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もう一人のクズ男の婚姻末 前編
しおりを挟むランコムは人気のない中庭で、夜気を吸い込んだ。感情を削ぎ落として、愛想笑いが張り付いてしまったように感じる顔面を撫で擦る。
見つけたベンチに腰を掛け、深いため息を吐き出した。正直もう帰りたかった。
(全く……)
地に落ちた評判から逃げ、未練にのたうつ惨めさから仕事に没頭した結果、仕事がうまく行くほど夜会への参加が必須になっていた。
それは仕方がないとして、問題は評判が仕事の成功で勝手に回復したことだった。
(結局、金か……)
皮肉げに唇を歪め、乱れた前髪を緩慢な仕草で掻き上げた。先々で縁談を仄めかされ、二度と連絡するなと言ってた女でさえ、媚を売ってくる現状にランコムはうんざりしていた。
(いらないものは寄ってきて、欲しいものは手に入らない……)
落ち込みそうな感情をため息で立て直し、ランコムはベンチから立ち上がった。
(最後にもう一度会場に顔を出してから帰るか……)
ぼんやりと考えながら歩き出した足が、ガサッと音を立てた草むらに縫い止められた。振り返ったランコムは、身を隠すようにして蹲り、泣いている人影に呼吸を止める。
「………アス、ティ……?」
思わず呼びかけたランコムに、人影が振り向いた。緑の瞳を潤ませた若い女が、驚いたようにランコムを見上げる。大きな目は涙で濡れていた。
しばらく互いに固まったまま見つめ合った。流れた妙な緊張感を、先に破ったのはランコムだった。
「……あーー……」
ランコムは自嘲の笑みを隠すように、手のひらに顔を埋めた。
(……バカか俺は……そんなわけないだろうが……)
一瞬にしてアスティと初めて出会った時に引き戻されていた。最初で最後の夜。間違えなかったら、今も彼女は側にいたかもしれない。
思い出したあの夜に、鼓動は早鐘を打ち胸に沸き上がってきた感情が、喉を詰まらせた。
唇を噛み締め苦く俯く。あの夜をやり直したい。消えてくれない未練が、馬鹿な願いをランコムに抱かせる。
「あ、あの……?」
「……すまない。人違いだ……」
ランコムは口元を覆い、踵を返してその場を立ち去ろうとした。
「ま、待ってください! か、会場に戻るなら連れて行ってもらえませんか……!!」
必死の涙目で見上げながらランコムを引き止めた女は、どうやら迷子のようだった。
(……全然似てないな……)
ぐずぐずと鼻を啜る、アスティよりずっと華やかな美貌を横目で見ながら、ランコムはため息をついた。
人目を避けて泣いていた。まるであの夜の再現のようで、似てもいない女をアスティだと錯覚する。これは相当重症だ。
「あ、あの……本当にすいません。王都に来たばかりで……わ、私はレティシア・エスカレードです……」
「……ランコム・タリスター。気にしないでいいよ。」
ランコムは上の空で答えた。年齢だけは出会った時のアスティと同じだろう女は、驚いたように足を止めた。
「……ランコム・タリスター……様……?」
「……何?」
「あ……いえ……あの、私、レティシアです。レティシア・エスカレードです……!」
「……さっき聞いたよ?」
涙が止まったレティシアが、じっとランコムを見つめた。訝しげに見つめ返しながら、ランコムは面倒になってきた。これ以上関わる気をなくし、最低限の礼儀としてハンカチを差し出す。
「ここまで来たらもう分かるよね? 俺はこれでもう帰るから……」
「あ、あの……ありがとうございます……! それで……あの……!」
さっさと踵を返したランコムに、レティシアが必死に声を縋らせだが、ランコムは手をひらひらと振って振り返らずにその場を後にした。
(……アスティ……)
乗り込んだ馬車の窓に頭を預け、出会った夜を思い返す。
シスルとの別れに、飲めない酒を飲むほど傷ついていたアスティ。どんなふうに声をかければ、どんな言葉を伝えていたら良かっただろうか。それとも言葉はいらなかった?
(ねぇ……)
呼び起こされた古い記憶は、未だに心を抉る。今はもうシスルの妻で、子供まで生まれたアスティ。
(今、幸せ……?)
自分が側にいなくても。心に落とした呟きに、ランコムは目を伏せた。急速に感情が胸を圧迫して、堪えきれずに視界が滲んだ。
少なくともアスティの幸せに、ランコムは関係ない。彼女に関われもしていないのだから。
忘れ去られているだろう自分に自嘲して、ランコムは苦く唇を噛み締めた。
何もかも搾り取られ、奪われた心は未だに返してもらえない。結婚を拒み続けてランコムは30歳になっていた。
※※※※※
「……あっ! ランコム様!」
疲れ切って抜け出した夜会で、ランコムはまたしてもレティシアに遭遇した。嬉しげに輝く顔は、どう見てもランコムを待っていたとしか思えなかった。
人を避けて来たはずの中庭。人がいただけでも面倒なのに、ランコムよりも10は年下だろう若い女がいることに心底うんざりした。
「………何してるんです?」
あからさまに迷惑そうに顔をしかめ、トゲトゲした声を出したランコム。レティシアは顔を強張らせて俯いた。
「……すみません……お借りしたハンカチを、お返ししたくて……」
急速にしぼんだ声を落とし、小刻みに震える手がハンカチを差し出した。
無造作に受け取る時に、僅かに触れた指先がレティシアが冷え切っていることを教えた。ランコムは深くため息を吐いた。
「返さなくても良かったのに。人も少ないこんな所で、若い女性が一人でいるのは安全とは言えませんよ……」
自分こそがその危険人物だった過去に、ランコムは苦く眉根を寄せる。
レティシアは何も答えなかった。わざわざハンカチを返したのに、お礼も言わず小言を言う。流石に気分を害したのかと、ランコムはレティシアを振り返った。
「…………ぐすっ。」
「……あー……なんだ。その、わざわざありがとう……」
肩が小刻みに震え出したのを見て、ランコムは慌てて声を和らげた。
「……少し、言い過ぎた。ごめんね。でもほら、君みたいに若いかわいい子が、一人でこんな所にいたら危ないからさ……」
機嫌を取るように優しく言い募り、ますます俯くレティシアを宥めた。
女に詰め寄られ怒鳴られるのは平気でも、悲しげに泣かれるのは困る。どうしてもあの日のアスティがよぎるのだ。
受け取ったばかりのハンカチを差し出し、ランコムは忙しく視線を彷徨わせた。
「……平気ですよ……どうせ、私なんて……婚姻の申し入れに、会ってすら貰えず断られるような女ですし……」
どうやらあの日、迷子だから泣いていただけではなかったらしい。
レティシアにハンカチを受け取らせながら、ランコムは涙腺が決壊しないように、精一杯優しい声を繰り出した。
「泣くことない。だろ? 逆に良かったじゃないか。そんな無礼な男と、一生を共にせずに済んだんだ。な?」
「………よ、良くないです! 私は、私はその人が良かったんですぅ~~~!!」
ランコムの努力も虚しく、レティシアの涙腺は本格的に崩壊した。
ランコムは手のひらに顔を埋めて、深く深くため息を吐いた。
ーーーーー
「………落ち着いた?」
「は、はい……すいません……」
レティシアは恥ずかしそうに俯いた。結局、放置するわけにもいかず、ランコムは適当な慰めを繰り出しながら、レティシアを宥め続けるハメになった。
「いいよ、俺もちょっとスッキリしたし。」
「……え?」
スッと立ち上がったランコムに、レティシアは戸惑ったように首を傾げた。
「……代わりに泣いてもらったみたいでさ。」
夜空を見上げながら、ランコムは薄く口元に微笑みを浮かべた。
「よくわかるよ……」
最初は面倒なことになったと思った。でもだんだんレティシアに、自分が重なってみえた。
「……諦められるなら、とっくにそうしてるよな……」
今、アスティはシスルの隣にいる。それがとても苦しい。とても寂しい。それなのにアスティは、ランコムを思い出しもしていない。
そんな辛さをまるで自分に代わって、喚いて泣いて貰ったようで、ランコムは久方ぶりに心が軽くなっていた。
「そんなに好きならさ、別に諦めなくていいんじゃない?」
「……え?」
ぼんやりとランコムを見つめていたレティシアは、振り返ったランコムに、ぴくりと肩を揺らした。
楽しそうに笑ったランコムの笑みに、涙でくちゃくちゃのハンカチを握りしめる。
「諦められるまで好きでいたらいいんじゃない?」
「……いいん、ですか……?」
「だって諦められないんだろ? ただ好きでいるだけなら迷惑かけてないわけだし。」
レティシアは驚いたように、ゆるゆると目を見開いた。
釣書の姿に一目惚れした。会える日を心待ちにしていた。日々想いが募った。それなのに会ってさえ貰えなかった。
「……そう、ですよね……ただ好きでいるだけですもんね……!」
夜会で見た姿は、釣書よりもっと素敵だった。夜会でいくら結婚相手を探しても、その人以上は見つからなかった。
「相手は独身なんだろ?」
「はい!」
「なら、何も問題ない。だろ? そもそも会ってすらいないんだし。」
「そうですよね!」
元気を取り戻し始めたレティシアに、ランコムは頷いた。
「よし、解決だな。ただ好きでいるだけ。俺だって……」
つられて口をついて出ようとした言葉を、ランコムははっとしたように飲み込んだ。
「……ランコム様?」
不思議そうに首を傾げたレティシアに、ランコムは首を振った。自分とレティシアは違う。
「もう戻りな。」
ランコムは小さくため息を呑み込んで、レティシアを促した。
「あ……はい。でも、ハンカチ……」
「いいよ。あげる。」
「そんなわけには……」
踵を返して歩き出したランコムに、レティシアは立ち上がった。
「あ、あの! ありがとうございます! 私、諦めません! 振り向いてくれるまで頑張ります!」
笑みを覗かせてひらひらと手を振って歩くランコムに、レティシアは声を張り上げた。
「ハンカチ、必ずお返ししますから!!」
振り返らずに歩き去ったランコムの消えたほうを見つめたまま、レティシアはハンカチを抱きしめた。
「……諦めません……貴方がいいって言ってくれたから……」
囁くように呟かれた小さな告白は、風に紛れて夜闇にひっそりと消えていった。
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