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第一部 最終章

ライルが知ったこと

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ライルは王宮の回廊を血相を変えて走る。時計の針は、婚姻の儀へと刻一刻と迫っている。

神殿への道のりはまだ遠い。この時ばかりは、王宮の広さを痛感せねばならなかった。

回廊を走るライルにぶつかりそうになって、侍女が慌てふためき、魔道師の部下たちは、ぽかんと驚いた顔をしてライルの背中を見送った。

途中、ライルが文官に激しくぶつかると、文官は手にした書類をまき散らしながら、床に突っ込むように転がった。そして、男は自分が誰にぶつかったかを知り、目を丸くしてライルを見つめた。

「失礼 ─ ちょっと急いでいるものでね」

ライルは、その文官の驚いた顔をちらりと眺めながら、そのまま、さっさと通り過ぎる。

こんなに走ったのはいつ以来だろう。多分、最後に野原を駆け回ったのは、まだ年端もいかない少年だった頃だ。

そんなライルを見つけた魔道師たちは、我が目を疑いながら、お互いに囁きあう。

「─ おい、あれ、ライル様じゃなかったか?」

「ああ、そう見えたけど、幻視じゃないか?」

おそらく、新しい術をライル様が開発中なんだろう。だって、宮廷魔導士長があんな風に走る訳ないもんなと、納得している。

そして、やっと目指している神殿が見えた。

何故もっと早く、この事実に気づかなかったのだろう。ライルの胸の中は、己の愚かさを呪ってやりたい気持ちでいっぱいだった。

女神は、アンヌではない。本物のフローリアは、ライルのほんのすぐ傍にいたのだ。

そもそも、フロルは、始めから、滅多に懐かない氷竜のヒナを懐かせていたではないか。貴重なブール草を雑草のように、いとも簡単に収穫していた。王宮の庭師でさえ手を焼くほどの難易度の高い薬草をだ。

どんな獲物でも立ちどころに飲み込んでしまう三つ目の蛇もフロルを襲うどころか、抱きしめて求愛行動をしていたし、風船鳥も未だにフロルの仕事場の窓で求愛のダンスを踊っている。

魔道師の試験では、魔道師塔が揺らぐほどの大爆発をさせるほど、フロルの魔力は膨大で、竜騎士の竜たちも、竜舎を逃げ出して、フロルの後をまるでペットのように追い回していた。

もちろん、軍馬であるエスペランサもフロルに対してはことごとく甘い。

そう、動物たちは知っていたのだ── 

リルだけでなく、エスペランサも、風船鳥も、竜騎士の竜たちも、知っていたのだ。

本当の女神は、女神の生まれ変わりはあの忌々しいマリアンヌ・レルマではなく、フロル、いや、フローリア・ダーマだと言うことを。

今や、全ての事柄がライルの中でつながり、全てがすとんと胸の中で府に落ちる。

神託なんかなくたって、動物たちは本能的に、人間たちよりもずっと早く、フロルが女神の生まれ変わりであるとわかっていたのだ。

それにしても ─ ライルの口元には皮肉たっぷりの笑みが浮かぶ

魔力も何も持たない女を、ありがたく神殿で崇め奉っている神官どもは、なんて馬鹿なのか。

人を取り違えた挙句、ご丁寧に聖剣の騎士とまで婚姻をさせるなんて、茶番もいい所だ──

そして、ライルはついに大神殿の扉の前へと到着した。

大神殿の入り口を固めていた近衛はライルを認め、すんなりと大神殿の入り口を通してくれた。

近衛達は、神官と犬猿の仲である魔道師長が婚儀に姿を現したことに驚き、そして、そのライルが走ってきてせいで、ぜいぜいと荒い息をしていること、無言ではあったがに二重に驚いていた。しかし、変にそれを指摘して、魔導師長の逆鱗に触れてはたまらなかったので、あえて、何も言わないでおいた。

彼らが目を見開いて自分を見つめていることにライルは気づいていたが、何食わぬ顔で礼拝堂の扉の前に立つ。

中から楽隊が奏でる音楽がかすかに耳にしながらライルは、荒い息を整える。そして、ふーっと深呼吸して気を落ち着かせてから、大神殿の扉を大きく開いた。

その瞬間、沢山の顔がライルをじっと見つめ、何事かと訝しがっているのが手に取るようにわかる。

そこで、ライルは胸に手を当て慇懃無礼な礼を一つとった。

自分は言わなければならない。今、この場で、沢山の人々の前で、本当の女神が、女神の生まれ変わりが誰であるかを── 

ライルの声が礼拝堂に響き渡る。

「残念ながら、この婚礼の中止を申し立てに参りました。この茶番に満ちた婚儀を今すぐに中止していただきたい」

ライルは口元に皮肉たっぷりの笑みを浮かべて、周囲の人々に笑いかけた。もう、こんなくだらない茶番はおしまいだ。

「なっ、何を馬鹿なことを! 血迷うのも大概にしてもらいたい」

大神官が激高して叫ぶ。そして、少し冷静になった所で、慇懃無礼で馬鹿にするような口調でライルに続けた。

「魔道師長殿、残念ながら、場違いな所にいらっしゃったようですな」

大神官の後ろには、ギルの両親や兄弟もいた。マルコムも正装していたが、驚いたように立ち上がるのが見えた。

大神殿の中には、参列者たちが驚いたような声をあげ、ざわざわとした空気が流れている。神官たちも、突然の侵入者に驚き、巫女もびっくりして固まっていた。

「皆のもの、静かに」

突然、そのざわめきをつき破るように誰かの声が響き渡ると、その声の主が誰であるかを悟り、礼拝堂は、急にしんっと静まり返る。国王が言葉を発したのだ。威厳のこもった低い声で、国王はライルに続けて問う。

「ノワール魔道師長、その理由を聞かせてもらおうか」

国王がどっしりした姿勢を崩さずにライルに問う。

ライルは、再度、丁寧な礼をとり、静かに口を開く。

「── 陛下、ご無礼をお許しください。けれども、新たな事実が判明いたしました」

「ほう、それはなんだね?ノワール」

「フローリアは、レルマ子爵令嬢の他に、もう一人いたことが判明いたしました」

「なんだって? もう一人、フローリアがいたのか?」

王太子も椅子から立ち上がり、声をあげた。婚礼衣装を来たアンヌが青ざめた顔をして、両手で口を覆っているのが見える。

にわかに騒然とした空気の中で、ライルは大胆不敵にもたった一人で、その事実を告発したのである。

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