸せに生きるべきだ。望んだ通りに。思うままに。自分よりも他人の幸せを心から願える心を、リュカエルでなくとも愛しただろう。ジェンスや神のように。
 初めてアンナがこぼした他人への負の感情。アイギスはそれを肯定した。それほどリュカエルを愛している。大切にしている。多大なる誤解と共に。

「リュカはきっと深く傷ついている。どんなふうに慰めたらいいのか……私にはその傷を癒せる自信もありません……」
『愛し子よ……そんな……そんな、どうやったらそんなとんでもなく無駄な心配ができるのだ!?』

 自分の身を心配すべき。間違いなくゴリゴリと慰められにくる。今からでも遅くない。全力で逃げるべき。急にガチャガチャと騒ぎ出したアイギスに、アンナは首を傾げた。

「アイギス様?」
『愛し子よ……よく聞け。あやつは一ミリも傷ついてなどおらん! それよりもこのネタを最大限に生かすつもりだぞ! おそらくことあるごとに持ち出す! はっきり言っておく! あやつは異国の踊り子の血が入っていることなど、全く気にしておらん。何なら誇ってすらいる。そなたが母親譲りのあやつの顔を褒めるたびに、ニヤニヤほくそ笑んでおるだろう!?』
「急にどうされました? リュカがいなくてお寂しいのですか?」
『寂しくない!!』
「違うよ、アンナ。アイギスは眠いんだ」
「リュカ」
『我、寝ない!!』

 そっと背後から抱きしめてきた体温に、アンナが驚いたように振り返った。アイギスの全力の抗議を無視して、振り返ったアンナにリュカエルは口付けた。唇を離すとそのまま肩口に額を預ける。アイギスがカタカタと揺れた。

『匂いを嗅ぐな!』

 アイギスを引っ掴むとリュカエルは床に落とした。

「リュカ! アイギス様をそんな風に……」
「アンナ……アイギスは眠いんだ。床が一番落ち着くんだって」
「……そう、なの?」
『そんなことは絶対にないぞ!!』

 床でビンビン騒ぐアイギスは不満そうに見えたが、代行者のリュカエルしかアイギスの真意はわからない。心配そうにアイギスを見つめるアンナを、リュカエルは抱きしめた。

「そんなことより、アンナ……こんな時に一人にしてごめんね。僕のせいで辛い思いをしたよね? ……本当に、ごめんね」
「大変だったのはリュカでしょう? 謝らないで。それなのに帰ってすぐ、お仕事もして……頑張り屋なのは昔のままなのね……」
「こんなこと何でもない。僕、もっと頑張るよ……もっと頑張るから、だから嫌いにならないで……」
「何を言ってるの? 無理に頑張る必要なんてないわ。私は嫌いになったりしない」
「……本当?」
「本当よ」
「約束できる? どんなことがあっても嫌いになったりしないって……」

 不安そうなリュカエルの声に胸が痛んだ。こんな心配をするほど、王宮での出来事に傷ついている。アンナは優しくリュカエルの髪を撫でた。不安に波立つ心が落ち着くように。夜に怯える幼いリュカエルにそうしたように。

「リュカ、そんな心配は必要ないのよ?」

 もしもリュカエルがアンナを愛さなくなったとしても。きっと嫌になることはどうしたってできない。アンナにとってリュカエルはたった一つの特別だ。望むことも欲しがることも許されなかった、平等に愛することを義務付けられた自分に、たくさんのものを与えてくれた。母になることさえも。

 ―――神よ。どうかリュカエルを想うことだけは、お許しください……

 そっと祈りを捧げ、アンナは優しく柔らかい声でリュカエルの鼓膜を震わせた。

「私がリュカを嫌いになる日は来たりしない。ずっとずっと大好きよ……」
「アンナ……愛してる……」
「私も愛してるわ」

 涙声のリュカエルの愛の言葉に、よせばいいのにアンナも心を込めて想いを返した。

 
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