聖騎士様の信仰心

宵の月

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第一章 聖騎士様の信仰心

望むものはただ一つ

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「……どうすれば」

 焦燥に青ざめたリュカエルの横顔に、アイギスは静かな声で呟いた。

『……罪には罰を……大罪には相応の罰が下る』
「黙れ!」

 リュカエルは苛立ちのままアイギスを寝台に投げ捨てる。爪を噛んで落ち着きなく歩き回るリュカエルを、アイギスは遠慮なく嘲った。

『なんだ? いつものように我を溶鉱炉に放り投げると脅さぬのか?』

 鋭く舌打ちしたリュカエルに、アイギスはカタカタと揺れた。

『是非もなし。我なくばドラゴンは討ちとれん。神の寵児を目の前で残酷に殺すお前を、愛し子はどんな目で見るだろうな?』
「黙れ!」

 悲鳴のような叫びをあげたリュカエルに、アイギスは冷ややかに鼻を鳴らした。

『貴様が望んだことだ。己の欲望のために。罪のないドラゴンを貶め、命を奪うことを貴様が望んだ。我に神の寵児を殺させることを望んだ。その姿を目の当たりにした愛し子からの愛を失っても、いつかそれすら貴様が画策したことだと白日に晒され失望されたとしても、その全ては貴様が望み手に入れた対価だ』
「………」

 美しい銀髪を搔きむしり俯いていたリュカエルは、やがて静かに立ち上がり拳を握った。

「……お黙りください、アイギス。罰を畏れることも、後悔することもありません」

 ―――神よ、欲しいものはただ一つ。

 欲しい人はただ一人。時間でも押し流せなかった想いは募り続けてここまで来た。手に入れるためにどんなことでもする。手に入らないのなら、いっそ全てが壊れてしまえばいい。
 リュカエルの浮かべた表情に、アイギスは口を閉じる。沈黙だけが支配する室内に、荷物をまとめ始める物音だけが時折響く。青ざめてはいても、微塵の後悔も見えない横顔をアイギスは見つめた。時間を戻せたとしても、リュカエルはまた同じ未来を選ぶだろう。愛を失うことを恐れても、罪を犯すことは躊躇わない。
 避けられた未来を、自ら選び取った。その結末がどうなろうと、確かなのは人はこれほど愚かになれるということ。たった一つ欲しいと願うもののために。

《……それは愛し子ですら同じなのだな……》

 ドラゴン討伐に躊躇なく同行を決めた愛し子アンナを思う。根底を成す思いは違っても、浮かべていた表情は同じ。もう何が正しいのか分からない。

 「神も人のお守りを続けるのは手に余るのでしょう」使者をいびるリュカエルの言葉は、真実なのかもしれない。神の奇跡が守護するこの国ですら、こうして人は愚かしい未来を選び取る。荷物をまとめる物音を聞きながら、アイギスは静かに覚悟を決めた。


※※※※※


 シュルツに乗って一日半。結界付近は避難が完了しており、最低限の見張りだけが立つ禁足地の麓に降り立った。

「……アンナ」

 リュカエルが低い声で呼び、アンナがまっすぐ見つめ返す。最期の一線にも揺るがないアンナに、リュカエルは覚悟を決めるように頷いた。

「……リュカエル卿……この方は……?」

 見張りが気づかわしげに問いかけ、アンナをチラチラと盗み見る。リュカエルは手を振ってシュルツの馬首を返す。

「……浄化の力を宿す愛し子だ。彼女も連れていく」
「ですが……」
「このまま結界に入る。僕が指示まで誰も中へは入れるな!」

 止め立てを口にしようとした見張りは、リュカエルの有無を言わさぬ口調に押し黙った。現行の最高指揮権はリュカエルが握っており、この事態を収束できる唯一の人物の決定に、誰も異議を唱えることは出来なかった。

「……アンナ、辛くない? 僕の側を離れないでね」
「大丈夫よ。約束する」

 強行軍にも揺らがないアンナにリュカエルは、俯いたまま瞑目し挑むように顔を上げた。シャボン玉のようにゆらゆらと七色の光彩が揺らぐ結界に目を向ける。黒い霧のような穢れは濃くても、魔の形を成した厄災は見当たらない。狂化したドラゴンが手当たり次第に暴れまわって、形を成した側から消されているせいだろう。

「アイギス」

 アイギスが同じ神器が張り巡らせた結界に、共鳴するように鳴ると結界は大きく揺らいだ。そこにシュルツの足を進ませる。スッと吸い込まれるように結界内に足を踏み入れた代行者の背を、見張り達は心配そうに見送った。

「……ひどい」

 霧がかって見えるほど立ち込めた瘴気に、アンナは口元を押さえて呟いた。それでも神獣、神剣、愛し子の最強浄化セットが足を踏み入れた途端、厭うように瘴気は最強セットから退いていく。

『さすがだな。……思ったよりは穢れも薄い』

 独り言のようなアイギスの呟きを合図に、リュカエルはシュルツを歩ませる。さっと引いていく瘴気は、ゆっくりと目の前で浄化され始めている。想定よりも強いアンナへの寵愛の加護に、リュカエルは唇を引き結ぶと手綱を握りなおした。

「アンナ、辛いだろうけどごめんね。少し急ぐよ……」

 シュルツを走らせ始めたリュカエルに、アイギスは小さく刀身を震わせた。急ぐ理由は明確だった。存在するだけで魔を退けるアンナの浄化の力に、確かに急がなければリュカエルの目的は、達成することは出来なくなる。
 リュカエルがこうまでして成し遂げたいのは、ドラゴンを殺すこと。その残酷さにアンナの愛を失うとしても。そうでなければ。思ったよりも濃くはない穢れと、存在するだけですすむ最強セットの浄化。浄化が間に合うかもしれない。それではリュカエルは困るのだ。
 想定外のアンナの同行に、討伐は止む得ないと言い訳できるうちに辿り着く。リュカエルの焦りを感じながら、アイギスは走り出したシュルツから伝わる振動に身を任せた。

 ―――神よ、我は結末を見届けようと思います……。

 大罪を犯すほどの歪んで変質した愛と、どこまでも献身的な清らかな愛。リュカエルもアンナも、もう止められない。アイギスにももう、分からなくなってしまった。

《すまぬな……同胞よ……》

 神の寵児であるドラゴンを斬れば、アイギスは穢れるだろう。神の剣ではいられなくなる。だがアイギスもまた、覚悟を決めてしまった。迎える結末を見届けようと。それが悲劇であれ、喜劇であれ、破滅であれ。運命に身を任せると。アイギスにももう、正しい答えが分からなくなってしまったから。

 アンナを抱きしめ、リュカエルはシュルツを駆って山頂を目指す。地上における浄化最強セットは、澱んで濁る穢れの地において、閃光のような神々しさでひどく儚く輝いて穢れの中を走り抜けていった。

 


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