チーム・サレ妻

宵の月

文字の大きさ
上 下
8 / 55

投下された燃料

しおりを挟む


 自宅で唯一鍵をかけられる寝室で、絢子は持ち込んだノートパソコンとファイルを広げていた。
 みのりから受け取った写真を、選別し各夫ごとに振り分け整理する。みのりの友人の活躍は非常に助かるが、所詮は素人。手ブレや人物の特定ができない写真は、慎重に確かめながら選別する必要があった。

「……やっぱり一度は弁護士に相談に行った方がいいわね……」

 ネットで調べられる範囲でも、浮気の証拠として扱われる写真にも条件があった。
 本人の特定ができること。撮影場所や状況、撮影時間などが分かるもの。など。法的に証拠として扱われるためには、条件を満たした写真が必要になる。とりあえずわかる範囲での条件をみのりに送信する。

「整理したら確認したほうがよさそうね……」
 
 まとめた資料を見てもらい、証拠能力を確認する必要がありそうだ。どうせなら提示できる条件やら、一度は弁護士にアドバイスを受けておくべきだろう。

「あ、司法書士なら……」

 離婚は範囲外でもアドバイスや、弁護士の紹介は受けられるかも。スマホの連絡先をスクロールしていると、ピコンと通知音が鳴り響く。
 
「みのりさん……?」

 ポップアップの名前に、絢子は首を傾げた。チーム・サレ妻ではなく絢子個人宛に送られている。

『絢子さん、ちょっと相談あるんだけど』

 確認した内容に首を捻りながら絢子は返事を返した。

『どうかしましたか?』
『あのね、証拠集め手伝ってくれてる友達がさ、会話の録音してくれたんだけど、ちょっと内容がね……』
『弥生さんに関わることなの?』

 絢子個人に送られてきたということは、そういうことだろう。

『とりま、送るから聞いてみて』

 イヤホンを手にリビングのソファーに移動する。緊張しながらイヤホンを装着し、添付されてきたファイルに耳を傾けた。
 ざわざわとどこかの店内らしき騒音は、思ったより音量が大きく慌てて調整する。

『……んだよ。だからマジで鬱陶しくてさ……』

 聞こえてきた声に絢子は耳を澄ませる。おそらく直樹の声で間違いない。

『いや、あんだけの美人にそこまで惚れられるってやばいっすね』

 弾むようなハキハキと小気味いい声は、大地の声だろう。

『でもそうまで迫られると。俺はちょっと逆に引くなー』

 おっとりとした低めの声に、絢子は顔を顰める。この声は間違いようもなく、絢子の夫・哲也の声だ。

『だろ? 毎回こんなにあなた好きなの。お願いだから抱いて! とか言われてみ? うんざりするから』

 言い放った内容の割に、どこか自慢げな響きがある直樹の声に絢子はぴくりとこめかみを引き攣らせた。

『そういう気はないって、何回断っても告白してくるし。あまりの勢いに押し切られて結婚したわけだしさ、多少の浮気はあいつも納得すんじゃないかなー』
『いや、気持ちはわかるっすけど、あの奥さんの後だと落差ひどくて感覚バグりません?』
『まあ、弥生は確かに美人だからな。けどな? 美人に気を遣って、義務の一回をこなしてるとさ、ストレス溜まるわけ』
『あー、それなんとなくわかりますねー』
『そこで、気を使わなくて済む適度なブス。やりたい放題やって好き勝手してストレス解消! 嫁がさ、美人すぎるとそういう苦労も出てくるんだよね』
『そういうもんすかねー……あ、でも好き放題やれるのは楽でいいっすよね』
『女って要求多いもんなー』
『ところでお前ら、出張の件大丈夫なん?』
『バッチリっす! 俺の嫁、休暇の存在知らないんで』
『俺もとこも大丈夫ですね。ちょっと突っ込まれてヒヤッとしたけど、普通に納得してました』
『俺のとこはそもそも疑いもしてなかったけどな。じゃあ、全員参加ってことで』
『っすね。あ、俺今日はそろそろ帰ります』
『何? 今から行ってくんの?』
『いや、今日はこのまま帰ります。あんまり残業多くなりすぎると、流石に疑われるんで』
『だな、今日はもう帰っか』

 その後はざわざわとした店内の雑音が続き、絢子は震える手で音声ファイルを閉じる。途中途切れ途切れになったりしながらも、しっかり聞き取れた内容に拳が震える。
 絢子はイヤホンを怒りのままにテーブルに叩きつけると、みのりにメッセージを送信する。

『内容確認しました。クソですね』
『クソの塊だよね。でもこのまま弥生さんに渡していいか迷ってさー』
『そうですね。確かに迷いますが、私は正直このまま渡してしまいたいとも思います』
『それはウチも思った。自分がやらせてるくせに、超絶美人の弥生さんに惚れられまくってる俺様演出してるとか、キモすぎて死ぬかと思った』

 きっと大袈裟に顔を顰めて、滔々と隠しきれない自慢げな声で、弥生を貶めていた直樹に怒りが込み上げる。その陰で弥生がどれほど傷つき、涙をこぼしていたか。三人の中で唯一弥生だけが、裏切りを知ってもキッパリと離婚を選べなかった。そんな思いをこんなふうに踏み躙る直樹が許せなかった。
 
『個人的には義務の一回にブチギレそうでした』
『あー……何回もヤッてるくせにね。結局さ美人の弥生さんに惚れまくってるのに、自分がうんこな自覚あるから試しまくってるだけってことじゃん?』
『私も思いました。そうなると弥生さんが冷めて、バッサリ切り捨てるのが一番ダメージ大きそうですけど、正直弥生さんの様子だとどうなるか……』
『このまま聞かせたら、弥生さん病んじゃいそうでさー』

 絢子はスマホを握りしめたまま肩を落とした。理由を知りたい。知りたがっていたその理由が、これほどくらだなくてだからこそ残酷だった場合、弥生の心はどうなるのだろう。

『聞いてもらうにしても、一緒にいる時がいいと思います。まずは次の会合で少し話してみて、様子をみてみましょう』
『りょ! ウチ、燃料投下されてなんか燃えてきた! ゴリゴリ証拠集めるわ!』
『みのりさん、無茶しないでくださいよ』

 絵文字の返信に苦笑してため息をつく。なだめはしたものの絢子もみのりと同じ気持ちだった。録音では直樹が際立ってクズだったが、外野の二人もなかなかのクズだった。でも何よりもよく燃える燃料になったのは、弥生への仕打ちの真相だった。弥生が貶められている。それが自分がされたことのように、たまらなく腹立たしい。
 きっとみのりも同じ気持ちだ。お互いの事情を知って生まれた連帯感。その連帯感がチームメイトへの侮辱に対し、腑が煮えるような怒りを灯す。

「……ただじゃおかない」

 絢子はそのまま寝室に踵を返す。
 バカにして、侮って、そうして嗤っていればいい。頭の中にこびり付いて再生を繰り返す、裏切り者たちの声に拳を固める。絢子は散らばる資料に視線を落とし、パソコンを開いた。
 惨めさと虚しさを、三人でじっと耐え忍ぶ。でも必ずこの日々が報われる、とどめの一撃を用意してみせる。
 絢子は歯を食いしばると、途中にしていた資料に向かい合う。セットしておいたアラームの音が鳴り響くまで、絢子は資料整理に没頭していた。
 
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

思い出してしまったのです

月樹《つき》
恋愛
同じ姉妹なのに、私だけ愛されない。 妹のルルだけが特別なのはどうして? 婚約者のレオナルド王子も、どうして妹ばかり可愛がるの? でもある時、鏡を見て思い出してしまったのです。 愛されないのは当然です。 だって私は…。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

お久しぶりです、元旦那様

mios
恋愛
「お久しぶりです。元旦那様。」

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

美人な姉と『じゃない方』の私

LIN
恋愛
私には美人な姉がいる。優しくて自慢の姉だ。 そんな姉の事は大好きなのに、偶に嫌になってしまう時がある。 みんな姉を好きになる… どうして私は『じゃない方』って呼ばれるの…? 私なんか、姉には遠く及ばない…

蔑ろにされた王妃と見限られた国王

奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています 国王陛下には愛する女性がいた。 彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。 私は、そんな陛下と結婚した。 国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。 でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。 そしてもう一つ。 私も陛下も知らないことがあった。 彼女のことを。彼女の正体を。

処理中です...