チーム・サレ妻

宵の月

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理由

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 弥生の耳に押し当てられたスマホから、絢子も聞いた会話が途切れ途切れに聞こえてくる。
 弥生の様子が気になっても、正面からは見られなかった。どれだけ会話の内容が酷いものかを知っているから。
 重く苦しい沈黙の中、時折聞こえる不快な会話。気まずく俯きながら、弥生を待つ。
 ふと気配が動き、聞き終わったかと上げかけた顔を、絢子は慌てて俯けた。弥生がスマホをサッと操作すると、再び会話を聞き始めたからだ。
 顔を俯けたまま、チラリとみのりに視線を投げる。みのりも下を向いたまま絢子を見つめ返してきた。弥生の様子を気配で探りながら、絢子とみのりはこの時間が終わるのを待った。

「弥生さん……」

 スマホを耳から外した弥生に、今度こそ聴き終わったと絢子は顔を上げた。泣いてみると予想をしていた弥生は、感情の見えない無表情だった。

「弥生さん、あの、大丈夫……?」

 みのりも恐る恐る弥生に声をかける。

「お二人は聞かれたんですよね……」

 みのりと顔を見合わせて、絢子は無言で頷いた。迂闊に口を開けない。そんな迫力を弥生から感じる。

「どう思われましたか?」
「……どう、とは……?」

 みのりでさえも気圧されるように、チラリと弥生を見上げる。

「聞いた時どう感じたか、思ったままを教えてください」
「……クズだなって……」
「それだけですか?」
「それと……弥生さんのこと好きだから、キモ行為してるんだなって……」
「キモ行為……?」
「どうしてしたいのかとか、しつこく聞かれるって……」
「それが私が好きだから……?」

 考え込むように呟いた弥生に、うまく説明できる自信がないみのりが、助けを求めるように絢子をみる。絢子は小さく頷いて、弥生に顔を向けた。

「私も似たようなことを思いました。あんなこと言ってましたけど旦那さんの声、私にはすごく自慢げに聞こえました」
「自慢げ……」
「弥生さんが美人だって、実際はすごく自慢に思ってるんだと思います」

 こくこくとみのりが頷き、弥生が絢子をじっと見つめる。

「でも私のことを貶めていたじゃないですか……聞いたんですよね?」
「あれはなんというか、パフォーマンスなんじゃないかと……」
「パフォーマンス?」
「愚痴に見せかけた自慢で、弥生さんみたいな美人にこんなことをされるほど、自分は愛されてるっていうアピールをしているのかと……」
「ウチもそう思う……実際うちのバカは羨ましがってたし」
「弥生さんに色々聞くのも、弥生さんから好意的な言葉を引き出すためなんだろうなって。自分じゃなくて弥生さんが望んだって形を作るために」
「なんでそんなことを……」

 形のいい眉を小さく顰めた弥生に、みのりが首を傾けまかれた金髪が揺れる。

「自分が弥生さんに釣り合えてないって思ってるからだよ」
「私もそう思います。弥生さんのところまで上がろうとするんじゃなくて、自分のいるところに引きずり下ろそうとして、そうするんだと思いますよ」
「あーうんうん。絢子さん、それ! ウチが思ってたの、まさにそれ!」
「でも私、別にそんな大したことないし、直樹さんのこと釣り合ってないなんて思ってませんよ?」

 みのりが考えをまとめようとするように、黒い瞳をくりっと上向ける。

「んー、弥生さんはね、そうだと思うの、でも……」
「問題は旦那さんはそう思ってないってことです」
「うん、それ! なんていうの? 価値観の違い?」
「……弥生さんは旦那さんは見た目を気にしないって言ってましたけど、本当は誰よりも気にしてるんだと思いますよ?」
「だよねー、気にしてないならあんなにブスって強調しないよね。やっぱ弥生さんが美人だから、ブスをわざわざ選んだまであるって」
「また、見た目のせいで……」

 すっとまつ毛を伏せた弥生に、絢子は慰めるように声をかけた。

「……弥生さん。違います。弥生さんが美人なのが悪いわけじゃない。同じところに引きおろそうって考えがダメなんです」
「そうだよね。もしウチなら弥生さんみたいな奥さん貰ったら、めっちゃ頑張るよ! 顔が無理なら他で頑張ろうって! それが愛じゃん?」

 胸を張ったみのりに、絢子は苦笑しながら頷いた。

「……弥生さんもそうですよね? だから頑張ってたんですよね? おかしいなと思いながらも、自分ができる相手が望むことを」
 
 自分もそうだったから。家事を頑張っていたのは愛していたから。相手のために自分ができる努力をしたかった。

「普通行為を誘う時って、好きだと言ったり、抱きしめたりするんです。旦那さんはそれをする代わりに、脅してるんです。自分から行動は一切せずに、弥生さんが誘わないと不機嫌になったりドアを強く閉めたりして」
「劣等感拗らせて、弥生さんだけに努力させてるとか。自分がヤリたいくせに、マジサイテー!」

 みのりの顔が嫌悪に歪む。絢子も改めて直樹の言動を言葉にすると、舌が苦くなる思いだった。静かにみのりと絢子の話を聞いていた弥生は、伏せていた顔を上げた。ずっと感情の見えない無表情に、小さく笑みを浮かべる。

「……お二人ともありがとうございます。一人で……ゆっくり、考えてみます……」

 いつものように涙は見せなかった弥生。でもだからこそ絢子にもみのりにも、どんな思いを抱いたのか押しはかることはできなかった。
 弥生の出す結論がなんであれ、できるだけその心が軽くなる結末を迎えたい。もう自分だけが望む結末では、満足できそうにない。立場も環境も事情も違うけれど、同じ裏切りに共に耐える仲間。最後は三人が笑みを交わせる結末でなければならない。せめてそうでなければ、ずっと今の気持ちに囚われ続ける気がした。

(目指すのは二人と一緒の最善)

 完全勝利はあり得ない。それは誰にとっても、裏切られることなく夫婦であり続けることだったから。裏切られた時点で、もうそれを手にすることはできなくなった。起こってしまった取り消せない事実を前に、目指すのは最善。耐え忍ぶ今この時を、笑い話にできるような未来を掴み取ること。

「……ご連絡しますね」

 そう言って立ち上がった弥生に続いて、みのりと絢子も席を立つ。

(私はどう思うかしら……)

 哲也の浮気の理由を知ったなら。弥生が知りたかった「どうして」の答え。
 直樹の理由がそうだったように、あり得ないから、より残酷だった。所詮、浮気の言い訳なのだ。冷め切っていたならともかく。少なくとも自分たちは夫を愛し、円満であるよう自分なりに努力をしていた。

(……その時は今の弥生さんの気持ちを、知ることができるかもしれないわね)
 
 家路を辿る絢子は空を見上げ、重く塞がった気持ちのままそんなことを思った。

※※※※※

 出かける支度をしていた絢子は、ピロンとなったスマホに振り返る。靴を履きながら開いたLINEに届いていたのは、たった一言。
 
『離婚します』

 弥生はからの文面を絢子はじっと見つめる。文面のその短さが、決意の固さに思えた。どう返事を返したらいいのか迷っていると、みのりがよくやったと親指を立てたられたスタンプを貼り付ける。

「みのりさん……」

 弥生からの連絡に詰めていた息を、思わず吐き出した。みのりがいつも空気を読まない。でも。
 少し遅れて弥生が、親指を立てたスタンプが返された。
 あえてみのりはそうしているのかもしれない。ノリと勢いだけに見えて、本当は人をよく見ているから。
 絢子も二人に倣って、親指を立てたキャラクターのスタンプを返す。

『今までお二人に頼りきりですいません。これからも私も微力ながらお手伝いします』
『やれる人がやれることをやればいいって!』
『みのりさんの言う通りです。無理しないでくださいね』
『ありがとうございます』
『そのためのチームじゃん!』
『名前、どうかと思いますけどね』

 チーム・サレ妻はない。思わず秒速で返した返信に、みのりのわちゃわちゃ動くスタンプが画面を賑わせる。

『お二人がいてくれてよかったです。改めてよろしくお願いします』
『私こそです』

 本当に助けられているのは絢子の方だ。
 裏切られ踏みつけられるのは、あまりにも惨めだ。戦う気力を奪っていくほどに。どんなに自分は悪くないと言い聞かせても、一番大切だった人に裏切られた自分に、誰よりも自分が失望している。今は自分のためには、頑張れない。そんな価値はないから。でも同じ裏切りに歯を食いしばる二人のため。そう思うと、戦う気力が湧いてくる。
 
「……もし一人だったなら、ただ離婚届を置いて家を出たかもしれないわね……」

 こうしてやりたい。この惨めな気持ちを少しでも分からせたい。そう思っていた。できると思っていた。でも裏切りの証拠を目の当たりにするたびに、怒りのほかに湧いてくる感情がある。一瞬で燃え上がる怒りよりも、静かに確実に自分を蝕んでいく感情がある。自分は自分が思っているよりも、ずっと弱いのかも知れないと思い知らされた。それだけ愛していたのだと。
 でもそんな自分を支え、頑張らせてくれる人たちがいる。自分のためには頑張れなくなっても、落ち込めば励まし、決断を応援したいと思える人たちがいる。二人のためにすることが、絢子を励ましてくれている。
 まだ人のために何かをしようと思える、自分でいられていると教えてくれる。人の心を踏み躙るあいつらとは違うのだと教えてくれる。

「……よし! 行ってこよう!」

 向かう先は弁護士事務所。絢子は拳を握り締め、玄関から踏み出した。
 
 
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