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おまけ 三話〈1〉
しおりを挟む世にも恐ろしい話だが、俺が攫われてから二週間が経っていた。
もう一度言おう。二週間が経っていた。
ミミィは基本的に、自分のものに対して手を出した相手に容赦をしない。
例外的に、容赦をしなかった上で気に入ることはあるが、気に入ったからと言って何の仕打ちもなく許すことは無い。
絶対に、最初の一手に『相手が耐えうるか考慮しない一撃』が入る筈なのだ。
八日目くらいに、もしやこれは『この程度は自分で解決して戻って来なさい』と言うことだろうか、と考えてみたが、どうも違う。
俺の手に負える案件か否かくらい、当事者の俺以上にミミィが理解している。即時報復が信条のミミィがこれ程の時間を掛けるということは、やはり魔族の王女というのは真実なのだろう。
「はい、ダニエル様♡ あ~ん、ですわ」
「…………」
「もう! 何も食べずにいては身体が弱ってしまわれますわ! 口を開けて下さらないなら、あの子供の皮膚を剥いでしまおうかしら」
悪戯っぽく笑う女の口から出た悍ましい提案に、俺は仕方なく口を開いた。こちらの食事は、どれも妙に甘ったるくて苦手だ。
後味に変な癖がある。妙な魔法が付与された気配がないことだけが救いだった。
伝統的な食事であるから、王族となる者はなれなければならない、と王女は俺の口に捩じ込んでくる。
ミミィの買ってくる菓子が恋しいな、と遠くを見やったところで、城内でも数少ない、魔族の使用人が手紙を持ってやってきた。
「アリアーデ様、陛下からのご連絡です」
「お父様から? ああ! きっと、わたくしとダニエル様の婚儀の話に違いありませんわ!」
もしそうだとすれば、悪夢の知らせだ。
本当に結婚することになったらどうしようか。その時は流石に全てを薙ぎ倒して暴れて帰るしか無くなるかもしれない。
が、まだサラが助けられる目処が立っていない。困ったな。
側に立つロニーの顔を見ると、今にも倒れてしまいそうな程に青褪めた顔で絶望を湛えていた。
ロニーとは裏腹に期待に満ちた顔で手紙を広げた王女だったが、文面を読む内に、彼女の顔色もまた悪いものへと変わっていく。
「な、何よこれ……!」
力の籠った指先によって、便箋が歪む。
掴んだそれを真っ二つに引き裂いた王女は、叫び声にも似た怒声を上げた。
「お父様までがあの毒婦の手に落ちたというの!? 信じられないわ、わたくしはこの国の王女なのよ! 正当な王位継承者なのよ! このわたくしにこんな無礼を働くだなんて……!!」
血が滲むほどに唇を噛み締めた彼女は、八つ当たりのように扇を壁に叩きつけると、使用人を鬼のような形相で睨みつけた。
「軍を、わたくしの私兵を出しなさい! もはやあの毒婦は我が領域内に入っています! 迎撃の用意をなさい!
お父様がなんと言おうと、わたくしはダニエル様と結婚するのです!」
一体、俺の何がそこまで彼女のお気に召したのだろうか。さっぱり理解が出来ない。
少しでも冷静に言葉を交わしたのなら、俺が彼女の求めるような『白の騎士』ではないことくらいすぐに分かるだろうに。
彼女は、彼女が作り上げた理想に思いを寄せているに過ぎない。それならば俺でなくとも、似たような容姿の魔族で手を打てばいい。
まあ、魔族というのは美形揃いなようだから、俺のような凡庸な顔立ちのものはいないのかもしれないが。
慌ただしく駆けて行った王女の頭には、もはや迫り来るミミィという脅威のことしか残っていないようだった。使用人も、主人を追って足早に去る。
部屋に残った俺は、床に落ちた便箋を拾い上げると、二つに裂けたそれを合わせて目を通した。
そこには、『アリアーデの行いのせいで人族の大陸より加工魔石の輸出を止めると宣告された』こと、『交渉のため、直ちにダニエル・グリエットを人族の大陸に帰還させる』こと、『行動の如何に関わらず、本通達が届いた時よりアリアーデ・キナ・エルビルパシュは王家の籍を外され、魔族としての戸籍も失う』こと、そして、『封筒を開いた時点で、ミシュリーヌ・シュペルヴィエルは正式な渡航権を持って魔族領へ〝召喚〟されること』が記されていた。
古代文字によって保証された、正式な契約魔法だ。
魔族に限らず、全ての魔導師にとって絶対遵守の法に等しい理である。
彼女は王族としての身分のみならず、魔族としての戸籍も失った。条件が加工魔石の輸出停止、という点から察するに、間違いなくミミィが手を回している。
俺は知らない話だが……というか多分、人類の殆どは知らない話だと思うが、どうやらミミィは魔族すら商売相手としていたらしい。
多分、本件はあらゆる手段を使って隠匿されているだろう。こんな事態が露わになったところで、どちらの治世にも損しかない。
つまり、ミミィはこの件において、『好き放題やっていい権』を手に入れた、ということだ。
だとすれば、此処に残っているのは危険しかあるまい。というより、ミミィだって、この連絡が入って俺が動かないでいるとは思っていないだろう。動かなかったら、普通に怒られる。
とりあえず、足枷は破壊しておいた。王女は多分戻ってこない、というか、戻って来れないだろうから、今の内にやれることをやってしまおう。
「ロニー、走れるか」
「うん」
決意を滲ませる瞳で俺を見上げたロニーを連れ、廊下を駆ける。
将来住むことになる城を詳しく知りたい、などと言って、デート気分の王女に場内を見せてもらったのだが、その中で一つだけ妙な作りをしている箇所を見つけた。
もしも複数人を閉じ込めるとしたら、あそこだろう。
彼女は俺がどんなに吐きそうな顔をしていても『幻想』と会話をしていて気にも留めなかったので、言いくるめるのは案外容易い。
もちろん、彼女の意に沿わぬことは決して受け入れないのだが。
隠し扉の潜んだ壁には隠匿の魔法がかかっていたが、俺はとりあえず、構わず魔力を込めて蹴り抜いておいた。どうせ全部がぶっ壊れるので、一々調度品を気にしている暇などないのだ。
薄暗く湿った、饐えた匂いのする暗がりには、動物を入れておくような様の檻の部屋があった。
怯えた目をした人たちが、身を守るように身体を寄せ合っている。
幸いなことに、彼らの首には呪縛は刻まれていなかった。
側につけているロニーにだけ魔法を施して、残りは身柄を拘束することで言うことを聞かせていたようだ。どうやら王女は、俺の想定よりは魔法が得意ではなかったらしい。
小さく、掠れた怯え声が上がる室内に向けて、俺は声を張る。
「逃げたい人はついてきてくれ。どうせこの後全部、滅茶苦茶になる」
俺の後ろで、ロニーが妹の名を呼んだ。
多分、俺の言葉は信用ならないだろうが、これまで妹のためにその身を削ってきたロニーの言葉なら、みんな信じてくれることだろう。
この人は騎士様で、僕たちを助けにきてくれたんだ、なんて涙声で言うロニーの言葉を聞きつつ、とりあえず訂正する時間もないので、俺はみんなを安全──と思われるだろう場所へと誘導した。
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