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3巻

3-2

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「あら、医務室には来たことがなかったのですが、こんな風になっていたんですね」

 ミリーがきょろきょろと部屋を見渡す。
 カーテンは緑色のものがかけられていた。

「奥のテーブルのあたりは今回増築させていただいたのです。私は魔力量が多く、大抵のことは魔力を使うことで事足りるので、薬草や回復薬にてられていた予算の大半を使って、部屋を改装したんです。さすがに窓までこだわると予算が足りなくなってしまうので、形は問わないから予算内で窓をつけてほしいと知り合いに相談したところ、この通りのバリエーション豊かな窓がつくことになってしまいましたが……」

 促され席に座ると、リオンは手際よくお茶をれている。
 透明のティーポットは、中にどのようなハーブが入っているか見えるようになっていて見た目にも美しい。
 お湯を入れると、たちまちティーポットの中には美しい黄色の花が咲いた。
 おしゃれか⁉ と思わずツッコミをいれたくなるのをぐっと耐える。

「このように、中に変な薬草やハーブが入っていないか一目でわかるものを使っておりますので、不安があればどうぞよくご覧になってからお飲みくださいね」

 私がマジマジと見ているものだから毒の心配をしていると思われたのか、そう言われる。
 おいしいお茶を御馳走になった後、先生のかっこよさに沸き立つアンナとミリーの話を聞きながら食堂に向かった。
 私は夕方当然、一人で医務室にお邪魔した。

「レーナ様、おそらくもう一度訪問されるのではないかと思っておりました」

 私を見つけると、リオンはそう言って医務室に招き入れた。

「どうしてここにいるの? あなたには魔法省に残るようにと伝えたはずです」
「ご心配なく、今も魔法省の所属です」

 リオンは昼とは違うハーブティーをゆったりとした動作で準備する。

「ならなぜ学園都市に?」
「とりあえず、これでも飲んで少し落ち着いてください。私が貴方に逆らえないのは貴方自身わかっているでしょう?」

 リオンに椅子を引かれれば習慣で着席してしまう。
 お茶だけでなく、先ほどは出されなかった一口サイズのシンプルな焼き菓子が置かれる。
 とりあえずお茶に口をつけ、行儀が悪いと言われそうだけれど、一口サイズの焼き菓子を指でつまみ、口の中にポンッと丸ごと放り込む。

「いろいろありまして、では御納得いただけませんよね?」
「もちろんです。ところでこのお茶菓子がおいしいのですが、もう一つありまして?」
「それはよかったです、焼いてみたかいがありました」
「お手製なの?」
「えぇ、分量をきちんと計測し、温度管理をして仕上げるという工程は薬師の得意分野ですから。気にいっていただけてよかったです」

 リオン……お前、お料理男子だったのか。
 リオンの作るお菓子はおいしかった。
 シンプルで素朴な焼き菓子は、公爵令嬢として美食の限りを尽くしていた私にとっては久々に味わうものだった。
 さすがに甘いからもういいかなと思っていたところに、薄切りのフランスパンの上に角切りトマトがたくさんのった違う料理が出される。

「これは何ですか?」
「あぁ、名前がつくような料理ではありませんが、塩気がそろそろほしいかと思いまして。私の晩酌のあてになる予定でしたがよろしければ」

 うまいぞー! 
 ガーリックトーストの上にトマトをのせて塩と粗挽き胡椒少々、オリーブオイルをかけてオーブントースターでチンしたような味わい。
 ワインがほしい。

「お酒が合うのですが、未成年だから勧めるわけにはいきませんね」

 私の気持ちをくみ取るかのようにリオンがそう続けて、困ったように笑った。
 甘いからのしょっぱいコンボはヤバい、永遠に食べ続けられる。
 リオンは給仕を終えると、目の前の椅子に座りハーブティーを自らのカップに注ぎながら話を始めた。

「私がここへきたのは簡潔に言うと魔剣がらみですね。アンバーでのこともありますし、もし学園で魔剣を狙う人物が現れた際に、レーナ様だけでは自衛が難しいのではという魔法省の判断もあってのことです」

 そう言って、リオンは自られたハーブティーを一口飲んでから話を続けた。

「公爵令嬢だから特別待遇でこのような処置になったのではありません。レーナ様は、魔剣の所有者にもかかわらず魔剣をお一人で守れません。悪意を持った者が魔剣を狙う危険性を考慮したうえでの特別待遇と思っていただけたらいいかと思います」

 魔剣を自力で取り出せなくても、私が魔剣持ちであるという事実は当然付いて回る。何らかの手段で魔剣を取り出すことが可能である以上、魔剣が悪意のある新しい主人のものになるという最悪の事態を避けるための処置だというのなら仕方ないか……
 リオンは私と血の盟約を結んでいるので、私に危険が迫れば感知できる。
 私が魔剣の所有者だからこそ、魔剣を奪われてしまった際は、戦闘で盟約が威力を発揮するのかもしれない。
 魔法省に留まるように言っておけば今後リオンとの接点がなくなると思ったのに! と心の中で悪態をついても今更どうにもならないことだけはわかったのでため息をついて医務室を後にした。
 そして一番恐ろしいことは風呂上がりに起こったのである。
 体重が……一キロも増えていたのである。
 嘘でしょう! 今日は間食してしまったから、そのせいよ。
 明日の朝、お通じさえくれば元通り――とはいかなかった。
 しっかり一キロ太っていました。
 何か暴飲暴食をしたか? と思いを巡らせてみるが、心当たりといえばリオンのところで美味しいおやつとリオンの晩酌のつまみとハーブティーを何杯かいただいたくらいである。
 まさか……毒…………ってそんなわけないけど太ってしまった。
 それはもう思いっきり。美味しかったけれど気をつけなければ。もうもうもう! である。
 お土産にといただいた、すごく美味しい焼き菓子が恨めしい。
 しかもリオンは渡した際にこう言ったのだ、『このお菓子は焼き立てよりも一日置いた方がしっとりとして美味しいですよ」と。
 もうもうもう、ばかばか商売上手め。
 おかげで朝食は控えめにして、早朝からダイエットのため学園内をウォーキングすることにした。
 こういうのはすぐに対処しないと、三キロも四キロも増えてからでは遅いのだ。
 といいつつも、明日食べたほうが美味しいですと渡されたお菓子をメイドに下げ渡すことなく持ってきてしまったあたり、私はお菓子に未練たらたらだ。
 リオンのやつ、なんてことを……なんてことを思いながら、当てもなくウォーキングしていると、途中で話し声が聞こえた。
 どうやらヤバそうな場面に鉢合わせたようね、と私は歩みを止めて聞き耳を立てる。

「あなたなんかに彼が振り向くはずないわ。ジーク様が最近乗馬クラブに顔を出さないのも、あなたに毎日来られるのがよほど嫌だったのでしょうね、ご愁傷様」

 聞こえてくるのは強い口調で相手をなじる女子生徒達の声。どうやら好きな人を取られたくなくて相手を牽制しているところみたいね。
 くわばら、くわばらである。

「お金がないなら、朝早くからこんなところには来ずに夏休みのようにお仕事をなさったら?」

 そう言って相手をドンッと突き飛ばしているし、これは怖い。
 どうしよう。止めに入る? 
 いや、待てよ。魔法で反撃されたらひとたまりもない。
 私の魔法は学園の入学水準ギリギリ。要は魔法に関して、この学園の中で常にビリ争いをしている雑魚なのだ。
 おまけに私は緑の魔法の使い手で、野菜や花を育てることはできても、その力を攻撃として転用できるほどの魔力量がない。
 今の私では太刀打ちできないと判断して、こっそりと木の陰に隠れて様子をうかがい続ける。もし責められていた女の子が怪我をしていたら医務室に連れていくなり、私にできることはしよう。
 しばらくすると、囲んで罵声を浴びせていた女の子達は満足したのか去っていった。
 一人残されたのは茶色の髪の女の子。
 尻もちをついた状態でポツンと座りこんでいる。
 ゲッ⁉ ヒロインじゃないのよ。
 レーナがヒロインを率先して虐めなかった場合は、第二の悪役令嬢が現れてヒロインを代わりに虐めるってわけか。
 彼女は突き飛ばされたときにどこか痛めたのか、一向に立ち上がろうとせず座ったままだ。
 さっきの怖そうな人達がいなくなったことを入念に確認した私は、ヒロインのところに向かった。

「あの、よかったらこれを」

 ポケットからハンカチを取り出してヒロインに差し出す。

「ありがとうございます」

 ヒロインはよたよたと立ち上がると、私のあげたハンカチで顔についた泥のような物を拭った。
 私は尻もちをついたせいで制服についた土汚れを払ってあげるのを手伝った。

「レーナ様の手が汚れてしまいます」
「手は後で洗えばいいですから」

 ひどいことをする人がいるものだ。
 ゲームでは実際こういうヒロイン虐めを、アンナとミリーと共にレーナがしていたんだけれど……
 自分が頑張るよりも、頑張っている誰かの足を引っ張る方がずっと簡単で楽という言葉を思い出す。
 ジークには私という婚約者がいるから、他のご令嬢はジークに恋に落ちてもアピールなんてしてはいけないという暗黙の了解がある。
 あの女の子達は、貴族でもない子がちょっとジークから特別扱いされていたのがどうしても許せなくて、妬ましかったのだろうな……
 ジークの特別扱いは私をイライラさせるためで、貴族のお嬢さんを使うと後々まずいからという理由であえて後ろ盾もない平民のヒロインを使った可能性があるけれどね。ジークはかなり……かなりしたたかで腹黒いし。
 あなたもジーク被害者なのね、なんてヒロインに対して妙な仲間意識が湧いてくる。
 あんな整った顔の人物が自分のことを特別扱いしてみろ、そりゃ夢を見たってしかたないだろと思う。
 私に対してはちょいちょいボロを出すジークだけれど。
 アンバーで彼に抱えられて見上げたランタンを思い返すと、彼に惚れたら社会的に完膚なきまでに死ぬ、と知らなかったら本当にやばいところだったと思うもの。

「ハンカチありがとうございました。後で洗ってお返しいたします」

 そう言ってヒロインは頭を下げた。

「それは差し上げますわ。あとこれ、おやつに食べようと思っていたけれどよかったら食べてください。甘いものを食べると元気が出ますから」

 なんとなく気まずくて、私は頭を下げるヒロインにあの凶悪なカロリーのお菓子を押し付けて後にした。
 その後、当てもなくぶらぶらしていた私は気づけば乗馬クラブの練習場近くにきてしまっていた。
 すでに皆練習コースに出てしまっているようで、見学に来ている女の子たちは誰もいなかった。
 先ほどヒロインにごちゃごちゃ言っていた人たちが見学に来ていた子たちだったのかも。
 鉢合わせなくてよかった。あんなの見た後だとさすがに気まずすぎる。
 この分ではジークもいないだろうから、乙女ゲームの舞台になる場所をちょっと見学していきますか? 
 なんてジークがいないことをこれ幸いと乗馬コースあたりをうろついていると、馬の蹄の音がした。
 誰か戻ってきたのかしら? 
 蹄の音はどんどん近くなり『あっ』と思った時には私の腹部に腕が回り、足は地面を離れていた。
 あっという間にそのまま馬の上に引き上げられる。

「うぉわぁぁあ!」

 かわいらしくない悲鳴が口から出る。
 何⁉ 何が起こったの。
 学園に帰ってきて日も浅いというのに攫われるのか、と半泣きで私のお腹に腕を回す人を目視したら、笑いを噛み殺しているシオンだった。

「おい、シオン。だから声かけないとまずいって言っただろう?」

 そこに続いたのはフォルトの声だった。

「レーナ嬢すまない、一応は止めたのだけれど」

 気まずそうにフォルトが言う。

「一応ではなくしっかりと止めてください」
「すまない」

 実行犯ではないのに、なぜか別の馬に乗ったフォルトが申し訳なさそうな顔で謝る。

「だって、あんなに驚くと思わなかったんだもん。ごめんね~。それにしてもあの叫び声はナイよ。ジーク様じゃなくてガッカリした? ガッカリした? でも残念でした。今日は僕とフォルト様に付き合ってよ」

 シオンの『ごめんね』はあまりにも軽いし、まったく悪いことをしたと思ってないのがバレバレだ。

「シオン、あなたが一番反省して私に謝罪しないといけないんですよ。わかっていますか? あと、付き合うって……二人はここで一体何を?」
「シオンに馬の乗り方を教えていたんだけど。レーナ嬢を見つけたら、面白そうだから後ろから攫ってみようと言いだして、その」

 そう言ってフォルトはシオンのほうにチラリと視線をやる。

「本当にしっかりと発案の段階で止めてください……心臓に悪いです」
「すまない」

 またもシオンではなくフォルトが謝る。
 シオンは私の後ろでシレッとしているところがまたイラッとする。

「身体強化すれば案外簡単に持ちあがるね。ところでレーナ様少し太った?」

 口が悪くずけずけと発言する癖に、私の体重の増減には繊細に気がつくのはやめてほしい。

「……太ってなんか」
「カマかけたんだけど、その口調からしてやっぱり太ったんだね」

 ニッコリとシオンに微笑まれる、な奴な奴な奴!!!! 

「二人ともその辺で。シオン、女性に体重のことを言うのはタブーだ」

 フォルトもそういう注意は後で二人の時にこっそりとしてちょうだい。

「いいじゃん。レーナ様だしセーフだよセーフ。ノーカンノーカン」

 全然反省してないし、発言も悪いとちっとも思っていないでしょこれ。
 何より、レーナ様はセーフでノーカンってなんだよ。
 女性でもある以前に、一応血の盟約をしたことでシオンのご主人様なのよ私。

「あ~、プレゼントした小説は読んでくれたか?」

 悪い空気を払拭すべくフォルトが別の話題を出してきた。

「いえ学園には持ってきたのですが、まだ読めていないのです。夏休みの宿題が思ったより時間がかかって……」
「小説にここの乗馬コースが出てくるんだ。そうだ、ちょうどいいからこれから見ておくとより小説を楽しめるんじゃないか?」

 フォルトはすでにニコル・マッカートの新作に目を通したようだ。
 後ろからついてきてと言わんばかりに、私とシオンが乗る馬の前に出る。
 我々は一周四十分のコースを少しゆっくりと回ることになった。
 痛くなるお尻は、定期的にシオンがポンッと治してくれる。
 それにしても二人は本来乗馬クラブにいる攻略対象ではないはずだ。逆に本来いるはずのジークはいないし変な感じがする。

「ところで、ジーク様はいないのですか?」
「僕たちといるのに他の男の話?」

 不機嫌そうな声でシオンが聞いてくる。私の質問にはフォルトが答えてくれた。

「こら、シオン。ジークはレーナ嬢の婚約者なんだから。そういえばレーナ嬢は最近乗馬クラブの見学に来ていないんだったな。理由はわからないけれど、ジークは当分休部するそうだ。シオンの乗っている馬は、ジークに許可を得て借りている馬だ」

 今乗っている馬が似ているなと思ったら、ジークの愛馬そのものだった。

「まぁ、そういうこと。当分は僕が代わりに練習に貸してもらうことになっているから、会いに来たんだったら残念でした」

 そう言ってシオンにベーっと舌を出された。
 ジークが乗馬クラブを休部する? 
 女子生徒が乗馬クラブに来ていたところをみると、ジークが休部することはまだ周知されてないようだけど。
 ゲームにこんなことなかったよね? 
 何かひっかかりを覚えるけれど。
 一瞬引っかかったものの、フォルトが私の興味のある小説の話をしてくるから深く考えないことにした。
 誕生日プレゼントにフォルトがくれた本には、乗馬のシーンがあるそう。
 この辺はよく見ておいた方がいいとフォルトが言うので、私は真剣にあたりを見渡した。
 そして、いわゆる聖地にいながら読む小説はきっと面白いはず! と早速その晩小説を読み始めた。
 さすがは人気作家と思わせる実力で、物語は特に違和感なく、舞台を学園都市に移した。
 私も行きつけている学内のカフェでお茶をするシーン、よく見知った教室のことなどが出てきて面白い。
 何日かに分けて読むつもりが、ついつい夜更かしして最後まで読んでしまった。
 特によかったのが物語のクライマックス。学園にある時間を知らせる鐘のシーンなど、思わず、ほろっときてしまうほどよくできていた。
 これだけ詳細に書けているのだから、絶対作者は学園の卒業者もしくは出入り業者に違いない。
 読了したこの感動を誰かと分かち合いたい。
 そしてこの作品の素晴らしさを布教したい。
 そういえば、そんなに有名なら次貸してよ~ってシオンが言っていたわね。
 シオンもこの小説の素晴らしさの餌食になるがいいわ! 
 あれ? すっかり忘れてしまっていたけれど、教会をやめた後のシオンってどこに住んでいるのかしら? 
 私、あれ以来シオンに支援らしいことを何もしていない。
 やばい……慌てて今更シオンのことを従者に調べてもらうと、シオンは今フォルトのところで厄介になっているらしい。
 フォルトの衣装室を空けてもらい間借りしているらしく、後見人にこそなってないけれど、アンバーにいたころのように二人で結構仲良くやっているようでほっとした。
 住まいがちゃんとあることがわかった私は、これで安心して小説の話で盛り上がれる! と思い、メイドにお任せしてニコル・マッカートの小説をシオンに届けてもらった。
 シオンに布教しておきながらも、誰かと小説と語り合いたい衝動は抑えられず、アンナとミリーを夕方に私の部屋に呼んで、小説の考察をすることにした。


「レーナ様、私はやはりこのカフェテリアでのやり取りがたまりませんわ」

 ミリーも私同様、読みだしたが最後止まらなかったのだろう。小説をぎゅっと胸に抱いて楽しそうに語る。

「パーティーのシーンも華やかで素敵なうえに、キュンとしましたわ。華やかな場だからこそ、もどかしさがもうたまりません」

 アンナがスッと立ちあがり、私達にむかって低めの声を作って言った。

「『君の姿を目で探していた』」
「「きゃぁあぁぁあ」」

 思わずミリーと二人でキャーキャー言ってしまった。
 アンナは中世的な顔立ちで、すらりとしていて身長もあるせいでしっくりとはまる。
 ヅカっぽいというか、とにかくこういう振る舞いをすると華があって、ぐっと惹きつけられるのだ。
 まさに小説の主人公ぽい。
 それに引き換えこの乙女ゲームの攻略対象者たちときたら。
 私相手にはちっともキュンとする要素がないし。
 そんなことを考えながらアンナを見つめていた私は一つの天才的な考えを思いついた。
 これは試さないといけない!

「ちょっと待っていて!」

 アンナとミリーにそう告げると、部屋から出て慌てて私の部屋のお向かいにあるジークの部屋へと向かった。
 はやる気持ちで扉をノックすると、ちょうど部屋にジークがいた。だから、制服の予備やサイズが合わなくなったものがあれば貸してもらえないかという交渉をした。

「……私の制服の予備を?」

 にこやかな愛想笑いを張り付けたまま、ジークがちょっとだけ間をおいて確認してきた。
 天才的なことを思いついたわ! と突っ走ったのはいいものの、今更ちょっと説明に困る。

「ちょっと必要で」
「ちょっと必要になる場面があるとは思えないけれど」

 ジークは笑顔を絶やさないけれど、わかる。
 不審に思っているのだと。

「あっ、あるのです。今とか。とにもかくにも、一着貸していただければ全部全部うまくいくんです」

 こうして、不審がるジークを熱意でねじ伏せ、私は学園の男子用制服を手に入れた。
 あとはもうどうするかお分かりだと思う。
 差し出した男子生徒用の制服。意図を瞬時に理解したアンナ。
 制服を受け取り、私の衣装室に入ると、当然のように着替えて出てきた。
 いつもは高い位置で一つにくくられた赤い髪も、衣装に合わせてスッキリと低めにくくられている。
 豊満な胸も、私のメイドにさらしでも借りたのか見事に消えている。

「「おぉ~~」」

 思わずミリーと二人で拍手を送ってしまう。

「私とお茶を飲んでいただけますか?」

 アンナが低めの声で少し頬笑みながら私達二人にそう聞いてきたのだ。

「「きゃぁあああ」」

 ミリーと悲鳴に近い歓喜の声を上げると、私達はキャッキャとより一層盛り上がった。

「アンナ、私あなたにこんな才能があるとは気がつきませんでした。ねっ、ミリー!」
「これは男装の麗人ではありませんか」
「二人に喜んでもらえて嬉しいよ」

 アンナは得意げにそう言うけれど、それがまたきまっていてたまらない。
 女性が男性に扮していることで、この年齢の男子には出すことのできないどことなくミステリアスな雰囲気と変な色気が醸し出ているのだ。
 それになんといっても、中身は恋愛小説が好きな女の子。
 何をすれば女性がキュンとくるのか、女心を知り尽くしている。
 ここに乙女心がわかりすぎる新しいイケメンが誕生したのだった。
 小説の読者でもあるアンナは、気配り力が高く私達が望むように動いてくれる。まさに、イメージ通り。
 しかもちょうど良いことに、今回の小説のモデルは王立魔法学園だから、学園のあちこちが小説の聖地になっている。
 カフェテリアで絡まれるヒロインをスマートに助ける主人公。
 人目をしのんでこっそりと夜の乗馬場での時間を惜しむように過ごすシーン。
 シンデレラのように、学園の鐘が別れの時間を告げる切なさ。
 理想の主人公とあちこちでロケしてあれもこれも再現したいという強い衝動に駆られてしまう。
 でもダメだわ、アンナは貴族の令嬢。
 男装して遊んでいることがばれてしまっては大変だわと心の中に葛藤がおこる。
 私からロケを提案すれば、アンナはきっと首を横に振ることはないだろう。けれど、本当は嫌なのに断れないだけかもしれない。
 ものすごくもったいないけれど、ロケは無理。

「これ、お化粧でもっと寄せることができるんじゃないですかね?」


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