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第一章 聖騎士様の信仰心
迎えた結末
しおりを挟む静かに眠るアンナを抱きしめ、絶望に涙するリュカエルの頭上に影が差した。顔を上げたリュカエルは、ビクつきながら覗き込む幼い竜を睨みつけた。明確な殺意で対峙してきた相手に、怯えながらも幼竜は腕の中にいるアンナをチラチラと窺う。リュカエルは唇を引き結んで、腕の中に囲い込むようにしてアンナを庇った。
『……め、女神様は大丈夫……?』
「僕のアンナに近づくな」
冷ややかな平坦さでぶっきらぼうに言い放つリュカエルに、アイギスはため息をついた。まだ小さい子供に対して、とてつもなく大人げない。ビクッと怯えてしょんぼりした幼い竜を無視し、リュカエルはアンナを引き寄せる。
『……代行者よ、女神に礼を伝えたいだけだ』
たまりかねたように口出した親竜に、幼竜もおずおずと頷く。リュカエルはその言葉も完全に無視した。愛おしそうに頬を撫で、手に入らない宝物を抱きしめる。もう何もかもがどうでもよかった。
『うちの子にお礼くらいさせなさいよ!』
苛立ったように母竜がリュカエルを睨み、委縮する子供を庇うように身を乗り出す。二頭の親竜がリュカエルを威圧するように押し迫り、幼竜は両親に護られるようにしてそろそろとリュカエルを盗み見ている。相変わらず無視を決め込むリュカエルに震えながら、幼竜はそっとアンナを覗き込んだ。
『め、女神様。助けてくれてありがとう。僕……苦しくて……すごく怖くて……』
目の前のリュカエルに怯えながら礼を述べた。自分を殺そうとしていた人間を前に、幼竜はぶるりと身を震わせる。アンナが来なければ、痛くて苦しいまま代行者に殺されていた。あたたかくて優しい神気に触れたあの瞬間に、より深い感謝が湧き上がった。幼竜はウルウルと瞳を潤ませる。
『本当にありがとう。お父さんもお母さんも分からなくなってきて……僕……僕……』
とても苦しくて、痛くてたまらなかった瞬間を思い出し。幼い竜は大きな瞳に涙を浮かべた。どうなっていくのかも分からず、広がる絶望感。思い出した恐怖に、後ろで護るように立つ母竜に縋りついた。
『僕、すごく怖かったよぉ……』
『坊や……もう大丈夫よ……怖かったね……』
人間換算でまだ五歳の幼子は、蘇った恐怖に震えながら泣き始めた。声を詰まらせた母竜の慰めに、ぼろぼろと涙を零しながら取りすがる。父竜も二頭に歩み寄ると、寄り添うように翼を広げた。
リュカエルはその光景に呆然と見入った。伝承通り愛情深いドラゴン達の寄り添う尊い光景。幼い竜が零した涙が、キラキラと光の粒子を弾けさせている。地面に滴り落ちると、光が共鳴するように輝きを増し、やがてころりと真珠のような姿を現す。
『泣かないで、坊や。男の子でしょ? もう大丈夫だから』
『……うん』
泣きやんだ幼竜がぐずぐずと鼻をすすりながら母親を見上げ、愛おしげに我が子を抱きしめる母竜に擦り寄っている。視線は釘付けられたまま、リュカエルは小刻みに震える手を伸ばした。結晶化した真珠のようなドラゴンの涙。鱗と同じ淡く七色に光る二粒の乳白色の秘宝。
「……は、ははははは……」
ドラゴンの涙を握りしめ笑い出したリュカエルに、ドラゴン一家がぎょっとして振り返った。両目から涙を滴らせ、泣き笑う姿にドラゴン一家が後ずさりする。リュカエルは、腕の中のアンナに縋った。
「アン、ナ……!! アンナ……!!」
ただ愛しいその名前を何度も絞り出す。リュカエルを満たしてくれるのはいつだってアンナだった。絶望に覆われていた心が安堵と幸福感に塗り替えられ、涙がとめどなく溢れて出る。
どうあっても欲しかった。大罪を犯してでも、たとえ世界がバランスを失っても。アンナを手に入れるために、どうしても必要だった。瘴気に狂うまで待ち、禁足地で幼子を殺すことでしか得られなかったはずの対価。そうまでして欲しかったものは、アンナが与えてくれた。限りない慈悲と優しさがドラゴンを救い、今リュカエルさえも救ってくれた。ただひたすらにリュカエルの幸福を祈る美しい愛。
「嫌いにならないでね……ずっと僕の側にいて……」
躊躇いなく幼子を殺すと決めた。それほど醜く歪んでしまった愛は、清らかで美しいアンナの愛に見合うことはないかもしれない。それでも離れることは出来ない。諦めることは出来ない。全てを引き返しにしても悔やむことなど微塵もない。何度でも繰り返す。
アイギスは涙にむせび、アンナを抱きしめた主を見つめた。長く地上にあって、人がこうまで愚かだと知った。たった一つの望みために、全てを擲ち踏みにじる。幸福であるように、神が与えた奇跡を踏み躙ってでも。愚かな癖にこんな美しい奇跡を起こしたりする。神はだから人が愛しいのだろう。これほど愛すのだろう。
『神よ、どうかそう落ち込まないでください。次代のエリスコアはきっと信仰を捧げてくれますから』
伝わってくる神のちょっとしょんぼりした神気。アイギスは苦笑するようにそっと祈りを捧げた。見届けた結末はそう悪くない。アイギスはゆっくりと息を吐き出した。
『深く寵愛する愛し子が産み育てるエリスコアに期待いたしましょう……』
笑ったかと思えば盛大にむせび泣き、それを何やら満足げに見つめる同胞。ドラゴン一家は遠巻きにそれを見つめながら顔を見合わせた。
『え、なんなんだ……?』
『お父さん……? お母さん……?』
『シッ! 見ちゃいけません!』
穢れが払われた禁足地の夜空は、迎えた結末を祝福するように星をキラキラと瞬かせた。
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