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最終章
遠征~3
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「君の想い人は、ジョルジュ・ガルバーニ公爵なのか?」
目の前にいる美しい王太子が問えば、ジュリアは素直に肯定した。
「ええ。その通りです」
ずばり核心をついた答えに、王太子は、参ったな、という顔をしながら困ったように笑った。
「君は正直だな・・・そんな風に、まっすぐに肯定されるとは思わなかった」
ジュリアは、申し訳なさそうな顔をしながらも、自分の気持ちを曲げることはなかった。ゆらゆらと揺れる蝋燭の炎の向こうの王太子を見つめていた所に、給仕がデザートを持ってきた。葡萄がふんだんにのせられたデザートだ。
二人は給仕が退出するまでお互いに何も言わなかった。
それで、と給仕が部屋を出るのを待って、ジュリアは再び、王太子エリゼルに向いあった。
「どんなことがあろうとも、私の気持ちは変わらないのです。ジョルジュを、ジョルジュ・ガルバーニを愛しています。彼は、私がどんな時にも常に共にいて、手助けをしてくれました」
「まだ君は王宮に来てから日が浅い。まだ貴族社会について何も知らないに等しい」
エリゼルの親切そうな言葉に、ジュリアはまだ警戒を怠ってはいなかった。用心深く彼を見つめるジュリアに、エリゼルは綺麗な所作でデザートにフォークをいれ、そしてジュリアを見つめた。
「君は、ガルバーニ公爵家の全ての闇を知っている訳じゃない。公爵家は代々、陰の王家と呼ばれていることは知っているのだろう?」
「闇・・ですか?」
「ああ、公爵家は代々、王族が表に出ることの出来ない仕事を請け負ってきた。だからこそ、公爵という位の高い爵位も継承出来ているんだ。まあ、遠い昔には王家と縁続きだったこともあるのだけれどね」
戸惑うように見つめるジュリアに王太子は口を開いた。王太子エリゼルは、憐憫の混じった眼差しでジュリアを見つめた。
「君が知らない陰の部分も沢山あるんだよ。特に、ジョルジュ・ガルバーニ公爵はね。彼との結婚を決める前に、君は知っておく必要があると思うのだ。何も知らないままに花嫁にされては君が気の毒だ」
ジョルジュの闇の顔。陰の王家と呼ばれていたなんて、ジュリアは少しも知らなかった。それでも、ジュリアは毅然と顔をあげ、しっかりとエリゼルを見つめた。
「彼が手を染めてきた闇の部分を知りたいとは思わないかい?」
彼が甘い瞳でジュリアを見つめた。甘い瞳でまるで誘惑するかのように囁くその言葉。耳に優しいが、その中にきっと毒が含まれて居るのに違いない。エリゼル殿下はまるで毒の花のようだ。甘く魅惑的な芳香を放ち、それに寄ってきた虫に蜜を与え、甘美な毒で痺れさせ、じわじわと蝕んでいくのだろう。
その毒はきっとこの上なく美味なことだろう。何も知らない人なら、きっとそれを喜んで口にしてしまうのに違いない。
けれども、ジュリアはその毒はすでに経験済みであった。クレスト伯爵家に無理やり嫁がされたことを、ジュリアは忘れていなかった。
そんなジュリアを、天使かと見紛うほどの整った顔立ちのエリゼルが、熱い視線で見つめている。
彼の誘惑するうような甘い眼差しに耐えられそうになくて、ジュリアはそっと視線をテーブルの上のデザートに落とした。甘そうな葡萄を煮詰めたものに、軽く焼いたメレンゲがのっている。
このデザートには毒は入っていないのだろうか。彼だって王家の人間だ。人に毒を盛るくらいは至極簡単なことだろう・・・そう、王族だって、相手を手にかけることだってあるのだ。
「彼だけが、闇に手を染めていたのでしょうか?」
ジュリアは、はっとした様子でエリゼルを見つめた。相手を見抜くようなまっすぐな視線だった。
「それはどういう意味?」
「王族だって長い歴史の中で、公にできない秘密の一つや二つあるのではないですか?」
もっとも、それについては詳しく知りたいとジュリアは思わなかったが。
「ふ、厳しい所をついてくるね。君は何でも率直に答えるから、私も君の質問には誠実に答えよう・・・そう、答えはイエスだ」
黙ったまま自分を見つめるジュリアに、エリゼルは皮肉まじりの言葉を紡いだ。
「・・・王族であるがために、したくない策謀の一つや二つはざらにある」
そう。クレスト伯に花嫁を嫁がせたように。エリゼルは、なんという皮肉な星回りなのだろうと思った。今、その偽の花嫁を自分のものにしようと画策しているのだから。
ジュリアは一つため息をついて、エリゼルに口を開いた。
「この貴族の家系に生まれたからには、策謀や陰謀は避けられないのが現実なのでは?」
もしそうなら、ジョルジュだけを批難する訳にはいかない。貴族である限りは、多かれ少なかれ、陰謀に加担することだってあるのだ。
「・・・もし、そうであれば、私は、彼や彼の家が犯してきた闇に匹敵する程の善行を成して見せましょう」
「は?」
ジュリアはしっかりとエリゼルを見た。逃げも隠れもしない。それが必要ならば、正面から取り組むまでのこと。
「どんな施政者にも闇の部分は避けて通れないもの。ならば、自分はそれを打ち消すほどの善行を施しましょう」
彼一人に暗い影を負わせて、自分だけのんびりと高見の見物などしない。
ジュリアは固い決意があった。何があっても、ガルバーニ家を、ジョルジュを守るのだ。
「君って女性は本当に・・・」
額に手を当て、エリゼルは呆れたような声を出した。
「まったく・・・君には脱帽するよ」
エリゼルが半ば呆れ、半ば尊敬のこもった眼差しでジュリアを見つめた。普通の女であれば、自分が貧乏くじを引いたと思えば、あっさりと趣旨替えをするものだが。
「私のような男と一緒になろうとか思わないの? 将来の王妃になりたいとは思わない? 君ならば、十分に私の隣に立てる。能力も、知能も優れている」
「・・・それは愛ではありません。殿下。愛とはもっとお互いを慈しみ合いながらはぐくんでいくものです」
ジュリアの声は物静かだった。ジュリアは、もうすでに知っているのだ。人から愛されるとはどんなことか。そして、人を愛するのはどういうことかも。
それは全てジョルジュが教えてくれたことだ。
「私にその時間を与えてはくれないの?」
「もう、結婚式の日取りも決まっているのです。今更、ガルバーニ様以外の男性と何かしようなどと考えられません」
「例え、貧乏くじを引くかも知しれなくても?」
「ええ」
ジュリアの意思は固かった。
「そうか」
エリゼルはそれ以上何も言わなかった。ただ、何かをずっと考えてはいるようだったが。
「私に機会を与えてくれと言ったね?」
「ええ。でも、その期限は、この旅が終わるまで、ということにしていただいてもよろしいでしょうか?」
エリゼルはジュリアを見つめた。何かを考えているようだったが、ジュリアの言い分を聞くことに決めたらしい。
「ああ。わかった。君の言う通りにしよう」
「ありがとうございます。殿下」
食事は終わった。ジュリアは王太子に合わせて席をたち、ジュリアに腕を差し出した。宮廷のしきたりに従い、ジュリアは彼の腕に自分の手をかけた。
そうして、ジュリアの部屋の前までエリゼルは彼女を送り届けた。
「おやすみなさいませ」
ジュリアが丁寧に礼をとれば、エリゼルは急に思い出したように、ジュリアに言った。
「明日の朝、私を起こしてくれ。こう見えても、寝起きがとても悪くてね」
「朝ですか?」
「ああ。よろしく頼むよ。部屋が隣なのは便利だな」
ふふと、笑いながら立ち去る王太子の後ろ姿をジュリアは静かに見送った。彼は一体、何を考えているのだろうと不思議に思いながら。
◇
エリゼルは自分の寝室に戻り、夜着に着替え、息をついて寝台に腰をかけた。
「参ったな・・・私としたことが、彼女に完敗してしまった」
いい意味でも悪い意味でも。彼女がガルバーニと出来ていることはうすうす分かってはいたが、まさか、そこまでの愛をはぐくんでいたとは思わなかった。
それでも彼女が普通の令嬢より、ずっと頭の回転も速く、気性がまっすぐな所も気に入っていた。クレスト伯爵領を切り盛りした腕前、人間としての器。
切ない視線を送っても、全くつれない君。
エリゼルはため息をついた。
美しい容姿、王太子と言う十分な後ろ盾。それに、財力やいかなるものをもっても、彼女が振り向くことはないだろう。母である女王陛下が言っていたではないか。
「あれは、権力に屈するタイプではないぞえ」
全くその通りだった。君の目を引くにはどうしたらいいの? ジュリア。
どうしたら、君に熱い眼差しで見つめてもらい、囁いた愛の言葉を受け入れてくれるのだろう。エリゼルには、その答えがわからなかった。
それにしても、最初から、ガルバーニ公爵はジュリアの味方だった。誰にも悟られず手際よく彼女との距離を詰めていっていたようだ。
ジュリア、君はまだ知らないんだ。あの男が、あの血族が今まで何をしてきたかを。血で染まった手で、自分に触れようとしていることがわからないのか。
しかし、それを言っても、彼女の瞳の中にある決心は微塵も揺らぐことはなかった。
「では、彼と彼の一族が犯した事柄と同じくらいの善行をいたしましょう」
まさか、そんな言葉が出るとは思わなかった。堂々とした様子は女王のそれを思い出す。ジュリア、君はまだ分からないのか? 君には王妃の貫禄がある。
ますます、私の妃にふさわしい。
ねえ。ジュリア。君は自分が思っている以上にはるかに価値があると、全然わかってないね。ガルバーニはちゃんと知っているのだ。
君がどれほど価値がある人間かを。
王都に戻るまで後数日はある。それまで、君を落とす方法を色々と考えてみよう。私に出来ないことなどないのだから。
エリゼルは、隣の部屋で寝ているであろう彼女に思いを馳せた。
このまま夜這いに言ってしまおうか、それとも無理やり君を抱いて、ぐずぐずになるほど蕩けさせて、君の体に悦楽を教え込めば、私のものになるのだろうか。
寝台の横には蝋燭がゆらゆらと陰を落としている。それを眺めながら、エリゼルは、これからどうしたものかと思案していた。
◇
その翌日の朝。
「殿下、朝ですよ。起きてください」
結局、離宮の中で、エリゼル殿下を起こすのはジュリアの役割となってしまった。目の前の寝台の中で、ぐずぐずとする殿下を見て、ジュリアは信じられない思いで一杯だった。
いつも秀麗で洗練された王太子殿下がこんなに朝の寝起きが悪いなんて。
「ほら、殿下。お目覚めになってください」
ジュリアが、寝台の中のエリゼルを揺すぶっても、彼はまだ覚醒しきっていないようだ。
「ああ・・・君か。おはよう」
少し乱れた金の髪に、けぶたそうな瞼から自分を見つめる緑色の瞳。夜着の胸元からは、彼の喉元が見えて、ジュリアは思わずドキリとする。なんて色っぽいんだろう。騎士団のむさ苦しい男達なら、異性を感じず、ジュリアだって、手荒に起こすことは出来る。野営でだってよくある光景だ。
しかし、それが、シルクで出来たシャツを着て、天使のような繊細な男相手では、普段の勝手がわからず、逆に異性として意識してしまう。こんなに美しい男性が、しどけない姿でいるのを目にするのは始めてだ。
胸がドキドキして、顔が少し赤くなるのがわかる。
・・・落ち着け。自分。これは殿下だ。彼を起こすのが仕事だ。
艶っぽい彼の微睡む姿にどうしても落ち着かずに、そうこうしている間に、どうみても堕天使のようにしか見えない彼の胸がちらと見えて、ジュリアは思わずドキリとした。
「殿下・・・起きてくださらないなら、こちらにも覚悟がありますからね」
もうダメだ。これ以上いたら、彼の色気にやられてしまう。覚悟を決めたジュリアの音色は一段と低く、視線が厳しいものに変わる。
不敬だと言われたら、それはもうその時だ。
布団をばっとはぎ取り、殿下の腕を掴もうとした時、彼がぱっとジュリアの腕を掴んだ。
「えっ?」
ジュリアの予想とは全く逆で、予期しなかった返し技で、ジュリアは足下を掬われ、ベッドの中に倒れ込む。気がつけば、その上にエリゼル殿下がジュリアを組み敷くような形でいるではないか。
「・・・油断したな。マクナム」
してやったりと悪戯好きな子供のような顔で自分を見つめる殿下。女性かと思うような顔立ちなのに、力はしっかりしていて強い。もしかしたら騎士団の中でもつよいほうじゃないだろうか。
両腕を殿下に押さえられ、のしかかるような形になっている。・・・しかも、ここが殿下の寝台の中だと思い出して、ジュリアは呆気にとられて殿下を見つめてしまった。
「そんな風に私を見て誘ってるの?」
殿下が艶っぽくジュリアに語りかける。ジュリアの耳にそっと唇をあてて囁かれれば、ジュリアは途端にパニックになった。
「うわっ、で、殿下。違います! ご、誤解です。離して!」
「朝から私と一緒に眠りたい? 君にならいくらでも寝台の作法を伝授してあげてもいいけど?」
殿下の本気度がわからない。からかいたいのか、本気なのか。それにしても組み敷かれて両手を押さえられれば、ジュリアだってどうしようもない。殿下をはねのけて起き上がりたいのに、彼の力のなんと強いことか。
「私だって男だ。 女が敵う相手じゃない」
殿下の薄い唇が形よくつり上げられる。目の前の獲物をいたぶる猫のような視線を感じてジュリアはバタバタを足を動かしたが、全く動くことができない。
「ほら。足掻くだけ無駄なんだよ?」
そっと殿下が自分の顔に唇を寄せてくるのがわかる。
「で、殿下っ! わ、私は美味しくないですよっ」
焦るあまり意味不明の言葉が飛び出すわ、声がうわずるわで、ジュリアは大パニックになる。こんな体勢に持ち込まれれば肉弾戦はかなり不利になるのは明白だ。
「では、美味しいかどうか味見してみようか?」
とろりとした視線で見つめられ、ジュリアは、踏んではいけない地雷を踏んだ気がした。
彼が纏う香りが鼻腔を刺激する。男性なのに、なんだかセクシーな香りに惑わされて、クラクラと目眩がしてきた。この人、色気がありすぎるのだ。
美貌と権力と色気があるイケメンなんか、爆発してしまえ。
心の中でも殿下を罵ることを忘れないジュリアだったが、まずは、ここから脱出することが先決だ。
ジュリアは焦りながら自分を組み敷く殿下を見上げた。
目の前にいる美しい王太子が問えば、ジュリアは素直に肯定した。
「ええ。その通りです」
ずばり核心をついた答えに、王太子は、参ったな、という顔をしながら困ったように笑った。
「君は正直だな・・・そんな風に、まっすぐに肯定されるとは思わなかった」
ジュリアは、申し訳なさそうな顔をしながらも、自分の気持ちを曲げることはなかった。ゆらゆらと揺れる蝋燭の炎の向こうの王太子を見つめていた所に、給仕がデザートを持ってきた。葡萄がふんだんにのせられたデザートだ。
二人は給仕が退出するまでお互いに何も言わなかった。
それで、と給仕が部屋を出るのを待って、ジュリアは再び、王太子エリゼルに向いあった。
「どんなことがあろうとも、私の気持ちは変わらないのです。ジョルジュを、ジョルジュ・ガルバーニを愛しています。彼は、私がどんな時にも常に共にいて、手助けをしてくれました」
「まだ君は王宮に来てから日が浅い。まだ貴族社会について何も知らないに等しい」
エリゼルの親切そうな言葉に、ジュリアはまだ警戒を怠ってはいなかった。用心深く彼を見つめるジュリアに、エリゼルは綺麗な所作でデザートにフォークをいれ、そしてジュリアを見つめた。
「君は、ガルバーニ公爵家の全ての闇を知っている訳じゃない。公爵家は代々、陰の王家と呼ばれていることは知っているのだろう?」
「闇・・ですか?」
「ああ、公爵家は代々、王族が表に出ることの出来ない仕事を請け負ってきた。だからこそ、公爵という位の高い爵位も継承出来ているんだ。まあ、遠い昔には王家と縁続きだったこともあるのだけれどね」
戸惑うように見つめるジュリアに王太子は口を開いた。王太子エリゼルは、憐憫の混じった眼差しでジュリアを見つめた。
「君が知らない陰の部分も沢山あるんだよ。特に、ジョルジュ・ガルバーニ公爵はね。彼との結婚を決める前に、君は知っておく必要があると思うのだ。何も知らないままに花嫁にされては君が気の毒だ」
ジョルジュの闇の顔。陰の王家と呼ばれていたなんて、ジュリアは少しも知らなかった。それでも、ジュリアは毅然と顔をあげ、しっかりとエリゼルを見つめた。
「彼が手を染めてきた闇の部分を知りたいとは思わないかい?」
彼が甘い瞳でジュリアを見つめた。甘い瞳でまるで誘惑するかのように囁くその言葉。耳に優しいが、その中にきっと毒が含まれて居るのに違いない。エリゼル殿下はまるで毒の花のようだ。甘く魅惑的な芳香を放ち、それに寄ってきた虫に蜜を与え、甘美な毒で痺れさせ、じわじわと蝕んでいくのだろう。
その毒はきっとこの上なく美味なことだろう。何も知らない人なら、きっとそれを喜んで口にしてしまうのに違いない。
けれども、ジュリアはその毒はすでに経験済みであった。クレスト伯爵家に無理やり嫁がされたことを、ジュリアは忘れていなかった。
そんなジュリアを、天使かと見紛うほどの整った顔立ちのエリゼルが、熱い視線で見つめている。
彼の誘惑するうような甘い眼差しに耐えられそうになくて、ジュリアはそっと視線をテーブルの上のデザートに落とした。甘そうな葡萄を煮詰めたものに、軽く焼いたメレンゲがのっている。
このデザートには毒は入っていないのだろうか。彼だって王家の人間だ。人に毒を盛るくらいは至極簡単なことだろう・・・そう、王族だって、相手を手にかけることだってあるのだ。
「彼だけが、闇に手を染めていたのでしょうか?」
ジュリアは、はっとした様子でエリゼルを見つめた。相手を見抜くようなまっすぐな視線だった。
「それはどういう意味?」
「王族だって長い歴史の中で、公にできない秘密の一つや二つあるのではないですか?」
もっとも、それについては詳しく知りたいとジュリアは思わなかったが。
「ふ、厳しい所をついてくるね。君は何でも率直に答えるから、私も君の質問には誠実に答えよう・・・そう、答えはイエスだ」
黙ったまま自分を見つめるジュリアに、エリゼルは皮肉まじりの言葉を紡いだ。
「・・・王族であるがために、したくない策謀の一つや二つはざらにある」
そう。クレスト伯に花嫁を嫁がせたように。エリゼルは、なんという皮肉な星回りなのだろうと思った。今、その偽の花嫁を自分のものにしようと画策しているのだから。
ジュリアは一つため息をついて、エリゼルに口を開いた。
「この貴族の家系に生まれたからには、策謀や陰謀は避けられないのが現実なのでは?」
もしそうなら、ジョルジュだけを批難する訳にはいかない。貴族である限りは、多かれ少なかれ、陰謀に加担することだってあるのだ。
「・・・もし、そうであれば、私は、彼や彼の家が犯してきた闇に匹敵する程の善行を成して見せましょう」
「は?」
ジュリアはしっかりとエリゼルを見た。逃げも隠れもしない。それが必要ならば、正面から取り組むまでのこと。
「どんな施政者にも闇の部分は避けて通れないもの。ならば、自分はそれを打ち消すほどの善行を施しましょう」
彼一人に暗い影を負わせて、自分だけのんびりと高見の見物などしない。
ジュリアは固い決意があった。何があっても、ガルバーニ家を、ジョルジュを守るのだ。
「君って女性は本当に・・・」
額に手を当て、エリゼルは呆れたような声を出した。
「まったく・・・君には脱帽するよ」
エリゼルが半ば呆れ、半ば尊敬のこもった眼差しでジュリアを見つめた。普通の女であれば、自分が貧乏くじを引いたと思えば、あっさりと趣旨替えをするものだが。
「私のような男と一緒になろうとか思わないの? 将来の王妃になりたいとは思わない? 君ならば、十分に私の隣に立てる。能力も、知能も優れている」
「・・・それは愛ではありません。殿下。愛とはもっとお互いを慈しみ合いながらはぐくんでいくものです」
ジュリアの声は物静かだった。ジュリアは、もうすでに知っているのだ。人から愛されるとはどんなことか。そして、人を愛するのはどういうことかも。
それは全てジョルジュが教えてくれたことだ。
「私にその時間を与えてはくれないの?」
「もう、結婚式の日取りも決まっているのです。今更、ガルバーニ様以外の男性と何かしようなどと考えられません」
「例え、貧乏くじを引くかも知しれなくても?」
「ええ」
ジュリアの意思は固かった。
「そうか」
エリゼルはそれ以上何も言わなかった。ただ、何かをずっと考えてはいるようだったが。
「私に機会を与えてくれと言ったね?」
「ええ。でも、その期限は、この旅が終わるまで、ということにしていただいてもよろしいでしょうか?」
エリゼルはジュリアを見つめた。何かを考えているようだったが、ジュリアの言い分を聞くことに決めたらしい。
「ああ。わかった。君の言う通りにしよう」
「ありがとうございます。殿下」
食事は終わった。ジュリアは王太子に合わせて席をたち、ジュリアに腕を差し出した。宮廷のしきたりに従い、ジュリアは彼の腕に自分の手をかけた。
そうして、ジュリアの部屋の前までエリゼルは彼女を送り届けた。
「おやすみなさいませ」
ジュリアが丁寧に礼をとれば、エリゼルは急に思い出したように、ジュリアに言った。
「明日の朝、私を起こしてくれ。こう見えても、寝起きがとても悪くてね」
「朝ですか?」
「ああ。よろしく頼むよ。部屋が隣なのは便利だな」
ふふと、笑いながら立ち去る王太子の後ろ姿をジュリアは静かに見送った。彼は一体、何を考えているのだろうと不思議に思いながら。
◇
エリゼルは自分の寝室に戻り、夜着に着替え、息をついて寝台に腰をかけた。
「参ったな・・・私としたことが、彼女に完敗してしまった」
いい意味でも悪い意味でも。彼女がガルバーニと出来ていることはうすうす分かってはいたが、まさか、そこまでの愛をはぐくんでいたとは思わなかった。
それでも彼女が普通の令嬢より、ずっと頭の回転も速く、気性がまっすぐな所も気に入っていた。クレスト伯爵領を切り盛りした腕前、人間としての器。
切ない視線を送っても、全くつれない君。
エリゼルはため息をついた。
美しい容姿、王太子と言う十分な後ろ盾。それに、財力やいかなるものをもっても、彼女が振り向くことはないだろう。母である女王陛下が言っていたではないか。
「あれは、権力に屈するタイプではないぞえ」
全くその通りだった。君の目を引くにはどうしたらいいの? ジュリア。
どうしたら、君に熱い眼差しで見つめてもらい、囁いた愛の言葉を受け入れてくれるのだろう。エリゼルには、その答えがわからなかった。
それにしても、最初から、ガルバーニ公爵はジュリアの味方だった。誰にも悟られず手際よく彼女との距離を詰めていっていたようだ。
ジュリア、君はまだ知らないんだ。あの男が、あの血族が今まで何をしてきたかを。血で染まった手で、自分に触れようとしていることがわからないのか。
しかし、それを言っても、彼女の瞳の中にある決心は微塵も揺らぐことはなかった。
「では、彼と彼の一族が犯した事柄と同じくらいの善行をいたしましょう」
まさか、そんな言葉が出るとは思わなかった。堂々とした様子は女王のそれを思い出す。ジュリア、君はまだ分からないのか? 君には王妃の貫禄がある。
ますます、私の妃にふさわしい。
ねえ。ジュリア。君は自分が思っている以上にはるかに価値があると、全然わかってないね。ガルバーニはちゃんと知っているのだ。
君がどれほど価値がある人間かを。
王都に戻るまで後数日はある。それまで、君を落とす方法を色々と考えてみよう。私に出来ないことなどないのだから。
エリゼルは、隣の部屋で寝ているであろう彼女に思いを馳せた。
このまま夜這いに言ってしまおうか、それとも無理やり君を抱いて、ぐずぐずになるほど蕩けさせて、君の体に悦楽を教え込めば、私のものになるのだろうか。
寝台の横には蝋燭がゆらゆらと陰を落としている。それを眺めながら、エリゼルは、これからどうしたものかと思案していた。
◇
その翌日の朝。
「殿下、朝ですよ。起きてください」
結局、離宮の中で、エリゼル殿下を起こすのはジュリアの役割となってしまった。目の前の寝台の中で、ぐずぐずとする殿下を見て、ジュリアは信じられない思いで一杯だった。
いつも秀麗で洗練された王太子殿下がこんなに朝の寝起きが悪いなんて。
「ほら、殿下。お目覚めになってください」
ジュリアが、寝台の中のエリゼルを揺すぶっても、彼はまだ覚醒しきっていないようだ。
「ああ・・・君か。おはよう」
少し乱れた金の髪に、けぶたそうな瞼から自分を見つめる緑色の瞳。夜着の胸元からは、彼の喉元が見えて、ジュリアは思わずドキリとする。なんて色っぽいんだろう。騎士団のむさ苦しい男達なら、異性を感じず、ジュリアだって、手荒に起こすことは出来る。野営でだってよくある光景だ。
しかし、それが、シルクで出来たシャツを着て、天使のような繊細な男相手では、普段の勝手がわからず、逆に異性として意識してしまう。こんなに美しい男性が、しどけない姿でいるのを目にするのは始めてだ。
胸がドキドキして、顔が少し赤くなるのがわかる。
・・・落ち着け。自分。これは殿下だ。彼を起こすのが仕事だ。
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「殿下・・・起きてくださらないなら、こちらにも覚悟がありますからね」
もうダメだ。これ以上いたら、彼の色気にやられてしまう。覚悟を決めたジュリアの音色は一段と低く、視線が厳しいものに変わる。
不敬だと言われたら、それはもうその時だ。
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「えっ?」
ジュリアの予想とは全く逆で、予期しなかった返し技で、ジュリアは足下を掬われ、ベッドの中に倒れ込む。気がつけば、その上にエリゼル殿下がジュリアを組み敷くような形でいるではないか。
「・・・油断したな。マクナム」
してやったりと悪戯好きな子供のような顔で自分を見つめる殿下。女性かと思うような顔立ちなのに、力はしっかりしていて強い。もしかしたら騎士団の中でもつよいほうじゃないだろうか。
両腕を殿下に押さえられ、のしかかるような形になっている。・・・しかも、ここが殿下の寝台の中だと思い出して、ジュリアは呆気にとられて殿下を見つめてしまった。
「そんな風に私を見て誘ってるの?」
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「うわっ、で、殿下。違います! ご、誤解です。離して!」
「朝から私と一緒に眠りたい? 君にならいくらでも寝台の作法を伝授してあげてもいいけど?」
殿下の本気度がわからない。からかいたいのか、本気なのか。それにしても組み敷かれて両手を押さえられれば、ジュリアだってどうしようもない。殿下をはねのけて起き上がりたいのに、彼の力のなんと強いことか。
「私だって男だ。 女が敵う相手じゃない」
殿下の薄い唇が形よくつり上げられる。目の前の獲物をいたぶる猫のような視線を感じてジュリアはバタバタを足を動かしたが、全く動くことができない。
「ほら。足掻くだけ無駄なんだよ?」
そっと殿下が自分の顔に唇を寄せてくるのがわかる。
「で、殿下っ! わ、私は美味しくないですよっ」
焦るあまり意味不明の言葉が飛び出すわ、声がうわずるわで、ジュリアは大パニックになる。こんな体勢に持ち込まれれば肉弾戦はかなり不利になるのは明白だ。
「では、美味しいかどうか味見してみようか?」
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彼が纏う香りが鼻腔を刺激する。男性なのに、なんだかセクシーな香りに惑わされて、クラクラと目眩がしてきた。この人、色気がありすぎるのだ。
美貌と権力と色気があるイケメンなんか、爆発してしまえ。
心の中でも殿下を罵ることを忘れないジュリアだったが、まずは、ここから脱出することが先決だ。
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