チーム・サレ妻

宵の月

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弥生と直樹

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 大学を卒業して入社したN社で、弥生は希望していた総務ではなく、総合受付に配属された。

「N社には女神がいるって噂の元って君かー。いや、本当美人でびっくりした。良かったらさ、今度食事にでもいかない?」
「申し訳ありませんが勤務中ですので……私的なお誘いはお受けできません」
「なら勤務中じゃなければいい? 何時に終わる?」
「いえ、本当に困ります……」

 助けを求めて同じ総合受付の先輩を振り返ると、一瞬鋭く睨まれすぐに視線を逸らされる。押し問答の末、ようやく男が諦め疲労にため息をつく。

「……仕事もしないで、男の気を引いていい気なもんね」
「…………」

 視線は正面に向けたまま、聞こえよがしな独り言に弥生は唇を噛み締め俯いた。
 恐ろしいのは断っても強引に迫ってくる男だけではない。こうした女の視線も、弥生を萎縮させていく。自分が休憩室に入ると、不自然に止まる会話。チラチラと視線を送りながら、笑いだす同僚たち。
 先週、先輩が一際愛想良く接していた、取引先の男性から食事に誘われた。そのせいで元から孤立していた職場で、ますます風当たりは強くなっている。

(私は普通に仕事がしたいだけなのに……)

 普通に仕事をして自立して、自分を心配する両親を安心させたい。職場に馴染めず、そんな普通のこともうまくできない。部署異動の希望が通らなかったら、真剣に退職することも考えていた時だった。

「君、タクシーを呼んでくれ」

 かけられた声に弥生はハッと顔を上げ、浮かべかけた笑みを凍らせた。慌てて視線を巡らせると、隣にいるはずの同僚はいなくなっている。忍び笑う声に振り向くと、受付奥のカウンターの陰からこちらを見て嗤っている姿が見えた。

「君、美人だねー。名前は?」

 顔を上げた弥生に、S社の専務がニヤリと笑った。女性職員が一人で対応をしないように、と社内で通達されるような相手に、弥生は血の気が引く。

「名前を聞いているのに答えもしないのか? N社の受付は礼儀もなっていないな」

 そう言いながら震える手を掴まれ、ぞわりと鳥肌が立つ。必死に助けを求めてカウンターの陰に視線を縋らせても、ニヤニヤ笑って見ているだけの同僚達に弥生の視界が涙で歪んだ。

「も……申し訳……」
「やれやれ、ちょっとこっちに来たまえ。私が直々に来客への挨拶を教えてやるから……」

 嫌悪感で何も言えずにいる手をグイグイと引っ張られ、弥生は助けを求めて視線を必死に巡らせた。運悪く昼食前の時間帯で、誰もいない玄関ホール。そこにちょうどエレベーターに続く階段を、降りてくる人物と目が合った。
 思わず瞳を潤ませた弥生に、その人物は一瞬動きを止め、慌ててきた道を引き返していく。

(行かないで……)

 目の前が暗くなるような絶望感に、必死に抵抗していた力が抜けかけた時、バタバタと足音が聞こえた。

「佐々木専務!」

 駆けつけた営業部の部長に、佐々木は舌打ちをして弥生の手を離す。

「申し訳ありません。こちらでタクシーを呼んでいたことをお伝えし忘れていて……」

 愛想よく玄関に佐々木を誘導する営業部長の声に、慌ててカウンターの陰にいた同僚が戻ってくる。呆然として掴まれた腕を握りしめていた弥生は、視線を感じて顔を上げた。階段の上からさっき目の合った男が、伺うように弥生を見つめている。

(助けを呼んでくれたんだ……)

 ぶわりと込み上げてきた安堵の涙を拭い、弥生は慌てて男に駆け寄った。

「あ、あの……部長を呼んでくださったんですよね?」
「い、いや……困ってたようだったから……」
「ありがとうございました……あの、お名前を伺っても……?」
「あ、い、いや……あー……T商事の今井 直樹です……」
「本当にありがとうございました」
「あ、ああ、あの人はうちでも女性一人で対応するなって言われてるから……」

 直樹は頭をかきながら、忙しなく視線を泳がせしろどもどろに返事を返す。そんな過去を弥生は、少し懐かしそうに語った。

「……そんなことが……あの専務に遭遇してたなんて……大変でしたね」

 重いため息を吐き出した絢子に、カップを両手で握りしめた弥生が頷く。

「そんなのでも専務になれるとかヤバすぎ……」

 みのりのドン引きした表情に、絢子と弥生は苦笑を浮かべた。

「……そのことがあってから、受付に指導が入って。同僚達からの風当たりも少し良くなったんです。誰も助けてくれなかったのに、直樹さんだけが助けてくれて……」

 その時の光景を思い出し、弥生は長いまつ毛を伏せて小さく微笑みを浮かべた。

「まあ、そういうことならヒーローみたいに見えなくもないかー」
「私、お礼にって勇気を振り絞って、何度か食事に誘ったんです。でもずっと断られてて……それで直樹さんは今までの人たちみたいに、外見だけで見ない人なんだって分かって……」
「それで今井さんを……」
「はい。何度も告白してやっと受け入れてもらって……結婚できたのが本当に嬉しくて……でもこんなことになって、どうしたらいいか……」

 辛そうに声を潤ませた弥生に、絢子も俯きかけたがみのりはあっさりと言ってのけた。
 
「離婚したら?」
「ちょっと……みのりさん……!! そんなふうに……」
「だって、見てよ」

 みのりは再び直樹と女の写真を突きつけた。

「相手の女、ブスじゃん!」
「ちょっと、み、みのりさん……!!」
「…………っ!!」

 ずばりと言ったみのりに、絢子は慌てふためく。みのりは絢子に構わず、弥生にスマホを突きつけたまま真顔で言い放った。

「確かに助けを呼びに行ったかもだけど、それ普通のことじゃん? 実際助けたのって部長だし!」
「ほ、他の人は見て見ぬふりで……」
「見て見ぬ振りは、弥生さんをいじめてた受付の奴らでしょ? 誰も通りかからなかっただけで、たまたま居合わせただけだし。通りかかった人がいたら、その人が呼んでくれてたか、そのまま自分で助けてくれたんじゃん?」
「でも……」
「外見で見ない人って言ってたけどさー、弥生さんがこんだけ美人だと、ブスだからこそ浮気相手に選んだように思えるんだけど?」
「そんな……! 直樹さんは……!」
「なら、ブスだけど中身がいいってこと? でもさー、この女、不倫旅行に行くような女なんだけど?」
「それは……」
「もしかしたらブスに燃えるとか、特殊性癖なのかも」
「みのりさん!!」

 ハラハラと見守っていた絢子は、さすがにみのりを止めた。

「だってー、そうとしか思えなくない? 違いすぎるじゃん……」

 ぶつぶつ言いながらみのりが、突きつけていたスマホを下ろす。瞳を潤ませて黙り込んだ弥生に、絢子は慰めるようにそっと声をかけた。

「……その理由を知るためにも、まずは証拠を集めてみましょう?」

 涙を拭いながら弥生が頷く。
 
「私……ちゃんと理由が知りたいです……見つからなかったら、直樹さんに直接確認してでも知りたいです……」
「私も同じ気持ちです」

 精一杯幸せな結婚生活のために、努力をしていたつもりでいた。それなのにどうして自分以外の女が必要になったのか。その理由を確かめたい。

「じゃあ、確かめるためにも、まずは一週間。ウチに任せて!」
「……お願いします」

 胸を張ったみのりに、絢子と弥生が頷く。
 結論は出た。同じ浮気をされた妻達。環境も事情も違う二人の結論は、離婚と一旦の保留。まずは証拠を集めることにして、この日、チーム・サレ妻を結成し、三人はそれぞれの帰路のついた。
 
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