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第一章 聖騎士様の信仰心
嫌いな理由
しおりを挟む平和な昼下がりの午後。シュルツは無表情に木陰に寝そべっていた。その周りを子供達が取り囲んでいる。
「シュルツ、たんぽぽ食べる?」
シュルツは差し出されたたんぽぽをチラリと見つめ、やがて諦めたようにもそもそと食み始める。全く喜んだ様子を見せていなくても、嬉しそうに顔を輝かせて少女はシュルツを見つめている。
「シュルツ! クローバーも食べて?」
その隣にいた少年が差し出したクローバーも、シュルツは黙って食み始めた。シュルツは悟っていた。ここにいる限り、特に好きでもない草が次から次へと差し出されると。食べない限り延々と別の草を持ってこられると。
「シュルツのたてがみはキラキラだねぇ。リュカ兄ちゃんの髪みたい」
不格好に編まれた鬣を結ぶとりどりのリボンを、うっとりと眺めながら少女がため息交じりに呟いた。
「私もこんな髪だったらよかったのに……」
「今度は青いリボンを結んであげるね!」
「良かったな。シュルツ」
おもちゃにされる現状から救ってくれるだろう主人の声に、シュルツは嬉しそうに立ち上がった。その途端パラパラと飾りつけらた花が落ち、それをリュカエルが屈みこんで拾い上げる。
「シュルツ、かわいいぞ」
白シャツにタイトな黒いパンツのラフな格好で、リュカエルは編まれた鬣に拾った花を挿し直しながら笑った。
「リュカ兄ちゃんも一緒に遊ぼ!!」
「ごめんね。僕はこれから薪割しないと」
すかさずリュカエルは足に取りすがった少女に、眉尻を下げると担いでいた斧を上げて見せた。
「えー! じゃあ、私も手伝うわ!」
「だーめ。危ないから、シュルツとここで遊んでて? ね?」
不満そうにシュルツが足を踏み鳴らし、少女も懇願するようにリュカエルを見上げた。リュカエルは笑顔のまま何も言わず、やがてその圧にシュルツと少女は渋々腰を下ろす。リュカエルは頷くと、むくれているシュルツに近づいた。
「アイギスを預かっておいて」
適当にアイギスをシュルツに括り付けると、リュカエルはご機嫌で斧を担いで歩き出した。シュルツはムスッと、再びその場に座り込んだ。遺憾だとばかりにうるさく騒ぐアイギスと、一時もじっとしていない子供たちのお守りを押し付けられ、シュルツは不満の鼻息を吐き出す。
十分薪の在庫はあるのに、今日も張り切って薪割りに向かう主人。力仕事ばかり積極的に引き受け、無駄に三つもシャツのボタンを外している。汗もわざと拭かずに肌にシャツを、ピッタリと貼りつかせている。とても分かりやすい主人の意図に、流石のシュルツも呆れ返る。背中のアイギスはギャンギャンと、子供達よりもうるさい。現状にうんざりしながらシュルツは不貞腐れて目を閉じた。
※※※※※
冷やした水を盆に載せたアンナは、飛び込んできた光景に思わず足を止めた。均整の取れた長身が、少しのブレもなく斧を振りかぶる。易々と振り下ろされた斧は、立てた丸太にまっすぐに吸い込まれた。パカンと小気味のいい音と共に、丸太はきれいに二つに分かれた。
『アンナ……ねえ、僕がまだ小さなリュカのままだと思う?』
リュカエルの囁き声が耳に蘇り、アンナは思わず目を逸らした。急に見知らぬ大人の男に見えて、アンナの鼓動が早くなる。
「……アンナ!」
人の気配に振り返ったリュカエルが、隆起した筋肉を伝う汗を拭いながら嬉しそうに笑みを浮かべた。しっぽを振り回しながら主人に駆け寄る犬のように、リュカエルがアンナに駆け寄る。
「……お、お疲れ様。お水でも飲んで……」
まくり上げた袖から覗く逞しい腕。暑さにボタンが外された、胸元まではだけたシャツ。それらから視線を逸らしていることを誤魔化すように、アンナは俯きながら持ってきた水を差し出した。
「ありがとう。」
ごくごくと水を飲むリュカエルを、アンナがそっと盗み見る。仰向いて露になった首筋の上下する喉仏。もうとっくに大人になったことを身を持って教えられてから、アンナはリュカエルを直視するのを躊躇うようになっていた。もう斧の重さによろけていた小さなリュカはいない。楽々と薪を割る頼もしい青年を、馴染みのない人物に感じてしまう。
(……見逃していたのね)
寂しいような不安なような。曖昧な感情が沸く度に、アンナは落ち着かなさを味わっていた。頻繁に孤児院に顔を出してくれていたのに、その成長をうっかりと見過ごしていた。もしかしたらまだ小さなリュカでいて欲しかったのかもしれない。そんな願いがその成長を見逃させていたのかもしれない。
成人した男だという事実を、まだうまく飲み込めずにいた。所在なげにそわそわするアンナを、じっくりと観察するように眺めていたリュカエルが、密かに満足げに笑みを漏らした。
「今ある分は全部終わらせておいたから」
リュカエルは明るく柔らかい声を取り繕うと、無邪気にアンナに巻きついた。俯いていたアンナは大型犬のような、邪気のない甘え方に安心したように頬を緩めた。
「ふふっ。ありがとう」
急速な成長を見過ごした知らない大人の男ではなく、見知った甘えん坊のリュカエル。馴染んだ姿にアンナが、肩の力を抜いた。子犬の顔で慎重に様子を伺っていたリュカエルは、緊張が解けたアンナに一瞬ニヤリと笑うと肩口に額を埋めた。
「……お腹すいたなぁ」
「ごめんね。今クッキーしかないの。待っててすぐにパンケーキを……」
「クッキーがいい」
「え? リュカ、クッキー嫌いよね?」
「好きだよ?」
「でも……」
よく差し入れられていたクッキーを、絶対に食べなかったのに? 困惑するアンナに、リュカエルはにっこりと笑った。
「好きだよ?」
「だけどリュカは……」
「一緒に食べよ?」
こてんと首を傾げて促すリュカエルに、戸惑ったままアンナは歩き出した。隣を歩くリュカエルを、アンナは心配そうに見上げる。
「無理しなくていいのよ? すぐに焼けるから。」
「大丈夫。本当に好きだから。」
納得できないように顔を顰めるアンナに、リュカエルは薄く笑みを浮かべた。
(ジェンスの持ってきたクッキーなんて食べるわけないでしょ?)
差し入れを口実に、アンナに会いに来ていたジェンス。そんなものを口にするわけがない。まだ心配そうなアンナは、リュカエルのためなら惜しみなく手間をかけようとしてくれる。昔から変わらず。自分の好みを熟知し、ごく自然に甘やかしてくれる。
「ふふっ。アンナ、大好き」
アンナに大切にされていると実感するたびに湧き出る、くすぐったいような幸福感のまま、リュカエルはアンナに抱き着いた。優しくてかわいい、僕のアンナ。
滞在一か月。急ぎ過ぎて逃がさないように、慎重に子供でも弟でもないと少しずつ染み込ませてきた。でもまだ先に進むのは早いかもしれない。でもそろそろ限界だ。
(ああ、早く……)
従順な子犬の仮面の下の不穏さに、気付きもしない愛し子に、アイギスはシュルツの上で心配そうに刀身を振動させた。
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