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第四章 白魔導師の日々

ギルの決心**

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その頃、ギルは神殿を離れ、自分の宿舎に戻る道を歩いていた。すでに、時刻は深夜をすぎ、王宮の道は、閑散として、誰も道を歩いていなかった。

時折、警備の騎士たちとすれ違うが、お互いを認め、目で会釈を送りながら、通り過ぎる。

普段なら、ギルはまっすぐに自分の宿舎に戻る所だが、今日は、少し迂回して帰ろうと思った。夜風にあたって、自分の心を落ち着かせたかったのである。

── ついさっき、アンヌに泣きながら、自分への思いを告白された。

思いがけない出来事に、ギルは少し動揺していたのである。

それは、少しばかり時間を遡る。

その日、神殿近衛長の仕事を終え、遅めに自分の宿舎に戻ったギルに、緊急の呼び出しがかかったのは、かなり夜も更けた頃だった。

もう少ししたら寝ようと思っていたら、従者が扉を激しくたたいた。何事かと思えば、神殿で緊急事態が出たので、すぐに来てほしいと言われた。

とるものも取らず、とりあえず急いで駆け付けてみると、神殿の中には何も異常が見当たらず、部下たちもいない。これはどういうことかと不審に思っていると、なんとアンヌが自分を呼んでいるという。

慌てて神殿のアンヌの居室へと駆け込んでみれば、それは、アンヌの一人芝居だったことが判明した。

自分が来るのを予期していたのか、アンヌの部屋には、媚薬の入った香が焚かれ、冷たく冷えた酒とグラスが用意されていた。遠征先の娼館のようないかがわしい所で、手練手管にたけた夜の女たちが、そういうものを使っていることは、ギルに限らず、遠征に出向く騎士ならよく熟知している。

まさかアンヌがそんなものを準備しているとは思わず、その様子にいささか面食らってもいた。当然、そういう目的でつかわれる香としては最上級のものではあるが、そんないかがわしいものは、神殿には全くもってふさわしくない。

その品々から、この時を用意周到に準備されたのだとギルは悟った。

最近のアンヌは何かしら下心があるようで、出来るだけアンヌを避けていたが、こんな風に呼び出されてしまうと職務上どうしようもない。

まさか、彼女が自分のことをそれほどまでに好きだったとは。

最近は、さらに顕著になってきたが、アンヌが自分むける上目遣いの視線や秋波。自分に対する執着がかなりエスカレートしてきたようだ。そういえば、休暇中に実家に押しかけてきて、アンヌの夫になるのは自分だと主張してきた頃は、大神官にでも言わされてると思っていたが、アンヌは本気だったのだ。

もう、うんざりだ。

空高く昇った月を眺めながら、ギルは自分のアンヌに対する評価を再度、胸に問う。

正直な所、ギルはアンヌに対する関心などほぼゼロに近い。いや、全くないというのが正しい言い方だろう。

何より、今のギルの心を占めているのは、フロルのことばかりだ。

ギルは、神殿の信者でもないし、信仰心が特にあつい訳でもない。ギルは多分、女神フローリアの生まれ変わりがフロルであるだろうとは思っていたが、アンヌが神殿に返り咲き、王族への影響力を持った今、この時期に、フロルが本物の女神であると主張してもおそらく意味がないだろうと考えていた。

それほど、アンヌとバルジール大神官の権力への執着はすさまじく、今、下手にフロルが女神の生まれ変わりだ、などと言い出せば、逆にフロルの身が危うくなる危険性もある。

フロルの安全、それが一番である。仮にフロルが女神の生まれ変わりだったとしても、ギルの気持ちは変わらない。

ライルにそれを話そうかどうしようか、ギルも迷った。しかし、ライルのずけずけと容赦のない物言いを思い出して、ふとした瞬間に、ライルが誰かに話してしまうかもしれないと思った。

この話はライルには秘密にしておこうと、ギルは決めた。

そして、ギルは再び、フロルのことを思い出し、優しい笑みを口元に浮かべる。

気取らない仕草、かわいらしい笑顔。最初に会った時は、7歳の子供だったのに、あっという間に大きくなってしまった。大人になって愛らしい姿に戸惑っていたものの、一緒に収穫祭にいけば、とても綺麗にドレスアップして、ギルはさらに心惹かれるようになった。

ライルのわがままにつきあわされておたおたしている時の顔、あんなに綺麗なのに、収穫祭の屋台で一緒に肉にかぶりついて、美味しいと笑った顔、ただの果実酒で酔っ払って、ちょっと拗ねた顔。

フロルのいろんな顔がギルの胸の中をよぎる。どれも愛らしくて、どれも愛おしい。

どんな時もフロルはとても可愛い。

ふと足を止めて、空を見上げれば、満月が空高く昇っている。風が優しく頬を撫で、風の精霊も光の精霊さえもが、自分の気持ちの後押しをしてくれているような気がする。

── このまま、一生、フロルと一緒でもいいかもしれない。

そうするのが一番いい気がして、胸に暖かな気持ちが沸き起こる。

あんな風に明るくて、素朴な性格なら、仕事で疲れて帰ってきた時も、フロルの顔を見れば疲れなど、すぐに吹き飛んでしまいそうだ。

ギルはもう一度足を止めて、月を見上げた。空には満点の星が希望のように輝いている。

── そうだな。フロルと結婚しよう。それがいい。

両親は、フロルとの交際を応援してくれているから、身分の問題なんかないも同然だし、アルブス様も、ライルもきっと祝福してくれるだろう。

明日にでも、フロルにプロポーズして、そのままフロルを連れて騎士団長に報告しに行こう。騎馬隊の連中ももろ手をあげて祝福してくれるだろう。

荒くれの騎馬隊の連中が嬉しそうにギルの肩を叩き、フロルにおめでとうを言う姿を思い描いて、ギルの口元には微笑みが浮かぶ。

プロポーズしたら、フロルは喜んでくれるだろうか。

100%確信はないものの、フロルならきっと自分の求婚を受け入れてくれるはずだ。

ギルは、そう思いながら竜舎の近くを通りがかった時、竜舎に何やら明かりが灯って、何やら騒がしい。竜騎士が数人、私服のまま竜舎へと走っていくのが遠くに見えた。

緊急事態だろうか。

ギルが足を止めて、遠まきに眺めていると、竜舎とは離れた空に竜のしっぽがちらりと見えた。その尻尾にギルは見覚えがある。

「あれは、リルじゃないか?」

リルが夜半に竜舎から逃げたのだろうか。リルはフロルにべったりだから、勝手に逃げ出すことなどありえない。

ということは──

リルが、大急ぎで向かった先は、フロルの所に決まっている。もしかして、アンヌがフロルに何か手を出したのだろうか。

ギルの胸に嫌な予感が走る。大急ぎで、ギルはフロルの宿舎へと走る。

そして、フロルの宿舎へとたどり着いた。深夜の宿舎だ。まだみんな寝静まっていて、あたりはしんと静まりかえっていた。

まだ何か緊急事態が起きたと決まった訳ではない。ギルは慎重に行動することに決めた。女性ばかりの宿舎である建物の中には入らず、宿舎の外からぐるりと周り、一階にあるのフロルの部屋の窓に向かえば、やっぱり思った通りにリルがいた。

リルは窓を突き破り、中に首を突っ込んでいる。フロルの身が危機にさらされでもしない限り、リルがこんなことをするはずがない。

竜が窓を突き破ったのなら、すごい音がするはずだ。それでも誰一人、起きていないのは変だった。

「おい、リル、フロル。大丈夫か?」

窓から声をかけても何も返事がない。不審に思い、ギルはリルの背中に手をあてゆすってみた。

「おい、リル、どうした?」

ギルはリルが全く動かないので、どうしたのかと思い、慌てて窓から覗き込むと、そこには ──

フロルに頭をくっつけたまま、リルは爆睡していた。何か夢を見ているのだろうか。リルは、さかんに、きゅう・・・と寝言を言いながら、ぐっすりと眠っている。

ただ眠っているようにも見えるが、異様な何かを感じて、嫌な予感が走る。窓枠を乗り越えて、するりとフロルの部屋の中へと入った。

「フロル、どうした?何か異変か?」

フロルのベッドに駆け寄ると、そこにはフロルが横たわっている。身動き一つせずに死んだように眠っているフロル見つけて、ギルは全身に鳥肌がたった。

体中の血が恐怖のあまり凍った。

「おい、大丈夫か? フロル」

ギルは大声で叫びあがら、慌ててフロルの頬に、首に手をあてる。

脈はとくとくと規則正しく打っており、そして、フロルの頬は暖かだった。

ああ、よかった、とギルの胸に一瞬安堵がよぎったが、それでも、リルと共に死んだように眠りこけている姿は何かがおかしい。

ただ眠っているだけだろうか? それとも、別の何かの力が働いているのか ──

以前、フロルが突然大人になった時も一週間眠り続けたことを、ギルは思い出していた。何かの力がフロルに働いてとしたら、それは一体なんなのだろう。

フロルが7歳のまま成長しなかったこと。平民なのに白魔術が使えること、ブール草のような特殊な薬草をふんだんに収穫できること。城の庭師たちも、フロルが来てからと言うもの、一度たりとてブール草を栽培したり、収穫することはままならなかった。

エスペランサがブール草を食べて、よい働きをすることに着目した騎士団が、ブール草を大量に栽培して、軍の馬に与えようという計画があったが、フロル以外の庭師は絶対にブール草を栽培することが出来なく、その計画は挫折した。

フロルは知らないと思うが、騎士団は、庭師の部署にフロルを移動させようとライルに打診したが、ライルはがんとして、首を縦には振らなかったそうだ。

── フロルの何かが、他の普通の娘とは違う。

頭の片隅でギルはちらりとそんなことを考えたが、今は、フロルの目を覚ますほうが先だ。

もし、目覚めなかったら、すぐにグエイドやライルを呼びに行かなくては。ギルはフロルの頬に触れ、彼女を揺らしながら、フロルの名を大声で呼んだ。

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