クズ男と逃げた魚

宵の月

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クズ男と囚われた魚 前編

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 汗ばむ華奢な身体。両腕で絡め取り、閉じ込めるように後ろから抱きしめ、何度も揺さぶる。

 「アスティ……あぁ……アスティ……」

 思考はとっくに快楽に塗り潰され、より深くより奥に。欲望に促されるまま、快楽を追う。

 「あっあっあっ……あぁ……あぁっ!!」

 最奥に穿った楔を、抉るように突き上げる。甘く蕩けたアスティの声が甲高く翻り、繋がったそこが締め付けを増した。

 「アスティ……好きだ……好きだよ……」

 仰け反ったアスティの頤に手を這わせる。手のひらに納まるアスティの乳房を揉みしだき、顔を埋めた首筋の匂いを吸い込み舐め回した。身悶えるようなを快楽与えてくるアスティの耳元に、吐息を響かせ堪えられない喘ぎを吹き込む。

 「アスティ……いい……アスティ……アスティ……」
 「あっ…はぁ……シ、スル……シスル……ああっ!あぁ……」

 声に反応するように、奥へ引きずり込むように肉壁がねっとりと蠕動してシスルの楔に絡みつく。ぞわりと襲いかかってきた圧倒的な快楽に、堪えきれない射精感のままにアスティを強く押さえ込んだ。

 「あぁっ!アスティ!アスティ!」
 「あっ……もうっ……あぁ!ああっ!あああーーー!!」

 絶頂したアスティのそこに吸い付かれ、引絞られるように締め付けられた。抵抗する余地もなく、腹筋を痙攣させながらシスルも弾けるように絶頂する。
 何度も閃光のような快楽が走り抜け、搾り取られたものの代わりにじわじわと充足感が身体を満たしていく。惚けたように余韻に浸りながら、半ば無意識でアスティの唇を貪る。
 好きでたまらない。愛しくてならない。欲しくてたまらない。何度も口づけを落としながら、シスルはアスティを抱きしめた。

 疲れて眠るアスティの寝顔にかかる髪をそっとのけて、欲深い自分に自嘲した。領地でアスティと再会したばかりの頃は、顔を見て話せるだけで十分だった。
 アスティを抱いてからは、愛されなくても隣にいられればいいと思っていた。起きた奇跡を毎日神に感謝するほど、それは紛れもなく本心だった。それが今はどうだろう。
 マクエルの話を聞いてから、リリアナに向ける母の顔を見てから黒く膨れ上がった感情が抑えきれない。すでに十分すぎる譲歩だと分かっているのに。

 「……アスティ、ごめん……」

 掬いあげた髪に口づけながら、小さく謝罪をこぼす。眠っているアスティの髪を何度も梳き撫でる。

 「……ごめん、アスティ……」

 アスティの寝顔は安らかで、柔らかな幸福感が湧き上がる。地味だと毛嫌いしていたアスティは、今や清楚な白百合のようだと心底思っている。
 そんな自分の身勝手さに、ため息をついて、そっと寝台を抜け出す。グラスに注いだ水を飲みながら、巡らせた視界の先に、大切そうに棚に置かれたくまのぬいぐるみを捉えた。自分をじっと見ているようなぬいぐるみを、シスルも逸らすことなく見返した。

 (代わりじゃだめなんだ……)

 しばらく見つめ続けたシスルは、ぬいぐるみから視線を外した。滑り込むように隣に戻り、起こさないように細心の注意を払って額に口づけを落とす。

 「愛してるよ、アスティ。おやすみ。」

 ひっそりと囁いてそっと抱きしめる。十分すぎると分かっている。それでも。シスルはため息を吐き出して、その先の思考を断ち切った。迷いから目を逸らすようにして瞼を閉じる。
 シスルは後に、ここで一度立ち止まらなかったことを盛大に後悔することになる。


※※※※※


 リリアナからの手紙を見つめ、アスティは小さくため息を吐き出した。遠慮がちなノックが響いて、そっとシスルが部屋に滑り込んでくる。視線を俯けどこか怯え、ひどく気まずげだった。その態度は昔よく見かけていた。伯爵に呼び出されて叱られる前、幼いシスルはよくこんな様子を見せていた。
 そんなシスルの態度に、アスティはなんとも言えない気持ちがわだかまる。

 「アスティ……その、リリアナは、なんて?」
 「……兄弟ができることをすごく喜んでいるわ。こちらに来るのが待ちきれないって……」

 ため息をかみ殺しながら、アスティは平坦に答えた。シスルはぱっと顔を輝かせて、椅子に座るアスティに跪く。

 「良かった!アスティ、俺が守るから!口さがない噂からアスティもリリアナも必ず守る!フラメル侯爵からは許しを得ている。もちろん家も大賛成だ。俺が継ぐことになるけど、王都でフィオルに代理をさせるから!アスティはこっちで静かに暮らせる。だから……」

 立て板に水のごとく、いかにも正当な理由を並べたてるシスル。顔を上げて視線を合わせたアスティの、感情の読めない瞳の色に言葉が途切れた。後ろ暗いことがある者の常として、シスルは視線を脇に逸らせた。どっと全身から冷や汗が噴き出るような感覚を必死にこらえる。両手でアスティの手を握りしめている手がひんやりと温度をなくした。

 「だ、だからさ、結婚してほしい。急がせないとは言ったけど、子供ができたならその、話は違ってくるだろ?俺とアスティの子だ。出自に傷を残したくないんだ!」

 内心の焦りを誤魔化すように、必死に言い募る。言い募るうちに正当性しかない主張に思えて、震えそうだった声も力がこもっていく。再びまっすぐにアスティを見上げる。

 「アスティ、結婚しよう!生まれてくる子供のためにも、俺の妻になってほしい!」

 目元を赤らめ、真剣すぎて険しくなっているシスルの表情。まさに全身全霊でプロポーズする男にふさわしい姿。アスティは反射的に口を開きかけたが、こぼれそうになったその言葉を飲み込んだ。しばしの沈黙を挟んで頷く。

 「……ええ、そうね。貴方と結婚するわ、シスル。子供のためにも。」

 シスルはその返事に完全に舞い上がった。

 「……ッアスティ!約束する!必ず守るから!愛してるよ、アスティ!」

 がばりとアスティを抱きしめ、シスルはつむじに口づけの雨を降らせる。その背中をアスティは宥めるように優しくさすった。感極まったように何度も名前を呟くシスルは、浮かれ切っていて気づいていなかった。
 婚姻する理由を並べるほどに、アスティの瞳から感情が抜け落ちていったこと。アスティが飲み込んで、今言わなかった言葉。プロポーズを受け入れるにしては、明らかに笑みの足りないアスティ。

 「指輪!頼んであるんだ!完成を急がせるよ!仕事の調整もして、できるだけ早く王都に行かないとな!王都へは俺が行ってくる。離れたくはないけど、アスティはここにいて。大切な身体なんだし。」
 「……ええ。」
 「全部俺に任せておいて。愛してるよ、アスティ。」

 シスルは額に思い切り口づけをして、喜びにはちきれんばかりに顔を輝かせる。そのまま一刻も早い結婚に向けて準備すべく、足早に部屋を出て行った。その後ろ姿をしばらく見送り、アスティはため息を落とした。振り返って大切に飾ってあるぬいぐるみを手に取って抱きしめる。しばらくそうしていたアスティは、またそっとぬいぐるみを棚に戻した。

 「……大丈夫よ。お母様がいるわ……」

 まだふくらみのない腹を優しくなで、アスティは優しく微笑んだ。宿った命に語りかける声はひどく柔らかく、そしてとても力強かった。
 もうマクエルを失いリリアナと引き離され、打ちのめされていた弱さは消えている。代わりに新しい命をその身に宿した、母親の強さが灯っていた。

 急がせている馬車をますます急かし、そわそわと落ち着かないままシスルは湧き上がる幸福感に口元をだらしなく緩めていた。それだけ浮かれきっていれば、舞い上がって失言したことも、アスティがそれにより決意を固めたことも、ずるがしこいまでに機微に敏感なシスルでも見逃したのも無理はない。
 シスルにとっての幸福の絶頂であるこの日から、最後の審判へとカウントダウンは始まった。


※※※※※


 順調だ。婚姻手続きのために王都へ単身訪れたシスルは、夜会で極上の愛想笑いを振りまいていた。煩わしいだけの夜会でも、今日ばかりは気分も悪くはなかった。

 「おめでとう!とうとう結婚か!」
 「ありがとうございます。無理を承知で長年頼み込んだかいがありました。」
 「そうか。長く独身だったのはそのせいか。ずいぶん惚れ込んでいるのだな。」
 「ええ、フラメル侯爵が私のしつこさにようやく折れて下さってホッとしています。」
 「何、自慢の婿だろうさ。あのフロイラインに街路を通せるなんてな!レスト山脈事業にも参加するんだろ?全く、うちの末娘が残念がるよ。」
 「ははっ。デンバー伯爵の末のご令嬢ならば、引く手数多でしょう。良縁をお祈りしています。」

 にこやかにアスティとの婚姻の矢面がシスルになるよう、挨拶を交わしながら夜会を渡り歩く。
 難事業の山場を超えて、交通の要所の権利を握るのがほぼ確実なフラメル侯爵家とその功労者シスル。よほどのバカでない限りトロウェル侯爵家との問題を、引き合いにすることはないだろう。
 あらかた根回しを終えると、シスルは会場をゆっくりと抜け出した。

 「………おいっ!シスル!」
 
 ホッと息をついたタイミングでかけられた声に振り返える。見つけた不愉快な男の顔に、舌打ちしたくなった。

 「………なんだよ……何か用か?」

 同じだけ顔を顰めているランコムに、突き放すように返事を返す。この男の用件は、聞かなくても分かっていた。無視もできたが、あえて振り返った。こいつはそろそろ思い知るべきだ。
 しつこく未練を残してることも、アスティと寝たことも、ランコムの何もかもが気に入らない。
 
「……アスティは喪が明けてまだ2年。娘もいる。どう考えてもアスティが再婚に了承するわけがない。お前がアスティの意思を無視して妊娠させない限りな!!」

 自分のクズさを棚に上げ、嫌みの応酬の果てに軽蔑した眼差しで攻め立ててくるランコム。シスルは徐々に我慢ならないほど苛立ってきた。
 
 「だからなんだよ?アスティは俺との結婚を了承した。もう婚姻は成立している。アスティはもう俺の妻だ。」

 もうどうやっても動かしようのない事実を、ランコムに叩きつけてやる。罵られようがどうでもいい。ランコムが喉から手が出るほどほしいものは、シスルが手に入れた。
 卑怯?それが何だ。シスルは手に入れた。アスティに思いを寄せる男を牽制し、自分だけのものだと主張する正当な権利を。

 「負け犬の遠吠えか?」

 シスルはランコムを嘲笑った。二度と妻に近づくなと主張できるのは自分だ。

 「はっ!惚れた女の弱みに付け込む卑怯者になるくらいなら負け犬で結構だ。」
 「……っ!!」

 とって返されたランコムの刃は、思いの外シスルに突き刺さった。思わず言葉を詰まらせたシスルに、ランコムは続けざまに致命的な一言を容赦なく叩きつけてきた。

 「お前はマクエルじゃない。なれるわけがない。」

 アスティの前夫の名前に、シスルは一瞬にして血が沸騰するのを感じた。過剰な反応したシスルを、ランコムがせせら笑う。

 「俺がアスティを諦めたのはマクエルだったからだ。だけどお前なら諦める理由はない。せいぜい寝取られないように気をつけろよ。」
 「……粘着野郎が!アスティは俺の妻だ!二度と誰にも触れさせない!!」
 「言ってろよ、クズ野郎!決めるのはアスティだ……じゃあな!」

 一瞬で燃え上がった怒りのまま叫んだシスル。対象的にランコムは、使命を果たしたかのような顔で、笑みを浮かべた。
 余裕さえ漂わせながら、悠然と立ち去るランコム。その後ろ姿をどす黒い怒りと感情に支配され、動けも話せもしないまま、シスルはただ見送った。
 
 《お前はマクエルじゃない。なれるわけがない》

 暴れまわる感情を必死に堪えながら、深く突き刺さったランコムの声が何度も頭の中を反響する。

 (そんなこと……分かってる!)

 悔し涙さえ滲ませながら、シスルは拳を握った。
 妊娠を理由にアスティに結婚を了承させる。命を盾にし、逃げ場を塞いだやり方が自分だけの望みを叶える卑怯なものだと分かっている。
 マクエルならしない。アスティが選んだ道を優しく見守るだろう。シスルにはそれができなかった。
 好きで好きでたまらない。欲しくて欲しくて息ができない。
 自分だけを見ていたアスティはもうどこにもいなくて、マクエルとリリアナが特別な場所にいつもある。それを思い知らされるたび嫉妬を堪えられなかった。

 (なんだってする……なんだってできる……)

 シスルが望む道を、無理やりアスティに選ばせた。選ばせたその道を後悔させなければ、結果は同じだ。そんなふうに言い訳をして、何度も何度もアスティを抱いた。その身に命が宿るように。アスティが望んでいないと知っていて。

 (ごめん、アスティ。優しくなくて。ごめん、変われなくて。アスティ。いいやつじゃなくて、ごめん……)

 荒れ狂う怒りは消え去り、代わりに広がる懺悔にシスルは目頭が滲んだ。謝罪を何度も繰り返すたびに、敗北感に打ちのめされるようだった。

 (本当に、ごめん……)

 何よりも謝りたいのは、身を切られるような罪悪感のさなかでも、アスティを手に入れた喜びが消えないことだった。そんな風にでも手に入れたことを微塵も後悔できない。
 奪われるかもしれない。去られるかもしれない。かつて平然と誰かを傷つけ、裏切った自分が不安を掻き立てる。アスティは裏切らない。彼女の善性を理性では理解できても、感情は波立つばかりなのだ。誰よりも知ることが容易い自分の本音が、どす黒く汚いものだから。アスティが万が一。そう思うことを止められない。
 マクエルのようにアスティの選択を尊重できない。代わりにはなれず、なりたくもなかった。
 いつか来るかもしれない未来が、怖くてたまらなかった。また失うかもしれない恐怖に耐えられなかったシスルは、見える鎖で縛ることを選んだ。それは自分だけのための身勝手な選択。

 「アスティ……会いたいよ……」

 ひどくみじめな声で、シスルがアスティを呼ぶ。死ぬほど嫌いな男に打ちのめされて、シスルはとぼとぼと歩き出した。敗北感と罪悪感が渦巻いて、喉奥が震える。
 
 《お前はマクエルじゃない。なれるわけがない》

 何度もよみがえるランコムの残酷な言葉。逆立ちしてもかなわないアスティが愛した男は、よぎるたびに燃え上がる嫉妬でシスルを苦しめる。
 敗北感に打ちのめされたシスルは、まるで迷子の子供のような気持ちで馬車に乗り込んだ。一刻も早く帰りたい。アスティを手に入れた幸福感と優越感はぺしゃんこになり、祝いの言葉で高揚した気持ちは跡形もなく消えた。
 走り出した馬車の中で、手のひらに顔を埋める。

 (アスティ……愛してるんだ……)

 項垂れたまま一度も顔を上げることなく、シスルはそれだけをただひたすら繰り返した。

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