聖騎士様の信仰心

宵の月

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第一章 聖騎士様の信仰心

責任とってよ ★

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 神の神気を宿した誉れ高き聖剣アイギスは、転がされた床から死んだ魚のように、天井の一点を見つめ黄昏ていた。

「んんっ……はぁ……やっ! ああっ……!!」
「ん……アンナ……いいよ……好き……大好き……アンナ、僕の、アンナ……」

 なんならBGM付きで。最悪だ。ぬちゃぬちゃぐちょぐちょ響いてくる水音に、アイギスは心を無にした。ギシギシ揺れる寝台。飢えた獣が理性を無くして神の大切な愛し子に、激しく腰を打ち付けている。

「リュ、カ……! リュカ……! お願い……もう! ああ……」
「アンナ! アンナ! 気持ちいい! ああ……好きだよ……アンナ、かわいい……おかしくなりそう……」

 心配するな。すでにだいぶおかしい。息も絶え絶えの愛し子の掠れた声に、ますます獣は興奮していく。凶器のようにそそり立ててた狂暴な楔で、残酷なほど奥深く華奢な愛し子を抉っては貫いている。無力だ。我はあまりにも無力だ。ここで転がっていることしかできない。

「やぁん……もう……だめ……だめ……リュカぁ!」
「ああ……アンナ……いい……いい……好き……大好き……」

 喘ぎすぎて甘く掠れた声で啼く愛し子。切迫した欲望と愛情が剝き出しの飢えた獣。絡み合った声が切実な響きを帯びて、一緒に昇り詰め始める。もうすぐ終わるな。でも期待はしない。だってこれ、もう三回目。
 歴代の庇護の代行者、エリスコア当主に仕えてきたから知ってる。エリスコア当主は代々ねちっこい。性格が良くないからかもしれない。アイギスは天井の模様を数え始めた。1……2……。

「アンナ! アンナ! いくよ! ああっ! 好き! アンナ、大好き!!」
「ああっ!! いくっ! いくっ! リュカ! リュカ! ああっ……あああああーーーーー!!」
「アンナっ!!」

 ひと際高く上がった咆哮の余韻に、貪るように二人分の呼吸音が乱れる。感極まったリュカエルの、アンナの呼吸を阻害するリップ音が、繰り返し繰り返し響いてくる。14……15……。

「アンナ……愛してる……愛してるよ……」
「リュカ……」

 幸福に泣きそうに震えた声で、縋るような色の混じるリュカエルの睦言を、アイギスは懸命に聞き流す。16……。
 どれほど愛しているかを知っている。でもアイギスは味方になることはできない。……17。
 何を成すつもりか知っている。その罪の重さと考えうる結果を知っていて、認めるわけにはいかなかった。……18。

「アンナ。今日はこのままずっとこうしてたい……離れたくない」
「……無理よ」
「どうして? いいでしょ? まだ二回だし、足りないよ」

 三回だ。三回。こすい嘘をつきおって! えっと……3…3……34……。

「ねえ、アンナ……お願い……」
「リュカ、できない……それにもう……こんなことは、やめましょう……」
「……アンナ?」

 凍り付いたような声を出したリュカエルに、アイギスも天井の模様を数えるのをやめた。ギシリと寝台が揺れ、ベッドを降りようとしたアンナを、リュカエルが引き留める。

「……アンナ? 冗談だよね?」
「冗談なんかじゃないわ……もう続けてはダメよ……」

 控えめではあっても、はっきりとしたアンナの拒絶。落ちた沈黙に、アイギスも信じられないと息を詰めた。
 リュカエルは宣言通り、あの手この手で過ちを重ねまくった。もう過ちとは言えない程の回数になっている。強引に引き込まれてはいても、アイギスにも分かっていた。アンナもリュカエルを憎からず想っていると。
 もともとアンナは、リュカエルを特別に大切にしていた。その深い愛情が家族に近い情でも、肌を重ねるたびに違う色を帯びていくのを見ていた。
 味方はできなくても、それはアイギスにも明白だった。二人は想い合っている。それこそリュカエルの思惑通りに。そのアンナの拒絶は、アイギスも予想していなかった。

「……どうして……? 急になんでそんなこと言うの?」

 長い沈黙を挟んで、リュカエルが口を開いた。その声は怯えるように震えている。

「最初からあってはいけないことだった。ごめんなさい。年上の私がしっかりしなくちゃいけなかったのに……」
「いけないこと? 僕はアンナを愛してる。抱き合うのにそれ以上の理由は必要ない! 本当は違うんでしょ? 僕が本当は三回なのに、もっとしたくて二回だって言ったから? それとも今日は良くなかった? だからそんなこと言うの?」
「ち、違うわ、そうじゃなくて……」
「そうだよね。アンナもよかったよね? 中も蕩けてすごく熱かったし、ずっと僕を締め付けて離さなかった」
「リュ、リュカ! 今はそんな話じゃなくて……」
 
 並べ立てられた内容に、初心なアンナがあっさり動揺する。アイギスはため息をついた。わざとずらされた会話であっという間に、主導権はリュカエルが握った。低く唸るような声が、アンナを問い詰め始める。

「じゃあどうしてそんなこと言うの?」
「……リュカは結婚しないといけない。だからこんな関係は……」
「僕はアンナと結婚する。そのつもりで僕を受け入れてくれたんでしょ?」
「私じゃ身分も年齢も釣り合わない……それに……」
「そんなの関係ない!」
「リュカ……聞いて……」
「僕と寝たのに、今更そんなことを言うの? 結婚する気もないのに、何度も僕を受け入れたの?」
「そうじゃなくて……」

 受け入れた? アイギスが我慢できずにビインと刀身を震わせた。受け入れさせてたじゃなくて? 正確な事実はもちろん、完璧に黙殺された。

「……僕を弄んだの?」
「……っ!? そんなわけないでしょ!」

 激高するように徐々に声高になっていた声が、急にひどく傷ついたように惨めに落ちた。アンナが思わず声を上げる。面白いようにリュカエルに転がされるアンナに、アイギスは心から同情した。

「私がしっかりしなきゃいけなかったのに、配慮が足りなかったのは謝るわ。でもリュカを弄んだりなんてしない。こんなことになって信じて貰えないかもしれない。でも誰よりもリュカが大切よ。」
「……僕が大切? 本当に?」
「本当よ。だからこそこんなことを続けてはいけないの……」

 丁寧に言い聞かせるアンナの静かな声には、明確な愛情が溢れている。大切だからこその拒絶。

「……大切なのに、どうして……? 僕が嫌い? 愛せない?」
「そんなわけない。大好きよ。でもダメなの……」
「……僕と結婚してよ……ずっと僕だけのアンナでいてよ……」
「できないわ……」
「……やっぱり、僕を弄んだんだ」
「違う! そうじゃない!」
「違うなら、僕と結婚してよ!」
「リュカ!」
「僕は! 僕は初めてだったんだよ!? 責任取って!!」
「……っ!?」

 リュカエルの魂の叫びに、部屋が静まり返る。まっすぐに射貫くリュカエルの眼差しに、アンナは息を呑んだ。アイギスも衝撃で固まった。そして震えた。創世から地上に降り立ち、人の手に渡り受け継がれてきた。そうして長きを地上で過ごして初めてだった。そのセリフを男が言うのを聞いたのは。
 
「初めて……責任……」

 呆然と呟くアンナに、リュカエルは畳みかけた。

「初めては愛する人に捧げるって決めてた。結婚相手にって。アンナにだから捧げたんだ。責任取ってよ!」
「わ、私……」

 責任の重さにか恐れおののくアンナを、励ますようにアイギスが必死に刀身を震わせる。もう黙ってなどいられなかった。

『愛し子よ! 惑わされるな! 知らないかもしれないが、みんな結婚前に済ませてる! 最近は女だってそんなこと言わないぞ! 男にその権利がないとは言わない。だがそんなことを言い出す奴と結婚するのはやめとけ!』 

 リュカエルが無言で枕を叩きつけた。それでも枕の下でアイギスは必死に唸った。

『しっかりするんだ! 愛し子よ! そもそも捧げられたのではなく、押し付けられたのだ!!』

 ビンビン鳴り響くアイギスの音も聞こえないかのように、アンナは俯いて震えていた。リュカエルがそっとアンナに手を伸ばした。顔を上げたアンナを、静かに見つめる。

「愛してるんだ、アンナ。僕と結婚して……?」
「……できない……できないわ、リュカ……」
「年上だから? 身分が釣り合わないから?」
「できないの……リュカ……」

 潤ませた瞳を隠すように俯いたアンナに、リュカエルは肩を掴んだ手に力を込めた。促されるように顔を上げたアンナに、リュカエルは透明な笑みを浮かべた。

「……子供を産めないから?」
「……っ!!」

 こみ上げてきた涙に顔を歪ませ、こらえきれずにアンナが涙を零した。泣き出したアンナをゆっくりと抱きしめる。

「ねえ、アンナ? 僕が好き?」
「……好き、よ……大好きよ……」
「僕がアンナの側にいたいように、アンナも僕の側にいたいって思ってくれてる?」
「でも……リュカは……リュカは、子供を……」
「子供なんかいなくていいよ。アンナさえいてくれたら」
「だめよ……だって、エリスコアは……代行者の血筋を……」
「エリスコアの血筋を残すためだけに、僕に結婚しろって言うの? 他の女を抱けって? ねえ、アンナ。本当にそうしてほしいの?」
「だって……」

 見上げた先の滲んだリュカエルの美貌。柔らかな銀の髪。宝石のように澄んだ美しい青紫の瞳。名前を呼ぶ優しい声。ぶわりと涙が溢れ、こらえきれなくなった嗚咽を漏らした。
 優しく抱きしめてくれる腕が、どんな風に抱くかを知っている。宝物を扱うように、時に情熱を叩きつけるように。熱を分け合い浮かされた声で、何度も愛を囁やくことを知っている。知らずにいたら、ただ幸せだけを願っていられた。
 
「……そうするしかないの……リュカはエリスコアの最後の一人……神の……力の権能を永遠に地上からなくすことなんて、あってはならないわ……だから……」

 ぼろぼろと涙を零すアンナに、リュカエルは懇願を縋らせた。

「僕はアンナを愛してる。アンナしかいらない」
「リュカ……やめて……」
「アンナ、お願い。僕を選んで」
「……できない……ごめんなさい……できないわ……力の権能を絶やさないで……」

 静まり返った室内に、アンナの嗚咽だけが時折響く。アイギスもその沈黙に、胸を痛めた。互いに背負った運命が、芽吹いた愛が育つことを許さない。誰のせいでもないことが辛かった。

「……僕の子供が出来れば、力の権能を次代に繋げばいいの?」

 リュカエルの言葉に、アンナが涙で濡れた顔を上げた。その瞳を捉えてリュカエルが、念を押して言質をとるように問いかけた。

「子供が出来ないことだけが問題で、もしも奇跡が起きてアンナに子供が出来たら僕と結婚してくれるんだよね?」
「それは……」

 そうだった? いつそういう話になった? アイギスが首を傾げたように、アンナも返答に戸惑った。リュカエルは畳みかけた。まるで思考する間を奪うように。

「そうだよね、アンナ? 約束してくれるよね?」
「え……でも……」
「僕の初めてを捧げたんだし、それくらいは約束してくれるよね?」
「……い、いつまでも奇跡を待つことなんてできないし……だから……」
「それなら休暇が終わるまでなら? 休暇の間に奇跡が起きなかったら、僕もちゃんと考える。だからその間は、僕のものでいて。そしてもし奇跡が起きたらちゃんと僕と結婚して? ね?」
「でも……」
「それもダメなの……? 僕にチャンスさえくれないの……? 僕は初めてだったのに……」

 哀しそうに瞳を潤ませたリュカエルに、アンナはオロオロと視線を彷徨わせる。続けてはだめだとわかっていた。自分の存在が、どれほどリュカエルの妻になる人を傷つけるか。それでも手放し難い温もりに、ゆっくりと頷いて決めた。

「……わかったわ。約束する」
「アンナ! ありがとう! 約束だからね!」
「うん……」

 リュカエルの腕の中で、アンナは瞳を閉じる。大切なリュカエル。時々はその幸せを確かめられる場所にいたかった。それでもリュカエルが望むなら。
 奇跡は起きない。休暇が終われば、もう二度と会うことはしない。遠くから幸せを願うだけ。アンナは覚悟を決めた。これがリュカエルと過ごす最期の時。
 切ない覚悟を胸に目を閉じるアンナに、リュカエルは笑みを浮かべた。

 ―――約束だよ、アンナ……ちゃんと責任とってね?

 もぎ取られた言質。アイギスは迫りくる凄惨な未来に絶望して、ただ震えることしかできなかった。


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