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第四章 白魔導師の日々
風船鳥事件~3
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「みんな静粛に!何を慌てふためいているのです」
自分の背後から押し寄せてきている風船鳥に全く気がついていないリアは、祭壇の上から声を張り上げるが、その声を聞く者は誰もいない。
「風船鳥だ!逃げろ」
一人の男が叫ぶと、祝福に集まってきていた村人達が一斉に逃げようとする。
「みなさん、ここには女神様がいらっしゃるのです。女神様が守ってくださいます。どうぞ、逃げずにここに留まってください」
神官たちが必死の様子で叫ぶが、それに耳を貸すものはもう誰もいなかった。
その頃になって、ようやくリアは背後を振り返り、何が起きているのかを悟ったのだ。
もうリアの目の前には、沢山の風船鳥がいた。その鳥の目はどれも三角形になり黄色く猛々しい光を宿している。
「え、ええっ?」
リアが悲鳴に近い声を挙げた横で、神官がリアを勇気づけるように言う。
「女神様、奇跡を起こす絶好のチャンスです。さあ、どうぞ、その聖なるお力を皆に示してやってくださいまし」
目の前に迫ってくる鳥の形相は、それはそれは恐ろしい。
「わ、私・・・無理!」
リアは、祈祷に使う道具を放りだして、祭壇から駆け下りようとした時だ。
「女神が逃げるぞ!奇跡を起こしてくれるんじゃなかったのか?」
群衆の怒りがリアへと向う。そんな声に背を向けて、一刻も早く逃げようとする光景は滑稽で、それを見ていた神官からも失望の声が一斉にあがった。
それでも風船鳥が目指す敵はただ一人、偽物女神だ。祭壇上空にいた風船鳥がリアめがけて急降下した。風船鳥が怒った時に、する報復はただ一つ ──
その頃。ライルも遠巻きにその様子を眺めていた。
「あれは・・・風船鳥?」
横でグエイドが冷静に口を開く。
「誰か、風船鳥を怒らせたようですね」
何をバカなことを、とライルは顔を顰める。
「ライル様、いかがいたしましょうか?この場を収束させますか?」
恭しくお伺いを立てるグエイドに、ライルは気乗りしない口調で言う。
「ああ、今日も私は気が乗らなくてね。風船鳥くらいで死者はでないから放っておいていいんじゃないか?」
「しかし・・・」
治癒魔法を得意とする白魔道師は誰かが傷つくことを望まない。怪訝な顔をするグエイドに、ライルは言葉をつなげた。
「だって、あそこの全知全能の女神様がいらっしゃるのだろう?自分でなんとかするだろう」
「確かにそうですね。ライル様、仰る通りでした。あそこには、正真正銘の女神様がいらっしゃったのですね」
そんな魔道師達の皮肉は、神官達の耳に入ることはなかったのである。魔道師たちがしれっと無視している中、場を納めようと警護の騎士達が群衆に群がっている鳥に向って、何か叫びながら突入していくのが見えた。
「・・・ああ、騎士達もお気の毒に。あのニオイはちょっとやそっとじゃ取れませんからね」
横でハラハラしているグエイドを尻目に、ライルは静かにその様子を眺めていたのだ。
── あの偽物女神が嫌いだったから。
◇
そうして数十分後。
祭壇のある噴水広場では、ある惨劇が繰り広げられていた。
「くっ。このニオイ、耐えられんな」
神官が鼻をつまみながら、広場のあちこちにいる風船鳥を一匹、また一匹と掴みあげながら、目当ての人物を探していた。
彼らが探しているのは、女神フローリア様、つまり、フローリア・デ・レルマ子爵令嬢だ。
広場には風船鳥の襲撃にあった人々が横たわり、その上には何十匹もの風船鳥がいた。鳥たちは、報復の相手に糞をまき散らしていたのだ。
「女神様、いたら返事してくださーい」
風船鳥は報復の相手の上に重なるようにして群がり、糞塗れにするのだ。
「おい、いたぞ。女神様はここだ!」
複数の神官も風船鳥に襲われていたが、まずは女神様の救出が先と殊勝な面持ちで探索にあたっていた。
「女神様、大丈夫です・・・か・・・」
神官が地面に倒れているリアを起こすと、あまりにも悲惨な姿に言葉を失う。リアは顔を手にしくしくと泣いていた。
「はやく、神殿にお連れしろ」
鼻が曲がりそうなくらい酷いニオイに耐えきれず、騎士達は鼻にハンカチをあて、リアに立つように促した。髪はボロボロで、服も風船鳥につつかれてボロボロになったリアは、無言で騎士たちに連れていかれてしまった。
「フロル、大丈夫か?!」
その様子をぼんやりと眺めていたフロルの耳に飛び込んで来たのは、ギル様の声だ。
「あ、ギル様」
久しぶりに見るギル様の姿が格好良くて、思わず拝み倒しそうになるフロルにギルが近づいてきた。
「風船鳥に襲われていると聞いて、援助要請が出たんだが・・・これは酷いな」
祝福を受けるはずの広場は風船鳥の糞と毛が散らばり、特に、女神がいた祭壇の上には、てんこ盛りの糞が落とされている。風船鳥が女神を狙っていたのは一目瞭然だ。
「それで、フロル、大丈夫か? それでその鳥は?」
フロルは、先ほどリアに蹴られた鳥をまだ抱きかかえていた。鳥はもう怒ってはおらず、愛くるしい丸い目をぱちくりとしていた。
「え、ええ・・・なぜか、鳥はこっちには寄ってこなくて・・・」
鳥が仕返しをしている間、なぜかフロルの前には、鳥が人間ピラミッドのように重なり、鳥の壁が出来上がっていたのだ。その壁に視線を遮られて、フロルには何が起きているのか、全く見えなかった。当然、鳥の壁があるから、フロルに被害は全くない。
くっくるー、くっくるーとフロルが抱きかかえている鳥が機嫌よく鳴く。
「それにしても、これは一体・・・」
思わずハンカチを鼻にあてる。
「ああ、何があったかは後で聞くとして、とにかく一度城へ戻ろう。あの大人しい風船鳥がここまでやるなんて、記録に残る規模の事件になりそうだな」
二人がそんなことを話しながら向けた視線の先には、ボロボロになった女神の姿があった。
「リード様・・・」
ギルの姿を認めたリアが一瞬足を止めた。彼女は、気まずそうにギルに顔を背けて、足早に立ち去っていった。一番見られたくない人に、惨めな姿を見られたのだ。
(あれは、絶対に見られたくない光景だよなー)
大好きなギル様にこんな姿を見られたら精神的ダメージが半端なさそうだ。自業自得だと言え、ほんの少しだけ、リアを気の毒に思ったフロルであった。
◇
「それで、なんで風船鳥なんか連れて来たんだ?」
魔道師塔の一角でライルが不思議そうに言う。魔道師塔のフロルの机の横の窓枠には、あの風船鳥事件の時にリアに蹴られた鳥が窓枠につかまり、くっくー、くっくーと機嫌よく鳴いていた。
「連れてきた訳じゃなくて、勝手について来ちゃったんです」
あの広場から立ち去ろうとしたフロルは、その風船鳥を地面に放してやった。
「ほら、もうお家にお帰り!」
フロルがそう言っても、風船鳥はつぶらな瞳でフロルを見つめるだけで、一向に立ち去ろうとしない。そうして、帰り道すがら、エスペランサに乗ったフロルを、飛びながら後を追いかけてきたのだとか。
他の従者曰く、一つ一つの窓を覗き込んで、フロルを探していたそうだから、風船鳥の執着心は相当のものらしい。風船鳥はついに魔道師塔の窓から、そこで働くフロルを見つけてしまったらしい。
「もう、ふーちゃんは仕方がないので放置することにしました」
「名前をつけたのか?」
あきらめがちにため息をつくフロルに、ライルは呆れたように言う。そこに、グエイドがためらいがちに会話に加わった。
「あの一匹を怒らせたことが、今回の広場の事件に繋がったようでして・・・」
ライルの胸に、風船鳥のせいで見るも無惨な姿になったアンヌの姿が浮かぶ。
彼女についた強烈な糞のニオイは、風呂にはいってもとれることはなかったと聞く。そして、リアに、近寄った女官が強烈な臭いのせいで卒倒する事態が今も続いているらしい。
「・・・そうか。それなら仕方がないな」
風船鳥の不興を買って、魔道師塔内が臭くなってはたまらない。いくら変わり者と言われている魔道師達ですら、ふーちゃんの居場所を仕方なく容認したのであった。
そして、ふーちゃんは、今日も魔道師塔で働くフロルのデスクの横にある窓の傍で、求愛のダンスを踊っているそうだ。
自分の背後から押し寄せてきている風船鳥に全く気がついていないリアは、祭壇の上から声を張り上げるが、その声を聞く者は誰もいない。
「風船鳥だ!逃げろ」
一人の男が叫ぶと、祝福に集まってきていた村人達が一斉に逃げようとする。
「みなさん、ここには女神様がいらっしゃるのです。女神様が守ってくださいます。どうぞ、逃げずにここに留まってください」
神官たちが必死の様子で叫ぶが、それに耳を貸すものはもう誰もいなかった。
その頃になって、ようやくリアは背後を振り返り、何が起きているのかを悟ったのだ。
もうリアの目の前には、沢山の風船鳥がいた。その鳥の目はどれも三角形になり黄色く猛々しい光を宿している。
「え、ええっ?」
リアが悲鳴に近い声を挙げた横で、神官がリアを勇気づけるように言う。
「女神様、奇跡を起こす絶好のチャンスです。さあ、どうぞ、その聖なるお力を皆に示してやってくださいまし」
目の前に迫ってくる鳥の形相は、それはそれは恐ろしい。
「わ、私・・・無理!」
リアは、祈祷に使う道具を放りだして、祭壇から駆け下りようとした時だ。
「女神が逃げるぞ!奇跡を起こしてくれるんじゃなかったのか?」
群衆の怒りがリアへと向う。そんな声に背を向けて、一刻も早く逃げようとする光景は滑稽で、それを見ていた神官からも失望の声が一斉にあがった。
それでも風船鳥が目指す敵はただ一人、偽物女神だ。祭壇上空にいた風船鳥がリアめがけて急降下した。風船鳥が怒った時に、する報復はただ一つ ──
その頃。ライルも遠巻きにその様子を眺めていた。
「あれは・・・風船鳥?」
横でグエイドが冷静に口を開く。
「誰か、風船鳥を怒らせたようですね」
何をバカなことを、とライルは顔を顰める。
「ライル様、いかがいたしましょうか?この場を収束させますか?」
恭しくお伺いを立てるグエイドに、ライルは気乗りしない口調で言う。
「ああ、今日も私は気が乗らなくてね。風船鳥くらいで死者はでないから放っておいていいんじゃないか?」
「しかし・・・」
治癒魔法を得意とする白魔道師は誰かが傷つくことを望まない。怪訝な顔をするグエイドに、ライルは言葉をつなげた。
「だって、あそこの全知全能の女神様がいらっしゃるのだろう?自分でなんとかするだろう」
「確かにそうですね。ライル様、仰る通りでした。あそこには、正真正銘の女神様がいらっしゃったのですね」
そんな魔道師達の皮肉は、神官達の耳に入ることはなかったのである。魔道師たちがしれっと無視している中、場を納めようと警護の騎士達が群衆に群がっている鳥に向って、何か叫びながら突入していくのが見えた。
「・・・ああ、騎士達もお気の毒に。あのニオイはちょっとやそっとじゃ取れませんからね」
横でハラハラしているグエイドを尻目に、ライルは静かにその様子を眺めていたのだ。
── あの偽物女神が嫌いだったから。
◇
そうして数十分後。
祭壇のある噴水広場では、ある惨劇が繰り広げられていた。
「くっ。このニオイ、耐えられんな」
神官が鼻をつまみながら、広場のあちこちにいる風船鳥を一匹、また一匹と掴みあげながら、目当ての人物を探していた。
彼らが探しているのは、女神フローリア様、つまり、フローリア・デ・レルマ子爵令嬢だ。
広場には風船鳥の襲撃にあった人々が横たわり、その上には何十匹もの風船鳥がいた。鳥たちは、報復の相手に糞をまき散らしていたのだ。
「女神様、いたら返事してくださーい」
風船鳥は報復の相手の上に重なるようにして群がり、糞塗れにするのだ。
「おい、いたぞ。女神様はここだ!」
複数の神官も風船鳥に襲われていたが、まずは女神様の救出が先と殊勝な面持ちで探索にあたっていた。
「女神様、大丈夫です・・・か・・・」
神官が地面に倒れているリアを起こすと、あまりにも悲惨な姿に言葉を失う。リアは顔を手にしくしくと泣いていた。
「はやく、神殿にお連れしろ」
鼻が曲がりそうなくらい酷いニオイに耐えきれず、騎士達は鼻にハンカチをあて、リアに立つように促した。髪はボロボロで、服も風船鳥につつかれてボロボロになったリアは、無言で騎士たちに連れていかれてしまった。
「フロル、大丈夫か?!」
その様子をぼんやりと眺めていたフロルの耳に飛び込んで来たのは、ギル様の声だ。
「あ、ギル様」
久しぶりに見るギル様の姿が格好良くて、思わず拝み倒しそうになるフロルにギルが近づいてきた。
「風船鳥に襲われていると聞いて、援助要請が出たんだが・・・これは酷いな」
祝福を受けるはずの広場は風船鳥の糞と毛が散らばり、特に、女神がいた祭壇の上には、てんこ盛りの糞が落とされている。風船鳥が女神を狙っていたのは一目瞭然だ。
「それで、フロル、大丈夫か? それでその鳥は?」
フロルは、先ほどリアに蹴られた鳥をまだ抱きかかえていた。鳥はもう怒ってはおらず、愛くるしい丸い目をぱちくりとしていた。
「え、ええ・・・なぜか、鳥はこっちには寄ってこなくて・・・」
鳥が仕返しをしている間、なぜかフロルの前には、鳥が人間ピラミッドのように重なり、鳥の壁が出来上がっていたのだ。その壁に視線を遮られて、フロルには何が起きているのか、全く見えなかった。当然、鳥の壁があるから、フロルに被害は全くない。
くっくるー、くっくるーとフロルが抱きかかえている鳥が機嫌よく鳴く。
「それにしても、これは一体・・・」
思わずハンカチを鼻にあてる。
「ああ、何があったかは後で聞くとして、とにかく一度城へ戻ろう。あの大人しい風船鳥がここまでやるなんて、記録に残る規模の事件になりそうだな」
二人がそんなことを話しながら向けた視線の先には、ボロボロになった女神の姿があった。
「リード様・・・」
ギルの姿を認めたリアが一瞬足を止めた。彼女は、気まずそうにギルに顔を背けて、足早に立ち去っていった。一番見られたくない人に、惨めな姿を見られたのだ。
(あれは、絶対に見られたくない光景だよなー)
大好きなギル様にこんな姿を見られたら精神的ダメージが半端なさそうだ。自業自得だと言え、ほんの少しだけ、リアを気の毒に思ったフロルであった。
◇
「それで、なんで風船鳥なんか連れて来たんだ?」
魔道師塔の一角でライルが不思議そうに言う。魔道師塔のフロルの机の横の窓枠には、あの風船鳥事件の時にリアに蹴られた鳥が窓枠につかまり、くっくー、くっくーと機嫌よく鳴いていた。
「連れてきた訳じゃなくて、勝手について来ちゃったんです」
あの広場から立ち去ろうとしたフロルは、その風船鳥を地面に放してやった。
「ほら、もうお家にお帰り!」
フロルがそう言っても、風船鳥はつぶらな瞳でフロルを見つめるだけで、一向に立ち去ろうとしない。そうして、帰り道すがら、エスペランサに乗ったフロルを、飛びながら後を追いかけてきたのだとか。
他の従者曰く、一つ一つの窓を覗き込んで、フロルを探していたそうだから、風船鳥の執着心は相当のものらしい。風船鳥はついに魔道師塔の窓から、そこで働くフロルを見つけてしまったらしい。
「もう、ふーちゃんは仕方がないので放置することにしました」
「名前をつけたのか?」
あきらめがちにため息をつくフロルに、ライルは呆れたように言う。そこに、グエイドがためらいがちに会話に加わった。
「あの一匹を怒らせたことが、今回の広場の事件に繋がったようでして・・・」
ライルの胸に、風船鳥のせいで見るも無惨な姿になったアンヌの姿が浮かぶ。
彼女についた強烈な糞のニオイは、風呂にはいってもとれることはなかったと聞く。そして、リアに、近寄った女官が強烈な臭いのせいで卒倒する事態が今も続いているらしい。
「・・・そうか。それなら仕方がないな」
風船鳥の不興を買って、魔道師塔内が臭くなってはたまらない。いくら変わり者と言われている魔道師達ですら、ふーちゃんの居場所を仕方なく容認したのであった。
そして、ふーちゃんは、今日も魔道師塔で働くフロルのデスクの横にある窓の傍で、求愛のダンスを踊っているそうだ。
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