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1章 準備

1-1 断罪

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 教室の中心で、貴族の令嬢たちが一人の美少女を取り囲んで罵声を浴びせていた。
「平民のくせに、調子に乗らないことね!」
「またシャルロッテ様より目立つようなことをしたら、ただじゃおかないわよ!」
 それらの声を一身に受け、少女は困った顔をする。くりっとした大きな水色の瞳が、正面の貴族令嬢を映した。
「そんなこと言われても」
「言い訳しない!」
 ぴしゃりと言われ、少女は身を竦ませた。その動きにあわせて揺れた水色の髪は、肩にかかる辺りの長さで緩くウェーブしている。
 彼女はアイン。この王立学園に入学した初日から貴族令嬢たちに目を付けられ、1か月経った今もこうして頻繁に絡まれている。
 その様子を、後ろの方の席に座って見ている者がいた。アインに負けず劣らずの美少女で、長い緑髪が美しい。彼女こそ、貴族令嬢たちが名前を出した公爵令嬢「シャルロッテ様」である。

(いい気味)
 シャルロッテは自分の髪を弄びながら、アインの困った顔を眺めていた。それで留飲を下げる毎日だ。
 アインを囲んでいるのは、シャルロッテの取り巻きである。今みたいに罵声を浴びせているだけならまだマシなほうで、教科書を隠したり水をかけたり制服のブレザーの裾をハサミで切ったり色々しているらしい。その場に男子がいればアインを助けただろうが、教室は男女別なので、いじめ放題になってしまっている。
 だが、シャルロッテが指示した訳では無い。シャルロッテに忖度してやっている訳でもない。取り巻きたちは「シャルロッテ様のために」と合言葉のように口にしているが、ただの免罪符代わりだ。
 半分呆れながら、シャルロッテは溜息を吐く。
(私がやめろと言えばやめるんでしょうね。絶対に言わないけれど)
 他の女子とは全く異なる理由で、シャルロッテはアインを羨み妬ましく思っていた。
 シャルロッテが再び溜息を吐いた時、始業開始の鐘が鳴った。皆が席に着いてすぐ、教師が教室に入ってくる。
「今日は魔法適性についてです。教科書の20ページを開いてください」
 その言葉に従って教科書を開き、ぼんやりと眺めた。
(そういえば、アインが目を付けられた原因は、男子からの人気とかじゃなくて……)
 今でこそ女子の嫉妬を買っているアインだが、入学初日からそうだった訳では無い。貴族令嬢たちから目を付けられた直接の原因は、魔法適性の高さだった。
 魔法には6つの属性——火、雷、氷、補助、防御、治癒があり、魔法をどの程度使えるかは、各属性への適性次第だ。魔力が多ければ、適性も高く出やすい。王族や貴族は大抵、平民よりも魔力量が多いので、高い魔法適性を持つことが多い。適性はS、A、B、C、D、Eの6段階で表示される。Sなら理論上その属性の全ての魔法が使え、Eだと全く使えない。
 適正を測る魔石は、この学園と各地の教会にあり、平民は事前に教会で測ってから学園に試験を受けに来る。平民はいずれかの属性でA以上の適性があれば入学でき、貴族は適性が問われない代わりに多額の入学金を払わなければいけない。そして入学時、身分に関係無く全員の適性測定が改めて行われ、発表される。
 シャルロッテの魔法適性は補助がBで他はEだ。いまいちパッとしないが、適性Bでもその属性のほとんどの魔法が使えるため、シャルロッテ自身は満足していた。
 アインは火、雷、氷の3属性でSだった。3属性に適性を持つだけでも珍しいのに、その3つともがSというのは前代未聞。予め知っていた教師たちはともかく、生徒たちは大騒ぎした。結果としてアインはこれ以上無いほど目立ちまくり、学園中に名が知れ渡ったのだ。
(お嬢様たちに疎まれるのも当然ね。平民にこんなとんでもない魔法適性を出されちゃ、貴族の誇りが傷つくもの)
 もっとも、アインはいずれ貴族の養子になる。この学園が魔法適性の高い平民を受け入れているのは、その平民を在学中あるいは卒業後に貴族にするためだ。男なら功績次第で爵位を与えられることもあるが、女にそういう権利は無い。
(不公平よね。私には関係無いけれど)


 あっという間に時間は流れ、昼休みの鐘が鳴った。
 この時期は試験前なので、授業は昼で終わる。シャルロッテは、取り巻きに話しかけられる前に寮に帰ろうと、素早く教室を出た。
 教室は3階にあり、ガラス張りの廊下の窓から庭園が一望できる。それを横目に歩き、螺旋階段を下りようとしたところで。
(っ⁉)
 嫌な気配がしたと思ったら、後ろから口を塞がれた。
 誰何の声も助けを呼ぶ声も出せない。さして強い力を入れられている訳ではないのに。
(何か、吸わされた……)
 それだけは分かった。視界がぼやけ、体の力が抜けていく。
 そのまま意識が闇に沈んだ。


 どれだけ時間が経ったのだろう。目を覚ますと檻の中だった。シャルロッテは顔をしかめながら現状を把握しようとする。
 枷はつけられていないが、体が動かない。鉄格子にもたれて座っている状態で放置されていた。
 この檻は大きな鳥かごのような形で、置かれている場所は貴族の寝室のようだ。外はもう暗いのか、窓にはランプの灯った室内が映っている。
(……私をさらうなんて命知らずね。エルデ公爵がただじゃおかないわよ)

 シャルロッテが貴族になったのは、ほんの1年前だ。それまではずっと、王都から遠く離れたグレンツという街で暮らしていた。
 平民の中では割と裕福な家庭で、幸せだった。家族は優しかったし、友達も多かった。ずっとこの街で生きていくのだと信じて疑わなかった。
 王弟の使者が来るまでは。
 彼らはシャルロッテを強引に馬車に乗せ、王都の屋敷に連れ帰った。
 そこで明らかになったのは、シャルロッテが王弟――エルデ公爵の一人娘だという事実。赤子の時に乳母の手違いで行方が分からなくなり、ずっと秘密裏に捜索されていたのだ。
 シャルロッテは、自分が拾われた子だと知っていた。平民街の路地に捨てられていたのを、父が偶然見つけて連れ帰ったと聞いていた。だから、事実を知っても動揺はしなかった。
 ただ、納得がいかなかった。
 シャルロッテにとって、両親は育ててくれた2人であって、エルデ公爵とその妻ではない。血がつながっているからといって、今更家族になろうとは思えなかった。屋敷に連れて来られた時の強引さが、その思いに拍車をかけた。
 しかし、エルデ公爵はシャルロッテを溺愛した。長年捜し続けていた愛娘だ、どれだけ反抗されようと拒絶されようと笑って許してしまう。
 そんなエルデ公爵の態度が気色悪くて、シャルロッテは抵抗を諦めた。
 エルデ公爵の妻は、夫の態度に理解を示しながらもこのままでは駄目だと思い、シャルロッテを王立学園に入れることに決めた。夫は「シャルロッテと片時も離れたくない」と反対したが、シャルロッテはあっさり承諾した。エルデ公爵から離れられるなら、屋敷の外に出られるなら、何でも良かった。

(エルデ公爵は反対してたのよ。それが学園内で誘拐事件なんて……)
 シャルロッテが嘆息した時、ギギ、と耳障りな音が聞こえた。
 それは部屋の扉が開く音だった。
「気が付いたようだな」
 尊大に言いながら入ってきた少年は王立学園の制服を着ていて、ネクタイの色から同学年だと分かる。
 シャルロッテは眉根を寄せた。
「私を、シャルロッテ・フィル・エルデと知っての狼藉かしら?」
「もちろん知っているとも。貴様が、俺たちのアインをいじめている黒幕だとな!」
 返って来た答えに、シャルロッテは大きく嘆息した。
「……馬鹿なの?」
「何っ?」
「誘拐なんかして、どういうつもり? 文句があるなら学園内で言えば良かったじゃない」
「言えるものか! 俺の家が潰されかねない!」
「エルデ公爵の権力を恐れて文句を言えない、ということね。それなら尚更、誘拐なんて……」
「問題無い。誘拐を実行したのは手練れの者だ。証拠など残らんし、俺がやったこととは誰も知らずに終わる」
 少年の口調は冷静そうだったが、目は血走り、狂気じみた表情を浮かべている。
「貴様のせいで、アインが酷い目に遭ってるんだ! ああ、可哀そうなアイン! 貴様さえいなければ……貴様さえ!」
 叫びと共に剣が抜かれる。シャルロッテは目を見開いた。
 まさか、殺そうとしているのか。口で糾弾するだけでなく、アインの障害を排除しようとしているのか。
(信じられない! 何を考えているの⁉)
 極端すぎる。他にいくらでも、やりようはあるだろうに。正気とは思えない。
 現実逃避しかけた頭を、剣先が引き戻す。鉄格子の隙間から喉めがけて突きつけられた、剣先が。距離はあるのに、まるで刃に触れたような冷たい殺気を感じた。
 少年はゆっくりと剣を押し込んでいく。
「死ね、死ね、死ね、死ねぇ!」
 ゆっくり、ゆっくり。シャルロッテが呆然とするのを、怯えるのを、絶望するのを、じっくり愉しむように。
 シャルロッテは目をつぶった。剣が喉へ迫るのを感じながら、くるはずの痛みを、死を、震えて待った。
(……?)
 いつまで経っても、その瞬間が来ない。
 ゆっくり目を開くと、少年は目の前にいなかった。視線を窓際へめぐらせると、弾き飛ばされた剣と少年が転がっている。まるで、何かに吹き飛ばされたように。
 いや、何か音はした気がする。自分の心臓の音がうるさくて、よく聞こえなかったのだ。
 窓の逆側――部屋の扉の方に目を向けると、アインが立っていた。上がった息を整えながら、檻へと近付いてくる。
 シャルロッテはようやく理解した。少年は、アインの魔法で吹き飛ばされたのだ。
「……アイン……貴女、どうして……」
「はあ、はあ、……間に合って、良かった! 慌てて、階段、駆け上がったから……はあ……えと、どうやって、開ければ……あ、鍵。鍵ってどこ?」
「……そいつが持っているのではなくて?」
 シャルロッテは目線で少年を示した。体はまだ動かない。薬の効果が続いているせいなのか、先ほど感じた恐怖のせいなのか、判別がつかなかった。

 アインはひょこひょこと無警戒に少年に近付き、ズボンのポケットに手を突っ込む。剣は遠くに転がっているので危険は無いと判断してのことだ。ズボンに鍵が無いと分かると、次はブレザーのポケットへ手を伸ばした。
「きゃっ」
 ポケットへと届く前に、手首を掴まれた。少年が起きたのだ。
 少年はじっとアインを見つめると、掴んでいた手を両手で包み込み、恍惚とした顔になる。
「アイン様……! 来てくださったのですね、俺たちの女神よ! 待っていてください、すぐにシャルロッテを排除します!」
 とんでもない言葉に、アインは目を瞬かせた。
「え……? わたしは、シャルロッテを助けに来たんだよ」
「助けに……? 何故ですか、あんなやつに生きている価値などありません!」
「そんなこと言わないで。シャルロッテに酷いことしないで。お願い」
 うるんだ瞳で言うアイン。少年は息を呑んだ。
「アイン様……なんとお優しい……。分かりました、これ、檻の鍵です」
 少年は胸ポケットから鍵を取り出し、アインに握らせる。そして立ち上がり、檻を睨みつけて言い捨てた。
「おいシャルロッテ! アイン様の慈悲に感謝しろよ!」

 少年が部屋を出て行く。それを見送ったシャルロッテは、ガチャッと鍵の開く音を聞いた。
「開いたよ。帰ろ、シャルロッテ」
 ふわりと笑って言うアインを見上げ、シャルロッテは首を振る。
「まだ体が動かないわ。先に帰って頂戴」
「え、やだ。外は真っ暗で怖いんだもん。ここ、街はずれの廃屋敷なんだよ。敷地に入るのも、すっごく勇気が要ったんだから。動けないなら、待ってるよ」
「廃屋敷……? って、どうやってこの場所を知ったのよ」
「ペンのインクを切らしちゃって、街に買いに行ってたの。そうしたら、路地から声が聞こえて……盗み聞きしてたらね、あの人の計画が分かったから。助けに行かなくちゃって思って」
「貴女ねぇ……」
 シャルロッテは嘆息した。
「私は、貴女をいじめて愉しんでいた張本人よ。そんな私を助けるために、わざわざ来たなんて……本当に、何を考えているのよ」
「……わたし、シャルロッテにいじめられてなんてないよ」
「本気? 取り巻きが勝手にやったこととでも思っているわけ? 違うからね。私は貴女に嫉妬して八つ当たりしていたのよ」
 半分嘘だが、言葉にすると涙が出てきた。
 悔しくて。情けなくて。
 アインを憎くすら思っていたのは、彼女がわざわざ平民の生活を捨てて貴族社会に飛び込んできたからだ。自由に選択できるのが羨ましかった。妬ましかった。
(私は、あの生活を捨てたくなかった。平民のままでいたかった)
 アインは不思議そうに首を傾げる。
「でもわたし、あなたに何もされてないよ」
「分からないの⁉ 私がやめろと言えば取り巻きはいじめをやめるのに、そうしなかったのよ! 私が、愉しかったから!」
 叫び、うつむくシャルロッテ。その肩に、アインは手を乗せた。
「分かってるよ。無理してるんだよね。だって、あなたはそんな人じゃないもん」
「……何を言ってるのよ、馬鹿……私は……」
「何年か前にね、教会の用事で色んな街に行ったことがあるんだけどね」
「教会の……?」
「あ、わたし孤児だから。教会で育ったの。それでね、行った街で、あなたを見たことがあるんだ。……わたし、路地でカツアゲされてる子を見かけたんだけど、怖くてそのまま通り過ぎようとしたの。そうしたら、あなたは路地に入っていって、その子を助けて、颯爽と立ち去った。カッコいいなって思って、すごく印象に残ってたから……学園であなたを見て、すぐに分かったよ」
「……」
 シャルロッテは何も言えなくなった。
(私……自分を見失ってたんだわ)
 重いドレスで飾られ、高いヒールを履かされ、満足に動けない生活を1年続けていたせいかもしれない。そのうえ、行方不明になっていたことや平民として暮らしていたことは秘密にしなければならず、「今まで表に出なかったのは体が弱かったから」ということになっていた。家の面子を守るため、貴族然として振舞わなければならなかった。例外はエルデ公爵家の者と、親戚である王家の者のみだ。
 そんな環境に置かれては、自分が自分でなくなってしまう。自分でも気付かぬままに。
(でも、アインが気付かせてくれた。もう私は、自分を見失ったりしないわ)
 腕を上げようと試みると、動いた。アインをやんわり引きはがし、立ち上がりながら涙をぬぐい、苦笑する。
「ありがと。帰ろう、アイン」
「うん!」

 こうして2人は廃屋敷を後にした。
 寮に帰ると、門限を過ぎていると怒られた。2人がそれぞれの部屋に戻れたのは、寮に着いてから1時間後だった。


(とんでもない借りができちゃったわね……)
 シャルロッテはベッドの中で溜息を吐いた。
 命を救われたばかりか、自分を取り戻させてくれた。アインには感謝してもしきれない。

 そんなことを考えながら、眠りについたシャルロッテ。寝ている間に、彼女は思い出す。前世の記憶を……。




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