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第一章 聖騎士様の信仰心
神の奇跡
しおりを挟むハラハラと涙を零すアンナに、シュルツが慰めるようにすり寄る。
「シュルツ……」
シュルツの温もりは取り残された、アンナにはひと際暖かく感じられた。ぬくもりに誘われるように、喉奥が震える。
「シュルツ……リュカが行ってしまったわ……私じゃ、力になれないって……足手まといだって……置いて行かれたの……」
一緒にいられる後わずかな時間。リュカエルのために最後にできることがある。そう思っていた。悲し気なアンナに、シュルツが否定するように鼻面を押し付けてくる。アンナがそっとシュルツを見上げた。主に似る神獣は白銀の美しい鬣に、神玉のように輝く青の強い紫の美しい瞳。まるで兄弟のように似ているシュルツに、アンナはますます涙がこみ上げた。
「だってそうでしょう? 側から離れるなって言ったのに……私をここに残して行ってしまった。私の力なんて必要ないって……助けになれるのに……!」
両手で顔を覆い嗚咽を漏らすアンナに、シュルツはオロオロと取りすがる。引き裂かれるような胸の痛みは増すばかりで、涙はとめどなく溢れてくる。
「―――神よ……この力は何のために与えたのですか……?」
万人のために平等に。与えられた幸運に拝跪し、感謝と共に惜しむことなく分け与えるべき力。そう教えられてきた。疑問を持つことさえなく、そう自覚して生きてきた。でも今この時、たった一人で狂化したドラゴンと対峙している人がいる。神の寵児を殺す大罪に、たった一人で向き合う人がいる。
「一度でいいのです……たった一度、大切な人を守りたい……ただ、それだけなのです」
それは我儘なのだろうか。許されないのだろうか。もしそうなら、この身に宿る力は何のためのものなのか。今この時に役立てることのできない力に、この先疑うことなく感謝を持ち続けられるだろうか。今でなければならない。
「―――神よ、どうか……どうか愛し子としてではなく、アンナ・ブレアへの寵愛をお示しください……」
リュカエルにとって、最も過酷な苦難が迫る今この時に、どうか―――
真摯な祈りに涙が伝う。頬を滑り、滴った涙が埃が舞う石床に吸い込まれた。その瞬間、稲光のような閃光が一瞬空に輝き、渦巻く光の柱になってアンナに降り注く。突如溢れ出した光の渦に、シュルツが嘶いて蹄を鳴らした。
天空から注ぐ光の奔流に、アンナはゆっくりと瞳を開く。金茶の瞳は祝福の金色に輝き、身体の内から発光するかのように光を纏った自分の手を見つめる。うねるような神気の温かさは、柔らかな慈愛に満ちていて励まされるようにアンナは顔を上げた。
「……応えて下さった、の……?」
突如起こった奇跡に、アンナが呆然と呟きを零す。肯定するように降り注ぐ光の柱が、ゆっくりと収束し、するりとアンナを撫でるように囲むと薄らいでいく。その光は慈愛に満ちて、寂しげでもあった。声ではなく淡い感覚で感じ取れる、神の声にアンナは跪いた。
(……いいえ。神よ、感謝いたします……)
課した運命と寵愛を詫びる神。紛れもない神の慈悲にアンナは心からの感謝で応えた。恨むことなど一つもない。
(子を産めずとも構いません。一人大罪を犯す使命を課せられたリュカを、今救える力を与えてくださった……心より感謝いたします……)
目の前のアイギスの結界が、辺り一帯に垂れこめていた瘴気と共に、神が直接降ろした神気に溶けるように消え去っていく。アンナは跪拝を解くと、ゆっくりと立ち上がった。
「……シュルツ、行こう」
振り返ったアンナに、シュルツは目を伏せ頭を垂れた。顕現した神に前にしたように、膝を折ったシュルツに、アンナは優しく微笑んだ。
「行こう、リュカのところへ」
望みは一つ。リュカエルが幸福であること。そのためにアンナにしかできないことがある。視線で促すシュルツの背に乗り、ドラゴンの住まう禁足地へとアンナは駆け出した。
※※※※※
突如降り注いだ光の柱。一拍遅れて突風のように吹き抜けた一陣の風が、ねっとりと濃くうねっていた瘴気を一掃する。
「……っ!! アンナッ!!」
片腕で突風から庇った顔を上げて、収束して天空に消えていく光を見つめリュカエルが顔色を変えた。
『代行者!!』
アイギスの鋭い声に反応して、リュカエルは肩を掠めた爪をすんでのところで避けた。纏わりつかれた瘴気が払われ、リュカエルに対峙していた成竜が立て続けに長い尾を薙ぎ払う。
「……くっ!!」
後ろに飛び退り、尾を避けたリュカエルは成竜に鋭く視線を向ける。穢れが完全に消えてはいなくても、爛々とリュカエルを睨む瞳には理性が戻っていた。前に出た成竜に庇われ、暴れる我が子を連れて必死に抑えようとするもう一頭。上がる甲高い咆哮にも、正気の響きを聞き取ってリュカエルは唇を噛んだ。
アイギスを構えたまま、最終結界の入り口を見やる。再び鋭い爪が振り下ろされ頬を掠めた。リュカエルは息を細く吐くと決断した。一層鋭くした眼光で成竜を見据える。
(もう子供でなくてもいい、このまま仕留めてすぐにアンナのところに……)
アイギスの柄を握りなおし、ぐっとつま先に力を入れた。リュカエルが構えた気配に、成竜が喉奥を不穏に鳴らす。地面を蹴る直前ふわりと空気が揺れ、馴染んだ気配にリュカエルは呆然と振り返った。
「……なん、で……」
泣き出しそうなリュカエルの呟きは、禁足地を急速に照らす浄化の光にかき消されていった。
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