カイザー・デルバイスの初恋

宵の月

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成功例のトレース・デート編

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 バルトル=クロハイツ邸の子供部屋では、三人の子供達が真剣な顔で額を突き合わせていた。
 
「ロシュ、ほんとっ!?」
「かいじゃーがいってた。ね、にいさま?」
「うん! カイジャーとサリーが結婚したらずっとこの国にいるって!」
「やったー! しゃりー、ショートケーキとけっこんするって、アリスとおやくそくしたの!」
「アリス、ショートケーキじゃなくてカイジャーでしょ?」
 
 嬉しげに瞳をキラキラさせる妹に、エルナンがちょっと困ったように小首を傾げる。
 
「そう、かいじゃー」
「だいじょうぶ。かいじゃー、おでかけにさそうっていってたもん。おでかけでやさしくして、にいさまがつくったプレゼントをあげたら、ぜったいけっこんするよ!」
「うん! サリーが好きなジャスミンだから、きっとカイジャーのこと好きになるよ!」

 エルナンに尊敬の眼差しを向けながら力強くロシュが頷き、アリスは兄達の言葉に嬉しそうに飛び上がった。大好きなサリースがカイザーと結婚する日が待ち遠しいと、三人は期待に笑みを輝かせる。

「みんな、何をお話してるの?」
「「「パパ、父様」」」

 そこへひょっこりとロイドとエイデンが顔を出した。成功例のトレース事件がなぜか上手くいったことで、アーシェの怒りが解け二人は最高にご機嫌だった。エイデンがアリスを抱き上げ、ロイドがロシュとエルナンを撫でる。

「アリス、ショートケーキをサリース嬢に譲ったと聞いた」
「うん、しゃりーにあげるー」
「うむ。ではサリース嬢とは結婚しないのだろう? 誰と結婚するのだ?」
「パパだよね?」

 まだ娘からの「お父さんと結婚する」を諦めていなかった双璧は、期待顔をアリスに向けた。アリスは自分を抱き上げるエイデンと、顔を覗き込んでくるロイドにキョトンと目を丸める。

「アリス、正直に父様と言っていい」
「パパなら好きなだけマカロン、買ってあげるよ?」

 ニコニコと迫る父親二人に、アリスはちょっと考え込んでからにっこりと満面の笑みを浮かべた。
 
「アリスね、おにぎりとけっこんするー」
「「おに、ぎり……」」

 雷に打たれたように固まった父親二人に、アリスはエイデンの腕を抜け出す。食べ物のことを思い出したアリスは、床に着地するとそのまま駆け出した。

「ママー! アリスおやつたべるー」
「「ぼくもーー!!」」

 おやつに反応したロシュとエルナンも、アリスの後をついて駆け出していく。

「「おにぎり……」」

 食べ物に負けてフリーズした父親二人だけが、虚しくその場に取り残された。

※※※※※

 サリースはドキドキと忙しない鼓動を、必死に落ち着かせながらせっせと準備を急ぐ。カイザーをデートに誘う勇気が出るのを待つ間に、なんとカイザーの方から誘ってもらえた。
 王都で人気の歌劇の観劇。持っているドレスを全部引っ張り出して、朝からずっと悩んでいるのにまだ決まらない。結局侍女の助言に従って、濃いワインレッドに黒のレースのドレスを選ぶ。

「……サラ、このドレスだとなんか強そうだわ」
「ですが本当にお似合いで、ひれ伏したくなるような圧倒的なお美しさです……」

 顔を高揚させうっとりと、本当にひれ伏しそうなサラにサリースは苦笑した。エスコートしてくれるのは、我が国の王太子。ひれ伏させるのはまずい。

(でも……全身じゃないし……)

 外観はどう見ても夜の女王のようになってしまっているが、身につけた新品の下着は薄いピンクの総レース。とても可愛らしいデザインの下着だ。

(べ、別に脱いだりするわけじゃないけど……一応ね、念のため……)

 自分に言い訳しながら勝手に赤くなる頬を押さえて俯くサリースを、サラがニコニコと見守る。

「お嬢様は元々大輪の薔薇のようにお美しいですが、近頃なんだか愛らしいと屋敷でも評判です!」
「そんな……」
 
 サラの言葉にサリースは赤くなって頬を押さえながら、クネクネと身を捩る。

「お嬢様、王太子殿下がお見えです」
「……っ!! す、すぐ行くわ!!」

 使用人に呼ばれサリースはびくりと肩を揺らした。返事を返しても落ち着かなくソワソワするサリースに、サラはそっと扉を開けて促した。

「お嬢様、参りましょう」
「う、うん……」

 サラがにっこりと安心させるように笑みを向けてくる。

「お嬢様、このサラがしっかり見極めますからね!」
「見極める?」
「はい! お嬢様の美貌が殿下を射止めるのは当然です。ですがお嬢様のお相手ならば、全てが備わっていなければなりません! 王太子殿下であろうと上辺だけじゃなく、中身もお嬢様に見合う方でないと! サラがしっかり見極めてみせますからご安心ください」
「サラ……気持ちは嬉しいけど、殿下に不敬だわ。むしろ私が釣り合うか……」
「お嬢様より美しい令嬢なんておりませんよ!」
 
 幼い頃から支えてくれるサラが、そんな風に話しかけて気を紛らわせてくれることに、サリースは小さく笑って頷いた。そうでなければ緊張に、脱兎のごとく逃げ出していたかもしれない。
 無事に着いた玄関ホールでカイザーに、サリースはどきどきと高鳴る胸を押さえながら礼を取る。

「……お待たせしました」

 王太子を迎えるために使用人が居並ぶ玄関ホール。ホテル以来の対面で真っ赤になって顔も上げられないサリースに、カイザーは目元を赤くしてため息のように囁いた。

「……サリー、すごく綺麗だ……」
「あり、がとうございます……カイザー様も……素敵です……」
「本当に……すごく、綺麗だ……」

 心の底から搾り出したカイザーは、うっとりとサリースに見惚れたまま動かなくなった。恥ずかしそうに俯いたままのサリースと、ヤニ下がってサリースを熱心に眺めまわす王太子。
 無毛な膠着状態に陥りそうな気配に、サラが小さく咳払いをする。ハッと覚醒したカイザーが、深呼吸をしてそっと花束を差し出した。

「サリー、誘いを受けてくれてありがとう。歌劇の誘いは断られるかもしれないと思っていたから」
「断るなんてそんな……」

 ホッとしたような表情と、心底嬉しそうなカイザーの言葉のにサリースは眉根を寄せた。どうしてそんなふうに思ったのか。不思議なほど喜ぶカイザーが、スッと差し出してきた花束にサリースは目を丸くする。

「ジャスミン……?」

 自分が贈られるのはいつだって真っ赤な薔薇だった。清楚で可憐なジャスミン、そしてどうやら造花の花束に戸惑って視線を上げるとカイザーが小さく苦笑を浮かべた。

「バルトル=クロハイツ家のエルナンが作った、サリーのための花束だ」
「エルナンが……? もしかしてギフトで……?」

 嬉しそうに笑みを浮かべて、サリースが差し出された花束を受け取る。
 サリースの新緑の瞳のエメラルドと、カイザーの瞳の赤金に輝く深い色合いのルビーが花柱にあしらわれている。ところどころ歪んだ拙さのある白い絹の花びら。
 ドラゴンの童話に瞳を輝かせる子供たちの笑みが浮かび、思わず受け取った花束をそっと抱きしめる。こんな心を震わせる贈り物は初めてだった。

「嬉しいです……とても……」

 サリースが笑みを浮かべ、抱きしめた花束にそっと鼻先を埋める。ふわりと香った温かみのあるジャスミンの香りは、どこか胸をくすぐる既視感を感じさせた。

「あ……」
「え?」

 香りを楽しんでいたサリースが、カイザーの声に顔を上げる。気まずそうに表情を赤くしているカイザーが、口を閉じては開けを何度か繰り返し、結局何も言わずに唇を引き結ぶ。

「カイザー様……?」
「いや……その、匂いは……」
「だめ、でしたか?」
「いや、そうじゃないんだ……ただ……」
「優しいジャスミンのいい香りがします……」
「そ、そうか……よ、よかったよ。嫌いな匂いじゃなければ……うん……」

 原材料を知らないサリースの眼差しに、カイザーは赤くなって口元を手のひらで覆い視線を逸らす。サリースは首を傾げながら花束に視線を落とした。いい匂いなのに。いつかどこかで嗅いだことのある、安心する香り。
 サリースはその香りを求めてもう一度、ジャスミンの花束をそっと鼻先を埋めた。使用人たちがそんな二人をほっこりと見つめている。
 親友のかわいい子供たちからの愛らしいプレゼントに、緊張にガチガチだったサリースの心がゆっくりとほぐれていく。サラに花束を慎重に預け、サリースは最高の贈り物をくれたカイザーに向き直った。

(本当にラプンチェルみたいに宝物をくれるのね……)

 カイザーはサリースの嬉しそうな笑みに、咳払いするとなんとか動揺を抑え込み手を差し出す。使用人たちに見送られ、サリースは成功例のトレースその二のデートへと出掛けていった。
 
 馬車の中で微笑むサリースを見つめながら、至宝の息子、エルナン・クロハイツの力作の花束。その原材料は王太子の脱ぎたてシャツ(体臭付き)。それを公衆の面前でクンクンと嗅ぐという、意図しない特殊プレイになっていたことは、一生涯秘密にしようとカイザーは心に誓った。

 
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