クズ男と逃げた魚

宵の月

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クズ男と逃げた魚 後編

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 シスルの結婚を伯爵が一旦諦めはじめたのは、婚約破棄から5年経過した頃だった。シスルは23歳。まだ若い。

 「………結婚しないのかね?」
 「その予定は今のところありませんね。」

 侯爵から不意の問いに、河川事業で報告会の資料をまとめる手が一瞬止まる。シスルは何でもないように必死に取り繕った。

 「そうか……」

 呟くようにそう言って侯爵が立ち去ると、取り繕うのをやめ急いで厩舎に向かった。見知った姿を見つけると、強引に物陰に連れ出す。

 「アスティに何があった?」

 ニタリと笑みを浮かべて手を突き出した男に、金貨を握らせる。

 「……毎度!早耳ですね~。」
 「何があった?」
 「旦那が倒れたらしいですよ。元から病弱ではあったらしいですけどね。」
 「倒れた?」
 
 じっと考え込むシスルに、受け取った金貨をポケットに突っ込みながら男が声を潜めた。

 「……大変でしょうね~跡継ぎ問題。アスティ様の御子はお一人で娘ですし。」

 そのまま男はブラブラと仕事に戻っていく。シスルはじわじわと染みてきた言葉に口元を覆った。しばらくそうして立ちすくんでいたが、やがてゆっくりと詰めていた息を吐き出した。

 その日からシスルは淡々と過ごしていた日常を一変させた。遠のいていた夜会にも頻繁に顔を出す。
 急に活動的になった息子に伯爵は喜んだ。だが1年後にはまたひどく落胆させられた。

 「はぁ?領地に引っ込むだと?」
 「ええ、運輸路整備に数年はかかります。」
 「それは、そうだが……」
 「準備は終わってます。明後日には発つので。明日、フラメル侯爵家に挨拶してまいります。ではこれで。」

 さっさと部屋を出て行った息子に、伯爵は頭を抱えた。予定されていただが、伯爵としては出立の時にはシスルは婚姻しているはずだった。それが未だに独り身。

 「本当に結婚しないつもりか……?」

 田舎に引っ込めば、婚期はますます遠のく。女遊びをやめ仕事をし、社交活動で評判も回復した。条件のいい釣書も頻繁に届く。やっとまともになったのに、どうして結婚してくれないのか。
 全く聞く耳を持たないシスルに、伯爵は結婚を本格的に諦めはじめた。

 「明日、領地に赴きます。今後の定期報告は後任が参ります。」
 「………そうか。」

 シスルは拳を握った。決然と顔を上げ、フラメル侯爵に視線を合わせる。

 「を離れ、運輸路の完成まで見届けてくるつもりです。」

 僅かに視線が絡み沈黙が落ちた。シスルは歯を食いしばったことを悟られないよう、礼をし部屋をあとにした。これは賭けだ。最後の。
 細く細く繋がっていた糸を、自ら断ち切ってシスルはゆっくり歩き出した。


※※※※※
 

 「アスティ!ごめん、待たせた。」

 白百合の花束を差し出しながら、シスルは眉尻を下げた。案内されたフラメル家の中庭で、シスルの訪問を受けたアスティはそれを小さく笑って受け取った。

 「打ち合わせが長引いて……。」
 「……いいの。お花、ありがとう。」

 俯いたアスティを見つめる。シスルは賭けには勝った。
 アスティの夫が病に倒れたことを知ったとき、思わず笑みを浮かべた。そんな自分に衝撃を受けても、詳細を確認することは止められなかった。
 社交界に足を運び情報を集めた。人脈を作り、評判も立て直した。アスティの夫が病没するのを確認して領地に向かった。
 フラメル侯爵がから、数年アスティを離すためにここを選んだ。それは侯爵の許しを勝ち取ったことに他ならない。
 アスティの夫は一人息子。夫の間には男はなしで娘一人。良好だった関係は、病を機に跡継ぎ問題が絡み急速に悪化した。
 未亡人で嫁ぎ先と一人娘の親権問題は未だ解決していない。はっきり言えば瑕疵のある娘。侯爵はシスルを選んだ。賭けには勝ったのだ。

 「……あの、アスティ……」

 俯いたままのアスティに、シスルはおずおずと声をかける。それでも半年の歳月が流れても、時折お茶を飲む程度だった。
 婚約時代アスティはシスルの顔色を伺っていた。単に不機嫌さのせいだと思っていたが、立場が変わってようやくわかった。怖いのだ。拒否されることが。不用意な一言が決定打になることが。
 夫の病を密かに喜び、こうなると分かって賭けに出た。アスティの穏やかな幸せを願う男にはなれなかった。自覚があるから迂闊に口を開けない。
 
 「あのさ、ずっと聞きたかったことがあるんだけど……」
 
 思い切って切り出したシスルに、アスティは顔を上げて首を傾げた。

 「……婚約してた10年、俺が好きだったか?」
 「ええ。」
 
 訝しげながらもアスティが迷いなく頷いたことに、シスルは喜びが湧き上がるのを感じた。それに励まされアスティをまっすぐ見つめた。

 「どこが好きだったんだ?あの時の俺のどこを好きでいられたんだ?」

 驚いたように目を見開いたアスティは、ふっと柔らかく微笑んだ。

 「全部よ。シスルはかっこよかった。性格も色々言う人はいたけど私は憧れてた。好き、キライ、イヤだ。シスルはいつもはっきりしてた。強いなって思ってた。何を言われても曲げないことに憧れてた。私は優柔不断だし、すぐ諦めてたから。はっきり意志のあるシスルにとっての《好き》になれたらって思ってたの。」

 懐かしそうに微笑んだアスティに、シスルの胸が震えるのを感じた。バカだな、アスティ。

 (強いんじゃなくて単に我儘で、自分勝手だっただけだ)
 
 初恋を抱いた少女にはそんなふうに自分はうつっていたらしい。欠点をまるで美点のように包み込んで。シスルは決めた。今確実に手に入れようと。

 「………優柔不断じゃなくて優しかっただけだ。諦めてたんじゃなくて譲ったんだ。優しいから。自分は我慢して。」

 言いながら立ち上がって、アスティを抱きしめた。我儘が強さに見えるように、自分勝手さに憧れを抱くように。もう一度自分に盲目になるように。

 「アスティ、好きだ。ずっと忘れられなかった。」
 「……シスル……!」

 抱きしめた腕の力で逃さないと教える。か弱い抵抗を無視して、その唇を奪った。
 人の本質は簡単に変わらない。それはアスティも同じだ。クズでいい。今確実に手に入れる。弱っている心につけ込んで。

 「愛してる、アスティ。8年間忘れられなかった。アスティしか考えられない。お前の今の状況は理解してる。助けになる。いくらでも待つ。結婚が無理ならそれでもいい。隣に居させて。」

 本心だ。でも狡いと自覚している。込み上げてきた涙も隠さない。それが痛みを抱えているアスティにどう響くか分かってつけ込む。口付けたまま抱え上げる。

 「献身的に尽してた。できるだけの配慮をした。それを知ってる。アスティは頑張った。そばにいてくれるなら、俺を愛せなくてもいい。アスティじゃないとだめなんだ。」

 アスティの罪悪感を掠め取り、甘い毒でとどめを刺す。アスティの中で終わった恋を揺り起こす。
 運び込んだ寝台に横たえて、拒否の言葉を封じるために即座に服を脱ぎ捨てた。

 「シス……」
 「愛してる、アスティ。」
 「……んっ!」

 身を起こしかけたアスティにそのまま深く口付ける。引き返せないように、今ここで手に入れる。甘い唇に心が震えた。

 「……シスル!」
 「もう、お前がいないと生きていけない。」

 命を盾にした睦言に、夫を亡くしたアスティが動きを止めた。そのまま肌に舌を這わせる。卑怯だと分かっていてシスルはやめる気はなかった。こうして触れてしまえば、もうアスティのいない年月には耐えられない。
 
 「キレイだ……アスティ……」

 8年間シスルを捉え続けた女を前に、掠れた声が零れた。もっと早く気付けていたら、生涯誰にも知られず自分だけのものにできたはずの女。

 「……あっ……待って……シス、ル……」
 「好きだ……アスティ……」

 身悶えに、喘ぎに、口付けに他の男の癖が垣間見えた。湧き上がる嫉妬を睦言に変えて、上書きするように指を舌を肌を重ねる。

 「アスティ……アスティ……」
 「……ふっ……ああっ……あっ……」

 首筋を胸をその頂を太ももを脇腹を。全身に丁寧にゆっくりと愛撫されるアスティが吐息を漏らす。
 蜜を零す秘裂にゆっくりとシスルは指を埋め込んだ。

 「あっ!ああっ!」

 熱く滑るソコは一面蛇腹の媚壁と、絡みつく肉襞でシスルの指に食いついた。奥へ奥へと引き込む動きが、あの日シスルを狂わせた記憶を刺激した。ゾクリと背筋を快楽が駆け抜け、シスルは唇を舐めた。

 「ふっ……あぁ……やぁ……あぁ……!あぁ……!」

 甘く蕩ける喘ぎを漏らすアスティを見下ろし、シスルはアスティの中を指で味わった。痛いほどに滾り、一刻も早く繋がりたがる己の下半身の訴えは無視した。繋がってしまえば理性は吹き飛ぶ。
 
 「アスティ……」

 甘く名前を呼んで、昇り詰めていくアスティを見つめる。元から快楽に弱い身体だった。アスティの中を味わえば、男は馬鹿みたいに腰を振る猿になる。
 アスティを抱いた男は、快楽に支配されろくに愛撫もしないで貪っていたはず。だからしつこく追い詰める。

 「ああっ!やぁ!いくっ!いっちゃう!」

 ぐりっと掻き回した指にアスティは目を見開いてのけぞった。指を押し付けたまま擦り付けると、アスティは悲鳴を上げて絶頂した。一部始終を目に焼き付けて、シスルは肌に口づけを降らせながら下腹部に顔を埋めた。シスルは指を居座らせたまま、固く腫れた花芯に舌を這わせる。

 「あっ!だめ!待って!シスル!シスル!!ああっ!」

 相変わらず毛のないそこは、動き回るシスルの舌動きを少しも妨げない。繋がってしまえば、シスルに勝ち目はない。その前に少しでも多く奪う。
 固くなった粒を舐めあげてきつく吸う。指に絡みつく肉襞を振り切るように、ざらざらと刺激しかない肉壁を何度も擦り上げ掻き回す。残った痕跡を癖をかき消すように。

 「シスル!だめ!だめぇ!ああああーーーー!!」

 じゅるじゅると音を立て吸い上げる。何度絶頂の悲鳴を上げてもシスルは愛撫の手を止めなかった。中が誘惑するように媚びて蠢いても、ひたすらアスティを追い詰める。

 「シスル……お願い……もう……お願い……」
 「言ってアスティ。どうしてほしいか言って。」

 アスティの涙混じりの懇願に、身を起こしシスルの声も掠れた。差し迫る欲望に息を弾ませながら、ぐちぐちとアスティの中に指を出し入れする。焼ききれる寸前の理性はもうほとんど残ってない。

 「……おね、がい……もう……シスルが……欲しい……」

 肌を上気させ、潤んだ瞳をうっすら開きながら見上げて懇願したアスティに、シスルは理性が切れる音を聞いた。

 「あああああーーーー!!」
 「ぐうぅ……」

 一気に突き入れられた瞬間、アスティは絶叫し、そのまま果てた。シスルもそのまま道連れをくらう。強制的に搾り取られた精液を出し切っても、ねっとりと蠢くアスティの中に促され、圧倒的な快楽に腰が揺れる。

 「アスティ……アスティ……好きだ……好きだ」

 揺れる腰を止められないまま、シスルはアスティをキツく抱きしめた。口にするほどに視界がにじむ。触れ合う素肌の心地良さが染みて、シスルの胸を満たすように湧き上がってくる感情。

 「アスティ……好きだ……好きだ……愛してる」

 それはこの8年の間、時々発作のように暴れ狂う凶暴な激情ではなかった。甘くあたたかく、そしてひどく切ない幸福感。

 「愛してる……愛してる……」

 生まれて初めて込み上げてきた想いに、シスルの涙は止まらなかった。頬を撫でたアスティの手を握り、繋がったまま深いキスをした。

 (愛してる、アスティ。愛してる)

 最初に囚われたのは身体だった。8年間心に巣食っていたのは嫉妬だった。そして今全身を満たしているのはひどく切ない幸福感を伴った愛。

 「アスティ……もう離さない、お前じゃなきゃだめなんだ……」
 「シスル……」

 頭がおかしくなるような鮮烈な快楽。胸を締め付ける切実な幸福感。何度も繋がってアスティは眠りに落ちた。その額にシスルが震える唇で口づけを落とす。

 「愛してる、アスティ……頼むからそばにいてくれ……」

 何でもする。同情でもなんでもいい。ささやく声に懇願が滲んだ。

 色のない8年を彷徨ったクズ男は、アスティなしに生きられない自分を自覚した。

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