悪辣姫のお気に入り

藍槌ゆず

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[ダニエル視点] 後③

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「そろそろ決着をつけようかしら」

 玉座に腰掛けたまま片手を掲げ、指を鳴らす。高く響き渡った音は、おそらく指先に集められた魔力が擦り合わされ弾けたことで生じたものだ。

 空気を揺らし伝わる音を捉えた屍人達が、一斉に動きを止め、振り落とされぬよう古龍の身体にしがみつく。
 表皮を完全に覆い尽くした無数の屍たちは、次の瞬間、一斉に我が身を爆弾に変え爆発した。

 苦しげな咆哮が響く。円状に広がる衝撃波は防護壁を通り越し観客席にまでダメージを伝え、逃げ惑う生徒達にちょっと強めの平手打ち程度の一撃を与えた。
 当然、古龍の傍らに居たノエル嬢にも、防御魔法で防いだとしてもそれなりのダメージが通る。そして、彼女は召喚の際の対価によって自身の体力ゲージを極限まで削っている。

「!? ────しまっ、」

 つまり、直接攻撃ではなくただの衝撃波であっても最後に残ったゲージを吹き飛ばすには充分ということだ。

 召喚魔法には召喚魔法を。爆散には爆散を。成る程、初手から派手にぶちかまされた物だから、ちょっとした意趣返しと言うところだろう。
 吹き荒ぶ熱風の中、呆然と立ち尽くしていたノエル嬢は、ふと気づいたように目を見開くと、頭を抱えて蹲った。

「こ、これが学園規則の決闘であることを失念しておりました……!」
「薄々そんな気はしていたわ、ゲージではなく命を削る気満々だったもの。貴方、『正義』とやらの為なら人を殺すことも、どころか自身が死ぬことすら厭わないのね」

 溶け消えるように霧散した玉座を降りたミミィが、頰にかかる髪を払いながら感心したように呟く。
 己の失態に愕然としていたノエル嬢は、そんなミミィの台詞にぱちりと一度瞬くと、心底不思議そうに首を傾げた。

「当然ではありませんか。悪とは滅びるべきもの、皆の平和を脅かし、安寧を崩す者を滅殺する為ならば命など惜しくはありません」
「あらあら、やっぱり気狂いの類ね」

 何を言っているのか理解できないとでも言いたげなノエル嬢を見下ろし、ミミィは喉を鳴らして笑った。
 歪んだ唇が弧を描き、深い笑みの形を取る。

「まあ、貴方が何であろうと構わないわ。勝負はこれで着いたのだから、宣言通り貴方の身柄は私の好きにさせてもらうわよ」
「……二言はありません、如何様にも成敗ください。しかし、もし出来るのであれば、私で憂さを晴らし、他の方々には手を出さないように──」
「あら、負けた側が偉そうに指図するつもり? 生意気ね、少し口を閉じていなさい」

 敗北を認め膝をついたノエル嬢は、ミミィの言葉に唇を噛み締め、悔しそうに眉を寄せつつも無言で頷いた。
 『決闘』にはある程度の魔法的拘束力がある。それ故に悪用する者も現れていたのだが、今では学園長の許可自体降りることが稀だ。
 実際『決闘』に縛られた人間を見るのは初めてだな……などとどこか感慨深い思いでノエル嬢を眺めていた俺は、不意にミミィに手招かれ、慌てて彼女の後方へ歩み寄った。

「つまり、貴方が条件として提示した『私の婚約者との婚約破棄』も無効となるのだけれど……今後、同じような不快極まりない発言を私の前で行う愚物が現れないように、この場で忠告させて貰おうかしら」

 シアンブルーの瞳が、ゆっくりと客席へ視線を滑らせる。
 悪辣姫と目を合わせることを恐れた観客達は即座に顔ごと視線を逸らしたが、下段中央、最もよく見える席で令息を侍らせ観戦していたロザリー嬢は、呆然としつつもミミィの視線を受け止めた。

「もし次、私と私の婚約者──ダニエル・グリエットの仲を引き裂こうという者がいるなら容赦はしないわ。私の実力はよく分かったでしょう? 歯向かうなら不死の軍団が血肉の一片すら残さず食らい尽くしてあげるから、覚悟なさい」

 ミミィの声はよく通る。拡声魔法も使った上での台詞ははっきりと、観客席全体に伝わったことだろう。
 今回ミミィが多少の手間をかけてでも決闘を引き受けたのは、これを機に自身の『婚約者』が誰であるかを示しておくつもりだったからだ。

 片腕を掴まれ、引き寄せられた俺の頬に、ミミィが唇を寄せる。
 軽い音を立てて離れていった唇に、何もそこまでしなくとも、と熱くなる頰を誤魔化しつつ照れ隠しにぼやいた俺の前で、ノエル嬢が勢いよく顔を上げた。

「〝ダニエル〟……?」

 ようやく気づいた、という顔だ。この一週間何度か言っていたのだが、少しも耳には入っていなかったらしい。
 見上げれば、同じく観客席のロザリー嬢も、日頃浮かべている儚げな表情は何処へやら、驚愕に目を見開き硬直しているのが分かった。
 数秒の後、硬直が溶けたロザリー嬢が叫ぶ。

「ま、待って下さい! 虚偽の申告で決闘の制約を誤魔化す気ですか!? 貴方の婚約者は、アルフォンス様の筈です!」
「私の婚約者がアルフォンス様? まあ、なんて恐れ多いことを言うのかしら。私のような下賤な者にアルフォンス様の婚約者なんて務まらないわ。私の婚約者はこの世にただ一人、ダニエル・グリエットだけよ」

 何とも面白そうに笑い混じりに告げたミミィの言葉に嘘偽りがないことは、決闘の制約による処罰がないことで証明されている。
 観客席のロザリー嬢は、遠目に見ても分かるほどに狼狽え、冷や汗を掻いていた。

「え、え? ど、どうして、おかしいじゃない、此処で勝てばミシュリーヌが学園を……そっ、そもそもどうして負けてるのよ、あんなの、あんなの書いてない……」

 蒼褪め、頰を押さえて震えるロザリー嬢を見上げるミミィは、ふと不愉快そうに眉根を寄せると、靴音を響かせて踵を返した。

「目的は果たしたわ、帰るわよ。全く、観客席だろうと私を見下ろすだなんて不敬極まるわね」
「観客席ってそういうもんだろ、そうでなきゃ試合が見えない」

 反射的に突っ込みを入れてしまった俺に、ミミィが目を細めたまま口元に笑みを浮かべる。
 冷ややかな視線に不格好な愛想笑いを返せば、指先で顎を持ち上げられた。

「ねえ、ダン? 今回のことは貴方にも多少責任があると思うのだけれど、どうかしら?」
「……何の責任だ」
「貴方が私の婚約者としてあともう少しでも名を馳せていれば、こんな下らないことしなくて済んだでしょう?」
「確かにそうだが、それでもこんな派手な方法で広めることを選んだのはお前だし、そもそも決闘を受けない手もあった、と思う、……多分」

 此方を見つめるシアンブルーの輝きに気圧され、尻すぼみになった俺の声を、ミミィははっきりと拾い上げた。
 白い指先が頰を撫で、軽く耳を引っ張ってから離れる。

「『受けない手』なんて無いのよ、そのくらい分かりなさい」
「何故だ? 負けたら破棄になるんだぞ、受けない方が良いに決まってるじゃないか」
「……そうね。ダン、貴方のそれは安全策と現状維持には最適な答えよ。でも、私の気はそれじゃ済まないの」

 首を傾げる俺の前で、ミミィは片眉を上げて笑みを深める。

「例えそれが愚鈍な勘違いだとしても、私と貴方の間を裂こうなどという者を許せる筈がないのよ。分かるかしら?」
「…………分からん」
「あら、何処が分からないの?」
「引き裂こうとする者を退けなければならないほど強く、婚約を結び続けようとする意味が、俺にはよく分からない。名ばかりの伯爵家よりももっと条件の良い男は山程居るだろう。それこそ、ミミィは綺麗で、頭も良い。身分だって素晴らしいし、商才もある。俺のような男と婚約を続けるメリットがないだろ」

 常々思っていたことを此処ぞとばかりに吐き出せば、ミミィはほんの一瞬、きょとりと目を瞬かせてから、口元に手を当てて笑い出した。
 一頻り笑い続けたミミィは、やがて笑い過ぎて滲んだ目元の涙を拭うと、やや呆れたように柔らかな口調で呟いた。

「馬鹿ね、ダン。恋なんて、メリットがあるからするものじゃないのよ」
「…………そりゃあ、普通はそうだろうが、貴族はそうはいかんだろ」
普通の貴族・・・・・はそうでしょうね。でも、私は普通じゃないもの、それでいいのよ」

 悪戯めいた笑みを浮かべたミミィはそれだけ言うと、振り返りもせずに闘技場を後にする。
 真っ直ぐ伸びる背を追いかけつつ、掌の汗を拭う。大規模戦闘を目の当たりにした衝撃で、手のひらが薄く汗をかいていた。
 いや、嘘だ。
 俺のこの汗は、単純に気分の高揚と羞恥から現れたものである。

「…………恋なんて、メリットがあるからするものじゃない……か」

 婚約者として十年過ごした中で、恋情を口にされたのは初めてのことだ。
 どうやら、ミミィは俺が思っているよりも余程、俺のことが好きらしい。その事実を、俺は素直に嬉しい、と感じた。
 面倒ごとには変わりなかったが、今回の件を仕出かしてくれたノエル嬢とロザリー嬢には少しばかり礼をしておきたいくらいだ。

 手土産に何を持って行こうか考えつつ、最後に闘技場を振り返れば、そこには茫然と立ち尽くす観衆と、ぽかんと口を開けたノエル嬢が見えた。
 うん、最近王都に進出した異国の菓子屋のものでも買っていこう。

 そうして、気が済んだらしいミミィの爽やかな笑い声と、一人納得する俺と、何もかもが無為となり固まった群衆だけを残して、この傍迷惑な騒動は一件落着となった。



 と、俺は思っていた。

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