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4. いぬになるほどのストレス
しおりを挟む「何だそのかわいい生き物は!」
たかはしの実家は、立派な木製の門がドーンの「鷹橋」って彫ってある表札バーンの、入ったら日本庭園ドーン松シャキーンの凄い家だった。
俺の脳は処理能力を超えて、語彙力がなくなった。いや、犬だからそもそも語彙力とかないけど。
俺はプルプル震えながらたかはしにしがみついた。
たかはしはポンポンと俺の抱っこした背中を叩きながら門を入ってでかい庭を通って中に入ると、お手伝いさんっぽい人に案内されて、応接室みたいなところに入る。うちの実家の部屋とは段違いで何なら部屋に俺の実家が入るくらいでかいし、調度品が高そうという感想しか出て来ない。
気をつけないと俺はやらかす。
と思っていたのに、入って来た確かに弊社の入社式で見たことのあるひょろっとした社長は、目尻にしわを寄せてニコニコして俺を見つめて来たかと思うと、凄いでかい声で俺をかわいいかわいい言い始めた。
俺はもう、誰が見てもわかるくらいビクッとしてしまう。プルプルと震えが止まらないので、たかはしは俺が逃げないように俺を抱く腕にちょっと力を入れている。
正直逃げたかった。
ちょっと引きながらたかはしと俺は、社長が落ち着くのを待った。
「弁護士は呼んだのかよ?」
たかはしは社長が落ち着いた頃に一言ボソッと言った。社長の前だと、たかはしは少し子どもっぽくなるんだなと俺はたかはしのとがった口もとを見ていた。
「ああ! ごめんごめん! 今こっちに向かってるんだけど、土曜日だからね、少し待っててね!」
声が、うるさい。入社式でもそういえばマイクとかいらなかったな、と俺は思い出した。
「いやー、こんなかわいい子がうちの会社にいたなんてねー」
「元は犬じゃねーわ……」
「でも、春くんが気にいったんでしょ? 毎日見てたんでしょ? そんなの犬じゃなくてもかわいいに決まってるじゃん」
社長は俺とたかはしを交互に見ながらデレデレしている。春くんとは、たかはしのことだろうか。
「人事に履歴書とか勤務履歴とか集めてもらったよ!」
社長は書類の束を出して、テーブルに置いた。
「菓子部門はねぇ、今新商品開発の時期で開発部忙しかったからねぇ! 大変だったとおもうけど、残業はちゃんとついてたし、振休もちゃんと取れてたよ!」
ドヤ顔でたかはしに報告する社長は、犬の俺より犬みたいだ。ちゃんと調べたよ褒めてってしっぽ振ってるみたいだ。
ところが、それを聞いたたかはしは眉根を寄せた。
「紙の上ではな……」
ボソッと低い声で言う。
ああ、知ってるんだ、と俺は思った。俺の、紙の上には書かれていない思いを、なぜかたかはしは知っている。
それは、確信だった。
たかはしは、俺のことを俺より知っている。なぜかは知らないけど。
俺はブルッと震えた。
この後言われることが、怖い。
たかはしは全て知っている。
ヤバイ、俺は今、犬で、喋れないから言い訳も出来ない。
「こいつ、休日返上で働いて、休みの日に呼び出されて、帰ってくる途中で呼び戻されて、とにかく直属の上司がやばいやつなんじゃねえの?」
いや、それは、俺が悪くて、休みの日に呼び出されたのは、俺じゃなきゃわからないからって言われて、呼び戻されたのもミスしたってだけだし……いや、本当はどこかで、こんなの俺じゃなくてもできるのに何で呼ばれたんだろうとか、俺が戻ったらみんな帰って行くのとか、おかしいなって、本当は思ってたけど、でも。
「キュウン……」
俺が小さく鳴くと、たかはしは俺を抱きしめ直した。
「クゥン……」
俺は項垂れてから、たかはしの顔を見上げた。たかはしはまっすぐ社長の顔を見ていた。
その顔は、真剣で怖い。
「こいつ、仕事仲間からパワハラ受けてる」
(パワハラ……)
言葉にされると、何だかしっくり来た。
俺が休みの日に出勤したら、「じゃあ、遠野が来たから皆帰るぞー」って声がかかって、「ほらほら、メシ行くぞ。奢るぞ」とか話しながら帰って行く。
俺が言われた仕事は、提出先が休みで翌週にならなきゃ結局提出出来ないのになぜか今日中って言われたり、まだ期限が先なのに「チェック早くしたいから明日まで出してね」と言われて出したのにチェックを全くされないまま翌週まで放置されてたり、どれもこれも休み返上したり、振休に呼ばれるほどじゃなかったりしてた。
わかってた。
今ポメで良かった。こんな状態で人間だったらどうにかなってた。俺の身体は自然にこわばり、耳は何も聞きたくないと言うようにヘタっている。
「俺は開発部の村上に相談されて、証拠を集めてた」
たかはしは、ポケットからUSBを出した。
「社内で相談して途中でバレて遠野がもっとやられるようになったら困るから、俺にしか相談出来ないって個人的に相談されてた」
社長はキュッと眉をひそめ、鋭い目をUSBに向ける。その顔はたかはしに似てて、俺は親子だなとぼんやり考えた。
何かもう、俺のことじゃないみたいで、俺もぼんやりUSBを見た。
「もっと早く言ってくれれば、対処したのにっては言わないけど。村上くんまで心配するほどなら、余程じゃないか」
村上さんは、商品開発部内では天才で変わり者として一目置かれてて、発想の独自性が買われて個別に開発して、俺たちのところに落としている人だ。
個室にこもっていてあんまり菓子部門の方には来ていないはずだ。
(村上さんにまで知られていたのか……心配かけちゃったんだ……)
俺は、もう我慢出来なかった。
たかはしの肩に顔をギュッとつける。
「キューン……キャウン……」
鳴くつもりはなかったんだけど、声が出た。その声は思ったより哀れっぽくて、自己嫌悪がつのる。
たかはしの俺を抱く腕はますます強くなって、テーブルにコトンとUSBを置く音がして、もう片方のたかはしの手が俺を優しく撫でる。落ち着くように、俺が気持ちいいなと思う場所をそっと撫でて、大丈夫というようにトントンと背中を優しく叩く。
「クゥーン……キャウン、クゥーン……」
哀れっぽい鳴き声が止まらなくて、俺はもうどうしていいかわからなかった。
「解決しないと、多分こいつは戻らない。解決するまで有給対応してくれ。そいつが視界に入らないようにならないと、せっかくタカイチのお菓子が好きで夢を持って会社に入ったのにこいつがダメになっちまう。そうなったら、俺は絶対会社を潰す。弁護士が来たらこのUSBの中身を見せて、とことん対応してくれ。そうじゃなかったら俺は村上と新しい会社を作る」
たかはしは、芯の通った声で、はっきり言った。
「わかった」
社長は真面目な顔で一言だけ返すと、黙ってしまう。
どうしよう。
大事になってしまった。
せっかくのプロジェクトは大丈夫かな。
業務が滞ったら秋の新作も間に合わなくなるのでは。
「ばか。こんなになっても仕事の心配しなくていいからな」
たかはしは、なぜか俺が考えてることがわかっているかのように俺に話しかけてきた。
キャンキャン言ってもわかんないとか言ってたくせに。
なんでこんな時だけ何も言ってないのにわかるんだよ。
俺がたかはしの肩から顔を上げると、たかはしはニヤッと笑ってスマホを出した。
そこにはアンインストールしたはずの、犬語翻訳アプリ。
表示されていたのは、
『私はあなたが大好きです!』
「ギャン!」
俺は思いっきり吠えて首を横に振った。
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