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2巻

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 窓からはきれいに切り揃えられた芝生と噴水のある庭が見えるし、そのずっと先には、まさかまさかの白い砂浜と透き通った海が広がっていた。
 部屋が広いだけじゃない。豪華さが寮の比じゃない。
 レーナの部屋にもバリ風のセンスのいい家具が配置されており、外の景色を眺めながらくつろげるようになっている。
 窓の外はテラスになっていて、パラソルが置かれている。その下には、白い木製のテーブルと横になれるようなソファまであるときた。
 な……なんじゃこりゃぁぁああ! これが個人の部屋だというの⁉

「おかえりなさいませ、お嬢さま。今、お飲み物をご用意いたしますね。どちらにお持ちいたしましょうか?」

 どちらにって、座れる場所がたくさんあるからこその会話だよ、これ。

「外で海を見ながらいただきます」
「かしこまりました」

 私の一言で大きな窓が開け放たれ、テラスで準備が進められていく。
 ちょっと待って、レーナの部屋の間取りは一体どうなっているの?
 天井には玄関同様、シーリングファンが設置されており、簡易キッチンはもちろんのこと、部屋の隅にはバーカウンターまである。
 あっ、部屋の中に二階に続く階段がある⁉
 被っていた麦わら帽子を脱げば、私の手からすかさずメイドがそれを受け取る。
 ゆっくりと、外のテラスに向けて歩く。この窓から見える景色は、私のためだけのものだとすると計り知れない贅沢ぜいたくである。
 テラスにあるソファに座ると、メイドが華奢きゃしゃなフルートグラスに薄ピンクのドリンクを注いだ。すると、色のついた液体が注がれたことによって、グラスに彫られた繊細な模様が見事に浮かび上がる。
 このグラス割ったらヤバそう。これ、一個いくらなのよ。
 少しドリンクがぬるいことが残念だけど。
 なんなのよこの部屋、素敵過ぎるでしょ。女の子の夢のすべてがこの部屋に詰まってるわ。
 この部屋でパーティー開けちゃうよ……
 レーナにとって、この部屋はごく当り前でしょと言い聞かせて、部屋の中を探索したくてたまらない気持ちをグッと抑える。
 じゃないと、はしゃいでソファの上でジャンプしかねないほど、中身は庶民である私のテンションは上がっていた。

「お嬢さま、嬉しそうですね」

 気持ちを抑えていたつもりが、思いっきり顔がニマニマしていたらしい。先ほどまでとは違うメイドが、私にそう声をかけた。

「えぇ」

 ボロが出ないように短く返し、声のした方向に目を向ける。
 私の傍に立っていたのは、顔にそばかすのある四十歳前後くらいの体格のいいメイドだった。

「おかえりなさいませ、お嬢さま。メイド一同、お嬢さまのお帰りを心待ちにしておりました。至らぬところがあるかもしれませんが、お嬢さまが快適に過ごせるよう善処いたします」

 彼女はふくよかな頬を緩め、私に礼をする。

「クリスティー、ありがとう。私も久々に貴方達に会えてとても嬉しいわ」

 胸元に名札がついていてよかった。この人が、さっき執事が言っていたクリスティーね。

「もったいないお言葉。着替えのご準備をいたしますので、申し訳ありませんが少々お待ちくださいませ」

 クリスティーはもう一度頭を下げると、着替えの準備に取りかかった。


 それからクリスティーの手によって着替えさせられると、あっという間に夕食の時刻となった。
 今日の夕食は、もちろんレーナの両親と取る予定だ。ゲームに出てくるキャラクターは知っているけれど、レーナの父と母は知らない。
 中身が違うことがばれたらどうしようと、緊張しながら私は夕食の席に着いた。

「レーナ、お帰り。お前の帰りをずっと楽しみにしていたんだよ」

 私に向かってそう言ったのは、レーナの父親だ。彼はレーナと同じ金髪と緑色の瞳を持った、つり目の人物だった。なるほど、レーナの配色とつり目は父ゆずりだったのね。
 レーナに比較的よく似ている父と違い、彼の隣に座る母は、鮮やかな赤色の髪にはちみつ色の瞳の持ち主で、控えめな性格のようだ。
 夕食のテーブルには、シオンとフォルトとおそらくフォルトのご両親もいた。
 なんでフォルトの両親だとわかったかというと、だってフォルトのお父さん、フォルトにそっくりなんだもの。
 フォルトにそっくりな父親とは対照的に、フォルトの母親は紫色の髪が目を引く、少々きつめの顔立ちの女性だった。紫色の髪は学園でもあまり見たことがないので、とても珍しいのだと思う。
 それにしても、フォルトの両親とシオンまでいるだなんて……皆で子供達の帰宅を祝うのかしら?
 食事が始まってすぐにレーナの父と母は、グスタフ事件で父が下した判断により、私を危ない目に遭わせてしまったことを深く謝罪してきた。もちろん私はそれを受け入れた。
 今回の食事会は、学園で起こったことの聞き取りが目的だったようで、私達は散々聴取された話を再びすることになった。

「レーナ、シオン。私に他になにか言うことはないか?」

 緑色の瞳をすがめた父が、私とシオンを名指しして、最終確認をするかのように尋ねた。
 でも、事件の全容は話したと思うし、他に言いたいこと……ってもしかして、私がレーナじゃないってばれた⁉
 だらだらと背中を嫌な汗が流れる。

「はい、僕が知り得ていることはすべてお話しいたしました」
「私も特にもう話すことは……」

 シオンが頷く横で、ばれたらどうなるんだろうっていう恐怖は、私にあっさり嘘を吐かせた。

「……そうか。フォルトも話してくれてありがとう。まだ十三歳の君達に、酷な話を何度も思い出させてすまないね」

 父は教会についてシオンに聞きたいことがまだあるらしい。その後、仕事の合間にいろいろ話をしたいと、シオンにアンバー領に残るよう要請した。シオンがそれを了承しちゃったもんだから、すぐに学園都市に帰らないこと決定!
 シオンは夏休みの間、フォルトの家に厄介になることになった。
 オワタの顔文字が私の頭の中に浮かんだけれど、こうなってしまったものはしょうがない。こっちはこっちでバカンスを楽しめばいいのである。


 食事会が終わり、頭を切り替えるためにもお風呂に入ることにした。
 バスタブが大きいのは予想通りだったんだけれど、お湯に花が浮いていてびっくりした。とってもいい香りと喜ぶよりも、掃除はどうするんだろうと考えてしまうあたり、私はお嬢さまになりきれない。

「それでは、おやすみなさいませ、お嬢さま。なにかありましたら、外に控えておりますので気軽にお声掛けください」

 入浴後、私の身支度を済ませると、クリスティーをはじめメイド達は早々に下がってしまった。
 メイド達に軽く会釈えしゃくをして、全員が完全に私の部屋から退出したのを見届け……私は部屋の探検を始めた。
 なんなのよこの部屋は! 一体どうなっているの。
 屋敷の大きさといい、メイドの待遇といい、レーナのお嬢さまレベルを私は完全に舐めていたわ。
 まずは一階から部屋を確認していきましょう。
 私が今いる広い吹き抜けのリビングでしょ、それにゲストルームらしいベッドルームが一部屋。この部屋にもトイレとお風呂が完備されている。
 トイレと広い洗面台、そして先ほど入っていたお風呂。
 それに書斎まである。本棚に置いてある本は主に恋愛小説みたいね。
『ニコル・マッカート』の名前がやけにずらりと並ぶところを見ると、この作者の小説がレーナのお気に入りだったんだろう。
 とりあえず一冊持って、と。夏休みの間に全部読み切れるかしら。
 次は二階ね。一番気になっていたのよ。子供部屋に二階があるだなんて想像もしていなかったわ。
 階段を上ってまず視界に入ったのは、外を眺めることができるように椅子が設置されているスペース。
 この椅子に座って夕日が沈む景色を見るのは、さぞかし格別だろう。
 寝室には大きな天蓋てんがいつきのベッド。寝室に隣接した衣装室は、寮の衣装室の比ではないほど広く、ドレスや小物の量も桁違いだ。
 寝室にもリビングほどの大きさではないものの、海が見える窓がついており、窓を少し開けると微かに波の音が聞こえる。
 その窓の傍にはテーブルと椅子があって、海の音を聞きながら手紙を書いたり、本を読んだりできそうだ。テーブルの上には、私が夜飲めるように、かんきつ類のスライスが入った水差しとコップが置かれている。
 ふと目を滑らせると、水差しの横に薄い青色の手紙が一通置いてあることに気づいた。

「誰からかしら」

 差出人の確認をしようと封筒を裏返すと、そこにはジーク・クラエスの文字が……
 うまく逃げたつもりだったけど、どこからか私がアンバーに帰ったことを嗅ぎつけたらしい。
 まあ、ばれてしまったものはしょうがない。学園都市からアンバーまではかなり距離があるし、まさかわざわざ私に会いにくるようなことはしないだろう。
 私は手の中にある封筒をじーっと眺めた。
 どうする……開ける? いや、今は止めておこう、そんな気分ではない。
 手紙をテーブルの上に放って、傍にあった椅子に腰かけ、部屋をぐるりと見回す。
 一通り部屋を探検し終えた私は、さっきまでのウキウキした気持ちはどこへやら。学園生活という緊張した場から離れたせいもあるのか……すっかりホームシックになってしまっていた。
 一学期はいろいろあって考える暇もなく日々が過ぎたけれど、今更ながら私の本当の父と母はどうしているのだろう。レーナの父と母と会ったこともあり、つい気になった。
 もう会うことはできないのかな? そう考えると、とても寂しい。
 いや、寂しいなんてもんじゃない。会えるけど会わないのと、どうやっても会えないのでは大違いだ。
 悪役令嬢に転生するなんて、長い夢でも見ているのではないかと思ったこともあった。しかし、体験した数々の痛くて怖い出来事が、夢ではないと告げる。
 元の世界の私はどうなってしまったのだろう? 私はなんでここにいるのだろう?
 昔よく読んでいた異世界転生系の小説を思い出すと、元の世界から異世界に身体ごと転移したり、死んでしまったから別の身体に転生したりという流れが主流だった。
 私の身体はどう見てもレーナであり、元の容姿とは似ても似つかない。
 レーナになる前の最後の記憶は、地面に突然開いた黒い穴に落ちたことで、それより先が思い出せない。やはり死んだのかな?
 私がレーナの皮を被った別人だと知ったら、レーナの父と母、他の皆はどう思うだろう。
 私はこれからどうなるのだろうか……ぐるぐるといろんなことを考えてしまう。
 でも、ジークがレーナのことを認識していないと知った時に、私の意思とは関係なく涙が溢れた。それはやはり、私の中にレーナがいるからなの?

「……っ」

 これ以上このことを考えるのは止めだ!
 そうじゃないと、いい歳をして親に会えないことで泣いちゃいそう。
 もう寝ようとベッドに向かおうとしたところで、先ほどのジークからの手紙が再び目に入った。
 どうせいずれ読まなきゃいけないんだから。気分を変えるためにも、やっぱり読んでみよう。
 私はテーブルの上に置かれた封筒を手に取り、中から便箋びんせんを取り出した。
 手紙には、アンバーに帰っているのだろうか? ということと、いかがお過ごしですか? ということが丁寧に、きれいな文字で書かれている。
 結論。中身のない手紙だった。
 イラッとした私は、返事を出さないことに決めた。
 翌朝、昨晩はなかなか寝付けなかったため、遅めの朝食を取っていると、母からエステに行くわよ! と連れ出された。
 保湿成分に優れた泥を全身に塗りたくられ、お昼はエビ、カニ、ウニ、オイスターのシーフード三昧ざんまいで、のんびりゆったり美味しい時を過ごした。
 夜、寝室のテーブルを見ると、手紙が新たに二通置いてあった。
 一通は昨日と同じ薄い青色の封筒で、裏を見ると案の定ジークの名前がある。
 まさか返事も書かないうちに二通目が来ると思わなかったので、驚きつつ、残されたもう一通を掴んだ。
 手紙はフォルトからだった。
 内容は、先日馬車に相乗りさせてもらったお礼と、二週間後、シオンも誘って五人で美味しい店にランチを食べに行きませんか? というものだった。
 どうやら律儀に約束を守り、ご飯に連れていってくれるらしい。
 ずいぶんと日にちが空くけれど、シオンもフォルトも事件についてまだ両親と話すことがあって忙しいのかもしれない。
 ジークの手紙は結局開けなかった。だってきっと、また中身なさそうだし。
 フォルトの手紙だけ、楽しみにしていますってメイドに代筆を頼んだ。
 私のバカンスは予想外のトラブルもあったけれど、まずまずの滑り出しだった。


 アンバーに帰ってきてすぐ、私は父と母にダンスを練習したいと頼んでいた。そして数日後の今日、さっそくやってきたダンスの先生を見て、私は固まった。
 百八十センチはあるだろう長身に、すらりと長い手足。ほどよく筋肉がついていて、顔は当たり前のごとく小さく、まるでモデルや俳優のような男性が目の前に立っているのだ。固まってしまうのも無理はない。

「初めまして、レーナ様。公爵様よりダンス講師として雇われました、リオンと申します。短い期間ですがよろしくお願いいたします」

 リオン先生は緑の瞳で私のことをじーっと見つめながら挨拶をすると、深く頭を下げた。
 先生の動きに合わせて、彼の長い深緑色の髪がさらりと流れ落ちる。顔を上げると、先生は掛けている眼鏡の位置と髪をサッと整えた。その何気ない動作も、イケメンがやると様になり、私はごくりと生唾なまつばを呑み込んだ。
 ダンスの先生を頼んだら、こんなのが来るとか想定しないでしょ⁉
 公爵家の力はこんなところでも発揮されるのか……
 イケメンキター! と思わず心の中でガッツポーズしてしまったわ。そのくらい当たりが現れたのである。
 先生イケメン……尊いっ、と考えながら私は先生とホールドを組む。先生の教え方がうまいのか、わりとすぐにそれなりに踊れるようになった。

「レーナ様は筋がいい。これなら、すぐ私のレッスンは必要なくなりそうですね」

 先生が切れ長の目をすっと細めて、めてくれる。
 少しの練習だけで、ダンスが得意でもなかった私がこんなにスムーズに踊れるのかと違和感を抱く。もしかしたら私の中にレーナとしての記憶が実はあるの? とかいろいろ考えていたんだけれど……
 なんとなく今は深く考えたくなくて、先生に止められるまでたくさん踊ったのだった。


 ジークからの手紙は、私が返事を出さないにもかかわらず毎日届いた。
 私達は政略結婚をするのだ。ジークにしたら、自分の失態が原因で婚約が解消されては困るから、このような手に出ているのだと思う。
 開けられることなく放置されている手紙を、メイド達が気にしているのがわかる。けれど、そこはできたメイド。誰もなにも言わない。
 しかし、私は五通溜まったところで観念して順番に開けることにした。
 五通とも季節の挨拶から始まり、元気か? 変わりないか? こちらは元気です。最近、こんなことをしています、といった風なことが書かれていた。
 これまでろくにレーナに手紙なんて出したことがないものだから、まるで会話がない思春期の娘に、父親が話しかけているような内容でクスっとしてしまう。
 私とジークの婚約は、政略的なメリットがあるはず。だからこそ、私としてもいつまでも彼を無下にするわけにもいかない。
 流石さすがに返事、書いたほうがいいよね……どうしよう。
 私はここ最近悩み、そして悟っていた。
 おそらく、もう元の世界には帰れない。
 ふとした瞬間に、会えなくなって久しい本当の親や兄弟、友達の顔が次々と脳裏のうりに浮かび、じわりと目の前が涙でかすむ。
 レーナになって、私は結局これからどうするの?
 そんなことが頭の中をグルグル回っていた。
 だから、つい書いてしまったのだ。
『レーナ』にとって特別な彼に、『会いたい』とただ一言書いた手紙を。
 物語のヒーローである彼なら、悪役令嬢である私のこともなんとかしてくれるのではないか。私をこの苦しさから救いだしてくれるのではないかと思って。
 手紙に封をしてテーブルの上に置き、私は眠りについた。


 朝起きると、昨夜のテンションはすっかり冷めていた。ジークはヒロインのヒーローで、私を断罪する側なのだから救うもなにもないわ。
 あの手紙は破棄して、適当にアンバー楽しいですって書き直そう。
 そう思ってテーブルの上を見た私は、息を呑んだ。

「嘘でしょ……」

 昨夜書いた手紙が、テーブルの上から消えてしまっていたのである。
 慌ててメイドに確認をすれば……

「封がしてあったので、朝早馬で出しました。ジーク様もお待ちかと思いましたので」

 無情にもそう言われてしまった。
 まずい。あの深夜のテンションで書いたSOSの手紙が……ジークに届く。
 せっかく平穏な夏休みを送るために、わざわざ領地に帰ってきてまでジークと接触しないようにしていたのに……
 学園には今、悪役令嬢レーナという邪魔者がいない。転生してすぐに、ヒロインとジークがある程度親密になっていないと発生しない、レーナのヒロイン虐めイベントが起きたくらいだ。
 邪魔者がいなくなった学園では、さぞかしジークとヒロインの仲が進展していることだろう。
 頭の中で、『やっぱりレーナはジークに気があることがわかる手紙が届く→ヒロインとの恋の障害に→レーナ断罪!』という展開が、ミニキャラによって再現された。
 ヤバイ。下手したら、これまでジークを避けに避けて、避けまくった私の苦労が水の泡になる。
 手紙をジークに読まれるのを、なんとしても阻止しなければ!
 メイドは私の表情を見て、出すつもりのなかった手紙を出してしまったことを悟ったらしい。青い顔になりながら、謝罪の言葉を繰り返す。

「も、申し訳ございません……!」
「いいえ。私がまぎらわしいところに、それらしく置いておいたのが悪かったのです」

 私は大人の対応で、泣きそうなメイドをフォローする。
 そこにクリスティーが現れ、手紙を出してしまったメイドともう一度深く頭を下げた。

「お嬢さま」

 頭を上げたクリスティーが毅然きぜんとした態度で口を開いた。彼女は他のメイドに比べて、失礼だけど少々年を重ねている。
 年の功なのか、慌てることなくどっしりとした態度に、なぜか私のほうが緊張してしまう。

「はい!」
「私どもの不手際でご迷惑をおかけして本当に申し訳ないのですが、こういったことは公爵様に相談されるのが一番よろしいかと思います」

 流石さすが大御所。どうすればなんとかできるかをアドバイスしてきた。
 私はそれに頷くと、即行部屋を後にして、父のもとへと走り出す。

「お父様ぁああああ!」
「おやおや、今日のレーナは元気いっぱいだね。まるで太陽のようだ」

 書斎にいたお父様は、私のテンションを見事にスルーする。
 涼しい顔で流せるくらいの度量があるから、アーヴァイン家を背負えるのかもしれない。

「お父様。今朝出て行った早馬に追いつくには、どうしたらいいと思いますか?」
「うーん。追いつくのはレーナの乗馬の腕では無理だな」
「やはり……」

 返事は無情だった。
 落ち込む私に、お父様は不思議そうな表情で尋ねる。

「早馬に追いついてどうするつもりなんだい?」
「手紙を間違えて渡してしまって。どうしても相手に読まれたくないのです」
「なるほど、レーナが行きたいわけではないんだな。手紙か……うーん」

 お父様はしばらく考え込んだ後、ポンッと手を叩いた。

「もう一通手紙を書きなさい」
「手紙ですか?」
「そうだ。一通目の手紙を運んでいる馬と騎手より優れた者に二通目を託して、先に届けてもらいなさい。後から届く手紙は間違いなので、読まずに送り返してほしいと書いたらどうだい?」
「なるほど! 流石さすがお父様」

 私は父の部屋にあった紙を拝借し、サラサラと一通目は読むなと書いて、控えていたメイドにそれを託した。
 どうか読まれませんように。頼んだわよ、本当に頼んだわよと彼女の後ろ姿を見送る。
 手紙のことが気になってソワソワとしてしまう。
 しかし、私がソワソワしていると、やらかしたメイドがとても小さくなるものだから、気分を少し変えるために近所を散歩することにした。
 護衛が私の一メートルほど後ろをついてくるけれど、家にいて平気なふりを続けるよりかは大分マシだ。
 浜辺の白い砂が美しく、海はどこまでも青く澄み渡っている。しかし、このロケーションを前にしているにもかかわらず私のテンションは低い。
 あの手紙がきっかけとなって、ゲームシナリオ通りに断罪ルートになったらどうしよう……
 ジークといい関係になりたいとは思わない。ただ、社交界的に死にたくないだけなのだ。
 ショッピングでもして気をまぎらわせようと、海岸沿いから高級なショップが並ぶ通りへと足を運ぶ。
 すると、遠くにアンナとミリーが二人で楽しそうに買い物をしているのを見つけた。

「――っ!」

 二人のキャッキャッとした様子を見て、思わず物陰に隠れてしまう。
 ……私、誘われてない。
 アンナとミリーは私のことを『レーナ様』と呼ぶ。
 でも、二人はお互いを呼び捨てにしていた。
 二人は友達でも、私は二人にとって友達ではない。そんな言葉が一瞬頭をよぎる。
 二人はいつだってレーナの隣にいて、どこまでも私の味方だった。ゲームでヒロインを虐める時も、夏休みに家に帰らない選択をした時も傍にいた。
 しかし、二人は公爵令嬢レーナのご学友であっても、本当の友達ではなかったのかもしれない。
 私は彼女達に見つかる前に、来た道を慌てて引き返す。

「いかがなさいました?」

 護衛の男が突然の私のUターンに何事かと問う。それにうまく答えられないまま、私はずんずんと突き進む。
 今日はなんて日なのだろう。
 ジークに手紙を送ったこともだけど、そんなことよりも、アンナとミリーが私抜きで楽しそうに遊んでいる姿が精神的に一番きた。悲しくて、自然と目線が地面に下がっていく。

「ごきげんよう、レーナ嬢」

 その時、急に声をかけられ、私ははっとして立ち止まった。

「あっ、フォルト……ごきげんよう」

 顔を上げると、目の前にはフォルトが立っていた。フォルトも少しは関係が回復したとはいえ、レーナのことをよく思っていない人物の一人だ。


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