チーム・サレ妻

宵の月

文字の大きさ
上 下
20 / 55

衝動

しおりを挟む


「みのりさん……!」

 いつものカフェに姿を現したみのりの泣き腫らした目に、絢子と弥生は驚いたように立ち上がった。二人が浮かべる痛ましそうな表情に、みのりは気恥ずかしそうに頭をかいた。

「遅刻だよね、ごめん」
「そんなのいいから!! いいから座って!」
「みのりさん、大丈夫ですか!?」

 心底心配して体調を気遣ってくれる絢子と弥生に、嬉しくて震える唇を引き結んでも頬が高揚した。

「……ありがと」

 顔を上げてニッと笑ったみのりのいつもの笑顔に、絢子と弥生は少しだけホッと表情を緩めた。でもすぐに表情を固くした。

「何があったの……?」

 みのりは困ったようにため息をつくと、スマホを取り出した。チラリと弥生を見ると、察したように弥生は頷いてくれた。みのりも頷きを返すと、久しぶりの「残業」の証拠写真をチーム・サレ妻へ送信する。
 それぞれの通知音が小さく音をたて、絢子と弥生が画面を確認する。由衣と直樹、留美と大地。それぞれがホテルへ入っていく写真と、出てくる画像。その場に沈黙が落ちた。

「……それ見ちゃったら、なんか悲しくもないのに涙が止まらなくなっちゃって……あ、でもバレてないよ! ちゃんとウチ、うまく誤魔化せたし!」

 パタパタと両手を振りながら、明るい声色で話すみのりに、絢子がガタンと無言で席を立った。窓際のソファー席に座るみのりの隣に、そのまま腰を下ろす。

「絢子さん?」

 覗き込んだ絢子は悔しそうに唇を噛み締め俯いている。慌てて吹っ切れたから大丈夫だと言おうとした左隣に、急に温もりを感じて顔を上げると弥生が慰めるようにみのりに寄り添ってきていた。

「……私たちがいます」

 静かな弥生の声に、絢子が無言でブンブンと首を縦に何度も振った。みのりは一瞬言葉を失い、ゆっくりと口角が上がる。

「……二人とも、ありがと! ウチね、本当にもう大丈夫! ウチが一緒に幸せになろうって思ってた人は、死んだんだってわかったから!」
「死んだ……?」
「うん! ウチが結婚したダーリンはもう死んじゃったの。今いるのはダーリンを殺した顔だけそっくりなゴミ! だから容赦しない!」

 グッと瞳の色を強くしたみのりに、絢子は眉尻を下げて小さく頷いた。きっとこういう人だ。そう信じて愛して結婚した夫は、最初から存在しなかった。もしくは死んでしまった。みのりはそう心の整理をつけたらしい。

「だからウチはもう大丈夫! 弥生さんは……大丈夫……?」

 残業の相手がいつもと違ったのは大地だけではない。みのりが心配そうに寄り添ってくれている弥生をそっと振り返る。

「問題ないですよ? むしろおかわりラッキーって思ってます」

 にっこりと美貌を微笑ませた弥生は、全く強がっている様子もなかった。それでも気遣わしげに弥生を見つめる絢子とみのりに、弥生は苦笑した。

「本当になんともないんですよ。私は多分録音を聞いた時に、張り詰めていた糸が切れちゃったんだと思います」
「あれは……うん……」
「ふふっ……私、直樹さんに愛されたくて必死だったんです。告白も結婚も、何をするにも自分からで。愛されてるって安心できたことがなくて」
「弥生さん……」
「でもあの録音を何度も聴いて、どうしたらいいかを考えてた時に、プツンって糸が切れたみたいな気がして。そしたらどうでも良くなってて。あんなに愛されたくて必死だったのに、本当に心の底からどうでもいいって気持ちになって」
「うん……」
「それからは本当になんとも思わなくなりました。なんなら今は慰謝料のおかわりが嬉しいなってくらいですよ?」

 弥生はみのりに申し訳なさそうな顔を向けた。

「……本当は泣くべきなんでしょうけど……すいません。みのりさんは辛いのに、全くなんともなくてなんか申し訳ないです……」

 ちょっとびっくりした顔をしたみのりは、絢子と顔を見合わせるとぷっと一緒に吹き出した。

「なんともないから申し訳ないって……!」
「そうです。なんともないならそれでいいんですよ」

 もう壊れてしまって元に戻せないのだ。辛くないならそれが一番いい。発覚当時は一番取り乱していた弥生が、誰よりも先に吹っ切れたようだ。

「でも、なんだか私だけ空気読めてないみたいで……」
「こういうのは人それぞれだと思いますよ」
「そうだよ。悲しまないからって空気読めていないとかじゃないから!」

 困ったような弥生に、みのりと絢子はますます笑った。ひとしきり笑って、ふうとため息をついて顔を見合わせる。

「……私は、どう感じるんでしょうかね?」

 悲しくなるのか、それともどうでもいいと感じるのか。発覚当時とは随分変わった哲也への感情。この上さらに裏切りを重ねられたとき、絢子はどんな感情を抱くのか。ぽつっとつぶやいた絢子に、みのりと弥生は思案顔をする。

「絢子さんの旦那さんだけ動きがないですもんね……」
「それこそ空気読んで他の女と、とかしてないよね」
「この場合、それがいいのか悪いのか……」
「まあ、それはそうだよね」
「参加、しますかね……?」
「多分。多数側の人のはずなので……」
「絢子さんの旦那さん、マジで謎だよねぇ。ウチのとこは下半身で行動だし、弥生さんとこは拗らせじゃん? 絢子さんとこはなんかイマイチわかんない……」
「そうね……」

 絢子も苦笑しながら頷いた。深く知っていると思っていた哲也は、不倫が発覚してから知らない人になっている。それと同時に哲也に向ける感情が、どんなものなのかもわからなくなってきている。
 絢子はそっと席を立ち、向かい側の席に戻った。みのりは絢子に感謝の笑みを小さく浮かべ、すぐにきゅっと表情を改めると弥生に向き直った。
 
「それと……弥生さん、気をつけてね?」
「何を……ですか?」

 びっくりしたように弥生は口に運ぼうとしたカップを止めて、身を乗り出したみのりに首を傾げる。

「多分旦那さん、何かしら行動すると思うから」
「らしくない……ですか?」
「うん。機嫌を取ってきたりとか何かしてくると思う」
「どうしてです?」
「浮気相手、増えたから。よく言うじゃん? 浮気すると優しくなるとかって」

 よくわからないと眉を顰めた弥生に、みのりはため息をついた。

「今日、うちのゴミが出がけにほっぺにチューしていったの……ずっとそんなことしてなかったのにさ。浮気の最初だけじゃなくて、後ろめたい何かが起きると機嫌とってくるみたい」
「そう……ですか……」

 弥生はよくわかっていなかったが、みのりの言う通りだった。
 会合を終え帰宅し、今日は「残業」をしてこなかった直樹が、帰宅後に外したネクタイを弥生に渡しながら言った。

「風呂に入って来いよ」
「……え?」

 貼り付けていた笑顔のまま、弥生は動きを止めた。

「だから風呂に入って来いって」

 思わず顔を上げた弥生は、薄ら笑いを浮かべて弥生を見ている。当然弥生が喜ぶと思っている顔。弥生を見下し、自分が優位と信じて疑わないその表情。
 瞬間、凪だった弥生の心に吹き出すような怒りが湧いた。弥生は直樹を睨みつけ、受け取っていたネクタイを投げ捨てた。そのまま踵を返し、必要最低限の荷物をまとめ始める。
 間抜け面でポカンとしていた直樹が覚醒し、慌てて玄関に向かう弥生を追いかける。

「弥生……?」

 弥生は振り返ることなく、そのまま玄関を飛び出した。

「おい! 弥生……!」

 強く呼び止める直樹の声を無視して、そのまま弥生は歩き続けた。しばらくするとスマホがひっきりなしに着信を知らせ始める。無言で電源を落とすと、目の前が赤く染める怒りに突き動かされるまま歩き続けた。
 どれくらい歩いたのか。やっと周りを見る余裕を取り戻した時には、電柱の住所で二駅先まできていたことに気がついた。ドッと疲れが押し寄せ、見つけた公園のベンチに座り込む。

「……どうしよう」

 座り込んだベンチで弥生は頭を抱える。一度も反抗もせず従順だった自分の突然の暴挙は、間違いなく直樹に不信感を持たれたはずだ。

「今からでも……」

 戻ろうかときた道を振り返った瞬間、直樹のあの薄ら笑いが浮かんで強烈な怒りが湧き上がった。もう何事もない顔で、直樹の顔を見ることはできない。どうしても来た道を引き返せない。

「……ごめん、なさい」

 絢子とみのりの顔が浮かんで、弥生の瞳にじわりと涙が浮かぶ。共に支え合ってここまで戦ってきたチームメイト達。弥生の行動のせいで、何もかも台無しになるかもしれない。二人に迷惑をかけることになるのが、何よりも申し訳なかった。でももう戻れない。どうしてもあの男と同じ空間にはいたくない。弥生はそれほど直樹を憎んでいたことを、今やっと自覚した。

「絢子さん……みのりさん……本当にごめんなさい……」

 戻れない自分の愚かさを二人に謝った。

「ごめんなさい……」
「あ、あの……!」

 絶望に顔を覆って泣いていた弥生は、頭上からかかった声に顔をあげ涙で濡れた瞳を見開いた。
 

 
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【完結】元お飾り聖女はなぜか腹黒宰相様に溺愛されています!?

雨宮羽那
恋愛
 元社畜聖女×笑顔の腹黒宰相のラブストーリー。 ◇◇◇◇  名も無きお飾り聖女だった私は、過労で倒れたその日、思い出した。  自分が前世、疲れきった新卒社会人・花菱桔梗(はなびし ききょう)という日本人女性だったことに。    運良く婚約者の王子から婚約破棄を告げられたので、前世の教訓を活かし私は逃げることに決めました!  なのに、宰相閣下から求婚されて!? 何故か甘やかされているんですけど、何か裏があったりしますか!? ◇◇◇◇ お気に入り登録、エールありがとうございます♡ ※ざまぁはゆっくりじわじわと進行します。 ※「小説家になろう」「エブリスタ」様にも掲載しております(アルファポリス先行)。 ※この作品はフィクションです。特定の政治思想を肯定または否定するものではありません(_ _*))

【改稿版・完結】その瞳に魅入られて

おもち。
恋愛
「——君を愛してる」 そう悲鳴にも似た心からの叫びは、婚約者である私に向けたものではない。私の従姉妹へ向けられたものだった—— 幼い頃に交わした婚約だったけれど私は彼を愛してたし、彼に愛されていると思っていた。 あの日、二人の胸を引き裂くような思いを聞くまでは…… 『最初から愛されていなかった』 その事実に心が悲鳴を上げ、目の前が真っ白になった。 私は愛し合っている二人を引き裂く『邪魔者』でしかないのだと、その光景を見ながらひたすら現実を受け入れるしかなかった。  『このまま婚姻を結んでも、私は一生愛されない』  『私も一度でいいから、あんな風に愛されたい』 でも貴族令嬢である立場が、父が、それを許してはくれない。 必死で気持ちに蓋をして、淡々と日々を過ごしていたある日。偶然見つけた一冊の本によって、私の運命は大きく変わっていくのだった。 私も、貴方達のように自分の幸せを求めても許されますか……? ※後半、壊れてる人が登場します。苦手な方はご注意下さい。 ※このお話は私独自の設定もあります、ご了承ください。ご都合主義な場面も多々あるかと思います。 ※『幸せは人それぞれ』と、いうような作品になっています。苦手な方はご注意下さい。 ※こちらの作品は小説家になろう様でも掲載しています。

処理中です...