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もう一人のクズ男の婚姻顛末 後編
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「ランコム様!」
「レティシア嬢。今夜も婚活? お疲れ。どう?」
「全然だめです。ますます好きになっちゃってて……好きに上限ってないんだと思い知らされているところです。ランコム様は?」
「嫌味か? 会えてすらいないのに、進展するわけないだろ?」
出会ってから3年。あの夜以来、二人は「片思い」の同志になっていた。
夜会に参加して人混みを避けて移動すると、高確率でレティシアに遭遇する。
もう面倒さも不快さもない。むしろ、秘めて閉じ込めている恋心を、打ち明けられる唯一の友人とさえ言えた。
「ランコム様も進展なし! 知ってました? 失恋は新しい恋でしか、癒せないらしいですよ?」
「13年も彼女以上に出会えない俺を絶望させるのは、そこまでにしてくれ。」
「ふふっ。ランコム様も重症ですね。」
「俺はいいさ。次男だし。仕事もある。でもエスカレード伯爵家なら、結婚しろってうるさいんじゃないか?」
レティシアは小さく微笑んで答えなかった。会場の賑わいと対象的な、月明かりの落ちるテラスに沈黙が落ちる。
月を見上げるランコムをレティシアはそっと盗み見た。諦めることを諦めてしまったような顔をする、綺麗な横顔に思わず言葉が零れ落ちた。
「……会えなくても消えないですか?」
「レティシア嬢は?」
「……あー、すいません。無理っぽいです……」
レティシアに振り返って、ランコムがからかうようにニヤリと笑う。思わず小さく息を飲んだのを誤魔化すために、レティシアは半ば無意識に口を開いた。
「………そんなに好きなら、もう会いに行ったらどうです?」
目を見開いたランコムに、レティシアは後悔しつつも口は止まらなかった。
「いっそ、もう気持ちを伝えてスッキリしちゃえば……」
じっと見下す視線を感じた。顔を見る勇気はなくて、俯いたままレティシアは震える唇を噛んだ。言い募るうちに開き直り、もう言葉を撤回する気はなくなっていた。
(……そうよ。もういっそ、答えを出してしまえばいい……)
ランコムもレティシアも。玉砕か成就か。ずっと誰かを想い続けるランコム。そんな彼に恋する自分。もう全部に答えを出したらいい。
会場の笑い声が、風にまじって吹き抜けていった。
「……そう、だな。」
ぽつりと呟いたランコムに、レティシアは顔を上げた。ランコムは瞼を伏せて、切なげな笑みを浮かべていた。
「それもいいのかもしれない……」
もうずっと苦しい。もうずっと寂しい。会えないのに消えないのは、会えないから消えないのかもしれない。顔を見たら、変わるかもしれない。もう終われるかもしれない。
「……もういい加減、そうしてみようかな。」
レティシアに向きなおり、透き通るような笑みを見せたランコム。気付かれないようにレティシアも必死に笑みを浮かべた。喉の奥に凝った感情が、溢れてしまわないように。
(……噂なんてあてにならない……)
美貌でさえ違っていた。釣書なんかより噂なんかよりずっときれい。
誰かを想って笑うランコムはとてもきれいで、とても切ない。
偶然を装って何度も会いに来た。からかう顔も、笑った顔も、誰かを想う横顔も。この3年ずっと近くで見てきた。会うたびに好きになる。知るたびに苦しくなる。
(……女に飽きた冷笑家なんて、嘘じゃない……)
本当は迷惑そうに迷子を助けて、小娘の涙にうろたえるような人。たった一人に恋をして、他に何もいらなくなってしまった人。
13年もその人との未来を諦められず、片っ端から名前も見ずに婚姻を断り続けるランコム。
ひっそりと誰かをずっと想ってる。
過去が噂がどうあれ、自分の目で確かめたランコム・タリスターはそんな人だった。
釣書の肩書きからは推量れない生身の彼が、どうしようもないほどレティシアを惹き付ける。知らずにいたら、そのうち忘れることもできたはずだ。でも出会ってしまった。知ってしまった。
彼も自分じゃない誰かに、そんなふうに恋している。いやになるくらい思い知っていても、もうランコム以外は考えられなくなっていた。
※※※※※
王都と北部を繋ぐ要所となった街道。ランコムとシスルを詰め込んで進む馬車。中は非常に空気が悪かった。お互いに反対側の窓の外を無言で見つめ続けている。
街道の視察を終えフラメル侯爵家が近づくと、シスルが地を這うような声で沈黙を破った。
「……アスティに手を出したら殺す!」
「黙れよ、クズ。同じ空間にいることを死ぬほど我慢してるんだ。口を閉じてろ。」
「お前のようなゴミクズ野郎を、フラメル侯爵領に入れたのは街道視察だからだ。街道だけ見てろ。俺の妻は見るな。さっさと帰れ。」
「フラメル侯爵に招待されている。お前こそ必要ない。視界から消えてろよ。」
「いいぜ? だからお前も俺と俺の妻の視界に入るな。未練たらしく話しかけたりするなよ。」
「馬鹿か? 俺はお前と違って最低限の礼儀を弁えているからな。当然、挨拶するし会話もする。」
「お前が話しかけるたびに、街道の使用料を加算してやる。」
「ベラートの石材の流通を止めてやろうか?」
徐々に剣呑さを深める会話は、出迎えに出ていたアスティの姿が見えた途端途切れた。
「ランコム・タリスター卿。ようこそ。フロイライン街道はいかがでしたか?」
「……アスティ……夫人……。歓迎、ありがとうございます……」
何とか絞り出した言葉。礼儀として差し出された手に、跪くような心地で口づけを落とした。
(ああ、アスティ……)
一目で理解させられた。2日の滞在の間に、確信に変わった。
だから滞在を終え王都に帰る時、ランコムを見送るアスティを、まっすぐに見つめることが出来た。
「お気をつけて、ランコム卿」
「……ありがとう。」
本当に。向き合った先のアスティは優しく微笑んでいる。
「……さようなら、アスティ。元気でね。」
別れの挨拶に、万感を込める。口には出せなかった言葉は心の中で呟いて、ランコムは微笑んだ。その笑みにアスティが小さく目を見開き、やがて笑みを浮かべた。
「……ランコム様も。私もとても感謝しています。」
静かな笑みを浮かべたアスティに、ランコムの瞳がゆらりと揺れた。その笑みを大切にしまうように、胸に収めるとランコムは踵を返した。
死ぬほど睨みつけてくるシスルには、一度も振り返らずに馬車に乗り込む。
《……ランコム様も。私もとても感謝しています》
ゆっくりと走り出した馬車の窓から、アスティがくれた言葉を何度も思い返した。
※※※※※
「……ランコム様。」
「……やあ。調子はどう?」
王都を離れていたランコムが、夜会に来ていると聞いて探していたレティシアは、ようやくランコムを探し当てた。
いつもより念入りに人目を避けていたらしいランコム。力のない声と、儚げな笑みにレティシアは唇を引き結んだ。
ランコムに拒む気配がないことを確かめて、レティシアは隣に腰かけた。
「……とても幸せそうだった。」
長い沈黙の後に、ぽつりとランコムは呟いた。
再会して一目でわかった。綺麗だった。内面から滲むようにアスティは輝いていた。子供を愛しげに抱きしめ、家族に囲まれて優しい空気を纏っていた。シスルと言葉を交わし、見つめあって微笑んでいた。
草むらで一人声を押し殺して泣いていたあの少女は、今望んでいた幸福の中で生きている。
きっとあの光景こそが、彼女が欲しかったもの。そこにランコムの居場所はなかった。
「……良かった。」
幸せそうで。両手に顔を埋めて、ランコムは溢れ出したものを覆い隠した。
自分の居場所はなくても、悲しそうだったアスティが笑っていた。
「彼女が幸せで、本当に良かった。」
押し出した声が、どうしようもなく震えた。熱に浮かされ吹き荒れる嵐のように、ランコムを翻弄した初恋。
13年も募らせた想いは、いつの間にか相手の幸福を願えるほどにまでなっていた。
「アスティ……」
今の自分の仕事も評判も、その始まりは不純で愚か。それでも手に入れてきた全ては、辿ってきた道のりは、アスティに恋して得たものだ。
自分本位だったランコムを、ここまで変えてくれたアスティとの出会い。
「君を好きになってよかった……」
報われも手にはいりもしなかった。ずっと寂しくて苦しかった初恋。
それでも出会わなければよかったとは思わない。根本を作り変えるようなこの恋を知らなければ、自分はいつまでも変わりはしなかっただろうから。
「……ありがとう、アスティ。」
きっとどうやっても手に入らなかった。初めから分かっていたかもしれない。13年かけてゆっくりと諦める準備をしていたのかもしれない。
アスティに会いに行って、その幸せを確かめて、ようやく諦める覚悟が出来た。
《……ランコム様も。私もとても感謝しています》
最後にアスティがくれた言葉が、長い片思いにほんの少し報いてくれた。
アスティにとっても自分は、僅かでも意味のある存在だったかもしれないことが嬉しかった。
「……ぐすっ……ひっく……」
隣から聞こえてきた嗚咽に、ランコムはぎょっとして振り返った。すっかりレティシアの存在を忘れていた。
「レティシア嬢……!」
「……ぐすっ……ラ、ランコム様……ご、ごめんなさい……本当に……私……」
ぼろぼろと大粒の涙をこぼすレティシアを、呆然と見つめランコムは苦笑した。いつかの夜のように、自分の代わりのように泣くレティシア。
3年の片思いを抱えているレティシアには、自分の失恋は他人事ではないのだろう。
「はいはい。代わりに泣いてくれて、ありがとう。」
「ランコム様ぁ……ううっ……うえっ……ごめ、ごめんなさい……」
「何も謝ることなんてないだろ? ほら、令嬢としてはアウトな顔になってるぞ。ハンカチ貸してやるから。俺はだめだったけど、レティシア嬢は頑張るんだろ? 泣き止め。」
遠慮なくハンカチに顔を埋めたレティシアは、必死に涙を食い止めて顔を上げた。
しょうがないな、とあきれたように自分を見つめるランコムに、覚悟を決めたように視線を合わせた。
「……わ、私、私、ランコム様が振られたらいいなって。そう思って会いに行けって言ったんです。」
「……レティシア嬢……?」
驚いたように目を見開いたランコムに、レティシアはしゃくりあげながら必死に言葉を押し出した。
「早く振られて、そして新しく恋する気持ちになってほしいって。私を見てほしいって。どんなに好きでいるか知ってて。ごめんなさい。
でも、もう私を見てほしいんです。アスティさんを好きなままでいいです。少しずつでいいから私を見てほしい。
私もランコム様が、アスティさんを想う気持ちに負けないくらい、貴方がずっと好きなんです……!」
呆然としたままのランコムに、大きな緑の瞳を潤ませて、レティシアはまっすぐに告げた。
「ランコム・タリスター卿。私はレティシア・エスカレード。改めて直接申し込みます。釣書を見たときから決めていました。私と結婚してください!!」
挑むように詰め寄ってきたレティシアに、ランコムは呆然としたまま固まった。
予想すらしていなかった展開に、頭が真っ白だった。
ランコムはようやく会うことすらせずに、即行で断った無礼な縁談相手が、自分だったことを悟った。
※※※※※
「晴れて良かったですね。」
楽しげなレティシアが、本日夫となったばかりのランコムを見上げた。
「そうだな。」
「……ふふっ。みんな、羨ましがってました。私も鼻が高かったです。」
「俺はもう35だぞ? 羨ましがられたのは俺。10も年下の可愛い嫁をもらったんだからな。」
寝台に腰掛けながら、ランコムはレティシアに微笑みかけた。
「だからなんです? 若くてもランコム様より美しい男性なんて、一人もいなかったじゃないですか! おまけに貿易業で成功してて、甲斐性もバッチリ!」
「言われるほど金持ちでもないけどな。」
「知ってますよ。でも欠点なんて、散々遊んでいたらしい若い時の素敵なお友達が、花嫁のあら探しに詰めかけたことくらいです。
親切にも丁寧に自己紹介していただきましたから。」
苦く顔を顰めたランコムに、レティシアはくすくす笑った。
「そんな顔しなくても大丈夫です。ちょっとしか怒ってませんから。今後は絶対に許しませんけど!」
「……ちょっとは怒ってるんだろ? 悪かったよ。もう二度と煩わせたりしない。」
「当然です!」
びしりと言い切ったレティシアの頬に、ランコムは優しく口付けた。くすぐったそうに身をよじるレティシアを、ランコムは優しく抱きしめる。
「……これからよろしく。俺の奥さん。」
「こちらこそ、よろしくお願いします。旦那様。」
顔を見合わせながら、くすくす笑みを零して引かれ合うように口付けを深める。
レティシアの身体を辿る腕に、全幅の信頼と愛情で身を委ねる妻に、ランコムの胸に柔らかな幸福が広がっていく。
「あっ……あっ……ランコム様……ランコム様ぁ……!」
蜜を溢れさせひくつく秘裂に、ねろりと舌を這わせるたびに上がる、蕩けた甘い声にくすりと笑みをこぼした。
とても可愛い。とても愛おしい。重なる肌の温かさに、欲望よりも大切なものを抱ける幸福感が湧き上がる。
「あぁ……あっあっ……ランコム様……ランコム様!……あぁ!あぁ!」
「いいよ、レティ。見ててやるから。」
「ああっ! ランコム様! ああっ! だめ! ああっ……ああーーーー!!」
中をかき回すランコムの指の動きに、レティシアは呼応するように腰を揺らして絶頂した。ぶるぶると震わせた身体が、ゆっくりと弛緩し、赤く潤んだ瞳でランコムを見つめてくる。
「あぁ……ランコム、様……」
「……レティ……かわいい……」
汗ばんだ額から髪を払ってやりながら、ランコムはレティシアに口付ける。そのまま深くレティシアの中に、己を沈める。
「あっ……あっ……ランコム様……ああっ……」
切羽詰まったように啼くレティシアに、何度もキスを落としながら、ランコムはレティシアと深く繋がった。
「あ……あぁ……」
「レティ……動くよ。」
「ふっ……ああっ!!」
温かく潤む粘膜を擦り立てながら、腕の下に閉じ込めたレティシアを見つめる。
「レティ……レティ……」
脳を焼く鮮烈な快楽ではなく、胸を満たす信頼と幸福で与えられる快楽に、ランコムは腰を早めながら愉悦にため息を吐き出した。
13年煮詰めた初恋を、2年かけて大切な思い出に変えてくれた。忘れなくていい。大切なままでいい。今のランコムは、その恋が作ってくれたのだから。そう言ってくれた時から、レティシアはランコムの特別になり始めた。
「レティ……レティ……気持ちいい?」
「いい! いい! ランコム様! ランコム様!」
脳を焼き切るような鮮烈な快楽で、何もかも奪うのではなく、優しく包み込むように全てを受け入れてくれるような、レティシアとの交歓。
「……あぁ……もう……レティ……レティシア……」
「ランコム様……ランコム様……あぁ……」
ギシギシと寝台は軋み、互いの昂りを見守りながら共に頂きを目指す。握りあった手のひらは固く結んだまま、目前に迫った頂点から一緒にふわりと浮き上がる。
「あぁっ! レティ……!」
「ああぁぁーーー!!」
互いの息を貪るように何度も口付けを交わし、呼吸が落ち着くころに、ようやく唇は離れた。見つめあった眼差しの先で、笑みを交わし合う。
「大好きです……ランコム様……」
「俺もだよ。」
もう寂しくも苦しくもない。染み込むような信頼と愛情に満たされている。胸に抱いた想いを伝え合う相手がそばにいる。
ゆっくりと肌を押し付けたランコムに、レティシアは恥ずかしそうに腕を回した。
もう一度、頂きを目指し始めながら、ランコムは幸福にため息をついた。
恋よりも先に快楽を知った。何でも手に入ると驕っていた。今自分さえ良ければどうでも良かった。そんな薄っぺらい男は、初恋を15年も拗らせ続け、信頼の上に愛を築く幸福をようやく知った。
自分を変えてくれた初恋を大切にしまい込み、想いを伝えあう相手とこの先の未来を歩く誓いを今日立てた。
35歳とかなりの晩婚になった男は、ようやく愛とは何かを知る第一歩を踏み出しはじめた。
※※※※※
あとがき
ここまでお付き合いありがとうございました!クズ男シリーズは一旦の完結となります。
応援ありがとうございました。
以前URLでこちらのサイトに投稿していましたが、コミカライズ発売と受賞作の二作品の引き下げを機に、一度全ての作品を削除いたしました。
改めて既存作の投稿をしようと思い立ち、順次投稿していきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
こちらのクズ男シリーズですが、メインサイトではリクエストがくるたびに、短編として投稿していました。なのでやたらRシーンが多くなってます。
Twitter用URT↓
https://tieupnovels.com/tieups/1818
R18表示にチェック、必須です。
作画担当の猫倉ありす先生がアルファポリスにて第18回漫画大賞 春の陣 奨励賞を受賞された漫画
↓
https://www.alphapolis.co.jp/manga/439939580/683560947
ありす先生のTwitterにて、コミカライズデビュー作も確認できます。チェックしてみてください。
ここまでお付き合いありがとうございました。また別作でお会いできたら嬉しいです。
「レティシア嬢。今夜も婚活? お疲れ。どう?」
「全然だめです。ますます好きになっちゃってて……好きに上限ってないんだと思い知らされているところです。ランコム様は?」
「嫌味か? 会えてすらいないのに、進展するわけないだろ?」
出会ってから3年。あの夜以来、二人は「片思い」の同志になっていた。
夜会に参加して人混みを避けて移動すると、高確率でレティシアに遭遇する。
もう面倒さも不快さもない。むしろ、秘めて閉じ込めている恋心を、打ち明けられる唯一の友人とさえ言えた。
「ランコム様も進展なし! 知ってました? 失恋は新しい恋でしか、癒せないらしいですよ?」
「13年も彼女以上に出会えない俺を絶望させるのは、そこまでにしてくれ。」
「ふふっ。ランコム様も重症ですね。」
「俺はいいさ。次男だし。仕事もある。でもエスカレード伯爵家なら、結婚しろってうるさいんじゃないか?」
レティシアは小さく微笑んで答えなかった。会場の賑わいと対象的な、月明かりの落ちるテラスに沈黙が落ちる。
月を見上げるランコムをレティシアはそっと盗み見た。諦めることを諦めてしまったような顔をする、綺麗な横顔に思わず言葉が零れ落ちた。
「……会えなくても消えないですか?」
「レティシア嬢は?」
「……あー、すいません。無理っぽいです……」
レティシアに振り返って、ランコムがからかうようにニヤリと笑う。思わず小さく息を飲んだのを誤魔化すために、レティシアは半ば無意識に口を開いた。
「………そんなに好きなら、もう会いに行ったらどうです?」
目を見開いたランコムに、レティシアは後悔しつつも口は止まらなかった。
「いっそ、もう気持ちを伝えてスッキリしちゃえば……」
じっと見下す視線を感じた。顔を見る勇気はなくて、俯いたままレティシアは震える唇を噛んだ。言い募るうちに開き直り、もう言葉を撤回する気はなくなっていた。
(……そうよ。もういっそ、答えを出してしまえばいい……)
ランコムもレティシアも。玉砕か成就か。ずっと誰かを想い続けるランコム。そんな彼に恋する自分。もう全部に答えを出したらいい。
会場の笑い声が、風にまじって吹き抜けていった。
「……そう、だな。」
ぽつりと呟いたランコムに、レティシアは顔を上げた。ランコムは瞼を伏せて、切なげな笑みを浮かべていた。
「それもいいのかもしれない……」
もうずっと苦しい。もうずっと寂しい。会えないのに消えないのは、会えないから消えないのかもしれない。顔を見たら、変わるかもしれない。もう終われるかもしれない。
「……もういい加減、そうしてみようかな。」
レティシアに向きなおり、透き通るような笑みを見せたランコム。気付かれないようにレティシアも必死に笑みを浮かべた。喉の奥に凝った感情が、溢れてしまわないように。
(……噂なんてあてにならない……)
美貌でさえ違っていた。釣書なんかより噂なんかよりずっときれい。
誰かを想って笑うランコムはとてもきれいで、とても切ない。
偶然を装って何度も会いに来た。からかう顔も、笑った顔も、誰かを想う横顔も。この3年ずっと近くで見てきた。会うたびに好きになる。知るたびに苦しくなる。
(……女に飽きた冷笑家なんて、嘘じゃない……)
本当は迷惑そうに迷子を助けて、小娘の涙にうろたえるような人。たった一人に恋をして、他に何もいらなくなってしまった人。
13年もその人との未来を諦められず、片っ端から名前も見ずに婚姻を断り続けるランコム。
ひっそりと誰かをずっと想ってる。
過去が噂がどうあれ、自分の目で確かめたランコム・タリスターはそんな人だった。
釣書の肩書きからは推量れない生身の彼が、どうしようもないほどレティシアを惹き付ける。知らずにいたら、そのうち忘れることもできたはずだ。でも出会ってしまった。知ってしまった。
彼も自分じゃない誰かに、そんなふうに恋している。いやになるくらい思い知っていても、もうランコム以外は考えられなくなっていた。
※※※※※
王都と北部を繋ぐ要所となった街道。ランコムとシスルを詰め込んで進む馬車。中は非常に空気が悪かった。お互いに反対側の窓の外を無言で見つめ続けている。
街道の視察を終えフラメル侯爵家が近づくと、シスルが地を這うような声で沈黙を破った。
「……アスティに手を出したら殺す!」
「黙れよ、クズ。同じ空間にいることを死ぬほど我慢してるんだ。口を閉じてろ。」
「お前のようなゴミクズ野郎を、フラメル侯爵領に入れたのは街道視察だからだ。街道だけ見てろ。俺の妻は見るな。さっさと帰れ。」
「フラメル侯爵に招待されている。お前こそ必要ない。視界から消えてろよ。」
「いいぜ? だからお前も俺と俺の妻の視界に入るな。未練たらしく話しかけたりするなよ。」
「馬鹿か? 俺はお前と違って最低限の礼儀を弁えているからな。当然、挨拶するし会話もする。」
「お前が話しかけるたびに、街道の使用料を加算してやる。」
「ベラートの石材の流通を止めてやろうか?」
徐々に剣呑さを深める会話は、出迎えに出ていたアスティの姿が見えた途端途切れた。
「ランコム・タリスター卿。ようこそ。フロイライン街道はいかがでしたか?」
「……アスティ……夫人……。歓迎、ありがとうございます……」
何とか絞り出した言葉。礼儀として差し出された手に、跪くような心地で口づけを落とした。
(ああ、アスティ……)
一目で理解させられた。2日の滞在の間に、確信に変わった。
だから滞在を終え王都に帰る時、ランコムを見送るアスティを、まっすぐに見つめることが出来た。
「お気をつけて、ランコム卿」
「……ありがとう。」
本当に。向き合った先のアスティは優しく微笑んでいる。
「……さようなら、アスティ。元気でね。」
別れの挨拶に、万感を込める。口には出せなかった言葉は心の中で呟いて、ランコムは微笑んだ。その笑みにアスティが小さく目を見開き、やがて笑みを浮かべた。
「……ランコム様も。私もとても感謝しています。」
静かな笑みを浮かべたアスティに、ランコムの瞳がゆらりと揺れた。その笑みを大切にしまうように、胸に収めるとランコムは踵を返した。
死ぬほど睨みつけてくるシスルには、一度も振り返らずに馬車に乗り込む。
《……ランコム様も。私もとても感謝しています》
ゆっくりと走り出した馬車の窓から、アスティがくれた言葉を何度も思い返した。
※※※※※
「……ランコム様。」
「……やあ。調子はどう?」
王都を離れていたランコムが、夜会に来ていると聞いて探していたレティシアは、ようやくランコムを探し当てた。
いつもより念入りに人目を避けていたらしいランコム。力のない声と、儚げな笑みにレティシアは唇を引き結んだ。
ランコムに拒む気配がないことを確かめて、レティシアは隣に腰かけた。
「……とても幸せそうだった。」
長い沈黙の後に、ぽつりとランコムは呟いた。
再会して一目でわかった。綺麗だった。内面から滲むようにアスティは輝いていた。子供を愛しげに抱きしめ、家族に囲まれて優しい空気を纏っていた。シスルと言葉を交わし、見つめあって微笑んでいた。
草むらで一人声を押し殺して泣いていたあの少女は、今望んでいた幸福の中で生きている。
きっとあの光景こそが、彼女が欲しかったもの。そこにランコムの居場所はなかった。
「……良かった。」
幸せそうで。両手に顔を埋めて、ランコムは溢れ出したものを覆い隠した。
自分の居場所はなくても、悲しそうだったアスティが笑っていた。
「彼女が幸せで、本当に良かった。」
押し出した声が、どうしようもなく震えた。熱に浮かされ吹き荒れる嵐のように、ランコムを翻弄した初恋。
13年も募らせた想いは、いつの間にか相手の幸福を願えるほどにまでなっていた。
「アスティ……」
今の自分の仕事も評判も、その始まりは不純で愚か。それでも手に入れてきた全ては、辿ってきた道のりは、アスティに恋して得たものだ。
自分本位だったランコムを、ここまで変えてくれたアスティとの出会い。
「君を好きになってよかった……」
報われも手にはいりもしなかった。ずっと寂しくて苦しかった初恋。
それでも出会わなければよかったとは思わない。根本を作り変えるようなこの恋を知らなければ、自分はいつまでも変わりはしなかっただろうから。
「……ありがとう、アスティ。」
きっとどうやっても手に入らなかった。初めから分かっていたかもしれない。13年かけてゆっくりと諦める準備をしていたのかもしれない。
アスティに会いに行って、その幸せを確かめて、ようやく諦める覚悟が出来た。
《……ランコム様も。私もとても感謝しています》
最後にアスティがくれた言葉が、長い片思いにほんの少し報いてくれた。
アスティにとっても自分は、僅かでも意味のある存在だったかもしれないことが嬉しかった。
「……ぐすっ……ひっく……」
隣から聞こえてきた嗚咽に、ランコムはぎょっとして振り返った。すっかりレティシアの存在を忘れていた。
「レティシア嬢……!」
「……ぐすっ……ラ、ランコム様……ご、ごめんなさい……本当に……私……」
ぼろぼろと大粒の涙をこぼすレティシアを、呆然と見つめランコムは苦笑した。いつかの夜のように、自分の代わりのように泣くレティシア。
3年の片思いを抱えているレティシアには、自分の失恋は他人事ではないのだろう。
「はいはい。代わりに泣いてくれて、ありがとう。」
「ランコム様ぁ……ううっ……うえっ……ごめ、ごめんなさい……」
「何も謝ることなんてないだろ? ほら、令嬢としてはアウトな顔になってるぞ。ハンカチ貸してやるから。俺はだめだったけど、レティシア嬢は頑張るんだろ? 泣き止め。」
遠慮なくハンカチに顔を埋めたレティシアは、必死に涙を食い止めて顔を上げた。
しょうがないな、とあきれたように自分を見つめるランコムに、覚悟を決めたように視線を合わせた。
「……わ、私、私、ランコム様が振られたらいいなって。そう思って会いに行けって言ったんです。」
「……レティシア嬢……?」
驚いたように目を見開いたランコムに、レティシアはしゃくりあげながら必死に言葉を押し出した。
「早く振られて、そして新しく恋する気持ちになってほしいって。私を見てほしいって。どんなに好きでいるか知ってて。ごめんなさい。
でも、もう私を見てほしいんです。アスティさんを好きなままでいいです。少しずつでいいから私を見てほしい。
私もランコム様が、アスティさんを想う気持ちに負けないくらい、貴方がずっと好きなんです……!」
呆然としたままのランコムに、大きな緑の瞳を潤ませて、レティシアはまっすぐに告げた。
「ランコム・タリスター卿。私はレティシア・エスカレード。改めて直接申し込みます。釣書を見たときから決めていました。私と結婚してください!!」
挑むように詰め寄ってきたレティシアに、ランコムは呆然としたまま固まった。
予想すらしていなかった展開に、頭が真っ白だった。
ランコムはようやく会うことすらせずに、即行で断った無礼な縁談相手が、自分だったことを悟った。
※※※※※
「晴れて良かったですね。」
楽しげなレティシアが、本日夫となったばかりのランコムを見上げた。
「そうだな。」
「……ふふっ。みんな、羨ましがってました。私も鼻が高かったです。」
「俺はもう35だぞ? 羨ましがられたのは俺。10も年下の可愛い嫁をもらったんだからな。」
寝台に腰掛けながら、ランコムはレティシアに微笑みかけた。
「だからなんです? 若くてもランコム様より美しい男性なんて、一人もいなかったじゃないですか! おまけに貿易業で成功してて、甲斐性もバッチリ!」
「言われるほど金持ちでもないけどな。」
「知ってますよ。でも欠点なんて、散々遊んでいたらしい若い時の素敵なお友達が、花嫁のあら探しに詰めかけたことくらいです。
親切にも丁寧に自己紹介していただきましたから。」
苦く顔を顰めたランコムに、レティシアはくすくす笑った。
「そんな顔しなくても大丈夫です。ちょっとしか怒ってませんから。今後は絶対に許しませんけど!」
「……ちょっとは怒ってるんだろ? 悪かったよ。もう二度と煩わせたりしない。」
「当然です!」
びしりと言い切ったレティシアの頬に、ランコムは優しく口付けた。くすぐったそうに身をよじるレティシアを、ランコムは優しく抱きしめる。
「……これからよろしく。俺の奥さん。」
「こちらこそ、よろしくお願いします。旦那様。」
顔を見合わせながら、くすくす笑みを零して引かれ合うように口付けを深める。
レティシアの身体を辿る腕に、全幅の信頼と愛情で身を委ねる妻に、ランコムの胸に柔らかな幸福が広がっていく。
「あっ……あっ……ランコム様……ランコム様ぁ……!」
蜜を溢れさせひくつく秘裂に、ねろりと舌を這わせるたびに上がる、蕩けた甘い声にくすりと笑みをこぼした。
とても可愛い。とても愛おしい。重なる肌の温かさに、欲望よりも大切なものを抱ける幸福感が湧き上がる。
「あぁ……あっあっ……ランコム様……ランコム様!……あぁ!あぁ!」
「いいよ、レティ。見ててやるから。」
「ああっ! ランコム様! ああっ! だめ! ああっ……ああーーーー!!」
中をかき回すランコムの指の動きに、レティシアは呼応するように腰を揺らして絶頂した。ぶるぶると震わせた身体が、ゆっくりと弛緩し、赤く潤んだ瞳でランコムを見つめてくる。
「あぁ……ランコム、様……」
「……レティ……かわいい……」
汗ばんだ額から髪を払ってやりながら、ランコムはレティシアに口付ける。そのまま深くレティシアの中に、己を沈める。
「あっ……あっ……ランコム様……ああっ……」
切羽詰まったように啼くレティシアに、何度もキスを落としながら、ランコムはレティシアと深く繋がった。
「あ……あぁ……」
「レティ……動くよ。」
「ふっ……ああっ!!」
温かく潤む粘膜を擦り立てながら、腕の下に閉じ込めたレティシアを見つめる。
「レティ……レティ……」
脳を焼く鮮烈な快楽ではなく、胸を満たす信頼と幸福で与えられる快楽に、ランコムは腰を早めながら愉悦にため息を吐き出した。
13年煮詰めた初恋を、2年かけて大切な思い出に変えてくれた。忘れなくていい。大切なままでいい。今のランコムは、その恋が作ってくれたのだから。そう言ってくれた時から、レティシアはランコムの特別になり始めた。
「レティ……レティ……気持ちいい?」
「いい! いい! ランコム様! ランコム様!」
脳を焼き切るような鮮烈な快楽で、何もかも奪うのではなく、優しく包み込むように全てを受け入れてくれるような、レティシアとの交歓。
「……あぁ……もう……レティ……レティシア……」
「ランコム様……ランコム様……あぁ……」
ギシギシと寝台は軋み、互いの昂りを見守りながら共に頂きを目指す。握りあった手のひらは固く結んだまま、目前に迫った頂点から一緒にふわりと浮き上がる。
「あぁっ! レティ……!」
「ああぁぁーーー!!」
互いの息を貪るように何度も口付けを交わし、呼吸が落ち着くころに、ようやく唇は離れた。見つめあった眼差しの先で、笑みを交わし合う。
「大好きです……ランコム様……」
「俺もだよ。」
もう寂しくも苦しくもない。染み込むような信頼と愛情に満たされている。胸に抱いた想いを伝え合う相手がそばにいる。
ゆっくりと肌を押し付けたランコムに、レティシアは恥ずかしそうに腕を回した。
もう一度、頂きを目指し始めながら、ランコムは幸福にため息をついた。
恋よりも先に快楽を知った。何でも手に入ると驕っていた。今自分さえ良ければどうでも良かった。そんな薄っぺらい男は、初恋を15年も拗らせ続け、信頼の上に愛を築く幸福をようやく知った。
自分を変えてくれた初恋を大切にしまい込み、想いを伝えあう相手とこの先の未来を歩く誓いを今日立てた。
35歳とかなりの晩婚になった男は、ようやく愛とは何かを知る第一歩を踏み出しはじめた。
※※※※※
あとがき
ここまでお付き合いありがとうございました!クズ男シリーズは一旦の完結となります。
応援ありがとうございました。
以前URLでこちらのサイトに投稿していましたが、コミカライズ発売と受賞作の二作品の引き下げを機に、一度全ての作品を削除いたしました。
改めて既存作の投稿をしようと思い立ち、順次投稿していきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
こちらのクズ男シリーズですが、メインサイトではリクエストがくるたびに、短編として投稿していました。なのでやたらRシーンが多くなってます。
Twitter用URT↓
https://tieupnovels.com/tieups/1818
R18表示にチェック、必須です。
作画担当の猫倉ありす先生がアルファポリスにて第18回漫画大賞 春の陣 奨励賞を受賞された漫画
↓
https://www.alphapolis.co.jp/manga/439939580/683560947
ありす先生のTwitterにて、コミカライズデビュー作も確認できます。チェックしてみてください。
ここまでお付き合いありがとうございました。また別作でお会いできたら嬉しいです。
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