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ウルトラC
しおりを挟む全員の視線が集中する中、真っ直ぐに絢子だけを見つめながら哲也が話し出した。
「……俺、は……覚えてない……酔ってて記憶がない……」
哲也から飛び出した解答に絢子ばかりか、その場の全員が衝撃を受けたように目を見開いた。特に大地に至っては「その手があったか!」と顔にはっきりと書いていた。
「正直俺もまだ混乱してる……だからって簡単に許されるとは思ってない。覚えてないけどあんな光景見たら誰だって、怒るって馬鹿でもわかる。でも俺が愛しているのは絢子だけだ! それだけは信じてくれ!」
雷に打たれたように固まった周囲には目もくれず、哲也は当てられたスポットライトの下で名演を続ける。
「覚えてないなんて言い訳にもならないってわかってる……だから絢子が許せるように、どんな罰でも受ける覚悟はある。でも今は混乱してて……だから絢子……二人で話をさせてほしい……頼むよ、絢子……」
「上原、くん……?」
目を真っ赤にして目尻に涙まで浮かべて見せる哲也に、怒り狂っていた理香子が呆然と呟いた。その横で由衣がぎりっと奥歯を噛み締め、なぜか鋭く絢子を睨みつけてくる。
「こんなこと言う資格はないってわかってる。でも……俺が愛しているのは、絢子だけなんだ……」
哲也が作り上げた静寂の空間に、絞り出すような渾身の決め台詞が見事に決まった。最強の必殺技「記憶がない」をまさかこの状況で、これほど堂々と繰り出してくるとは思っていなかった。
「……手強いな……」
みのりの小さな呟きに、絢子は唇を引き結んだ。とんでもない嘘つきだ。
真実は何か。それを知っているのに、一瞬でも信じそうになる。大地の答えに示したチーム・サレ妻が見せた反応を、冷静に観察し起死回生のウルトラCにこの嘘を選んだ。きっとこの場で吐く、最善で最高の嘘。誰も「覚えていない」ことを完全に証明をすることはできない。
絢子の胸に敗北感が湧き上がって唇が震えた。
今までどんな嘘をどれだけつかれていたのだろうか。そして何度あっけなく信じてしまっただろう。今まで嘘つきだなんて思ったことはなかった。それほど絢子は綺麗に騙され続けてきた。これほど見事な嘘を前に、もう二度と哲也を信じることはできないと思った。
そして絢子が何より勝ち取りたい浮気の理由を、この嘘つきからもぎ取れるのか不安になった。
不意の思わぬ弱気に俯いた絢子の手を、みのりがそっと握る。励ますような優しい体温に顔をあげると、絢子の代わりに弥生が毅然と哲也に立ち向かっていた。
「……どんな罰でも受け入れる覚悟があるなら、当然二人で話す気のない絢子さんの意思を尊重してくれますよね?」
「絢子……」
絢子はみのりの体温を頼りに、弱気になりそうな自分を蹴り上げるように顔を上げた。弥生を無視して一心に見つめてくる哲也に、まるで挑戦状を叩きつけるような気持ちで小さく笑みを浮かべる。
「……ルールは弥生さんですよ? 弥生さんの旦那さん、どうぞ?」
「絢子!!」
哲也の懇願をできるだけそっけなく、渾身の意地で受け流した絢子に、哲也が咎めるように声を張り上げた。思わずびくりと肩を揺らした絢子に、哲也は一瞬取り落とした仮面を即座に拾い上げ、すぐに縋るように声のトーンを落とす。
「あ……怒鳴ってごめん……でもどうしても二人で話したくて……」
懇願を続ける哲也を振り返った時には、絢子に芽生えた敗北感はもう薄らいでいた。
追い詰めればわずかでも、こうして仮面は剥がれ落ちる。みのりと弥生の援護を受けて、弱気を殴りつけ冷静さを取り戻す。絢子は哲也を無視して直樹に向き直った。哲也が歯を食いしばり黙り込む。
静かになった空間で、弥生が視線で淡々と直樹を促した。直樹は鋭く弥生を睨みつけて口を開いた。
「……俺もだいぶ酔ってたから記憶がない」
一瞬の間を開けて、バッと顔をあげた哲也が直樹に目を見開いた。弥生が微笑んだまま固まり、みのりは咄嗟に噴き出しそうになった口元を隠す。
「でもまあ、全員とやったかもな?」
直樹はその上そんなセリフまで付け足して、弥生にうすら笑いを浮かべて見せた。張り詰めていた空気が、一気に緩み呆れたような沈黙が流れた。
ウルトラC級の必殺技「覚えてない」は、確かにこの場における最高の言い訳だった。直樹にもそれがわかったのだろう。だからこうして即座に二番煎じをしてみせた。でも間髪入れずに使い回したせいで、最高の言い訳はインパクトが完全に失われた。その上渾身のドヤ顔で、余計な一言まで付け加えまでした。最強だった言い訳は、一気に嘘くさい陳腐なものに成り下がる。
まだ弥生が傷つくと思い込めているらしい直樹は、弥生が泣き出すのを待っているようだが、泣くことはないことも哲也が壮絶な怒りを滲ませて、睨みつけていることにも気がつくことはなさそうだ。
一言で何もかも台無しにしてみせた直樹に、みのりが必死に笑いを堪える様子にフリーズしていた弥生も気を取り直す。
「……次は伊藤さん、でしたね?」
なんとか立ち直って、次の伊藤に視線を移した弥生に直樹が目を剥いた。
「弥生!」
「……はい?」
「俺は全員とやったと言ったんだ!」
「そうですね。ちゃんと聞きましたよ?」
「全員とだぞ?」
「ああ、ちゃんと覚えているんですね。では次の方、どうぞ?」
「…………」
平坦に冷静に切り上げた弥生を、信じられないかように見つめる直樹を無視して、弥生は淡々と由衣に視線を向けた。待ちかねたとばかりに由衣が瞳を釣り上げ、大地と哲也に振り返る。
「奥さん達には悪いんだけど、私さ、大地さんとも哲也さんとも何度も寝てるんですよね。今回だけじゃなく。ずっと前から。旅行も奥さんとじゃなくて、私と行きたいって……」
大地が真っ青になり、哲也は舌打ちせんばかりに由衣を睨む。二人の必死のアイコンタクトは、残念ながら由衣には微塵も届かなかったらしい。直樹なみに空気を読まない由衣は、怒りを込めて大地と哲也を睨み返している。
「絢子……信じないよな? 俺が年下は相手しないって知ってるし、バカが死ぬほど嫌いだってわかってるだろ?」
「み、みのり……違うから……もうすぐ子供が生まれるのに、そんなことするわけないから……!」
「はぁ? あんたから言い寄ってきたんでしょ? 離婚して私と結婚したいって言ったくせに。腹の出た嫁は女として見れない。私の顔を見るだけでイキそうだって言ってじゃない!」
由衣が激昂して立ち上がり叫んだ瞬間、ブハッと芽衣と愛美が吹き出した。小野田が視線を外しながら、肩を震わせて二人を嗜める。
「わら……笑っちゃダメですって……」
「だって……!」
「何がおかしいのよ!!」
顔を真っ赤にして怒鳴る由衣に、芽衣は涙を滲ませながら笑い続ける。
「い、いや、誰だって笑うでしょ? そんなクソみたいなセリフ。脳みそが腐ってないと出てこないって! ヤバすぎる……!」
「いや、そんなセリフで堕ちる方がやばいって!」
「堕ちる? ばっかじゃない!? こいつ程度の男じゃ、私に釣り合わないでしょ!」
息も絶え絶えな芽衣に、怒り狂って由衣が怒鳴りつけた。
「は? 寝たんでしょ? なんかすごい高嶺の花気取ってるのに、その程度ってバカにしてる男に股開いたって自分で言ったんじゃん」
「なっ……!? あ、遊びよ! 熱心に口説いてくるから、ちょっと遊んでやっただけだから!」
「そんなクソみたいなセリフであっさり寝るの? ちょっとお手軽すぎない?」
「はぁ? ふざけんな! 私は……!」
「じゃ、聞いてみる? みのりの旦那に。本当にそんなクソみたいな口説き文句を、クソみたいな女に言ったのかって」
金切声を上げた由衣を無視して、芽衣が大地に鋭く視線を向ける。
「俺、は……そんなこと……言ってない……」
ブルブル震えながら絞り出した大地の顔色は、もうなんか青と赤で大変なことになっていた。そんな顔色がクソみたいなセリフの真偽を示していたが、愛美が芽衣に続いて容赦なく追い討ちをかけていく。
「まあ、そうだよねぇ……腹が出た嫁を女として見れないって。妊娠させた本人が言うとか頭おかしいし」
「誰の子を必死にお腹の中で育ててるんだっつーの!」
冷ややかな声に大地は俯いていたが、決意したようにがばっと顔をみのりに向けた。
「そうだよ! 俺の子を孕ってるみのりにそんなこと思うわけないだろ! 俺がそんなバカみたいなこと言うわけないって、みのりならわかってくれるよな?」
追い詰められていっそ開き直ることにしたらしい大地に、由衣が目を見開いてワナワナと震えた。
「……何よ、それ! こっちは証拠だってあるんだからね!」
再び火がつきそうになった由衣が、カバンを探して辺りを見まわし出し、弥生がにっこりと笑顔で制した。
「あ、証拠とかいいです。貴女の番は終わりなので、大人しく座って口を閉じててもらえます? クソみたいなセリフを本当に言われたとか、心底どうでもいいことなので」
可憐な美貌から飛び出た毒に、由衣は怒りすぎていっそ青白くなりながら目を見開いた。
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