悪辣姫のお気に入り

藍槌ゆず

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おまけ 三話〈2〉

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     ◇   ◇   ◇



 鬱蒼とした森の上空。そこには魔法壁を足場に応用したミシュリーヌとノエルが、二人揃って空中へと立っていた。
 詰まらなそうな顔で腕を組んだミシュリーヌと、普段の溌剌とした様子とは異なる真剣な眼差しを城へと向けるノエル。
 彼女たちは前方を見据えたまま、冷えた声音で言葉を交わした。

「あの城、デザインが下品すぎるわ。見るだけで不快ね」
「住民の避難が済み次第、吹き飛ばしましょうか?」
「先に兵を始末してちょうだい」
「承知!」

 通達から数分と掛からずに城より現れた私兵達は、低級魔族の群れだった。
 森は彼らの住まう領土で、この地域一体の魔物に住まいを提供する代わりに従えているらしい。

 一つ一つは大したことのない存在だが、此処まで集まると鬱陶しい。ミシュリーヌは黒黒とした木々を睥睨し、その合間を縫うように駆けてくる魔物たちに片眉を上げる。

 主を間違えた兵ほど愚かで悲しいものはいない。
 ミシュリーヌはその瞳に侮蔑を浮かべたが、ノエルの目に浮かぶのは義憤の怒りと、純粋な憐れみだった。
 憐れな魂には、死という救済を与えねばなるまい。彼らは支えるべき主人を見誤り、数々の人類に危害を加え、あまつさえ隠匿したのである。

 ノエルは迷うことなく短剣を抜いた。

「契約の女神エルミティアに捧ぐ! 我が血肉、我が命、我が魂を対価とし、異界の門より破邪顕正の王を顕現せよ!」

 刃を押し当て、裂けた手のひらから鮮血が散る。
 ノエルは一千年に一人の逸材である。通常、高位の魔導師が複数人の儀式を持って召喚する筈の『名も無き八首の竜王』は、彼女の血と魂を対価に、完全なる状態で顕現した。

 ちなみに、ノエルの魂は規格外なので問題ないが、大抵は一度で十年は持っていかれる。
 ノエルの魂はいたって元気いっぱいなので、よく寝て、美味しいご飯を食べるとすぐに戻る。正真正銘、何処に出しても恥ずかしくはない異常の傑物であった。

 その隣でなんとも詰まらなそうに、笑みの一つもなく立つもう一人の傑物が、まとめた髪を軽く払って告げた。

「此処は任せるわ」
「お任せください、塵の一片も残しませんとも!」
「ああ、忘れないでね。降伏した相手は捕虜とするのよ」
「勿論です!」

 ノエルは本心から頷いていたが、ミシュリーヌにとってはただの詭弁である。
 彼らは統率が取れているだけの魔物であり、悦楽を餌に交わした契約によって命じられたままに動くただの肉塊だ。
 死ぬまで降伏はしないだろうし、死んだ者は降伏などできない。簡単な話だ。

 ミシュリーヌはその相貌からは一切読み取れぬ怒りを足に籠めるかのように空を蹴ると、真っ直ぐに城へと駆けた。
 


     ◇   ◇   ◇



「今すぐ安全を確保できなくて悪いな。多分、俺が出ていくまでは城が吹っ飛ばされるなんてことにはならないと思うし、後でちゃんと助けに来るから、安心していてくれ」

 避難してもらった人達には、俺が閉じ込められていた部屋に来てもらった。
 攫った婚約者を閉じ込めているような部屋だから、檻としてはかなり頑丈にできている筈だ。
 一刻も早く逃してやりたいところなのだが、窓から覗いた限り、外には魔物が蔓延っている。戦闘に巻き込まれてしまっては元も子もない。

 本当はチョーカーがあれば一番良かった。
 あれさえ置いておけば、少なくともミミィは此処を攻撃するようなことは無いだろう。

 竜王の咆哮は城内にまでも届いている。
 室内の人々が怯えているので、「……俺の友人が使った召喚魔法だから、安心して欲しい」とだけ伝えておいた。

 にしても、初手からいきなり最強にして最大の一手を打ってくるのは如何なものだろうか。
 もう少し手心というものがあっても……まあ、別によくはないな。ちっとも。一欠片もよくはない。

「……ダニエル、此処にいてくれないの?」
「すまない。俺が行かないといけないんだ」

 不安げに呟くロニーの頭を軽く撫でる。もはや城内の者は此処に来るような余裕はないだろう。
 念には念を入れ、室内の家具で扉を押さえておくことを伝えてから、俺は先ほど王女が駆けていった見張り台の方へ足を進めた。

 ミミィの悪辣は、人の世では人の範疇に収まる。そうして生きてくれたら嬉しい、と俺が伝えたからだ。
 学園の中では、校則の範囲でも、まあ収まる。そうした方が学園生活が楽しいと、ミミィが望んだからだ。
 けれども此処は魔族の領土で、魔族の世界だ。ミミィを縛る枷は一つも無い。
 あったとしても、それらは全て、ミミィ本人が丁寧に取り除いてしまった。

 飛び込むように扉を押し開けた俺の視界には、ちょうど見張り台に降り立ち、白銀の剣を抜くミミィの姿が映った。
 月明かりを受けて、コンヘラル鋼の剣身が鋭く輝く。王女を見下ろすシアンブルーの瞳には、見るものを焼き尽くす、冷えた青い炎のような輝きが宿っていた。

「ミミィ、待ってくれ」

 目が合うと同時に声を上げる。その首を薙ぐべく振るわれかけていたその腕は、俺の制止によって一度は止まった。
 声をかけた俺ですら、その剣先が止まるとは思っていなかった。多分、奇跡か何かに近い。

「あら。久しぶりね、お姫様・・・。元気にしていたかしら?」
「あんまりだな。とりあえず、帰ったらちゃんとしたものが食べたい」

 俺は、努めて普段と同じ調子で返した。
 敵を屠ると決めたミミィの気を逸らして、この場を穏便に済ませる方法が一つだけあるとしたら、俺がいつもと同じペースでミミィの気分を引き戻すしかない。

 のだが、薄く笑みを浮かべるミミィからは、絶望的なまでに冷え切った、断頭台の刃のような声が返ってくるだけだった。

「そうね。この女が手ずから食べさせたものだなんて、胃の腑が腐り落ちてもおかしくないもの」
「……………」

 どうやら、王女は既に散々ミミィの神経を逆撫でしていたらしい。
 何を語ったかは知らないが、これ以上何も言わないでほしい。と思った矢先に、身体を起こした王女が甲高い声で叫んだ。

「わたくしは魔界の王女ですのよ! お前のような下賎な毒婦とは違う、高貴な存在なのです! ダニエル様はわたくしにこそ相応し────」

 頼むから喋らないでくれ、という俺の願いが天に聞き届けられるより早く、ミミィの剣が宙を薙いだ。
 風圧で翻った黒髪が半分ほど首の高さで切り取られ、頬に一筋の傷が走る。

 悲鳴を上げて蹲った王女に、ミミィはあくまでも淡々とした、平坦な声で告げた。

「『魔族』というのは、魔界で戸籍を得た、魔の血を引く存在を指すわ。お前はもう王女でもないし、戸籍が抹消されたのだから魔族でも無い。この国にはね、たまたま人語を解す魔獣を殺したからと言って、罰せられる法はないの」

 口元に笑みを湛えたミミィの瞳には冷えた殺意が宿るばかりだった。愉悦は、一欠片もない。

 ミミィが他者の上に立ち踏み躙る時に、愉しみを見出している時はまだいい。説得の余地があるからだ。
 ノエル嬢の時とは事情が違う。ミミィは王女を許すことはないだろう。

 俺だって別に、許して欲しい訳ではない。ただ詰るとしたら俺の不出来をまず挙げるべきだし、ミミィがこの女を手に掛ける必要はない──というか、そうして欲しくもない。

 俺は二人の間に割って入ると、ミミィの肩へとそっと手を寄せた。

「……ミミィ、この女の処罰は魔族の王に任せてほしい」
「いやだわ、ダン。冗談でもそんなことを言わないでちょうだい。魔の王たる方にただの魔物の処罰をお願いするだなんて恐れ多いこと、下賎な毒婦である私には出来る筈もないでしょう?」

 わざとらしいまでに装飾された謙遜が、嘲笑を包んで冷たく響く。
 真っ当な方法で説得することは出来ないだろう。王女の行いには正当性はないし、何よりこの二週間の俺には、ミミィを止めるような権利は無い。
 分かっている。助けられるまでただ待っていて、挙げ句の果てに首謀者を庇うだなんてどうかしている。

 それでも止めたいと思うのは、俺がミミィの剣にこんなもの・・・・・を斬らせたくはないからだ。
 王女は愚かで浅慮でどうしようもないほどに夢見がちで、そして呆れる程に醜悪だった。

「どうしても殺したいなら俺がやるよ。実害も受けた訳だし、それに、失態の責任は俺が取るべきだ」

 俺は、ミミィをこの世で一等美しいものだと思っている。もし仮にこれを斬り捨てるにしたって、手を下すのは俺であるべきだ。
 呪縛は解いたし、救い出した奴隷の人たちだって自由に出来る。もう俺が王女を害するのを躊躇う理由はない。

「嫌よ。こんな穢らわしいもの、ダンが手にかける必要はないわ」
「俺も同じ気持ちだ」
「そう。だったら、私の感情は何処に持っていけばいいのかしらね」

 微かに力の抜けたミミィの声音に、俺は続ける言葉を見失ってしまった。

 恐らくは、王女は元より魔界で持て余していて、王族としても疎まれていたのだろう。
 それでも二週間で彼女から立場と戸籍を奪い、魔族領にまで踏み入れる権利を手に入れるのは、途方もない程の労力を要したに違いない。
 俺の軽率な判断で、随分と苦労をかけてしまった。多分、ミミィはそれを苦労だなどとは呼ばないだろうけれども。

 俺にはミミィの献身に応えられるだけの材料がない。俺の人生などというものはとうにミミィのもので、そうなればやはり、俺という所有物を傷つけられたミミィには報復の正当な権利があるからだ。

 でもやっぱり、この女だけは、流石に嫌だった。
 なんなら、今だって妙な輝きを宿した瞳で俺をうっとりと見上げている。騎士様だとか呟いている。
 俺は騎士ではない。もし仮に騎士であったとしても、それは『ミシュリーヌ・シュペルヴィエルの騎士』である。

「分かった、ミミィが俺の願いを聞き入れてくれたなら、なんでも言うことを聞く」
「いつもと変わらないわ」
「なんでも、だ」

 極めて真剣に言い放った俺に、ミミィは足元で哀れみを誘うように啜り泣く王女を一瞥してから──諦めたように溜息を落とした。


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