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第四章 白魔導師の日々

嫉妬 **

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ギルと馬屋で別れてから数日後のこと。フロルは今日もエスペランサの世話をせっせとしていた。

ギル様が色々、王宮の中で根回しをして、聖剣の騎士としての認定を外してもらえるように取りはからっているのをライルを通して、フロルも知っていた。

彼が信じて待ってていてくれと言ってくれたのなら、じっと待つしかないだろう。

フロルは、溜息を一つついて、馬の世話に精を出す。ギル様がまた騎馬騎士隊に戻ってくるかもしれないのだ。その時まで、エスペランサのコンディションを整えておいてやらなくては、と思う。

そんなフロルの耳に、馬屋の扉が開く音が聞こえた。

(ギル様かもしれない!)

フロルは目をキラキラさせながら、開いた扉を見れば、そこに立っていたのは、ギル様ではなく、レルマ子爵令嬢、いや、女神様が立っていた。

ギル様も一緒かと思って、フロルは一瞬、期待のこもった目で彼の姿を探した。そんなフロルの気持ちをリアは察したようだ。

「お前に一言釘を刺しておこうと思って」

リアは、馬屋の入り口から一歩足を踏みいれ、フロルの前で仁王立ちになった。リアの口元は意地悪そうに曲がっていた。

「・・・なんのことですか?」

リアに注意をされるような筋合いはない。そんなフロルにリアは厳しい顔を向けた。

「リード様のことよ。よく分かっていると思うけれど?」

その瞬間、フロルは思わず、エスペランサにかけるブラシに力を入れてしまった。

エスペランサが驚いたようにぴくりと動く。

「ああ、ごめんね。エスペランサ。痛かった?」

フロルのイライラを察したのか、エスペランサがそっとフロルに頬を寄せる。気にするなと言わんばかりのエスペランサは相変わらず可愛い。

「馬にかこつけて、リード様と接触しようなんて身の程しらずね」

リアが嫌味を込めて感心したように言う。それがフロルの神経を逆なでする。

「・・・・仰る意味がわからないんですけど」

「よくもまあ、ぬけぬけと・・・。獣の面倒見ていた娘が、白魔道師になんてなるから思い上がるんだわ」

「今、仕事中なので、邪魔しないでくださいます? 私忙しいので」

(・・・もういい加減に帰ってくれないかな)

ここはフロルの仕事場だ。そこでぺちゃくちゃお喋りされると仕事の邪魔だ。そして、今のフロルはとーっても苛ついているのだ。

相手が女神とか言うけど、構うもんか。フロルがじろりとリアを睨み付け、嫌味の一つでも言ってやろうとした時だった。

「ここで何をしている?」

二人の背後から響いた声。それはまさしく、ギル様の声だった。

「リード様」

フロルに見せたしかめっ面とはほど遠く、リアは潤んだ目で甘えたような声を出す。

態度を豹変させて、しなをつくり、ギル様に流し目をするリアがとーっても煩わしいし、うっとしい。

堪忍袋の緒がぶちぶちとちぎれそうだったので、フロルがリアに鋭い目を向けると、確信犯なのだろう。ギルにわざと腕を絡ませながら、フロルを蔑むように見据えた。

「あの、レルマ殿」

ギルは困惑した顔を彼女に向けた。

「その・・・申し訳ありませんが、手をどけていただけませんか?」

ギルもは礼儀正しくそれを遮ったが、ちらりとフロルを気まずそうに見た。その顔にフロルはなんだかいたたまれないような気がした。

「あら、私としたことが。つい。失礼しました。リード様」

リアの大きく空いた胸元から柔らかな膨らみが見える。それもわざと見せているのに違いない。ギル様は真っ赤になって、リアを押しやる。

その横で、フロルの怒りはさらに膨らむ。嫉妬と言う感情だろうか。

「・・・あら。子供の前でしたわね。私ったらはしたないことを。ねえ、リード様、よかったらこの後、少し相談に乗ってくださる?」

思わせぶりな視線をギルに向けながら、リアは勝ち誇ったような視線をフロルに向ける。ギルに気づかれないようなわざとらしい仕草が、さらに鼻につく。

ギル様がまた困ったような視線をフロルにちらと向けた。そんなギルに、フロルはどうしたらいいのか、全く分からなくて混乱していた。女同士の恋の当てつけなど、今まで経験したことがなかったからだ。

「あ、あの、わっ、私。これで失礼します!」

空になったブール草の桶をひっつかみ、フロルは一目散に馬屋から走りでた。

「おい、フロル!」

フロルの後を追いかけそうになったギルの腕を、リアはそっと掴んだ。

「・・・探しましたのよ。リード様、この後、神官と打ち合わせがおありでしょう?」

ギルは内心の苛立ちを顔に出したかったものの、今、リアを敵に回せば、フロルに害が及びそうだと、頭の片隅で考えていた。自分のことで、フロルに害が及ぶような目に遭わせてはいけないと、自分にいい聞かせる。

「・・・ああ、そうでしたね。女神様」

そう言って、ギルは自分の腕に絡みつくように添えられたリアの腕をそっとほどいた。



その頃、フロルは、浮かんで来た涙を見られまいと、俯きながら空になった馬の餌の桶を運んでいた。

幾らギル様の気持ちを知っているはいえ、やはり、彼がリアと一緒の所を見るのはつらい。

自分にはどうしようもないことなのだ。滲んできた涙を誰にも見られないように、地面を見ながらどこに行こうかとひたすらに思案する。

瞼をあげれば、もう涙が地面にぽろりと落ちそうだ。

ふと前方を見ると、数人の騎士がこちらに向って歩いていた。泣いている所を見られたら、きっと、どうしたのか、と聞かれるだろう。

その理由がどうしても言いたくなくて、フロルはぷいと地面を見つめた。その騎士たちはどんどんとフロルと距離を詰めてきた。どうにかしないと、泣いていることがバレてしまう。

ふっと竜の厩舎へと目が向いた。

── あそこなら

誰もいない。厩舎に夕方遅く人がいないことをフロルは知っている。

慌てて厩舎の扉をあけて中に駆け込むと、竜たちが一斉にフロルを見た。嬉しそうな顔をする竜に一切目もくれず、フロルはひたすら一番奥にいるリルの所へと一目散に駆け寄った。

「きゅう?」

フロルのいつもと違う様子に、リルはきょとんとした顔をする。

(どうしたの?)

そう言いたげなリルにフロルは黙って抱きついた。最近は、氷竜らしくリルの鱗はますます青く美しくなってきていた。青年になりかけているリルの首をぎゅうっと抱きしめ、フロルは、はらはらと涙をこぼした。

「うぐっ。ひっく・・・うぇぇ・・・」

声を抑えようとするが、漏れるような泣き声が止らない。

(私のギル様なのに)

悲しくてどうしようもなくて涙がでる。

リルは突然泣き出したフロルにびっくりして、そばでオロオロしている。

「き、きゅうぅ???」

フロルの泣き声にびっくりしたのは、リルだけではなかった。他の竜も何事か?!というような顔をして、フロルをじっと見つめる。

フロルがへなへなと藁の上に座りこむと、リルもその隣に座る。冷たい床の感覚がお尻に伝わってくる。

もう夕食の時間なのだが、何か食べたいとも思わない。そんなフロルに隣にいた緑竜のゴルガも頬をよせた。

「ゴルガ・・・・」

リルよりも何十年も長く生きているゴルガは人の喜怒哀楽を多少なりとも理解しているのだろう。

うぇうぇと泣くフロルを横目に、竜たちはオロオロとするばかりだ。竜たちが出来ることは、慰めるようにしてフロルを囲むくらいだった。

その時だ。

「いったあ・・・」

手首に疼くような痛みを感じた。怪我をしている訳でもないのに、手首がじくじくと疼く。

馬屋から飛び出して来た時にどこかにぶつけたんだろうか。

手早く洋服の袖をまくり上げると、疼くように痛む左手の手首を見た。いつからか出来た薄黒い痣が少し大きく広がっていて、それがじくじくと痛むのだ。

涙に塗れた顔でフロルはその痣をじっと見ると、何かの芽のような形をしていた。

「なんだろう・・・これ」

鼻水が垂れて、涙に塗れて、悲しくてなげやりな気持ちでその痣を見つめる。以前と比べて、それは少し大きくなっていた。

そんなものどうでもいい・・・

なげやりな気持ちで床の上にすわり膝を抱えて涙にくれた。

ギル様は、自分こそが女神の生まれ変わりではないかと言う。けれども、それが本当かどうなのか、フロルにだって確証はない。アンヌも一度は、女神として認定された挙句、全く奇跡がおこせなかったし、大神殿でのレベナント騒動の責任をとらされる形で更迭されたではないか。

自分が女神の生まれ変わりだという確証は今の所、フロルには何一つない。

そりゃ、突然、大人に成長したり、毛玉が見えたりするけど、それはともかくとして、白魔導師として働いているのだから多少の魔力はあっても当然だ。

けれども、まだウィルは治療中だ。もし、変に自分が女神だと名乗り出た後、奇跡が起こせなかったり、女神ではないと判断された場合に、王宮を追い出されるかもしれないし、もし、そうなったら、ウィルの治療も打ち切られるかもしれない。

もし、自分が女神の生まれ変わりだと確証があればいいんだけど、今の自分にはそんなものは何一つない。それに、変に名乗り出て、神殿に引き取られるのも嫌だった。あのバルジール大神官が自分に傅く姿を想像すると、鳥肌とか立ちそうだ。

けれども、ギルとアンヌが同じ神殿にいるのも悩ましいが、どうしていいのか、さっぱりわからなかた。

フロルは床の上で、リルを片手にして、涙にくれていると、竜舎の扉が静かに開く音が聞こえた。この時間、竜舎に来るものはいないはずだ。フロルは慌てて涙と鼻水を拭い、誰だろうと、竜舎の訪問者を見つめた。

「ドレイク様・・・・」

竜騎士団長アルフォンソ・ドレイク侯爵。

彼も仕事あがりなのだろうか。竜騎士の制服をぴっちりと着込み、膝まである長靴を履いていた。立った今、遠乗りから戻ってきたようだった。きっと、グレイを連れて空を飛んだのだろう。グレイはドレイクの後に立っていて、大人しく手綱を握られていた。

「フロル・・・」

思いがけない珍客を見つけて、ドレイクはカツカツと音を立てて、フロルの傍へと近寄った。竜舎の一番奥にいるリルの傍で床に座り込み、竜たちがフロルを囲んでいるのを見て、意外な顔をした。

「どうした? 泣いてたのか?」

フロルの目の縁が涙で赤く滲んでいるのを認めて、ドレイクは驚いたようにフロルを見つめた。
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