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第四章 白魔導師の日々

小話 フロルと魔道具~4

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背中を掴まれたまま、ぶら下げられて、フロル猫はじっと殿下の目の前で固まっていた。これは、猫と人間の邂逅というやつであって、決して、恋愛的な意味ではない。

もう一度言わせてほしい。

いくらイケメンでリッチなハイスペックの王子様だったとしても、魔獣マニアは、絶対に、自分の好みじゃないのだ。好きなタイプの男性は、シルバーの短い髪に、青い瞳で、日焼けした顔におおらかな笑顔が可愛い騎士様である。

・・・となると、そんな人はこの世でたった一人しかいないのだが。

そんなフロル猫を腕に抱き留めながら、殿下が嬉しそうに笑う。

「それにしても面白いな・・・この魔力、わかるか? ジャルダン」

侍従長は、いまひとつピンとこない様子で言葉を返す。

「はて・・・私は殿下のように魔力がございませんので」

そうなのか。殿下も、魔力もちだったのか。魔力もちでないと魔力のある人間は見分けられないようだ。

でも、はやく降ろしてほしいな。

そんな不満に満ちあふれているフロル猫をじっと見つめて、殿下は少し目を閉じた。魔力の質を吟味しているのだろう。しばらくして、彼が再び目を開いた。

「・・・白魔力だ。治癒の力もあるかもな」

おお、殿下。なかなか良い読みをしてらっしゃる! 

けれどもぶら下げられたままの状況は良しとしない! フロルは、身をくねらせ、殿下の手を振り切って、逃げ出すように床に飛び降りた。

「あ、猫くん。ちょっっと待って」

殿下の制止をまるっと無視して、フロルは、たたっと、ソファーの下へと潜り込んだ。その隙間から殿下の様子を覗う。この人は魔獣マニアだ。用心するに越したことはない。

「あれ? どうして逃げちゃうの? ほら、こっちにおいでよ」

床とソファーの間の隙間から覗き込む殿下の顔が見えた。

なんとなく、動物的な勘が、この人の傍に寄っちゃダメだと言っているのだ。

警戒するように見つめている猫を見て、マキシミリアン殿下は、苦笑いを浮かべた。そんな殿下に侍従長が声をかけた。

「殿下、お昼食の準備が整っておりますが、猫はどういたしましょう?」

殿下は、ちょっと閃いたように、瞳を輝かせる。

「ジャルダン、そうだ。もう一つ皿を持ってきてくれ。私は、この子と一緒に食事をとる」

「猫と一緒にお食事をお召し上がりになられるのですか?」

「ああ、そうだ」

(あ、もうそろそろお昼の時間だった)

それを思い出したフロル猫の腹もぐーっと鳴る。

おなかすいた。ごはん食べたい。

そうして、テーブルについた殿下の前に、従者たちがさっそく食事を並べ始めた。
フロルは相変わらず、ソファーの下に隠れたままだったが、美味しそうな匂いが鼻をつく。

・・・あ、これは、よく煮込んだシチューの匂いだ。

好物のシチューの香りに誘われて、ひくひくと鼻を動かす。空腹に耐えられなくなってきて、ソファーの下から、ちょっとだけ顔を出すと、見透かされたように殿下に笑われた。

「ほら、猫くん、こっちにおいで。シチューを分けてあげるよ?」

ほんと? いいの?

自分用の皿なのだろうか。従者が小さなお皿の上に、崩したお肉を乗せて、殿下と同じテーブルの上に置いてくれた。そこから香るトマトと肉の煮込んだ匂い。・・・

美味しそうな匂いにつられて、ふらふらとソファーの下から出て、とんっとテーブルの前の椅子の上に登った。警戒するように、殿下の席からは離れた場所だったが。

「それにしても、大人しい子ですね。テーブルの上によじ登るかと思いましたが」

そう言って、椅子の上のフロルの前に、ジャルダンが皿にのったシチューを出してくれた。が、問題が一つある。

小さいので、テーブルの上に顔が届かないのだ。とはいえ、テーブルの上に乗るのも気が引ける。

シチューの皿を前に、困惑したような表情を見せるフロル猫に、ジャルダンは笑った。

「・・・私としたことが、失礼いたしました。お嬢様」

侍従長はそっとフロルを抱き上げ、椅子の上に大きめなクッションを引いてくれた。ふんわりした感触が心地良い。椅子から立ちあがると、なんとか頭がテーブルの上に出た。

「さあ、おあがり。猫の魔獣ちゃん」

ほんとにいいの?と、フロル猫が殿下の顔を覗うと、安心させるように頷いてくれる。

おずおずと、皿の上の肉を一口食べて、フロルはびっくりした。

口に入れた途端にとろりと煮崩れる。そして、溢れる肉汁がたまらない。

・・・ううう、美味しい。

最高級の食材を最高の料理人が手間暇掛けて料理したものが不味いはずがない。フロル猫は感動しながら、それをちょびちょびと口にした。

王族のご飯って、こんなに美味しいんですね。従者の食堂のご飯も美味しいけれど、このお味は特別です-。

そんなフロル猫を眺めながら、殿下も食事を始めた。横目でちらと殿下の様子を窺うと、とても上品な仕草で食事を口に運んでいた。

王族と一緒にご飯なんかしていいのだろうか? 

少し不安な気もするが、今の自分は猫なのである。猫が王族と食事を共にしちゃいけない理由はないのだ。

そうして、食べ終わると、侍従長がデザートも出してくれた。クリームとイチゴが沢山のったケーキは絶品で、それを、夢中で食べていると殿下が笑う。

「本当に美味しそうに食べるんだなあ」

朗らかに笑う殿下の評価が、一気にうなぎ登りに上がったのはナイショだ。

殿下はただの魔獣マニアではないのだ。食事は偉大だ。

そういう訳で食後は、殿下とのお遊びの時間となった。その頃には、フロルの警戒心はすっかりとほぐれ、殿下に懐いている猫がすっかり出来上がっていた。

「ほら、これをとってご覧?」

そう言って、殿下が投げてくれる毛玉ボールを走ってキャッチする。そして、がしがしと夢中になって毛玉ボールで遊ぶ。

・・・今の自分は猫だからね?

決して、人であったら恥ずかしすぎて、死ねることでも、猫の自分なら大丈夫。何も問題ない。

旅の恥、いや、猫の恥は掻き捨てでOK! 猫は猫らしく! 

フロルがたたっと走って、殿下の胸にぴょーんと飛び乗ると、殿下は、ちょっと嬉しそうに頬を染めて、フロル猫を抱き留める。

「・・・・かわいいな」

毛をモフモフとされた後、鼻を背中の毛に突っ込まれて、匂いをかがれた。

ほら、今の自分は猫だから! 人間の時にされたら、悲鳴を上げる所だが、今の自分は猫ですからね・・?

殿下の前で、仰向けになって転がり、俯せになれば、背中を撫でてくれる。二人の相性は最高だ!

そうしてしばらく殿下とは十分遊んで、フロルは少し飽きてきた。猫は飽きっぽくてもいいのだ。だって、それが猫なんだからね!

そろそろギル様の模擬戦が始まる頃だと、思い出した。

(よし、これから鍛錬場へと行こう!)

そう思い立って、部屋から出るために、意気揚々と扉の隙間をすり抜けようとした瞬間、殿下に後から掴まった。

「こら。私を置いて、どこへ行くつもりなの?」

殿下の声はとても甘いけど、それが何故か、残酷な響きが込められているような気がする。フロル猫は硬直したまま、殿下をじっと見上げた。

(・・・うう、外に行けない。ギル様の模擬戦見れないかもしれない)

「ずっと私の傍にいなさい」

殿下にそう命令された。そんな殿下を前にして、フロルは困惑したように視線を床に落とす。

もうそろそろ、魔道師塔に戻りたい。ライル様だって自分を探してるかもしれない。

ほんの少し心細くなって、にゃあ、と小さい声で鳴いてみるが、そんなフロル猫を殿下は甘い瞳で見つめ続けた。彼の頬はだらしなく緩んだままだ。

もう自分がまるでペットであるかのような顔を殿下はしている。このまま、ペット化して、殿下に懐いていると思われたら、本当に返してもらえなくなるかもしれない。

・・・あまり懐いていると思われても困るかも。

フロルは、殿下の腕からとびおりて、慌ててカーテンの陰へと隠れた。少しだけ、顔を覗かせて、殿下の様子を窺うと、怪訝そうな顔でこっちを見ている。

「急にどうしたの? ほら、こっちにおいで?」

整った柔らかな殿下の顔がちょっと怖い。

顔を背けて部屋の隅に逃げるようとすると、あっという間に、殿下に掴まってしまった。そのまま、柔らかいタッチでフロルの体を撫でくれる。それがとても気持ちいい。

・・・ああ、ゴッドハンド。シルクタッチ-。

そうして、思わずうっとりと目を閉じそうになった時だ。殿下が小さい声でフロル猫を撫でながら、喉を鳴らすように呟く。

「ああ、・・・・すごく可愛い。すっかり気に入ってしまったよ。ねえ、このまま、ずっと私の傍にいてくれないか? フロル?」

(フ、フロルって?)

殿下に背中を預けたまま、フロルはピキリと固まった。その固まったままの姿勢で、視線だけを殿下に向けると、悪魔のような美しい笑顔がフロルの目に入った。

「ああ、可愛い・・・なんて可愛いんだ。フロル」

殿下の声が甘い。そして、自分を撫でる手に一層、力が入ったような気もする。

恐怖に震えるフロルを、殿下は自分を持ち上げて、その背中に再びを埋めた。
最初から、殿下は、自分がフロルだって知っていたのだろうか?

「君が猫になるとこんなに可愛らしいなんてねぇ。もう、人間に戻すのやめちゃおうか?」

ライルから君を取り上げてしまえば、私の好きに出来るんだよねぇ、と甘く歪んだ声で囁かれた。

恋人にするような仕草と言葉のせいで、フロルの全身にぞわぞわと鳥肌が立った。
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