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第一部 最終章

二人のフローリア

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「フロル・・・」

ライルの執務室。グエイドとライルは、思わずぎくりと身を固めた。

「あの、ライル様、お呼びですか?」

本来の予定をライルはすぐに思い出す。

「ああ、すまない。そうだ。グエイドと君と打ち合わせだったね」

「それで来たんですけれど・・・」

フロルはそう言うものの、顔色があまりよくないことにライルが気付く。よく見れば、目の淵が赤く滲んでいるし、少し腫れぼったいような気もする。

「それで、だな、フロル、その・・・お前は聞いているか?」

グエイドが、おずおずと切り出した。今まで、ギルの話をしていて、素知らぬ顔で仕事の話に戻るのがなんとなく憚られたのだろう。

「話って、ギル様のことですか・・・?」

フロルの声がいつになく沈み、重い口調である。ライルは、やはりフロルも知っているのかと感じた。

「ああ、そうだ。ギルが神殿に軟禁状態になっているようなのだが・・・その、女神との・・」

その先は、ライルでもさすがに言い出せなかった。フロルが可哀そうで。

そんなライルに、フロルはあきらめきった表情を浮かべる。

「ええ。アイリさんから聞きました。明後日、ギル様と女神との婚儀が執り行われるって」

「あの偽女神、やることなすこと早いな」

ライルが忌々し気に口を開くと、グエイドも悔し気に言う。

「全てのおぜん立ては、大神官の差し金でもあるそうです。神官のくせに、そういう政治的な駆け引きだけは抜け目ないというか」

「これが魔導師内の管轄であれば、私がいくらでも命じてやれるんだが、生憎、神殿内の決定事項となると、どうにもしがたいんだ」

ライルが申し訳なさそうに言う。フロルは黙って首を横にふった。

「フロル、大丈夫かい?なんだったら、明日は休んでもいいよ?」

「いえ・・・でも、仕事もありますし」

「いいんだ。たまには気晴らしも必要だろ。せっかくご家族も王都に来ているんだ。弟さんを王都に観光につれていってやったらどうだ?」

「そうですね・・・」

フロルは可哀そうなくらいしょんぼりして、うつむいている。ギルの結婚の話がよほどこたえたのだろう。それも無理はないなとライルは思う。

「そうか。その、あまり気を落とさずにだな。仕事のことなんか気にせず行ってこい」

グエイドもフロルを気の毒に思ったのか、一生懸命、休暇を取るように勧める。

「どうしよう・・・本当にいいんですか?」

「ああ、もちろんだ。気分転換にもちょうどいいだろう」

ウィルも一生懸命、リハビリに励んでいるのだ。少しのご褒美だっていいだろう。

「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます。ウィルも喜ぶと思います 」

「それにしても、偽女神も手の込んだマネをするね」

ライルも忌々し気に呟く。

そして、その後、打ち合わせが終り、フロルが肩を落としながら、執務室を出ていくのをライルは見送った。

ライルは、アンヌの取り澄ました顔を思い出し、苦々しくため息をつく。

「あの偽女神、なんとかならないでしょうかね」

横でグエイドが気ぜわし気に呟く。今や、偽女神は魔導師全員からの反感を買っていたのだ。



そして、数日後。

神殿は華やかに飾り付けられ、晴れやかな雰囲気を纏っている。神殿の鐘が鳴り響き、祝賀ムード一式に彩られていた。

女神フローリア・マリアンヌ・レルマと、聖剣の騎士 ギルバート・エルネスト・リードとの婚姻が、もうすぐ始まろうとしている。

巫女や神官はいそいそと働き、花を飾ったり、お供え物をしたりと準備にいそしんでいる。

神託による急な婚儀ということで、参列者の数は少ないものの、神官関係者とマリアンヌの家族、ギルの家族や部下たちも集まるのだそうだ。

そんな様子を冷ややかに眺めている者たちがいた。魔道士たちだ。

当然、その長であるライルは、婚儀になど出る気はさらさらない。いつものように、気難しい顔をして、祝賀ムードの王宮の中で、いつも通り実務に励んでいた。

たまたま神殿の近くを通りかかったが、ライルはぷいと神殿にそっぽを向き、目的地に向かって足を運んでいる所であった。

胸くそ悪い思いを噛みしめながら、ライルが回廊を歩いていると、子供の泣き声が耳にはいる。

それは所々擦れていたが、子供の泣き声であることには変わりない。

回廊を一つ曲がった先で、思った通り、途方に暮れた近衛騎士と、泣きじゃくっている子供が目に入った。

子供はかすれた声でぴーぴーと泣いている。

おおかた偽女神の婚儀の参列者だろう。

子供なんて煩いだけだ、とライルは一瞬、眉を顰めたものの、ライルはふと胸にひっかかるものを感じて、つと足を止めた。

その子供に見覚えがあった。あの子は、確か、フロルの弟のウィルではなかったか。

「どうしたんだ?」

ライルが立ち止まって訊ねれば、近衛は困った顔をする。

「この子がフローリア様の弟だと言うので、神殿につれていったのですが、フローリア様から弟ではないと否定されまして」

「フローリアとは、どういう・・?」

ライルは眉を顰めながら、訝し気に近衛に視線を向けた。

そこで、小さな男の子は一層、大きな声で泣きじゃくった。時折、むせ込みながら、ライルにしがみつき、わんわんと泣いた。

「ちがうもん。あのおねえさん、フローリアお姉ちゃんじゃないもん・・・」

── 今、なんて?

ライルはぎくりして、目の前の小さな男の子をまじまじと見つめる。

この子がフロルの弟であることは、100%間違いない。

そして、その子はフロルのことを、確かにフローリアと呼んだ。フローリアお姉ちゃん、と。

ライルの胸の中に一つの可能性が浮かび上がった。

── もし、それが本当なら、本当だったら? 

ライルは顔色を変えて、しゃがみ込み、子供の両肩に手を置いて、その顔を覗き込む。

「フローリアお姉ちゃんって言うのは、フロルのことかい?」

小さなウィルはつぶらな茶色の瞳でライルを見上げ、ぐずぐずと鼻を啜りながら、頷く。

なんてことだ。

──この宮廷内に、フローリアは二人いた。

ライルは、ちり紙を取り出して、ウィルの鼻水やら涙を拭いてやった。

「フロルの本当の名前は何て言うんだい?」

「・・・フローリアお姉ぢゃん」

宮廷魔道師長ライル・ノワールの整った唇にそっと冷たい笑みが浮かぶ。

やはり、アンヌが女神だと言うのは間違いだった。それも、酷く滑稽で、酷く許しがたい間違いだ ─

─ そう、この手違いは訂正しておかなければ。

そして、ちらりと、時計台に目を向けた瞬間、ライルははっと顔色を変えた。時計台の針は、もうすぐ婚儀が始まることを示していた。そして、ライルは弾けたように走り出した。何がなんでも婚儀を中止しなくては── 

「あ、ライル様、どちらへ?」

慌てて声をあげる近衛をあっさりと無視する。近くでは、侍女たちが驚いたようにぽかんと自分を見つめている。宮廷魔導師長が慌てて走る光景など見たこともないのだろう。

けれども、ライルはそんなことは全く気にかけていない。

ギルの婚儀がもうすぐ始まってしまう。ライルは、神殿に向かって、一目散に駆け出していたのだ。

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