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シェフィールド公爵令嬢の恋(前編)
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ボクの親友アーサーは、二年次に進級してからすぐにベティさんと交際を始めた。
アーサーは自分の彼女”ベティ・クレイ”を普段から、笑顔が可愛い、マジ天使とか宣っている。しかし、ボクには彼女の笑う時の声が『フヘヘ』とか『デヘヘ』とか聞こえ、ちょい気色悪い笑みにしか見えないのだが・・・。
しかし、笑顔でなくベティさんの性格がマジ天使なのは知っている。
まあ人生初彼女なので、アーサーが浮かれているのも理解できなくはない。
ただそんなアーサーは、学院内に限らず様々なところでモテまくり、今の彼女以上の美少女からのお誘いも数知れず。
まさに選びたい放題なのたが、アーサーはベティさんだけをみている。
美少女な貴族からも、何度もアプローチがあった。プライドの高い貴族ですらアーサーとの交際を狙っていたのだ。
そう、ボクの親友は、マジ、モテる。
だが、しかしだ。
親友としてハッキリと言うが、アーサーの彼女はボクの双子の妹以外にあり得ないだろう。ミナ、サヤのどちらかと結婚してもらいたい。どうせなら2人とも連れて行ってくれても構わないとすら思う。父母も、アーサーが相手ならダメとは言わないに決まっている。
そんなボクの思いを口にしたこともあり、それに対してのアーサーは答えは、全くもって理解に苦しむ。
『ミナとサヤは、まだ5歳だろ。将来を決めるには早すぎるぜ』
『いやいや、10歳しか違わないね』
『11歳だろ』
別に良いじゃないかな~。
貴族なんて誕生した瞬間に許婚が決まることもある。
義兄としてボクも付いてくると言ったら、ちょっと気持ち悪そうにして、キッパリと断りやがった。
『いや、義兄はいらない・・・。・・・だってなぁー、リキはオレの親友で、生涯の相棒だろ』
その男前な返答に、不覚にもキュンとしてしまった。
仕方ないから、今だけはアーサーとベティさんの仲を認め、協力もすると約束した。それでも、アーサーの義兄になるのを諦めた訳じゃない・・・。
そして、今日も2人の仲への協力として、ボクは貴族の呼び出しに応じた。
平民からの呼び出しは全て完無視しているが、貴族の呼び出しに応じるぐらいの理性は働く。しかも今日の呼び出し相手は、フローレンス・ファー・シェフィールド公爵令嬢。
シェフィールド公爵家は、エディンバラ王国で最も古い貴族。知の大家としても有名で蔵書は王立図書館以上。研究成果での貢献はNo.1。魔術や技術の実用化でも王国を導いている。
公爵家は毎年複数の研究を論文発表し、最近では蒸気機関と魔術を組み合わせた列車を開発し、王国各地への鉄道敷設を熱心に取り組んでいる。
そんなシェフィールド公爵家の令嬢から呼び出しを受けた時のボクの感想は、非常に面倒くさいな、だ。これが子爵家や男爵家の令嬢だったら、アーサーには彼女がいて、割り込む隙はないと伝えて終了としただろう。
そう、公爵令嬢からの・・・しかもエディンバラ王国で最も古い貴族であり、権謀術数に長けた巨大な権力をもった貴族令嬢からの呼び出し。ボクには貴族令嬢の機微・・・というか、まあ平民女性の機微すら察するのは不可能なのだが・・・。
さてさて、どうなるやら。
相手の機嫌を損なわないよう上手く伝える魔術が存在すれば一生懸命覚えるが、話術を勉強するのは無理かな。ボクの気持ち的に・・・。
貴族令嬢が住む寮・・・というか屋敷?は、豪華絢爛な装飾に広々とした居室が用意されている。その中でも公爵令嬢は特別なのか、玄関ホールがあり、応接室、居室、寝室、浴室、侍女の部屋、メイドの部屋がある。
ボクはメイドに応接室へと通され、シェフィールド公爵令嬢に対面した。
彼女は三年次生で、絵に描いたような美少女。
長く美しい銀髪に整った顔立ち。輝く赤い瞳に艶やかな唇。ドレスの上からでも分かるスタイルの良さと、優しくも華美な雰囲気を全身から醸し出していた。
お互いがソファに座ると、シェフィールドはすぐに用件を告げてきた。
「わたくしは、あなた・・・・とアーサー・マッケンに興味があります。今日お呼び立てしたのは、色々お話を伺いたいのと。これから協力関係を築きたいと考えた次第です」
回りくどい話し方をしているが、ようはアーサーとの仲を取り持てということか・・・。
シェフィールドの口から発せられた言葉に失望しながら、リキは思った。
ああ、またか。
・・・ホント、面倒だな。
周りに察してくれというのは、侍女や仲間内だけにしてくんないかな。
溜め息が漏れそうになるのを堪え、いつもの不愛想な表情でリキが質問する。
「ちょっとお聞きしますが、シェフィールド嬢。あなたにも許婚がいるのでしょう?」
「んん? 婚約者がいる家も多いでしょうけど、わたくしに許婚はおりません。しかし、それは・・・関係ないでしょう?」
許婚がいようがいまいが、アーサーと交際するという意志か・・・。
しかし、宜しくはない状況だな。
許婚がいないとなると諦めさせるのが難しいだろうし・・・。
「そんなことより、当家が後ろ盾にもなります。家格という意味で、当家は最上級といっても良いぐらいだと自負しています。如何でしょう?」
「家格とか関係ないですね。気持ちの問題かな」
「わたくしでは無理だというのでしょうか?」
「あなたのような綺麗で聡明な方は、そうそういないですね」
美しい銀髪をクルクルと指で巻きながら、フローレンスは照れたような表情をみせる。
「それは・・・ありがとうございます」
はにかみながら話す姿は、年相応に可愛らしい。
「しかし人と人とは、利害関係だけではないんですよ。感情がある。心を動かせないと厳しいですね」
「協力とまでは申しませんが、良好な関係構築から始めたいと希望してもでしょうか? まず、わたくしと会話し相互理解を深めるのは如何でしょうか?」
侍女が2人の会話に割り込み、フローレンスにアドバイスする。
「フローレンス様。話が、かみ合っていないようですので、明確に要望を話されるべきだと愚考いたします」
「ん? そうなの・・・かしら?」
フローレンスは整った眉を軽くひそめる。
「クロス君は、わたくしが何の話をしていると思っているのしょうか?」
は? 今さらだね。ハッキリと言い渡して、恥を掻かせてやろうか。
こういう不遜な考え方を態度に表してしまうのが、リキの悪いクセだった。これが貴族たちへの受けを悪くする理由なのだが、まるで分かっていない。
勇者の相棒という名のモブ役を自任しているリキが、無駄に存在感を放ってしまい、多くの敵を作る原因である。
「ボクの親友アーサーと交際したいんだろうけど、今は彼女とラブラブですね。あんたに付け入る隙はないかな」
フローレンスは驚愕の表情を浮かべた。
そんなことも知らなかったのか。下調べもしないとは・・・。随分とボクの親友を軽く見てくれたな。
リキは鋭い視線を送り、普段の話し方になっている。
「それと、公爵家の権力を使っても無駄だね。ボクと違ってアーサーは勇者だからな。冒険者ギルドに認定された勇者は、英雄の卵。そして近い将来、アーサーは絶対に英雄になる。その英雄候補にちょっかいをかけるのは、冒険者ギルドを運営している王家に弓を引くと捉えられても仕方ないだろうね」
ドラゴン討伐なら勇者。街を破壊しつくす暴走した魔獣群を討伐すれば英雄。
勇者と英雄では格が違う。
リキはアーサーを英雄候補と持ち上げ、論理と理性をもって諦めさせようと話していた。しかし、親友を絶対に守るという気持ちが前面にでてしまう。
「子供の色恋ぐらいで、公爵家が王家とコトを構えるわけがない。それでも・・・、それでも公爵家が裏から手を回すというなら、ボクにも覚悟がある。アーサーはボクのために命をかけてくれた。ボクもアーサーのために、命をかけるのに躊躇はない」
いざとなったら貴族寮ごと吹き飛ばしてやる、とリキは物騒な思考に囚われていた。
そこに困惑した表情のフローレンスが一言。
「わたくしは、クロス君と交流を持ちたいだけなのですが・・・」
「えっ・・・。アーサーを紹介しなくても・・・良いのかな?」
リキは心底驚き、思わず素で訊いてしまった。
「いずれ紹介して頂けると嬉しいのですが、そこに恋愛的な意味はありませんわ。わたくしは最初に、クロス君に興味があると申したはずですが・・・」
リキは固まり、フローレンスは恥ずかしがり、応接室に気まずい雰囲気が漂う。
気分転換とばかりに侍女は呼び鈴でメイドを呼び、新しいお茶を振る舞ってくれた。
フローレンスはリキが落ち着くのを待つため、優雅にお茶を啜っている。
しばし無言でありつつも、リキは美味しいお茶とお菓子を味わいながら、頭脳をフル回転させていた。
ボクには、貴族と協力関係を結んだ経験がない。
どうする?
そもそも恋愛相談のつもりだったから、まったく予想外な申し出なんだよなー。
まずは条件交渉?
いやいや、目的の確認からか?
そもそも何の協力かな?
ふう・・・とりあえず訊くしかないかな・・・。
「協力関係とは?」
唐突に口を開いたリキに、フローレンスは徐に話し出す。
「当家は、クロス君の研究に興味があります。わたくしが学院に通っているので、窓口の役割とでもいうのでしょうか・・・。それで、当家の誇る図書館の文献と金銭でクロス君を支援します。もちろん研究成果は開示していただきますが、研究成果の著作者はクロス君として発表します」
「研究に興味? なんで?」
「昨年末、クロス君が学院に提出した論文に当家が興味をもったからです」
「あれは、学院で最低評価だったはずだけど」
「読む者が読めば、あの論文の価値が分かります。立体魔法陣・・・見事でした。当家で検証した結果、論文に記載のあったとおり氷結魔術が発動しました。しかも高威力なのにマナの消費量が少ない。学院の教師は教える役割であって、研究者ではないので価値を理解できなかったのでしょう」
一拍呼吸をおいてから、フローレンスはリキの研究の核心部分に触れてくる。
「遺跡から生還したというのも関連しているだろうと、当家の研究者は申しておりました。それでは如何でしょうか?」
全然どうして良いか分からない。全くもってどうしよう。考えが纏まらないんだが・・・。
立体魔法陣ぐらいなら良いのかな?
まてまて、落ち着くんだボク。
今のまま会話を続けると遺跡の件を話すことになる可能性が・・・。
それはヤバい。
そもそも『それでは如何でしょうか?』とは協力関係のことか? 遺跡のことか?
そうだ、一旦返事は先延ばしすればいいんじゃね。
ここは礼儀正しく丁寧に、それでいて言質を与えないよう先延ばしするんだ。
「まずは、協力関係の申し出ありがとうございます。なにぶん初めての経験ですので、返事は後日とさせてください」
「よい返事を期待していますわ」
貴族とのゆる~い繋がりは歓迎だが、油断したら遺跡を突き止められた上、取り上げられるかもしれないしな。そんな事態に陥ったら、おもわず公爵家の屋敷に”アマテラス”してしまうだろうな。
いやいや、それは周りの人に対して迷惑がすぎるかな。
まったく、貴族との協力関係なんて胡散臭すぎる。
面会から数日後。
今日もまた、リキはフローレンス公爵令嬢からお茶に誘われている。
しかも、誘いにくるのはメイドでなかった。
フローレンスの侍女のエスター・オーウェンだった。
侍女なのだから、フローレンスの傍から離れないと思っていたが、彼女が誘いにきたのには、すぐ納得がいった。
あの場にいたエスターは、フローレンスが良好な関係構築について語っていたのを知っている。それをネタに、硬軟あわせた誘い方をしてきたのだ。メイドが伝言を伝えに来ただけなら、絶対に断っていた。
それにしても公爵令嬢とは暇なのだろうか?
たまにかな? と思っていたら毎日呼び出される。しかも、断ろうと考えていた日に限って、シェフィールド公爵家の機密の研究資料を渡す予定です、と伝えられた。
何か、見透かされているのだろうか?
仕方なく、ボクは今日も貴族寮の広い廊下を歩き、フローレンスの許へと足を運んでいる。
すると妙齢の女性が2人、前方から並んで歩いてきた。服装から貴族や学院生にはみえない。
すれ違う際、2人の会話がリキの耳に入る。
『ドレスの着付けに髪のセットなんて、今日は何処かでパーティーあったっけ?』
『公爵家主催の秘密パーティーじゃない?』
『なるほどねー』
『それにしても、美しかったわねー。髪なんてサラサラで、光の反射で虹色になってたわよ』
『肌なんてシミ一つない白くて滑らかで・・・着付けしていて緊張しちゃった』
ボクはメイドに玄関ホールから応接室まで案内され、扉の前でしばらく待つ。
その時、応接室の中から、フローレンスとエスターの話し声が漏れ聞こえてきた。
『エスター。どうかしら?』
『とてもお似合いです』
『問題はそこじゃないわ』
『安心してください。しっかりと観察しておきますので。フローレンス様はここでポーズをとってください。それではクロス様を案内しますので』
応接室の扉が、エスターによって開かれた。
広い応接室の中央付近で、アクセサリーを身につけ、ドレスで着飾り、輝く銀髪をアップにまとめたフローレンスがリキを出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ」
「えーっと、今日はパーティーに出席ですかね?」
「いえ、これは・・・その」
「忙しいようでしたら、ボクはこれで失礼させていただきますが?」
疑問形にして訊いたが、ホントは帰るとの意志を込めていた。
「今日は、フローレンス様が出席されるパーティーでお召しになるドレスを選んでいました。実際に着てみないと分かりませんので」
侍女のエスターが口を挟んだ。
フローレンスとエスターの関係は主人と侍女との関係以上に見える。まるで、年の離れた姉妹のような雰囲気である。
「そっ、そうなんです」
エスターの助け舟に乗っかるよう、フローレンスは一言だけ返事をした。
「男性の目から見てどうでしょう? ぜひ感想を仰ってください。フローレンス様も感想をお知りになりたいのではないですか?」
「そっ、そうですね。・・・どっ、どうでしょうか? クロス君」
「フローレンス様。クロス様に全身をお見せするために、その場で、くるりと回ってみてください」
侍女して真剣な表情を見せているエスターだが、目は笑っていた。
「こっ、こうですか?」
リキは、美少女の色気漂う立ち姿に目を奪われ、返答に詰まる。
「えっ、あっ・・・と。とても良くお似合いで・・・綺麗ですね。こういうのは慣れていないので、語彙が貧弱で申し訳ない。とにかく一言で表すと”美しい”かな?」
「そ、それはありがとうございます。・・・嬉しいですわ」
うなじだけでなく頬まで朱に染まる。それを隠すようフローレンスは頬に手を当て、俯いてしまう。
この日も小一時間でお茶会は終了した。
『思い出してもらうには、当時の服装が宣しいかと・・・』
『しかしですね。訓練着になるのは分かりますわ。ですが、これは破けていますし・・・。それなら装備も必要になるのではないかしら?』
『鎖帷子は美しくないので却下させていただきます。全てに於いて当時の状況を再現する必要はありません。フローレンス様を思い出してもらうのと同時に美しさも見ていただかなくては意味がありませんので』
『でも、恥ずかしいわ』
学院の制服と異なり、実技のための訓練着は自由だった。平民の多くは支給されている訓練着を着用するが、貴族は全員、機能性とデザイン性に優れた訓練着を自分たちで用意している。
応接室の前で聞こえてくるフローレンスとエスターの会話から、今日の服装は訓練着かと思い、褒めるセリフを考える。
ボクは何をしているのか?
何のために来ているのか?
リキは訳が分からなくなってきていた。
応接室への扉がエスターにより開けられ、フローレンスの姿が現れる。
体にピッタリした訓練着からスタイルの良さが見受けられる。その女性らしいスタイル以上に、リキは白い素肌に目を奪われた。
訓練着は、右側から巨大な魔獣の爪で切り裂かれたようだった。斜めに上腕から胸にかけて、腹部、右腿、右膝の部分と4筋。大きく破れ、腿と膝の2ヶ所は肌が見えていた。
胸部と腹部の裂け目からは、キャミソールらしき生地が覗く。
フローレンスは恥ずかしさから赤くなり、リキは扇情的な服装の刺激で真っ赤になった。
この日のお茶会は、2人の同意の元、延期となった。
リキは毎日呼び出され、毎日違う服装を見せられていた。
良好な関係を築き、協力関係へと結びつけいくという目的のためのお茶会のはずだが、毎日服やアクセサリーが似合うかどうか訊かれている。
毎回お茶とお菓子を振る舞われているので、餌付けから協力関係へと持っていこうとしているのか・・・。
貴族の迂遠なやり方は、まったく理解できない。
そんな日常が突然破られた。
公爵家から使者が現れたのだった。
しかも、実技演習中に。
魔術コース2年Eクラスの実技演習中。
大講堂前の演習場で、実技教官が生徒を前に魔術の説明をしていた。
生徒40名は教官を中心に半円を描き、真剣な表情で説明に聞き入っている。その中でリキは、半円の隅から一歩後ろに離れた位置で、説明を聞き流していた。今日の実技の内容”アイスバレッド・スリー・ショット”は、幼い頃のリキが、寒さに弱い魔獣を退治するのに使用していた魔術であった。
今更感があったので、アイスバレッドの大きさを5倍にしたり、ショット数を10倍にしたりと魔法陣を改良していた。そして発動準備まで整えては、魔法陣を破棄している。
実技教官の説明中に魔術を発動させ、演習の邪魔をするような真似はしない。試したいのは山々だが、お説教を食らうのは時間の無駄だからだ。
その時、いつもの演習風景が一変した。
黒スーツ姿に黒ボーラーハット(山高帽)を被った20名ほどの一団が大講堂の方からやってきたのだ。ザッザッザッと正確なリズムに同じ歩幅で草原を踏みしめ、一部の隙も見当たらない。まるで軍人の一隊が戦場に赴くかのような雰囲気を醸し出している。
先頭を歩いていた、一段とヤバい雰囲気を纏った男が実技教官に丁寧に話しかける。
「授業中に失礼。私はシェフィールド公爵の使いの者でレイモンド・ハントと申します」
エディンバラ王立大学院の実技教官ともなれば、国の中でも一流の魔術師なのだが、黒スーツの男の威圧感にのまれている。
「リキ・クロス君に用事がありまして、彼はどちらに?」
実技教官がリキに顔を向け、答える。
「彼ですが・・・」
黒スーツの一団は危険な空気を纏い、ゆっくりとリキに向かって歩いて行く。
クラスメートは重苦しい空気に押し潰されそうになり、誰もが息をのみ、身動きがとれない。
リキを包囲しようと黒スーツが展開していく。
「今すぐでしょうか?」
生徒を預かる実技教官の矜持によってか、非難する口調で問うたが、冷たい口調でレイモンドは有無を言わせぬ。
「公爵がお呼びしておりますで」
興味を失ったかのようにレイモンドは実技教官に背を向け、リキへと歩き出す。
黒スーツの一団による包囲網が完成する寸前、リキは”幻術・吾”と”超速移動”を発動した。
「キミを公爵家へ招待する」
レイモンドが幻影に話しかけると、眼鏡をかけた黒スーツの一人が叫んだ。
「隊長、ファントムです。実体は森の前に!」
「対象を捉えろ!」
捕まえろではなく、捉えろであり、レイモンドに拘束する意図はないのだが、リキは意識を戦闘モードに切り替えていた。
遺跡の魔術をあまり見せたくないリキは、通常魔術を準備した。
黒スーツの3分の2が追いかけ、残りが魔術を構築するが、リキの魔術がいち早く発動する。
「アイスバーン。アイスバレッド。ファイアウォール」
迫ってくる黒スーツの足下にアイスバーンを出現させた。そして無数の、通常より大きなアイスバレッドが襲い掛かる。次いでリキのすぐ前に、炎の壁が立ち上がる。
アイスバーンに足を取られ、まともにアイスバレッドの攻撃を受けても、行動不能になる者はいない。シェフィールド家特製の鎖帷子をスーツの下に着こんでおり、通常より大幅に威力が増加したアイスバレッドをものともしなかった。
それでもリキを捉えるのは難しいと考えたのか、レイモンドは部下に命令する。
「対象の拘束と第二限定解除を許可する!」
レイモンドの命令を、眼鏡をかけた黒スーツが、すかさず大声で全員に伝達する。
「対象拘束。第二限定解除ぉおおお」
黒スーツの一団にとって第二限定解除とは、戦争用魔術は使用禁止。殺傷能力のある魔術は使用可能となる。具体的には”ファイヤー・ランス””ウィンド・カッター”はOKだが、”ヒュージ・アイシクル・ダウン””ファイヤー・バトリング・ラム”はNGである。
「なにをする。学院の生徒に手を出すな。これは公爵家にも正式に抗議させてもらう」
実技教官がレイモンドに抗議の声を上げたが、すでに眼中にないのか、黙殺し、リキの逃走先に鋭い視線を投げる。
潜伏できそうな場所を探しながら、リキは森の中を全力で駆け抜けている。
”超速移動”は直線での移動しかできず、移動先との間に障害物があると使用できない。森の中では、まず使用できない魔術だった。
それにしても公爵家の者だけあって手練れ揃いのようで、遺跡で解析し修得した魔術で幻影を出現させても全く振り切れない。遠見の魔道具の捕捉機能付きの眼鏡をかけた黒スーツが、的確な指示を出し、その指示に即座に対応できる技量があるからだ。
黒スーツの一団は適度に間隔をとり、森の燃やさないようアイスバレッドとエアバレッドを中心とした遠距離攻撃を四方八方から放つ。リキが遠距離攻撃の防御に一杯一杯となった隙をつき、近づいてきていた複数人の黒スーツが三段ロッドを叩き込んでくる。
その攻撃を、リキは金属製の腕輪と足輪で”シールド”を発動させ、四肢を使って防御していた。
埒が明かぬと判断したのか、黒スーツの一団の攻撃は激しさを増していく。
攻撃魔術はアイス・ランス、ウィンド・カッターと苛烈になっていき、物理攻撃の三段ロッドには炎を纏わせた打撃&魔術となっていった。この容赦のない攻撃に、遂にリキは遺跡の防御魔術であり、切り札の一つを使った。
防御魔術《群成白楯(ぐんせいしらたて)・予知》。
”群成白楯・予知”は、複数の1辺20㎝の透明な六角形の盾が、術者の周囲で警戒し、自動で攻撃を防ぐ。高性能ゆえマナの消費が激しく、術者を中心として空間に揺らぎが生じる。
ここの森の中で身を隠すのを諦め、リキは全力で走り抜けるのを選択した。
”群成白楯・予知”はアイス・ランス、ウィンド・カッター等の攻撃魔術を遥か手前で止め、近づいてきた黒スーツの攻撃は後10㎝のところで止める。
後は何処かで、”天岩屋戸(あまのいわやと)の扉”を開く約1分を稼げれば逃げられる。しかし、追跡者から1辺2mの天岩屋戸の扉が見えない位置を確保しなければならない。
”天岩屋戸の扉”魔術の存在は、絶対にバレてはいけない。
家族にも知られていない秘密で、知っているのは唯一親友にして相棒のアーサーだけだった。
森を抜ければ、アマテラスを放った広大な草原にでる。
草原のその先は、山裾に広がる深い森があり、そこには洞窟など隠れられる場所が幾つもある。今いる森と山裾の森との間は、短い場所でも8㎞。
アーサーの希望で作成していた魔術刻印”体力回復・強”を、この逃走劇が始まってから何度も使用している。使用後の副作用が心配すぎるが、今はそんなことを気にしていられない。
さてさて、草原で迎え撃って時間を稼げるかな?
ダメなら、色々と覚悟を決めないと・・・。
おかしいなー、ボクは平穏な学院生活は送りたいだけなのに・・・。
いやいや、まだまだ大丈夫だね。
一旦遺跡に退避できれば、絶対に良いアイディアが浮かんでくる・・・はず・・・だよね?
ボクは誰にともなく尋ねるよう思考し、決意を新たにする。
まずは、遺跡に行く。
今後のことは、それからかな。
午後から始まった逃走劇はすでに夜となり、中天にある満月が草原を明るく照らしている。
さっきまでの森の中と違い、動くもの全てが把握できそうだった。
草原に出たリキは憎々し気に、物理的に欠けていて真円にならない月を睨む。
さきに”超速移動”で距離を稼ぎ山裾の森に入ったとしても、黒スーツ達は森の中ですぐに追いつくだろう。肉体のスペックは明らかに黒スーツが上・・・というより遥かに上だった。
黒スーツ達を撃ち破ってから山裾の森に”超速移動”で逃げ込む。撃破が無理でも5分ぐらい行動不能にできれば、山裾の森に入って3分ぐらいのところにある洞窟に逃げ込める。
草原を1㎞ぐらい疾走してからリキは振り返る。
黒スーツの一団が50m先で止まった。
そう、50mは魔術師の距離。
いくら肉体強化の魔術を使った剣士が飛び掛かってきても、魔術刻印での魔術発動のほうが早い。
とりあえず安全な距離にいるリキは、遺跡の魔術以外で最大の範囲攻撃魔法”ヒュージ・カラムン・フレイム””ヒュージ・アイシクル・ダウン””ダウンバースト”の呪文を詠唱し始める。
黒スーツの代表らしき男が何か言っている。投降勧告だろうが、聞いている余裕はない。
”ヒュージ・カラムン・フレイム”と”ダウンバースト”は腕輪にも足輪にも魔術刻印していない。そのため、呪文のすべてを詠唱しなければならない。呪文詠唱しながら、魔術制御して発動タイミングを計る。その上、黒スーツの動きにも注意を払う。リキには話を聞く余裕などなかった。
”ヒュージ・カラムン・フレイム”の魔法陣を空中で一際大きく展開し、”ヒュージ・アイシクル・ダウン”と”ダウンバースト”の両魔法陣をその後ろに隠すように展開させた。
「ヒュージ・カラムン・フレイム」
リキは黒スーツの一団を全員範囲に入れ、巨大な炎の円柱を出現させたのだ。
アーサーは自分の彼女”ベティ・クレイ”を普段から、笑顔が可愛い、マジ天使とか宣っている。しかし、ボクには彼女の笑う時の声が『フヘヘ』とか『デヘヘ』とか聞こえ、ちょい気色悪い笑みにしか見えないのだが・・・。
しかし、笑顔でなくベティさんの性格がマジ天使なのは知っている。
まあ人生初彼女なので、アーサーが浮かれているのも理解できなくはない。
ただそんなアーサーは、学院内に限らず様々なところでモテまくり、今の彼女以上の美少女からのお誘いも数知れず。
まさに選びたい放題なのたが、アーサーはベティさんだけをみている。
美少女な貴族からも、何度もアプローチがあった。プライドの高い貴族ですらアーサーとの交際を狙っていたのだ。
そう、ボクの親友は、マジ、モテる。
だが、しかしだ。
親友としてハッキリと言うが、アーサーの彼女はボクの双子の妹以外にあり得ないだろう。ミナ、サヤのどちらかと結婚してもらいたい。どうせなら2人とも連れて行ってくれても構わないとすら思う。父母も、アーサーが相手ならダメとは言わないに決まっている。
そんなボクの思いを口にしたこともあり、それに対してのアーサーは答えは、全くもって理解に苦しむ。
『ミナとサヤは、まだ5歳だろ。将来を決めるには早すぎるぜ』
『いやいや、10歳しか違わないね』
『11歳だろ』
別に良いじゃないかな~。
貴族なんて誕生した瞬間に許婚が決まることもある。
義兄としてボクも付いてくると言ったら、ちょっと気持ち悪そうにして、キッパリと断りやがった。
『いや、義兄はいらない・・・。・・・だってなぁー、リキはオレの親友で、生涯の相棒だろ』
その男前な返答に、不覚にもキュンとしてしまった。
仕方ないから、今だけはアーサーとベティさんの仲を認め、協力もすると約束した。それでも、アーサーの義兄になるのを諦めた訳じゃない・・・。
そして、今日も2人の仲への協力として、ボクは貴族の呼び出しに応じた。
平民からの呼び出しは全て完無視しているが、貴族の呼び出しに応じるぐらいの理性は働く。しかも今日の呼び出し相手は、フローレンス・ファー・シェフィールド公爵令嬢。
シェフィールド公爵家は、エディンバラ王国で最も古い貴族。知の大家としても有名で蔵書は王立図書館以上。研究成果での貢献はNo.1。魔術や技術の実用化でも王国を導いている。
公爵家は毎年複数の研究を論文発表し、最近では蒸気機関と魔術を組み合わせた列車を開発し、王国各地への鉄道敷設を熱心に取り組んでいる。
そんなシェフィールド公爵家の令嬢から呼び出しを受けた時のボクの感想は、非常に面倒くさいな、だ。これが子爵家や男爵家の令嬢だったら、アーサーには彼女がいて、割り込む隙はないと伝えて終了としただろう。
そう、公爵令嬢からの・・・しかもエディンバラ王国で最も古い貴族であり、権謀術数に長けた巨大な権力をもった貴族令嬢からの呼び出し。ボクには貴族令嬢の機微・・・というか、まあ平民女性の機微すら察するのは不可能なのだが・・・。
さてさて、どうなるやら。
相手の機嫌を損なわないよう上手く伝える魔術が存在すれば一生懸命覚えるが、話術を勉強するのは無理かな。ボクの気持ち的に・・・。
貴族令嬢が住む寮・・・というか屋敷?は、豪華絢爛な装飾に広々とした居室が用意されている。その中でも公爵令嬢は特別なのか、玄関ホールがあり、応接室、居室、寝室、浴室、侍女の部屋、メイドの部屋がある。
ボクはメイドに応接室へと通され、シェフィールド公爵令嬢に対面した。
彼女は三年次生で、絵に描いたような美少女。
長く美しい銀髪に整った顔立ち。輝く赤い瞳に艶やかな唇。ドレスの上からでも分かるスタイルの良さと、優しくも華美な雰囲気を全身から醸し出していた。
お互いがソファに座ると、シェフィールドはすぐに用件を告げてきた。
「わたくしは、あなた・・・・とアーサー・マッケンに興味があります。今日お呼び立てしたのは、色々お話を伺いたいのと。これから協力関係を築きたいと考えた次第です」
回りくどい話し方をしているが、ようはアーサーとの仲を取り持てということか・・・。
シェフィールドの口から発せられた言葉に失望しながら、リキは思った。
ああ、またか。
・・・ホント、面倒だな。
周りに察してくれというのは、侍女や仲間内だけにしてくんないかな。
溜め息が漏れそうになるのを堪え、いつもの不愛想な表情でリキが質問する。
「ちょっとお聞きしますが、シェフィールド嬢。あなたにも許婚がいるのでしょう?」
「んん? 婚約者がいる家も多いでしょうけど、わたくしに許婚はおりません。しかし、それは・・・関係ないでしょう?」
許婚がいようがいまいが、アーサーと交際するという意志か・・・。
しかし、宜しくはない状況だな。
許婚がいないとなると諦めさせるのが難しいだろうし・・・。
「そんなことより、当家が後ろ盾にもなります。家格という意味で、当家は最上級といっても良いぐらいだと自負しています。如何でしょう?」
「家格とか関係ないですね。気持ちの問題かな」
「わたくしでは無理だというのでしょうか?」
「あなたのような綺麗で聡明な方は、そうそういないですね」
美しい銀髪をクルクルと指で巻きながら、フローレンスは照れたような表情をみせる。
「それは・・・ありがとうございます」
はにかみながら話す姿は、年相応に可愛らしい。
「しかし人と人とは、利害関係だけではないんですよ。感情がある。心を動かせないと厳しいですね」
「協力とまでは申しませんが、良好な関係構築から始めたいと希望してもでしょうか? まず、わたくしと会話し相互理解を深めるのは如何でしょうか?」
侍女が2人の会話に割り込み、フローレンスにアドバイスする。
「フローレンス様。話が、かみ合っていないようですので、明確に要望を話されるべきだと愚考いたします」
「ん? そうなの・・・かしら?」
フローレンスは整った眉を軽くひそめる。
「クロス君は、わたくしが何の話をしていると思っているのしょうか?」
は? 今さらだね。ハッキリと言い渡して、恥を掻かせてやろうか。
こういう不遜な考え方を態度に表してしまうのが、リキの悪いクセだった。これが貴族たちへの受けを悪くする理由なのだが、まるで分かっていない。
勇者の相棒という名のモブ役を自任しているリキが、無駄に存在感を放ってしまい、多くの敵を作る原因である。
「ボクの親友アーサーと交際したいんだろうけど、今は彼女とラブラブですね。あんたに付け入る隙はないかな」
フローレンスは驚愕の表情を浮かべた。
そんなことも知らなかったのか。下調べもしないとは・・・。随分とボクの親友を軽く見てくれたな。
リキは鋭い視線を送り、普段の話し方になっている。
「それと、公爵家の権力を使っても無駄だね。ボクと違ってアーサーは勇者だからな。冒険者ギルドに認定された勇者は、英雄の卵。そして近い将来、アーサーは絶対に英雄になる。その英雄候補にちょっかいをかけるのは、冒険者ギルドを運営している王家に弓を引くと捉えられても仕方ないだろうね」
ドラゴン討伐なら勇者。街を破壊しつくす暴走した魔獣群を討伐すれば英雄。
勇者と英雄では格が違う。
リキはアーサーを英雄候補と持ち上げ、論理と理性をもって諦めさせようと話していた。しかし、親友を絶対に守るという気持ちが前面にでてしまう。
「子供の色恋ぐらいで、公爵家が王家とコトを構えるわけがない。それでも・・・、それでも公爵家が裏から手を回すというなら、ボクにも覚悟がある。アーサーはボクのために命をかけてくれた。ボクもアーサーのために、命をかけるのに躊躇はない」
いざとなったら貴族寮ごと吹き飛ばしてやる、とリキは物騒な思考に囚われていた。
そこに困惑した表情のフローレンスが一言。
「わたくしは、クロス君と交流を持ちたいだけなのですが・・・」
「えっ・・・。アーサーを紹介しなくても・・・良いのかな?」
リキは心底驚き、思わず素で訊いてしまった。
「いずれ紹介して頂けると嬉しいのですが、そこに恋愛的な意味はありませんわ。わたくしは最初に、クロス君に興味があると申したはずですが・・・」
リキは固まり、フローレンスは恥ずかしがり、応接室に気まずい雰囲気が漂う。
気分転換とばかりに侍女は呼び鈴でメイドを呼び、新しいお茶を振る舞ってくれた。
フローレンスはリキが落ち着くのを待つため、優雅にお茶を啜っている。
しばし無言でありつつも、リキは美味しいお茶とお菓子を味わいながら、頭脳をフル回転させていた。
ボクには、貴族と協力関係を結んだ経験がない。
どうする?
そもそも恋愛相談のつもりだったから、まったく予想外な申し出なんだよなー。
まずは条件交渉?
いやいや、目的の確認からか?
そもそも何の協力かな?
ふう・・・とりあえず訊くしかないかな・・・。
「協力関係とは?」
唐突に口を開いたリキに、フローレンスは徐に話し出す。
「当家は、クロス君の研究に興味があります。わたくしが学院に通っているので、窓口の役割とでもいうのでしょうか・・・。それで、当家の誇る図書館の文献と金銭でクロス君を支援します。もちろん研究成果は開示していただきますが、研究成果の著作者はクロス君として発表します」
「研究に興味? なんで?」
「昨年末、クロス君が学院に提出した論文に当家が興味をもったからです」
「あれは、学院で最低評価だったはずだけど」
「読む者が読めば、あの論文の価値が分かります。立体魔法陣・・・見事でした。当家で検証した結果、論文に記載のあったとおり氷結魔術が発動しました。しかも高威力なのにマナの消費量が少ない。学院の教師は教える役割であって、研究者ではないので価値を理解できなかったのでしょう」
一拍呼吸をおいてから、フローレンスはリキの研究の核心部分に触れてくる。
「遺跡から生還したというのも関連しているだろうと、当家の研究者は申しておりました。それでは如何でしょうか?」
全然どうして良いか分からない。全くもってどうしよう。考えが纏まらないんだが・・・。
立体魔法陣ぐらいなら良いのかな?
まてまて、落ち着くんだボク。
今のまま会話を続けると遺跡の件を話すことになる可能性が・・・。
それはヤバい。
そもそも『それでは如何でしょうか?』とは協力関係のことか? 遺跡のことか?
そうだ、一旦返事は先延ばしすればいいんじゃね。
ここは礼儀正しく丁寧に、それでいて言質を与えないよう先延ばしするんだ。
「まずは、協力関係の申し出ありがとうございます。なにぶん初めての経験ですので、返事は後日とさせてください」
「よい返事を期待していますわ」
貴族とのゆる~い繋がりは歓迎だが、油断したら遺跡を突き止められた上、取り上げられるかもしれないしな。そんな事態に陥ったら、おもわず公爵家の屋敷に”アマテラス”してしまうだろうな。
いやいや、それは周りの人に対して迷惑がすぎるかな。
まったく、貴族との協力関係なんて胡散臭すぎる。
面会から数日後。
今日もまた、リキはフローレンス公爵令嬢からお茶に誘われている。
しかも、誘いにくるのはメイドでなかった。
フローレンスの侍女のエスター・オーウェンだった。
侍女なのだから、フローレンスの傍から離れないと思っていたが、彼女が誘いにきたのには、すぐ納得がいった。
あの場にいたエスターは、フローレンスが良好な関係構築について語っていたのを知っている。それをネタに、硬軟あわせた誘い方をしてきたのだ。メイドが伝言を伝えに来ただけなら、絶対に断っていた。
それにしても公爵令嬢とは暇なのだろうか?
たまにかな? と思っていたら毎日呼び出される。しかも、断ろうと考えていた日に限って、シェフィールド公爵家の機密の研究資料を渡す予定です、と伝えられた。
何か、見透かされているのだろうか?
仕方なく、ボクは今日も貴族寮の広い廊下を歩き、フローレンスの許へと足を運んでいる。
すると妙齢の女性が2人、前方から並んで歩いてきた。服装から貴族や学院生にはみえない。
すれ違う際、2人の会話がリキの耳に入る。
『ドレスの着付けに髪のセットなんて、今日は何処かでパーティーあったっけ?』
『公爵家主催の秘密パーティーじゃない?』
『なるほどねー』
『それにしても、美しかったわねー。髪なんてサラサラで、光の反射で虹色になってたわよ』
『肌なんてシミ一つない白くて滑らかで・・・着付けしていて緊張しちゃった』
ボクはメイドに玄関ホールから応接室まで案内され、扉の前でしばらく待つ。
その時、応接室の中から、フローレンスとエスターの話し声が漏れ聞こえてきた。
『エスター。どうかしら?』
『とてもお似合いです』
『問題はそこじゃないわ』
『安心してください。しっかりと観察しておきますので。フローレンス様はここでポーズをとってください。それではクロス様を案内しますので』
応接室の扉が、エスターによって開かれた。
広い応接室の中央付近で、アクセサリーを身につけ、ドレスで着飾り、輝く銀髪をアップにまとめたフローレンスがリキを出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ」
「えーっと、今日はパーティーに出席ですかね?」
「いえ、これは・・・その」
「忙しいようでしたら、ボクはこれで失礼させていただきますが?」
疑問形にして訊いたが、ホントは帰るとの意志を込めていた。
「今日は、フローレンス様が出席されるパーティーでお召しになるドレスを選んでいました。実際に着てみないと分かりませんので」
侍女のエスターが口を挟んだ。
フローレンスとエスターの関係は主人と侍女との関係以上に見える。まるで、年の離れた姉妹のような雰囲気である。
「そっ、そうなんです」
エスターの助け舟に乗っかるよう、フローレンスは一言だけ返事をした。
「男性の目から見てどうでしょう? ぜひ感想を仰ってください。フローレンス様も感想をお知りになりたいのではないですか?」
「そっ、そうですね。・・・どっ、どうでしょうか? クロス君」
「フローレンス様。クロス様に全身をお見せするために、その場で、くるりと回ってみてください」
侍女して真剣な表情を見せているエスターだが、目は笑っていた。
「こっ、こうですか?」
リキは、美少女の色気漂う立ち姿に目を奪われ、返答に詰まる。
「えっ、あっ・・・と。とても良くお似合いで・・・綺麗ですね。こういうのは慣れていないので、語彙が貧弱で申し訳ない。とにかく一言で表すと”美しい”かな?」
「そ、それはありがとうございます。・・・嬉しいですわ」
うなじだけでなく頬まで朱に染まる。それを隠すようフローレンスは頬に手を当て、俯いてしまう。
この日も小一時間でお茶会は終了した。
『思い出してもらうには、当時の服装が宣しいかと・・・』
『しかしですね。訓練着になるのは分かりますわ。ですが、これは破けていますし・・・。それなら装備も必要になるのではないかしら?』
『鎖帷子は美しくないので却下させていただきます。全てに於いて当時の状況を再現する必要はありません。フローレンス様を思い出してもらうのと同時に美しさも見ていただかなくては意味がありませんので』
『でも、恥ずかしいわ』
学院の制服と異なり、実技のための訓練着は自由だった。平民の多くは支給されている訓練着を着用するが、貴族は全員、機能性とデザイン性に優れた訓練着を自分たちで用意している。
応接室の前で聞こえてくるフローレンスとエスターの会話から、今日の服装は訓練着かと思い、褒めるセリフを考える。
ボクは何をしているのか?
何のために来ているのか?
リキは訳が分からなくなってきていた。
応接室への扉がエスターにより開けられ、フローレンスの姿が現れる。
体にピッタリした訓練着からスタイルの良さが見受けられる。その女性らしいスタイル以上に、リキは白い素肌に目を奪われた。
訓練着は、右側から巨大な魔獣の爪で切り裂かれたようだった。斜めに上腕から胸にかけて、腹部、右腿、右膝の部分と4筋。大きく破れ、腿と膝の2ヶ所は肌が見えていた。
胸部と腹部の裂け目からは、キャミソールらしき生地が覗く。
フローレンスは恥ずかしさから赤くなり、リキは扇情的な服装の刺激で真っ赤になった。
この日のお茶会は、2人の同意の元、延期となった。
リキは毎日呼び出され、毎日違う服装を見せられていた。
良好な関係を築き、協力関係へと結びつけいくという目的のためのお茶会のはずだが、毎日服やアクセサリーが似合うかどうか訊かれている。
毎回お茶とお菓子を振る舞われているので、餌付けから協力関係へと持っていこうとしているのか・・・。
貴族の迂遠なやり方は、まったく理解できない。
そんな日常が突然破られた。
公爵家から使者が現れたのだった。
しかも、実技演習中に。
魔術コース2年Eクラスの実技演習中。
大講堂前の演習場で、実技教官が生徒を前に魔術の説明をしていた。
生徒40名は教官を中心に半円を描き、真剣な表情で説明に聞き入っている。その中でリキは、半円の隅から一歩後ろに離れた位置で、説明を聞き流していた。今日の実技の内容”アイスバレッド・スリー・ショット”は、幼い頃のリキが、寒さに弱い魔獣を退治するのに使用していた魔術であった。
今更感があったので、アイスバレッドの大きさを5倍にしたり、ショット数を10倍にしたりと魔法陣を改良していた。そして発動準備まで整えては、魔法陣を破棄している。
実技教官の説明中に魔術を発動させ、演習の邪魔をするような真似はしない。試したいのは山々だが、お説教を食らうのは時間の無駄だからだ。
その時、いつもの演習風景が一変した。
黒スーツ姿に黒ボーラーハット(山高帽)を被った20名ほどの一団が大講堂の方からやってきたのだ。ザッザッザッと正確なリズムに同じ歩幅で草原を踏みしめ、一部の隙も見当たらない。まるで軍人の一隊が戦場に赴くかのような雰囲気を醸し出している。
先頭を歩いていた、一段とヤバい雰囲気を纏った男が実技教官に丁寧に話しかける。
「授業中に失礼。私はシェフィールド公爵の使いの者でレイモンド・ハントと申します」
エディンバラ王立大学院の実技教官ともなれば、国の中でも一流の魔術師なのだが、黒スーツの男の威圧感にのまれている。
「リキ・クロス君に用事がありまして、彼はどちらに?」
実技教官がリキに顔を向け、答える。
「彼ですが・・・」
黒スーツの一団は危険な空気を纏い、ゆっくりとリキに向かって歩いて行く。
クラスメートは重苦しい空気に押し潰されそうになり、誰もが息をのみ、身動きがとれない。
リキを包囲しようと黒スーツが展開していく。
「今すぐでしょうか?」
生徒を預かる実技教官の矜持によってか、非難する口調で問うたが、冷たい口調でレイモンドは有無を言わせぬ。
「公爵がお呼びしておりますで」
興味を失ったかのようにレイモンドは実技教官に背を向け、リキへと歩き出す。
黒スーツの一団による包囲網が完成する寸前、リキは”幻術・吾”と”超速移動”を発動した。
「キミを公爵家へ招待する」
レイモンドが幻影に話しかけると、眼鏡をかけた黒スーツの一人が叫んだ。
「隊長、ファントムです。実体は森の前に!」
「対象を捉えろ!」
捕まえろではなく、捉えろであり、レイモンドに拘束する意図はないのだが、リキは意識を戦闘モードに切り替えていた。
遺跡の魔術をあまり見せたくないリキは、通常魔術を準備した。
黒スーツの3分の2が追いかけ、残りが魔術を構築するが、リキの魔術がいち早く発動する。
「アイスバーン。アイスバレッド。ファイアウォール」
迫ってくる黒スーツの足下にアイスバーンを出現させた。そして無数の、通常より大きなアイスバレッドが襲い掛かる。次いでリキのすぐ前に、炎の壁が立ち上がる。
アイスバーンに足を取られ、まともにアイスバレッドの攻撃を受けても、行動不能になる者はいない。シェフィールド家特製の鎖帷子をスーツの下に着こんでおり、通常より大幅に威力が増加したアイスバレッドをものともしなかった。
それでもリキを捉えるのは難しいと考えたのか、レイモンドは部下に命令する。
「対象の拘束と第二限定解除を許可する!」
レイモンドの命令を、眼鏡をかけた黒スーツが、すかさず大声で全員に伝達する。
「対象拘束。第二限定解除ぉおおお」
黒スーツの一団にとって第二限定解除とは、戦争用魔術は使用禁止。殺傷能力のある魔術は使用可能となる。具体的には”ファイヤー・ランス””ウィンド・カッター”はOKだが、”ヒュージ・アイシクル・ダウン””ファイヤー・バトリング・ラム”はNGである。
「なにをする。学院の生徒に手を出すな。これは公爵家にも正式に抗議させてもらう」
実技教官がレイモンドに抗議の声を上げたが、すでに眼中にないのか、黙殺し、リキの逃走先に鋭い視線を投げる。
潜伏できそうな場所を探しながら、リキは森の中を全力で駆け抜けている。
”超速移動”は直線での移動しかできず、移動先との間に障害物があると使用できない。森の中では、まず使用できない魔術だった。
それにしても公爵家の者だけあって手練れ揃いのようで、遺跡で解析し修得した魔術で幻影を出現させても全く振り切れない。遠見の魔道具の捕捉機能付きの眼鏡をかけた黒スーツが、的確な指示を出し、その指示に即座に対応できる技量があるからだ。
黒スーツの一団は適度に間隔をとり、森の燃やさないようアイスバレッドとエアバレッドを中心とした遠距離攻撃を四方八方から放つ。リキが遠距離攻撃の防御に一杯一杯となった隙をつき、近づいてきていた複数人の黒スーツが三段ロッドを叩き込んでくる。
その攻撃を、リキは金属製の腕輪と足輪で”シールド”を発動させ、四肢を使って防御していた。
埒が明かぬと判断したのか、黒スーツの一団の攻撃は激しさを増していく。
攻撃魔術はアイス・ランス、ウィンド・カッターと苛烈になっていき、物理攻撃の三段ロッドには炎を纏わせた打撃&魔術となっていった。この容赦のない攻撃に、遂にリキは遺跡の防御魔術であり、切り札の一つを使った。
防御魔術《群成白楯(ぐんせいしらたて)・予知》。
”群成白楯・予知”は、複数の1辺20㎝の透明な六角形の盾が、術者の周囲で警戒し、自動で攻撃を防ぐ。高性能ゆえマナの消費が激しく、術者を中心として空間に揺らぎが生じる。
ここの森の中で身を隠すのを諦め、リキは全力で走り抜けるのを選択した。
”群成白楯・予知”はアイス・ランス、ウィンド・カッター等の攻撃魔術を遥か手前で止め、近づいてきた黒スーツの攻撃は後10㎝のところで止める。
後は何処かで、”天岩屋戸(あまのいわやと)の扉”を開く約1分を稼げれば逃げられる。しかし、追跡者から1辺2mの天岩屋戸の扉が見えない位置を確保しなければならない。
”天岩屋戸の扉”魔術の存在は、絶対にバレてはいけない。
家族にも知られていない秘密で、知っているのは唯一親友にして相棒のアーサーだけだった。
森を抜ければ、アマテラスを放った広大な草原にでる。
草原のその先は、山裾に広がる深い森があり、そこには洞窟など隠れられる場所が幾つもある。今いる森と山裾の森との間は、短い場所でも8㎞。
アーサーの希望で作成していた魔術刻印”体力回復・強”を、この逃走劇が始まってから何度も使用している。使用後の副作用が心配すぎるが、今はそんなことを気にしていられない。
さてさて、草原で迎え撃って時間を稼げるかな?
ダメなら、色々と覚悟を決めないと・・・。
おかしいなー、ボクは平穏な学院生活は送りたいだけなのに・・・。
いやいや、まだまだ大丈夫だね。
一旦遺跡に退避できれば、絶対に良いアイディアが浮かんでくる・・・はず・・・だよね?
ボクは誰にともなく尋ねるよう思考し、決意を新たにする。
まずは、遺跡に行く。
今後のことは、それからかな。
午後から始まった逃走劇はすでに夜となり、中天にある満月が草原を明るく照らしている。
さっきまでの森の中と違い、動くもの全てが把握できそうだった。
草原に出たリキは憎々し気に、物理的に欠けていて真円にならない月を睨む。
さきに”超速移動”で距離を稼ぎ山裾の森に入ったとしても、黒スーツ達は森の中ですぐに追いつくだろう。肉体のスペックは明らかに黒スーツが上・・・というより遥かに上だった。
黒スーツ達を撃ち破ってから山裾の森に”超速移動”で逃げ込む。撃破が無理でも5分ぐらい行動不能にできれば、山裾の森に入って3分ぐらいのところにある洞窟に逃げ込める。
草原を1㎞ぐらい疾走してからリキは振り返る。
黒スーツの一団が50m先で止まった。
そう、50mは魔術師の距離。
いくら肉体強化の魔術を使った剣士が飛び掛かってきても、魔術刻印での魔術発動のほうが早い。
とりあえず安全な距離にいるリキは、遺跡の魔術以外で最大の範囲攻撃魔法”ヒュージ・カラムン・フレイム””ヒュージ・アイシクル・ダウン””ダウンバースト”の呪文を詠唱し始める。
黒スーツの代表らしき男が何か言っている。投降勧告だろうが、聞いている余裕はない。
”ヒュージ・カラムン・フレイム”と”ダウンバースト”は腕輪にも足輪にも魔術刻印していない。そのため、呪文のすべてを詠唱しなければならない。呪文詠唱しながら、魔術制御して発動タイミングを計る。その上、黒スーツの動きにも注意を払う。リキには話を聞く余裕などなかった。
”ヒュージ・カラムン・フレイム”の魔法陣を空中で一際大きく展開し、”ヒュージ・アイシクル・ダウン”と”ダウンバースト”の両魔法陣をその後ろに隠すように展開させた。
「ヒュージ・カラムン・フレイム」
リキは黒スーツの一団を全員範囲に入れ、巨大な炎の円柱を出現させたのだ。
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