チーム・サレ妻

宵の月

文字の大きさ
上 下
25 / 55

魔王の資格

しおりを挟む

 しんと沈黙が落ちたテーブルで、空気を読んだ健人が気まずそうにコーヒーを啜る音だけがする。

「絢子さんが小野田さんを通じて、森永って女を怒らせた。それだけで一個矢印が繋がった。こんなこと、できるんだ……」

 信じられないように哲也と留美の証拠写真を、みのりは呆然と見つめた。

「ほんの少しの変化だけで簡単に揺らぐほど、あっちの関係性は緊迫していて不安定。不倫を始めたばかりの頃の刺激に飽きて、諍いを起こし始めたからできたことです」
「すごいです、絢子さん。本当に魔王みたいですね!」

 尊敬の眼差しを向けてくる弥生に、絢子は苦笑を浮かべた。

「……今回は本当にタイミングが良かっただけです」
「でも、すごいです! だけど……一番難しい矢印が残っちゃってますよね……それにしてもうちのクズって目の前で森永さんと、絢子さんの旦那さんと消えても落とせなかったんです……ゴミすぎる……」
「弥生さん……でも確かにできることは多くはないので、Xデーまでに間に合えばいんですけど……」

 理香子は男側の食指が全く動かせないらしい。今まで空気だった理香子と、由衣には簡単に靡く直樹と大地。おそらく由衣には生理的嫌悪を抱いてすらいそうな哲也と、言動が危うすぎる由衣。
 難しい表情で顔を見合わせる絢子と弥生に、みのりが写真からゆっくりと顔を上げた。

「大丈夫……」
「みのりさん?」

 哲也と留美の写真を置いたみのりが、不敵な笑みを浮かべながらニヤリと笑う。

「家庭がうまくいってないストレス。それがババアの不倫にハマった理由なんだよね?」
「……多分、大きな理由の一つなのは間違いないと思います……」
「じゃあさ、そのストレスをもっと大きくしたらどう?」
「大きく、ですか?」
「目の前で絢子さんの旦那さんに他の女との仲を見せつけられた。その上で家庭でのストレスが激増したとしたら、自分から仕掛けていくようになるんじゃない? ウチのゴミ、押しに弱いし」
「家のクズも絢子さんの旦那さんに対抗して、なんとか落とそうとするとは思います。だから須藤さんを動かせれば、確かになんとかなりそうですけど、動かす方法が……」
「うふっ。このババア、既婚者じゃん?」
「「…………あっ!!」」
「ババアの旦那に知らせて、協力してもらうのどうよ?」
「でも、浮気を知って須藤さんの旦那さんがどう出るかは……」
「不貞の証拠を取引材料にするのはどうでしょう? あからさまに服装とか変わったらしいので、疑ってはいるはずです。その上で今、離婚していない……それなら協力してくれるかもしれませんよね!」

 顔を見合わせてうんと頷き合ったチーム・サレ妻に、健人が伺うように片手を上げた。

「……あ、あの、じゃあ、俺らがその旦那を連れてきますか? みなさんは極力動かないほうがいいっすよね?」
「マジで!? やってくれんの?」
「龍なら言いくるめるの得意だし」
「龍か、いいね! 絢子さん、弥生さん、いい?」
「いいも何も、そうしてもらえたら助かる。でも相手の旦那さんを連れてくるなら……」
「事前開示情報は最小限で! ですよね! 協力が無理なら、予定外のことをされないように、ですよね! 心得てます」

 ど金髪のチャラそうな健人が、おどけて敬礼のポーズをとる。肝心なポイントを口にする前に理解していることに、絢子はだいぶ失礼ながら驚いた。人は見た目ではない。度々みのりの友人に助けられて認識したつもりの事実を、絢子は改めて思い知らされた気持ちになった。

「健人さんって、一体何者……?」
「健人? フリーターだけど?」

 みのりが首を傾げ、健人が照れたように頭を掻く。

「そう、なの……?」

 とてもそうは思えないが、ともあれこれだけ頭の回転が早いなら安心して任せられそうだ。

「お願いばかりですいません。お任せしてもいいですか?」
「もちろんです! 俺、頑張りますよ! 弥生さんが早く離婚できるように!」

 健人がキラキラの笑顔を弥生に向け、弥生はニコッと笑うと華麗に健人を無視した。肩を落とした健人をみのりもスルーして、絢子にニッと笑みを浮かべて振り返る。

「ウチも魔王見習いくらいは名乗れるかな?」

 得意満面のみのりに絢子が苦笑しながら頷いてみせると、弥生は申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「絢子さんと匹敵する魔王っぷりです。すごいです。私は……足を引っ張るばかりで、すみません。お二人のように魔王にもなれそうになくて……」
 
 落ち込んだように悲しそうな笑みを浮かべた弥生に、絢子は首を振ってゆっくりカップをおいた。

「各部署のプロジェクトや企画を把握する。この金額だったのは期待してるからか、はたまた逆なのか。そこまで分かるようになると、俄然仕事は面白くなってくる」
「え?」
「私に仕事の面白さを教えてくれた大魔王元上司のお言葉です。魔王に賢さはいりません。重要なのは知識と経験なんです」
「知識と経験……?」
「趣味、嗜好、家族構成、性格、思考。何かが起きた時、どんな行動を選択する人なのか。それを正確に導き出すには知識と経験が必要です。そして今それを正確にできるのは誰なのか」

 絢子は言葉を切って、カップを両手で包んで琥珀の波紋を見つめた。
 
「……それは、きっと私たち妻なんです。誰よりも近くにいて、気にかけて理解しようとしてきたから……愛していたから、正確にわかる……」

 足りないところを補い合って、一緒に幸せになろうと努力していたから。相手を知ろうと気遣ってきた日々があったからこそ、わかるのだ。こんな時、どうする人なのかを。
 プライドを投げ打って愛されようと、自分を押さえ込んでまで直樹に懸命に尽くしてきた弥生。初対面で絢子を怒鳴りつけるほど、理想の家族を一緒に作る人として絶対の信頼を寄せ、味方であろうとしてきたみのり。
 絢子は哲也にとってどんな妻だっただろうか。どんなふうに見えていたとしても、絢子も絢子なりに精一杯努力してきた。その事実だけは変わらない。私たちは夫に対して、誠実に妻であろうと向き合い努力してきた。

「愛して、努力して、大切にしてきた。夫婦としての知識と経験が分だけ、私たちはより強い魔王になれる。愛していた分、より的確に。信頼されている分、より深く。地獄に、落とせる」

 味方であれば何よりも心強い。でも反転させれば何よりも恐ろしい。反転させないための唯一の方法は、たった一つだけだった。

「あの人たちが心地よく快適に過ごせる方法や気遣い方を知っている。だから恐ろしく不快で辛いものにする方法も、私たちは知っているんです」

 絢子はゆっくりと顔を上げた。自分を見つめる弥生とみのりをしっかりと見つめ返す。

「最高の舞台のために、私たちは全員で魔王になるんです」

 こくりと頷き返してくれたみのりと弥生に、絢子は笑みを返した。今この瞬間、心の底から思った。味方が、チーム・サレ妻がいてくれて良かったと。
 裏切られた悲しみと怒りが、絢子を陰湿で陰険な手口で相手を貶めることに駆り立てた。絢子だってそうしたかったわけではない。できることならしたくはなかった。善良でありたかった。
 きっと誰かは言うだろう。そこまですることはないんじゃないかって。辛かったにしてもやりすぎだって。
 でもこの二人だけは絢子を完全に徹底的に肯定してくれる。同じ苦しみと辛さを分かち合い、支え合って共に戦うこの二人だけは。だから絢子も味方でいる。何があってもこの二人のために全力を尽くす。誰一人置いていかない。
 もっとも信頼する人からの裏切りは、まるで世界からに捨てられたような絶望だった。そんな時にこの二人だけが、絢子のそばにいてくれた。一人じゃない。チーム・サレ妻の存在が、絢子に戦い抜く力を与えてくれる。
 

 
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

愛人がいらっしゃるようですし、私は故郷へ帰ります。

hana
恋愛
結婚三年目。 庭の木の下では、旦那と愛人が逢瀬を繰り広げていた。 私は二階の窓からそれを眺め、愛が冷めていくのを感じていた……

英国紳士の熱い抱擁に、今にも腰が砕けそうです

坂合奏
恋愛
「I love much more than you think(君が思っているよりは、愛しているよ)」  祖母の策略によって、冷徹上司であるイギリス人のジャン・ブラウンと婚約することになってしまった、二十八歳の清水萌衣。  こんな男と結婚してしまったら、この先人生お先真っ暗だと思いきや、意外にもジャンは恋人に甘々の男で……。  あまりの熱い抱擁に、今にも腰が砕けそうです。   ※物語の都合で軽い性描写が2~3ページほどあります。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

完結一話追加:囲われサブリナは、今日も幸せ

ジュレヌク
恋愛
 サブリナは、ちょっと人とは違う特技のある公爵令嬢。その特技のせいで、屋敷から一歩も出ず、限られた人とのみ接する読書漬け生活。  一方のクリストファーは、望まれずに産まれた第五王子。愛を知らずに育った彼は、傍若無人が服を着て歩くようなクズ。しかも、人間をサブリナかサブリナ以外かに分けるサイコパスだ。  そんな二人が出会い、愛を知り、婚約破棄ごっこを老執事と繰り返す婚約者に驚いたり、推理を働かせて事件を解決したり、ちょっと仲間も増やしたりしつつ、幸せな囲い囲われ生活に辿り着くまでのお話。 なろうには、短編として掲載していましたが、少し長いので三話に分けさせて頂きました。

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

処理中です...