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第四章 白魔導師の日々

ギルの決心~2

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ギルがフロルの部屋に入った頃、フロルは、暗い異界の湖の前で、男とにらみ合っていた。

「ほう、リールガルに乗って逃げる気か。その精霊がいなければ、今のお前など赤子の手をひねるより簡単だったのだがな」

男にじろりと視線を向けられたうさぎたちは、恐ろしそうに身をすくめてフロルの背中に隠れる。ウサギたちは、今、自分が対峙しているものの正体を知っている。

そして、男は自信ありげに、暗い笑みを浮かべる。

「フローリア、少しばかり余興が過ぎたようだ。もうお遊びはやめにしよう。我妻よ。魔界にようこそ」

男は胸に手をあて、優雅な礼をとると、すっと片手をふった。男の中から魔力がにじみ出るのがわかる。その迫力にフロルは思わず息を飲んだ。

ライルを遥かにしのぐ魔力量だ。

その瞬間、身の回りにいたウサギたちが忽然と姿を消した。

「うさぎたちに何をしたのよ!」

フロルが怒りに駆られて叫ぶと、男はくくくっと楽し気な笑い声を漏らす。

「邪魔だったから、元の場所にかえしてやったさ。お前に免じてな。この私が慈悲を見せてやったのだ」

「リル、あの出口まで飛べる?」

フロルはリルに声をかけると、リルも勇ましく、「きゅうっ」と返事をする。

リルは力強く羽ばたき、出口へと向かおうとした。

その瞬間。

「そうはさせるか」

冷たく落ち着いた声を、魔王が発すると、リルの足が地面にしっかりと固定されてしまった。リルは懸命に飛び立とうとするが、足が地面から離れないのだ。それは、まるで強力な接着剤でピタリと固定されたようで、全く動かなかった。

「リル? リルっ?どうしたの?」

「きゅうっ、きゅう・・・・」

リルは羽をバタバタさせ、飛び立とうと必死だ。けれども、どうしても飛び立てない。

「この魔界に近い亜空間で、私から逃げられると思うな」

「酷い!リルを元に戻して」

フロルが憤って男を睨みつけるが、男は一向に気にしていないようだ。

男が軽く手を振ると、リルの足下から氷が上っていく。氷竜なのに、リルは冷たいのが得意なはずなのに、それはゆっくりと確実にリルを凍らせていく。

「私の手をとれ。フローリア」

男はフロルに手を差し出す。そして、甘い口調でこう語った。

「私を愛せ。そして、永久に私と共にあれ。そうすれば、お前の竜は無傷で向こうの世界へ返してやる」

「そんな・・・だから、リルにこんなひどいことを?!」

フロルはリルの首筋に手をまわし、悲しそうな声を張り上げる。リルがこうなったのは自分のせいなのか。

この男の要求に答えなかったから。そう、昔から、この男はこんな卑怯な手口を使う。人の弱みに付け込み、人から搾取することしか考えない自分勝手な男。

フロルの脳裏に遥か昔の光景がふと蘇る。光と花で埋め尽くされた美しい白亜の神殿。それを取り囲むようにできた村々。神殿の周りには、麦畑が今と同じように広がって、みんなが笑っていた。

── それが焼き尽くされたのはいつのことだったか。

その時、紅蓮の炎の中から、醜い蛇を纏ったこの男が現れ、死にゆく人をあざ笑ったのだ。自分の民を。慈しみ愛した大地と共に人々を焼き払った。

そう、この男の名は、たしか ──

その忌まわしい名が喉のきわまでせりあがってきた。なんとか、もう少しでこの男の名前が思い出せそうな気がした。



ちょうど、その頃 ──

何がなんでも、彼女の目を覚まさなくては。今のフロルは何かがおかしい。

「おい、フロル。起きろ」

ギルは、フロルの両肩をつかんで、揺さぶるように声をかける。それでも、フロルの瞼は固く閉じたままだ。

(一体、どうしたんだ・・・)

こんなに大声を出しているというのに、両隣の部屋の人間が目覚める気配すらない。それに、リルもまたフロルに頭をくっつけたまま、深く眠っている。

当たりを怪訝そうに見回したギルだったが、一瞬、くらりと目眩がして意識が飛んだ。瞬間的に眠りに落ちそうになったが、反射的に意識を保ち、それをなんとか回避した。厳しい日々の訓練で、痛みや様々な肉体の要求に屈しないようにしているおかげだった。

(フロルをここに置いていてはダメだ)

この場所が、フロルのいる、この寝台を中心に何かの力が作用しているような気がした。ここからフロルを連れ出さなくてはならない。

ギルの本能がそう語る。

きっと、これは魔術か何かの干渉だろう。なぜ、フロルを狙っているのかわからなかったが、一刻も早くライルかグエイドに見せなくては。彼は素早く決断して、フロルの手を取り、自分の肩に乗せた。

その瞬間、ギルを取り囲む何かの力が、ギンっと音を立てて強まったような気がした。

その瞬間、抗えないほど強い力に引きずり込まれて、ギルは深い眠りに落ちそうになる。勝手に目が閉じ、フロルの寝台に二人で倒れ込むように崩れ落ちた。

フロルの上に覆い被さるように倒れたギルは、目を閉じ、一瞬、深い闇の中へと沈んだ。

目を閉じたギルの脳裏に光景が浮かぶ ──

それは、真っ暗な洞窟の中に、巨大な空間が広がり、その一面には暗い水が湛えられている。鏡のように波一つない水面は静かで、そして、暗い ──

その遙か彼方にある陸の上に、フロルとリル。そして、見たこともない男が、二人の前に立ち塞がっていた。

「フロル!」

ギルが思わず声を上げると、その男は慌てた様子もなく、冷たい視線をギルへと向けた。

「── ほう、聖剣の騎士か」

男はすらりとしたやせ型であったが、一部の隙も無く威厳を保っていた。ライルのように長い髪だったが、その色は銀色で、目は血のように赤い。

黒い服は、その男の高貴な身分を物語っているようで、その細く長い指には、蛇の文様が刷り込まれた禍々しい指輪をはめている。その男の全身から、何かほの暗く陰鬱なエネルギーが出ているようにギルは感じた。

「ギル様!」

自分を見つけたフロルが嬉しそうに声を上げる。

── ああ、フロル、ダメだ。そんな所にいてはだめだ。

ギルは、直感的に、そこにフロルがいてはだめだと悟る。それが何故いけないのかはわからなかった、そこはだめなのだ。その場所は、暗く禍々しく呪われた場所は、お日様のように明るいフロルがいるべき所ではない。

ギルは、急いでフロルのいる所に行こうとするが、何かに阻まれて、近づくことが出来なかった。

「フロル、ダメだ。こっちに来い」

ギルが大きな声を上げる。

フロルの耳に、響く懐かしく愛おしい声。

そう、フロルは知っている。その声の主がいつも優しく、いつも素敵で、そして、いつも、自分のことを気にかけてくれることを。

── 私の愛しい・・・聖剣の騎士ギル様

見上げれば、確かに空間の彼方にギル様の姿が見えた。彼の後ろには見慣れた、自分の寝室があり、そこにこの空間がつながっているようだ。

「フロル、こっちに来い!」

ギルが自分を呼んでいる。

「ギル様!」

胸のうちから歓喜が沸き上がる。自分が帰る場所は、自分のいるべき所は彼の胸の中だ。
ぐわりと、フロルの中から、明るく希望に満ちた魔力が漏れ出す。そして、フロルの口元に微笑みが浮かんだ瞬間、その力は瞬く間にリルを覆った。リルにかかっていた呪詛が解除され、見る間に氷が溶けだしてゆく。そうして、ほんの少しの間にリルは、すっかり元の姿へと戻った。

霜が消えるように、氷が解けきってしまうと、リルは不思議そうな顔をして、自分の体を眺めながら、ちいさな声で、「きゅう・・・」と呟く。

リルは自分の身に何が起こったのか、全く、自覚はなかったようだ。

「リルっ。よかった元に戻った」

どこか痛い所はない?とフロルはリルのあちこちをチェックするが、もうなんともないようだ。

「くっそう。聖剣の騎士め。余計な所で」

魔王が忌々し気に唇を噛んだ。その瞬間、その隙をついて、フロルはリルの胴を蹴り、リルは空高く大きく羽ばたき出口に向かって飛んだ。


一瞬、フロルの横で深い眠りに落ちそうになったが、ギルはすぐに持ちこたえて意識を持ち直した。

その刹那の間に、何か信じられないものを見たような気した。

異様なものが見えた気がした。

── あれは・・・

あれは、はなんだったのだろうか。

銀の髪の赤い目をした男。それは蛇のように忌まわしいオーラを纏った男だった。

頭を振って意識をはっきりさせようと、ギルがあたりを見回すと、自分はやはり、フロルの部屋にいた。しかし、周囲の空間が歪んでいることに気が付き、目を見開く。

確かに、周囲の空間が歪んでいる。半透明になった空間の先には、その夢で見た光景が薄く広がっているのが見えた。

まさか、あれは異空間だろうか。

その空間はさらにねじ曲がり、フロルの寝室全体を飲み込もうとしていた。

ここにいたら、フロルともども連れ去られる。

ギルはそう感じ、急いでフロルを抱え上げた。

「おい、リル。起きろ!」

ギルは力任せにリルを蹴飛ばすと、リルはうっすらと半目をあけ、「きゅう・・・」と呟く。

「寝ぼけている場合か。ほら、フロルを連れ出せ」

ギルは、無理やりリルの背中にフロルを載せ、窓から押し出した。

リルも何かを悟ったのだろう。寝ぼけながらも、よたよたとフロルの部屋の窓から外に出た。ギルも急いで窓から飛び出すと、リルをひっぱり出来るだけ早く部屋から離れた。
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