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9. 夢じゃないから
しおりを挟むハッと目を覚ますと全部夢……ではなかった。
尻の中にまだ何か入ってるような痺れというか違和感を感じる。
俺はたかはし──鷹橋春永の腕の中にいて、すっぽり後ろから抱きしめられて眠っていたようだった。
入ってはいないけど、春永のモノが尾てい骨の辺りに当たっていて、気になった。もぞもぞしていると、後ろから首筋にキスされて、飛び上がりそうになった。
「起きた?」
恐る恐る声の方を見ると、春永が甘い顔で俺に微笑みかけていて、ヒエッとなる。
「そうだ、俺、犬じゃなくなったし、家に帰るわ!」
何か甘酸っぱい雰囲気になりそうだったのを、切り替えて、俺は春永の腕の中を抜け出し、元気良く言った。
「は?」
春永は、俺が言ったことが聞こえなかったのか聞き返したので、もう一度言う。
「俺、犬じゃなくなったし家に帰るわ。それで、出来れば犬になる前に着てたスーツを返してもらえたら……」
春永は、今度は聞こえたのか、ふぅと息を吐いて、頭をかく。
「なぁ、もうこのまま一緒に暮らさない?」
俺はつい、間髪入れずに「なんで?」と言っていた。
俺には俺の家があるし、犬から元に戻ったから、戻るのが当たり前なのかなって勝手に思っていた。
「なんでって……」
春永は、目を大きく見開いたあと、眇めて、俺に飛びかかって捕まえた。
「えっ?」
「俺たち告白しあって、付き合うんだよね?」
コトンと首を傾けて、俺の顔を覗き込んで聞く春永に、俺は驚いた。
「えっ? 付き合うの?」
好きだってお互いに伝えあったら、お付き合いに発展するだなんて、俺は今まで忘れていた。
そうか、付き合うのか。
……ん?
社長の息子と?
一気に青ざめて、俺は首を振った。
「む、無理、無理無理無理……」
俺を捕まえている腕が、ギュッと強くなる。
「男同士とか、気にしてる?」
そういえば、そこは全然気にしていなかった。
本当に何も考えていなかった。
犬になって以降、春永にお世話されるのに慣れきっていたし、あまり頭を使っていなかった。
何だか余計ハードルが上がった気がした。
「ひぇっ……」
頭が一気に沸騰した。
「俺にお世話させてくれるんだろ? 俺のこともお世話してくれるんだろ?」
春永が俺にたたみかける。
「う……キャウン!」
俺は、春永の腕の中で犬になっていた。
マジか。
春永が俺に負荷をかけたわけじゃない。俺が自分でいっぱいいっぱいになっただけなのに、気にしたりしないかな、と春永の顔を見ると、なぜか溶けるような全開の笑顔をだった。
やっぱり、犬の俺かわいいんだな。
「やっぱり急に犬になったりするのに一人暮らし難しいだろ。引っ越しだな」
あれ?
満面の笑みで引っ越しだなと言われて、1ヶ月以上家を空けるのに借り続けるのは確かにもったいないけど、いいのかなって、首を傾げた。
「キャウーン?」
俺が鳴くと、春永は頭を撫でて、「さーて、引越し業者手配するかぁ」なんて言っている。
(えええ……)
「キャン! キャン!」
鳴いて抗議しようとしたら、犬語アプリが起動した。
『大好き! 遊んで!』
これ、絶対ワザとだろう?
かわいいポメの姿になった俺を、なぜか春永は構ってくれなくなった。
キュルンとした目で見つめても、しっぽで足を攻撃しても、頭をグリグリ押しつけても、知らんふりして何かをしている。
トイレを報告しても「そうか」の一言で処理すると、俺を撫でてもくれず、部屋に戻っていく。
突如とした春永の態度の硬化に「どうして?」と疑問はわくが、春永は淡々としつつも、ちゃんとお世話はしてくれているし、過度に構ってくれなくなっただけで普通なんだろうけど、これまでやれそれと世話を焼かれ、ことあるごとに撫でられていた俺は、何だか寂しく感じてしまう。
ただ、春永が俺を嫌になったんじゃないと思うのは、引っ越しの準備は楽しそうにしているからだ。
なぜか春永の部屋のベッドもついでにキングサイズに新調したり、部屋を空けて、俺に「お前の部屋はここだぞー」と言ったり、俺の家に引越し業者を手配して見積もりしてもらったり、そういうことは楽しそうにやっている。
──俺と一緒に住むのは嫌がられていないと思う。
だが、春永は、今までしてくれていた、ヨシヨシしてくれていたり抱っこしてくれたりを一切しなくなった。
犬の俺、かわいいのに。
俺は必死に犬の俺のかわいさをアピールした。
春永にあごを乗せたり、目の前でヘソ天したり、おすわりしてかわいく首を傾げたり、あまりのかわいさに絶対ヨシヨシしたくなる姿を連発した。
「一体どうしたんだ……かわいいな……」
つぶやいて、フラーッとこっちに手を伸ばした春永に、俺は頭をこすりつけようとした。どうしても撫でて欲しかったのだ。
しかし、俺の頭に手を置くかというところで、春永はハッと、何かに気づいたように手を引っ込めると、自分の部屋に戻っていった。
「キャウン!」
後に残された俺、鳴いたけど振り返りもしない春永をそれ以上追いかけ回すことができず、うなだれて自分用のクッションにもたれた。
何でだよ……
俺はくったりクッションにもたれる。
何だか疲れてしまった。
俺ってこんなに構ってちゃんだったのか……
犬になった途端に、ヨシヨシ頭を撫でられたりするのが当たり前みたいな気持ちになっていた。だからこんなにショックなんだ。
そう、ショックだった。
たまに眉間にシワを寄せてこっちを見るのもめちゃくちゃ傷つく。
俺はモヤモヤした気持ちを抱えたまま、引越し業者が全てやってくれる手配をした引っ越しの日になった。
とりあえず荷物を運んで、俺が人間に戻ったら不動産屋さんに最後の手続きに行くことになっている。
春永が、俺の部屋で全部指示を出してくれることになり、俺はその日は春永の腕の中で眺めているはずだった。
なぜか俺はキャリーの中で荷づくりの様子を眺めていた。
春永は、そんなに俺を抱っこしたくないのか、とめちゃめちゃ落ち込んだ。
俺の荷物は、ゴミ以外は全てダンボールに詰められ、運ばれていく。
業者がベッドを梱包しようとした時、春永が急に「あ、それは捨てます。新しいの買ったので」と言い出した。
──新しいベッド買った?
俺がキョトンとしているうちに、ベッドは運び出されて、業者が廃棄する方として積んでしまう。
「キャウ……?」
俺がもうしばらく寝てもいなかったベッドを見送ると、春永はキャリーを持ち上げ、部屋をぐるっと見回せるようにキャリーの向きを回した。
「どうだ。すっかりきれいに空っぽだ」
俺はちょっとだけ寂しくなってキューンと唸った。
ひとり暮らしを始めて、ずっとここで暮らすんだって意気揚々としていたあの日から、まさかこんなことになるとは思わなかった。
「さあ、帰るか」
春永に言われて、帰るのは春永の部屋なんだなあとしみじみ思った。
引っ越し業者が俺の家から運んだ荷物を、春永の家の俺の部屋に運び入れ終わると、春永は俺をキャリーからようやく出した。
「お前今日から本当のうちの子だからな!」
妙にテンション高く春永は言って俺を力強く抱きしめた。久しぶりに春永にハグされて、俺のしっぽはパタパタ忙しく揺れる。何で急に抱きしめられたかわからない。今まで全然撫でてもくれなかったのに、今更何だよ。
俺は、精いっぱい反抗した。しっぽはめちゃめちゃ喜んでいたけど。
春永に「そんなに暴れたら落ちるぞ」と言われても無理矢理暴れた。別に落ちても犬の俺は運動神経がいいから着地できると思ったのだ。
スルッと、春永の手からこぼれた俺は、変な体勢で落ちて、落ちた瞬間、変な音がした。
右肩に痛みが走り、俺はギャンと鳴いて意識を失った。
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