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1巻
1-3
しおりを挟む「ねぇ……もう少し、あの子のことを教えてくれないかな?」
ライルは整った顔立ちに愛想笑いを浮かべる。言葉に少し魔力を乗せれば、それは覿面に効果を発揮した。司書は先ほどの様子が嘘だったように口を開く。
「……あの子は、ダーマ亭っていう宿屋の娘さんですよ。フロルちゃんっていってね」
ライルの目がキラリと光る。
無詠唱の魔術で一般人の口を割らせるくらい、赤子の手をひねるより簡単だ。ライルは思惑通り、司書の女性からフロルの家庭の事情や、弟のことまで洗いざらい全て聞き出してしまった。
「で、なんでお前がダーマ亭にいるんだ? ライル?」
夕食の時刻、ライルはダーマ亭の食堂にいた。そこにやってきたギルは、彼に呆れたように声をかけた。ギルの胡散臭いといわんばかりの視線をさらっと無視して、ライルは何食わぬ顔で嘯く。
「私もたまには世俗に塗れてみてもいいのかなって思ってさ」
「他の騎士たちはどこへやったんだ? ダーマ亭は、俺の部下でほとんど満室だったはずだが」
魔道師長だけでは心配だとライルの部下たちも同行してきたので、ダーマ亭の中は、魔道師の姿もちらほらと見られる。ギルはそれに気づいたのだろう。ライルは、平然と答えた。
「ああ、お貴族様のお屋敷に泊まってもらうことにしたよ」
「あいつら、ああいう堅苦しいところが嫌いだったはずだがね?」
ギルが少しの嫌味を込めて言うと、ライルはしれっと返す。
「夜の護衛は、あちらに泊まったほうが便利だからね」
「お前、変な魔術を使ったんじゃないだろうな?」
「失礼だな。魔術ではなく、袖の下と言ってくれたまえ」
「……買収したのか?」
「いやだなあ。買収だなんて人聞きの悪い。トレードと言って欲しいな」
肩をすくめて笑う魔道師に、ギルは呆れた目を向ける。
「気まぐれもほどほどにな……お前、ダーマ亭で魔術の実験とかするなよな?」
「ここは一般人の宿屋だから、絶対に変なことするなよ?」と、心配そうに何度も念を押すギルに、ライルはうるさそうな顔をする。
「私にだって、常識くらいはあるさ」
そう言って会話を打ちきると、簡単な夕食を終え、ライルは自分の部屋へ戻ってきた。まがりなりにも、宮廷魔道師長が滞在する部屋だ。部下が気を利かせて、一番いい部屋を用意してくれたらしい。
荷物をほどいてから窓の外を見ると、庭で馬の背中にせっせとブラシをかけている女の子の後ろ姿が目に入る。
図書館で竜の本をあふれんばかりに抱えていた女の子。いや、娘さんと言うべきなのか。
淡い金色のくせ毛に、新緑を思わせる緑色の瞳、小さな体。
この宿を営む夫婦は、ふたりとも髪と瞳の色は茶色だ。ごくありきたりの夫婦に全くそぐわぬ色を持つ子供。血がつながっていないのは一目瞭然だ。
「フロルちゃんか……君は一体、どこの家の子なんだろうね……」
ライルはひとり呟き、彼女が纏うオーラを見た。
普通の人間の目には見えないだろうが、ライルのような優秀な魔道師の目にははっきりと見える。彼女の体には呪詛のような何かが、びっしりと張りついている。
強力なそれは彼女を守る鎧だろうか、それとも、彼女を縛りつける鎖だろうか。
現代の定義では、魔術は魔力を元に展開するものであるが、呪詛とは、神や霊的な力を元にしているため、魔術とは根本的に性質が異なる。魔術が自らのために使われる一方で呪詛は他人を呪うものであるが、彼女のそれには、そんな嫌な雰囲気は微塵も感じられない。
「……こんな田舎宿の娘に、あそこまでの呪詛が必要なのかね?」
これが王族であれば理解できる。最もライルの興味を引いたのは、それがどうして、ただの田舎娘に起きているのか、ということだ。
しかも、それは見慣れた術式ではない。今でいう魔術と呪詛が未分化だった時代、太古の昔に存在していたという古代魔術に近いものだ。
「……それにしても面白いな」
まるでパズルのような術式だ。ライルはおもちゃを見つけた子供のように目を輝かせる。
「ここにいる間、退屈しなくて済みそうだな……」
ライルは美しい顔にひっそりと笑みを浮かべ、そのままフロルの背中をじっと見つめ続ける。フロルはそんな視線に気づくことなく、せっせと馬の世話を続けていた。
◇
子竜を馬屋に隠してから、数日が経った。
今日も子竜は絶好調だ。
馬小屋に子竜がいることが日常の風景になりつつある中、フロルはものすごく悩んでいた。
(いつまで誤魔化せるのかな……)
未だに森に戻す方法が見つからない。今も子竜はエスペランサと仲良く遊んでいるが、様子がなんだかおかしい。
何日か前からうすうす感じていたが、その理由がわからなくて、困惑は深まるばかりだ。
最初に変だと感じたのは、図書館に行った次の日。朝、出立する騎士のために馬に鞍をつけてやっていた時のことだ。
ダーマ亭で鞍をつけるのは主にフロルの仕事なのだ。その時はエスペランサの支度をしていた。
鞍をよいっしょっと運び、馬の背にのせる。その時にフロルがエスペランサに声をかけようとすると、何故か子竜が怒ったのだ。
「エスペ――」
「きゅっ!」
このように、エスペランサの名前を呼ぼうとすると、子竜が顔を真っ赤にしてフロルの邪魔をする。
また、別のある日の夕方。
ブール草を桶いっぱいに入れて、エスペランサに餌をあげようとした時のこと。
「さあ、ブール草だよ。エスペラ――」
「きゅっ!」
また馬の名前を呼ぼうとすると、途中で子竜が邪魔をする。
一体、何に抗議をしたいのか。
エスペランサもきょとんとしているから、馬が何か粗相をして子竜の逆鱗に触れたわけじゃなさそうだ。
そんなことを思い出しながら、フロルはじっと馬と遊ぶ子竜の様子を観察する。
ふたりは仲良く遊んでいるし、馬が子竜の気に障るようなことをしているわけでもない。
(……あの子は一体、何がしたいのだろう? エスペランサの名前を呼ぶのが嫌なのかな?)
フロルは馬屋の中の木の柵に腰掛けて、足をぶらぶらと揺らしながら考える。
「馬の名前……名前ねぇ……」
もしかして、とフロルは一つの可能性に思い当たる。それを試すために馬の前に立ち、名前を呼んでみることにした。
「エスペラ――」
「きゅうぅぅ!」
予想通り子竜が真っ赤な顔をして目をつり上げ、フロルの前に立ちふさがる。
「ねぇ……どうして怒ってるの?」
フロルが子竜に問いかけると、子竜は赤い顔をさらに真っ赤にさせ、「きゅうっ、きゅうっ、きゅうぅぅぅー!」と鼻息荒く鳴く。
「……なんか抗議されてるみたいなんだけど」
フロルが戸惑いがちに言うと、子竜はぶんぶんと首を縦に振って大きく頷く。
子竜が機嫌を損ねる時は、必ず「エスペランサ」という名前を呼んでいる時だ。では、子竜は? 馬にはエスペランサという名前があるのに、この子竜にはまだ名前がない。
この子竜がいるのはほんの一時のことだからと、名前をつけようなどと考えなかった。だが、子竜は自分に名前がないことを気にしているのかもしれない。
「名前……名前ねぇ」
ぶつぶつと呟くフロルの声が子竜に届いたのだろうか。子竜はトコトコとおぼつかない足取りで歩いてきて、フロルの肩の上にぴょん! と乗った。
「名前をつけて欲しいの?」
そう聞くと、子竜はランランと目を光らせながら、一生懸命に「きゅうぅぅ……!」と鳴いた。
よほど、名前がないことを思いつめていたのだろうか?
「そうか。じゃあ、名前どうしようかな……」
フロルはしばし考えた後、小さな声で「リル」と呟いた。
「お前の名前はリルだよ。リルでいいよね?」
そう言うと、子竜はぱたぱたと翼を羽ばたかせる。その後、嬉しそうに馬小屋の中でふんわりと宙に浮いた。そうして子竜は、馬屋の中をぐるりと飛びながら二周して、「ぴゅう」と嬉しそうな声で鳴く。
「よかったねぇ、リル」
フロルが目を細めて子竜……いや、リルの頭を撫でてやると、リルも嬉しそうな顔で笑った。
子竜にリルと名前をつけてからも、フロルは仕事の合間を縫って何度か子竜を森に帰そうと試みた。しかし、ことごとく失敗に終わり、仕方なくリルを馬屋に隠し続けている。
そんなある日の午後、フロルは馬小屋の掃除をしていた。馬たちは騎士と仕事に行っているので、日中の馬小屋はリルとふたりきりだ。
馬が戻ってくるまでに、餌や寝床などを整えなければならないので、結構忙しい。
ふと気がつけば、リルがつぶらな瞳でじっと自分を見つめている。その様子が愛らしく、フロルの胸はきゅんと疼く。
「リル……可愛いね」
ちょっと撫でてやると、リルは満足そうに目を細める。自覚はないものの、フロルは完璧に子竜に絆されてしまっているのだ。
「おい、誰かいるか?」
そんな時、外から聞き覚えのない男性の声が聞こえた。
(えっ? この時間に戻ってくる?)
騎士たちは馬と一緒にいるから、日が暮れるまで帰ってこないはずだ。
まだ日は沈みきっていないけれど、お客さんの誰かが、宿の裏手にある馬屋まで来てしまったのだろうか?
「は、はい。ただいま!」
慌ててリルを乱暴に藁の中へ隠してから馬屋の外に出ると、ひとりの若い騎士が馬に跨がったまま、フロルを見下ろしていた。
「あ……エスペランサ」
「いつもより早く戻ってきてすまないな」
そう言って機嫌よく笑う騎士の姿を、フロルは初めて目にした。
(この人がエスペランサのご主人……)
逞しい体躯、日焼けした肌。彼が着ている騎士服は王国所属のものだ。プラチナシルバーの短い髪に、彫りの深い顔。思いがけない客人に出会い、フロルはぼんやりとその人を眺めた。
(わあ、かっこいい……これが巷でいうイケメンってやつなのかな)
その騎士は凜々しく、そして優しそうだ。
「あの、何かご用でしょうか?」
「今日は少し早めに上がったんだが、馬を預かってもらえるかな?」
「もちろんです」
少し低めの声も素敵だ。イケメンは声までイケメンなのか。
騎士は馬からひらりと飛び降り、フロルに馬の手綱を渡す。エスペランサは、いつものようにフロルの頬へ顔を寄せた。エスペランサの親愛の表現だ。
そんな馬の様子を見て、感心したように男は言った。
「……君がいつもエスペランサの世話をしてくれていたのか」
「あっ、はい。そうです」
生まれて初めて見たイケメンを前に、フロルはちょっと赤くなる。それに気づいてかそうでないのか、騎士はその青い目を細めてさらに優しげに笑った。
(わあ、イケメンがさらにイケメンになった!)
語彙に乏しいフロルの精一杯の表現がこれである。
「ここに預けると馬の調子がとてもよくてな。ありがとう」
「いえ。仕事ですから」
「嬢ちゃんは、ここで働いているのか?」
彼が少し眉を顰める。その理由が、フロルにはよくわかった。
フロルの見た目が幼いままなので、全く事情を知らない人には、子供が労働させられているのだと思われることが多い。両親が責められることもあるので、割と迷惑しているのだ。
「あの、両親の手伝いを……」
「宿屋の娘さんってわけか」
「はい」
フロルの返事を聞くと、騎士は安堵したように微笑む。
「まだ自己紹介してなかったな。俺はギルバート・リード。騎士団の騎馬隊の隊長をしている」
「私は、フロルといいます。騎士様」
「ギルって呼んでくれて構わないぞ」
尊敬の眼差しで見つめるフロルに、騎士改めギルは、エスペランサの首をぽんぽんと叩き、親しげな様子で口を開く。
「こいつはとても気性が荒くてな。騎士団の馬丁ですら、簡単には近寄らせないんだが」
「エスペランサはいい子ですよ?」
フロルが不思議そうに言うとギルは苦笑いを浮かべる。
「なるほど。こいつが犬みたいに愛想がいいのは、嬢ちゃんと一緒のせいか」
ふたりが楽しげに会話をしていると、エスペランサがフロルのお尻を鼻で突き、軽く押し始めた。
「エスペランサっ、こらっ。やめてっ。やめなさいって」
エスペランサの意図がわからず、フロルが困った顔をする。一方のギルは馬の意図を理解し、軽く目を細めて笑った。
「どうやら、こいつはお前さんを乗せたいらしい」
「えっ? 本当ですか?」
「ああ、間違いない。俺とこの馬は、もう何年も一緒に働いているからな」
ふむ……と騎士は真面目な顔で、何やら思案している。
「……少し乗ってみるか?」
「えっ? いいんですか?」
とても魅力的な提案に、フロルの顔がぱあっと輝く。
「こいつは気難しくてな。俺以外の人間を乗せることはないんだが、お前さんなら大丈夫そうだ」
「わあ!」
フロルをギルはひょいと抱き上げ、馬の鞍に乗せる。そうして、彼も鐙に足をかけてフロルの後ろに乗り、馬の腹を足で蹴る。
「はっ!」
かけ声とともに、エスペランサは勢いよく駆け出した。
「しっかり俺に掴まってろ」
フロルが落馬しないように、ギルが片手を彼女の胴に回して体をしっかりと安定させる。
流れるように馬を走らせる騎士を、フロルは尊敬の眼差しで見上げた。
随分と高いところにいるが、フロルは全然怖いとは思わなかった。だって、今自分を乗せているのは、仲良しのエスペランサなのだから。
「すごい!」
ニコニコ顔で嬉しそうにするフロルを見て、微笑みながら、ギルは宿屋の周囲を一周する。
ギルと一緒に馬に乗ったフロルは、馬上から見る素晴らしい光景にすっかり目を奪われていた。
いつもの視点より、ずっと高い位置から周囲を見渡せる。
麦畑も、森も、空の広さも、馬に乗ると見慣れた光景が全然違うものに変わる。空は近く、麦畑は眼下一面に広がり、青々とした葉を揺らしている。
「……こんなに綺麗な景色だったなんて」
「馬の上から見た光景は素敵だろ?」
ギルはふふっと、口元に上機嫌な微笑みを浮かべる。
「いつもエスペランサの世話をしてくれて、ありがとうな。嬢ちゃん」
フロルの若草色の瞳はキラキラと輝いているし、口元には微笑みが浮かんでいる。
そんなフロルに、妬ましげな視線を向けるものがいた。
「きゅう……」
馬屋の窓から、フロルをじっと見つめていたのは子竜だった。リルの背中は嫉妬で心なしか震えている。自分を差し置いて馬に乗るなんて、と言いたげな顔をして、フロルから決して目を離さない。
そんなリルの様子にフロルは全く気づかないまま、馬でダーマ亭の周りをぐるっと一回りした後、再び馬屋の前に戻ってきた。馬から降りると、フロルはギルから馬の手綱を受け取る。
「……あの、ありがとうございました」
興奮冷めやらぬキラキラした顔で騎士に礼を言うと、彼はそっと笑って、フロルの頭をぽんぽんと撫でた。
「こちらこそ、いつもエスペランサの世話をしてくれてありがとう」
そう言って立ち去るギルの背中を見送ったフロルは、ぱんっと自分の頬をちょっと叩いた。
「見惚れちゃったな」
エスペランサに乗れたのが嬉しくて、フロルの顔はだらしなく緩んだままだった。村の少年たちが騎士に憧れるのも無理はない。だって、王立騎士団の騎士って、こんなにカッコいいんだから。
フロルはニコニコしながら、馬屋へエスペランサを連れて戻る。
すぐに馬の手綱を近くの棒に括りつけ、慣れた手つきで馬の鞍とくつわを外してやった。するとエスペランサは、やれやれといった感じでほっとした顔をする。
「エスペランサ、ありがとうね?」
そう言って首を撫でてやると、馬もまんざらではない顔をする。それからフロルは馬に水をやり、またいつものように世話を始めた。
そんなフロルの様子を、リルは藁の中から眺めていたが、その表情がいつもとかなり違うことに、彼女は全く気づいていなかった。
◇
フロルとギルの様子を眺めていたのは、リルだけではなかった。
「……あれ、エスペランサじゃねぇの?」
遅れて宿屋に到着した騎士たちが、信じられない光景を目にして、小声で囁き合う。
騎士団の中でも硬派と言われる精鋭の騎士が、淡い金色の髪の女の子を片手に抱えて、滑るように気性が荒い軍馬を走らせている。
その光景をにわかには信じられなくて、騎士たちは顔を見合わせた。
「隊長以外の人間が乗ってる……」
「あの荒くれ馬が、隊長以外の人間を乗せてるなんて信じられない……」
男たちは驚愕の眼差しで、その様子を眺めていた。
「馬丁ですら、近寄れない馬なのに」
エスペランサの気性が激しいことは、騎士団の中では有名な話だ。騎士たちでもうかつに傍に寄れば、すぐに噛みつかれる。その馬が、今は小さな女の子を乗せて嬉しそうに走っていく。騎士たちは呆気にとられながら、彼女は何者なのだろうと見つめることしかできなかった。
◇
その翌朝のこと。
今日のリルは、とても機嫌が悪い。子竜がいじける時には、それはそれは陰湿な視線をこちらに向けることを、フロルは初めて知った。
「リル、どうしたの?」
リルは無言のまま、フロルにさらにいじけた視線を向ける。
いつもなら、声をかければすぐ嬉しそうに「きゅう」とか「きゅん!」とか言って、そそくさとフロルの足元に寄ってくるのに。今のリルはうずたかく積まれた藁の中に隠れたまま、出てこようとしない。
藁の隙間から、へそを曲げたリルの目と鼻先だけが微かに見える。
(うう……視線が痛いな……)
どうしてリルがそんなにいじけているのか、さっぱり思い当たる節がない。
いくら頭をひねってもどうにもならないので、フロルは仕方なく掃除道具を手にして馬屋の掃除を始めた。
時おり、ちらちらとリルに視線を向けると、子竜も藁の中からじっとフロルを見返してくる。
藁の中でじっとしているのに飽きたのだろうか。それからしばらくして、リルがもぞもぞと這い出してきた。
(おっきくなったなあ……)
フロルは感嘆して子竜を眺めた。最近のリルは、成長が著しい。最初は子猫くらいの大きさだったのに、今では中型犬くらいのサイズだ。
(大きくなりすぎる前に、早く森に帰さないと)
そう思っているのだが、森への帰し方がわからない。どんなところに連れていっても、リルは必ず帰ってきてしまうのだ。
いつこの子竜の存在がバレてしまうのかと、フロルは気が気でない。
だから毎晩、馬屋の扉を閉めた後、「どうか子竜が見つかりませんように」と祈っている。しかし、それがなんの気休めにもならないことを、フロルは重々承知していた。
そんなことを考えているうちにリルが地面に降り、後ろ足で仁王立ちになった。
何かがおかしい。
今のリルは、顔を真っ赤にして神妙な面持ちのまま、ぴくりとも動かない。何か変なものでも食べたのか? それとも、どこかで頭でもぶつけたのだろうか?
「きゅっ……きっ……」
フロルがドキドキしながら眺めていると、リルは大真面目な顔で目を中央によせ、小さく震えながら何ごとか呟き始めた。
そして、子竜が喉の奥から変な鳴き声を漏らす。
「ぴゅひ……ひ……」
リルは大真面目な様子で、「何かが違う!」と言わんばかりの顔をする。フロルは箒を手にしたまま、リルの様子を固唾をのんで見つめた。
それが何回か続いた後。
「ぴゅひひーん」
ついに子竜は天を向いて鳴いた。
(……もしかして、馬?)
リルはちらとフロルに視線を向け、その顔色を窺う。
それから「やっぱり何かが違うんだ」というように首をぶんぶんと振り、大真面目にもう一度声を出そうと顔を真っ赤にする。
そして、何度目かのトライの後、リルはついに鳴き声を完成させたようだ。
「きゅひひーん!」
(……もしかして、もしかして、もしかしなくても馬⁉)
思わず心の中で突っ込むフロルに、リルは「どうだ!」と言わんばかりのどや顔をして、ランランと目を輝かせる。
(やっぱり馬か、馬なのか!)
馬の「ひひーん」の前に、「きゅ」がついているところが実に惜しい。
フロルは箒を手に、肩を落としてがっくりと項垂れる。
(竜が馬を真似てどうするのさ……竜は地上最強の魔獣と言われているのに)
フロルは子竜に激しく主張したかった。馬は馬らしく、竜は竜らしくなければならない。それが自然というものだ。竜が馬らしくなる必要は全くない。
応援ありがとうございます!
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