チーム・サレ妻

宵の月

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カーテンコール2

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 重く深いため息を吐き出した弥生に、みのりが慰めるような眼差しを向けた。

「……裁判まではいかないでしょ? 流石に……」
「どうでしょうね。このまま粘るなら裁判もやむなしです」

 荒んだ瞳の弥生は美麗な美貌に、静かな怒りを湛えている。
 直樹への会社からの処分は降格の上、花形部署からの左遷。本社勤務から隣県の支社へ異動になった。誰かがうっかり話したらしく、支社にはすでに今回のことが知れ渡っているらしい。周りにヒソヒソされながら窓際部署で勤務を続けているらしいと、が言っていた。

「支払いには応じたのに、離婚は拒否かー……」
「親も引き連れて連日土下座とか、気が滅入りますよね……」
「すでにおかわりが三回ありました。流石に学習して直接訪問はなくなりましたけど……」

 うんざりしたように弥生が吐き出す。直樹は慰謝料に関してはあっさり合意した。一括で三百万かける三人で九百万。実は相当吹っかけているのだが、直樹は財産分与の上、百万の減額で八百万で同意した。その慰謝料は実はもう支払われている。もちろん貯金だけでは足りず、親に借金しての支払いだった。
 問題は離婚に関してで、聞けば軽く嫁いびりもしていた両親を引き連れて、今さら離婚の完全拒否を呪文のように繰り返すのだと言う。直接接触の罰金十万のおかわりを三回しでかして、やっと直接の連絡はなくなったが、相変わらず離婚については頑なに突っぱねているらしい。

「……弥生さんへの劣等感を拗らせて、試し行為に望む答えを返され続けて、盛大に勘違いしちゃったんでしょうね……」
「うん……愛だって大事にしないと枯渇するのに……長引きそう……」

 未だに脅したり、かと思えば土下座したり。直樹は尽きないと信じていた愛を、失った現実を未だ直視できていない。
 試し続けて応えられ続けた結果、何をしても心は変わらないと思い込んでいた。不倫でさえもエスカレートした試し行為だった。愛人には目もくれず、必死に弥生に縋りついて取り戻そうとしている。手遅れなのに。

「早く解決できるといいですね」
「ありがとうございます。裁判してでも必ず離婚をもぎ取りますよ!」

 絢子の心の底からの励ましに、気合いの入った笑みを浮かべた弥生は、来月から某アパレルメーカーでアルバイトを開始する。センスのいい弥生には、ぴったりの職業だ。
 直樹がどれだけ過去の思い出にしがみついても、もう弥生は未来に向かって前向きに歩き出している。
 魔王に覚醒してからずっと魔王のままの弥生は無敵。もしまた美貌へのやっかみからのいじめがあっても、もう相手にすらしないだろう。なんなら返り討ちにするかもしれない。それにそんなことになったら絢子もみのりも、特に健人が黙ってはいない。
 今の弥生はどれだけ直樹が長引かせようと、必ず離婚を勝ち取るはずだ。直樹が世界の全てかのように、泣いてばかりだった弥生はもうどこにもいないから。

「みのりさんのところは、一応は決着してますよね」
「まあ、そうなんだけどねぇ……」

 弥生の問いかけに、みのりは憂鬱そうにため息を吐き出した。
 大地も直樹と同じく会社からは降格・減給・異動の上、ヒソヒソ勤務となった。金銭面ではこちらも直樹と同じく、財産分与の上百万の減額の一括八百万で同意し、すでに処理は完了している。離婚も号泣しながら同意した。
 問題は養育費。これについては懐事情も相まって、毎月の分割での合意に至った。揉めているのはその支払い方法だった。

「出産して落ち着いたら月一回の面会。この時に手渡しって粘られてる。本当は面会もなしにしたいんだけどさ、そうもいかなくてさー……」
「それについては義務で権利ですもんね」
「うん……」

 親権はもちろんみのり。離婚に応じはしたが、大地は復縁を強く希望している。大地は面会の権利を、最大限に活用しようとしている。養育費を面会で手渡しすることで、毎月直接復縁を頼み込む気満々らしい。

「復縁の予定は?」
「今のところ一切なし!」

 キッパリと言い切ったみのりに、まあそうだろうと絢子と弥生は頷いた。
 結婚して妊娠して。万全になったかのような結婚生活に、大地は胡座をかいてしまった。順風満帆の生活に油断と驕りがあった。結果一番大切なものを失った。皮肉なことに不倫相手のヤバさが、みのりに惚れ直させた。でももう取り戻すことは叶わない。
 みのりは浮気発覚時にすでに、シングルマザーとしての道を決意していた。それに伴う手続きも万全だ。
 今のところ実家には頼らずに、母子二人での生活を構築しようとしている。みのりには芽衣と愛美を筆頭に、たくさんの友人がいる。絢子も弥生も全力サポートするつもりだ。実家には戻らなくても済むように。

「まあ、鬱陶しいけど義務ではあるからさー、弁護士さんには公正証書もあるし、その条件で合意するようにお勧めされてる……」

 権利には義務も発生する。諦めつつも覚悟は決めてる母親の顔で、みのりは肩をすくめた。子供を第一に考えるみのりなら、大地の悪口を吹き込むようなことはしない。それをわかっているから、大地はこの条件で粘っているのだろう。

「みのりさんの旦那さんは、今のところ一番往生際はいいですもんね。義務が伴う以上再婚はあり得なくても、長くは揉めない方が得策なのかもしれません」
「だね」

 弥生の言うように、往生際は大地が一番評価できる。直樹は論外。提示された条件を大人しく全て受け入れ、号泣しながらも離婚にもきちんと応じた。面会の権利に乗じての復縁要請は、よりを戻す気のないみのりにとっては鬱陶しいことこの上ないだろうが、臨月のみのりがあまり揉めずに済んだことは本当にホッとした。子供がいる分、一番揉めてもおかしくはなかったから。
 できるだけ潔くしようとした大地の態度が、たとえ復縁への点数稼ぎとしても結果的には、未来へとつながる可能性をほんの少しだけ残したことになる。直樹の態度が心象的には一番良くない。

「絢子さんとこは……あれからどうなったの……?」

 眉を顰めて恐る恐る確認してくるみのりに、絢子は苦笑を浮かべた。カラッとした気性のみのりにとって、哲也は知るほどに理解不能な宇宙人になってらしい。不倫の理由を知ってからは、もう意味不明さに怯えてすらいる。
 哲也は会社からの処分の際に、退職を選択した。母方の実家が会社を経営しており、そこの後継者になるらしい。小さな会社なので、降格・減給を受けても、T商事に残った方が金銭的には楽だったはずだ。でもプライドの高い哲也は、花形から窓際に異動するより、小さくても会社社長の肩書きを選ぶことにしたようだ。

「有責側からの条件提示は認めないってことで、一応合意には至りました」
「離婚と財産分与は応じても、慰謝料は減額なしの分割希望で、支払いは手渡しでしたっけ……まあ、ちょっとないですよね……」
「その上、本当にマンションで絢子さんを待ってるんでしょ? それって絢子さんを愛してるからだよね? でもなんかもう本当に思考回路が謎で宇宙人すぎて……」

 完全に哲也に怯えた様子のみのりに、絢子も曖昧に笑うしかなかった。哲也は今も一人には広すぎるあのマンションで、絢子を待ち続けている。

「……愛、なんですかね? 結局自分しかあの人は愛していないと思いますよ。完璧だと思った部品への執着なんでしょう。より完璧な部品を見つけたら、手のひらを返すと思いますよ」
「……絢子さん以上は、そうそう見つからなくない?」
「そんなことないですよ」
 
 苦笑した絢子に、弥生とみのりが顔を見合わせる。
 哲也は離婚と財産分与にはあっさり応じた。でも慰謝料でゴネた。それも想定外の方向に。減額はせずに、分割で満額支払いたいと希望してきたのだ。支払い方法は絢子へ直接手渡し。
 言い分としては「離婚は回避したいが、内容が内容なので絢子のために応じる」「金銭面での償いも、心からの謝罪として減額はせずに、満額を支払いたい」「ただその際は直接手渡しとし、自分の反省の深さを知ってほしい」というものだった。
 
「やり方としてはみのりさんの旦那さんの、養育費と同じですよね。慰謝料の支払いで繋がりを保ちつつ、復縁の要請を続けるため……」
「そうですね。だからこそ有責側からの条件は受け入れないと突っぱねて、あえて二人の旦那さんと同じ百万減額の八百万一括支払いにしました。揉め続ける方が心象が悪いと悟ったのか、合意して支払いも完了しました」

 そうすることで、もう一切の感情がないことを伝えた。憎しみや悲しみさえ、もう哲也に対して抱いてはいない。
 
「クズとゴミが不倫とか始めなかったら、宇宙人は不倫しなかったのかな?」
「……どうなんでしょうね? お気に入りの部品が見つかったら、いつかはしたような気がします」
「……そうかもしれませんね。自分で努力せず、人に全てをやらせる人ですもんね。不倫してなくてもお別れ案件な人ですよ」
「確かに……絢子さん、本っっ当にお疲れ様!」
「ありがとうございます」

 みのりが心の底からの労いを差し出してくれる。苦笑した絢子に、弥生は期待顔を向けた。

「お仕事には復帰することにしたんですか? 小野田さんも上司の方もすごいラブコールを送ってくれてたんですよね?」
「まだ返事はしていませんけど、戻らないことにしました」
「え? なんで? もったいない! 旦那さんも退職したんだし、歓迎してくれてるんでしょ?」
「ありがたい話だとは思いますけど、これだけの騒ぎで迷惑をかけた当事者の元妻ですしね。なんの因果もない新天地で、一から魔王を目指そうかなって。どこでだって魔王にはなれますし」
「そうですか。そのほうがいいのかもしれませんね」
「もったいないけどねー。でも絢子さんが決めたなら、それが正解! 応援するね!」
「ありがとうございます。ってそろそろ時間じゃないですか?」
「本当だ! もう出ないと!」

 十八時を回った時計に絢子達は慌てて立ち上がる。そこに来客を知らせるベルが鳴り、長身にオーダーメイドスーツを着こなした、できるイケメンに変貌を遂げた健人が現れた。キョロキョロと店内を見まわし、弥生を見つけると嬉しそうに顔を綻ばせる。ビシッと決まっている見た目とは裏腹に、その姿は完全に犬だった。

「弥生さん! お迎えにあがりました! 皆さんも一緒に乗ってください!」
「ありがとうございます」

 さして嬉しそうでもない弥生に構わず、健人は全力で喜びを表現しながらエスコートする。フリーターとして「自分探し」の真っ最中に、運命の人に出会った健人は「最高の舞台」を見届けた後、逃げ回っていた父親の会社へ就職を決めた。
 絢子が何者と訝しむほどの素養のあった、ど金髪のチャラ男は実はいいとこのボンボンだったのだ。弥生に振り向いてもらうためには、経済力も必要だと一念発起し、本格的な後継修行を開始。
 まだまだ下っぱらしいが、時折見せた頭の回転の速さと、天性の懐っこさでなかなかの有望株へと成長しそうだ。ただそこまでしても全く弥生に相手にされてはいない。健人はそれでも全くめげないのがいいところだ。

「私、実は食べ放題、初めてなんです」
「初めての食べ放題が、総勢十名ってちょっとレアですよね」
「みんなすっごい食べるから驚くと思うよ! 今日無理な友達もいるから、来週も食べ放題だよ!」
「ふふっ、楽しみですね!」
「ありがとうございましたー!」
 
 約束の食べ放題会場へと向かうチーム・サレ妻を見送る挨拶も、今日は心なしかいつもより明るく響く。まるで常連たちがやっと浮かべた晴れかな笑みでの退店を喜ぶように。

「あ、そうだ。絢子さん、親父の会社で魔王やりません? 親父に拉致してでも連れてこいって言われちゃって……」
「うーん、ありがたいですけど、健人さんの会社はちょっと大きいんですよね……掌握するのに時間がかかりそうだなって……」
「そこをなんとか! 条件面だけでも聞いてください! 会社的にも俺個人としても是非来てほしいなって……」
「私で弥生さんを釣るつもりですね?」
「あ、いや……そんな、そんなことちょっとだけしか期待してないですよ!」
「期待してるんじゃん!」 

 失ったものは大きかった。病める時も健やかなる時も。生涯を賭け愛そうとしていたものを失った。
 でも手に入れたものもある。前を向いて歩こうとする自分を、病める時も健やかなる時も支えてくれる仲間達。またこのカフェに集まる時はきっと未来を語れるはずだ。ささやかでも自分のために歩く未来の話を。誰一人置いて行くことなく。
 永遠かのような苦しみを共に耐え抜いたチーム・サレ妻は、もう一度自分のための人生を歩き出した。道半ばの人生に重くなった足枷をそっと置き、振り返らずに歩き出した絢子たちの表情は今日の空のように晴れやかだった。



※※※※※

ここまでお付き合いありがとうございました。
明日からリクエストいただき追加した後日談(全8話)を更新いたします。
よろしければお付き合いください。
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