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しおりを挟む「ともかく! お嬢様の件は吾輩に一任しろ。必ずや良き結果へと導いてみせる」
「その結果ってどんな?」
「無論、お嬢様を次代の魔王へと育て上げ、お嬢様を傷つける者全てを根絶やしにするのだ」
イカれピンク頭だとか、第一王子だとか、第一王子だとか、第一王子をな!
高笑いを響かせかけ、必死に堪えて変に噎せた吾輩に、ヘンリー・ソマーズは首を傾げながら唸った。
「うーん、俺ちょっとそれは看過できないわ」
「何故だ!? 力を持つ者には選別の権利がある!! 研鑽を積み、努力によって成し得たお嬢様の『今』を脅かそうとする者だぞ!! 滅びて当然であろう!!」
「だってお嬢、まだ王子のこと好きなんだぜ? 可哀想だろ」
「フン、あんな軟弱顔だけ男などいずれはお嬢様の方から見限るだろうよ。このまま冥の性質を強めていけばそんなことは気にも留めぬようになる」
「その間お嬢が苦しんでることは無視すんのか? 俺は、お嬢の『今』の苦しみを取り除いてやりたいね」
「…………それもまた試練だとも、上に立つ者の辛さよの。貴様には理解出来ぬかもしれんが、お嬢様はいずれ魔王と成り世を統べる身だ。そのような些末な苦しみなど頂点に君臨すれば消えてなくなる」
「お前はそれで、消えてなくなったの?」
言葉を返そうとしていた吾輩の口が、開いたまま固まっていた。
ヘンリー・ソマーズの目が、真っ直ぐに吾輩を見つめている。こやつが今しがた口にした文言を理解できずに硬直していた吾輩の脳が、徐々に言葉の意味を噛み砕き始めた。
『お前はそれで、消えてなくなったの?』
何がだ? 虚しさや、苦しみがか? 研鑽を積み頂点を目指し、自身よりも周囲に愛される者を妬み、嫉み、挙句の果てに苦しみに耐えきれず追放し、力のみで君臨し続けた『魔王』の苦しみが、頂点に立つことで消え失せたかを聞いているのか?
馬鹿が。大馬鹿が。クソッタレのクサレ勇者が知ったような口を。
ああ、そうだとも。名家に生まれ、ただ冷徹に上を求めたが為に、吾輩の周りには誰も居なくなった。でなければ勇者に一人で相対する訳がなかろうが。たかが、死なぬ程度の人間一人に魔族軍が敗れるはずがなかろうが。
吾輩は滅びるべくして滅びたのだ。誰にも愛されなかった王の末路としては酷く正しい。
「俺は、お嬢には幸せになってほしいと思うよ」
「ハッ、吾輩とは違ってか」
「うん。まあ、お前にも幸せになってほしいんだけど」
「ハ?」
「だからさ、お嬢には違った道を歩んでもらいたい。他人を糾弾して追い出して自分の立場まで危うくしたりしないでさ、大団円のハッピーエンドを迎えてほしいんだよな。お前だって、お嬢に不幸になってほしい訳じゃないだろ?」
「…………それは、……うむ、……そうだが」
クリフトン家は名家である。故に当主であり外交官であるイザドラ・クリフトンの父も、それを支える母も多忙かつ、幼少の頃より娘であるイザドラ・クリフトンにも息子であるアレクシス・クリフトンにも厳しく接してきた。
それはある種の愛情であるとも言えたが、しかし幼子が求めるものかと言えば少し違った。イザドラ・クリフトンは、両親の愛情に飢えている。より完璧で、高みを目指せば、いつか手放しで両親に褒めてもらえると信じている。信じて突き進み、その結果、僅かに歪んでしまった。
実力と美貌を兼ね備え、それに見合ったプライドを持つお嬢様は、家の外では冷徹な仮面を被る。その仮面は畏れ敬われこそすれど、親しく思われたりはしない。
出来が良いとは言えない第一王子が癒やしを求めてイカれピンク頭に逃げるのも、分からなくもなかった。イザドラ・クリフトンの輝きは、並のものには強すぎるのだ。
イザドラ・クリフトンは孤高であればあるほど美しい。そう育てたのは吾輩だ。かつて吾輩が歩んできた道を、過ちだとは認めたくなかったが為に、彼女に同じ道を歩ませようとしている自分には気づいていた。
だが、同時に、イザドラ・クリフトンが沢山の友人に囲まれ、幸せそうに暮らす様を見たい、とも思っていた。魔王らしからぬ思考だ。けれども、吾輩はもはや魔王ではないのだ。ただのアンナである。ただ、ちょっとばかり四大属性魔法を冥性質に極めたメイドである。
それ以上言葉が続けられずに口ごもった吾輩に、ヘンリー・ソマーズは再び笑った。
「別に本気で勇者にしようとか考えてないからさ、ちょっとだけ俺に任せておいてくれよ」
「…………だが」
「お嬢が笑ってんのが一番だろ?」
「…………分かった」
恐らく、吾輩の選ぶ道はイザドラ・クリフトンにとって破滅の道となるのだろう。薄々、感じ取ってはいた。
渋々ながら頷いた吾輩に、ヘンリー・ソマーズは何やら満足げな顔で笑みを深めていてムカついたので、とりあえず指示の無視への罰として屋敷中の装飾磨きを命じておいた。
「――――お嬢様。アンナでございます」
宵の刻。宣言通り自室を訪ねた吾輩に、イザドラ・クリフトンは少しばかり緊張した声で答えた。学院の誰も、彼女のこんな声を聞いたことはないだろう。
高貴にして冷血、逆らう者は氷の微笑で黙らせ、噛み付く者には血を見るより恐ろしい反論を紡ぐイザドラ・クリフトンが、ベッドの上で両手を組み、所在なさげに座っている姿など、学院の誰も――――否、吾輩以外は見たことがないに違いない。
艶めく黒髪を絹のリボンで一つに結び、その毛先を頼りない手付きで弄るイザドラ・クリフトンは、吾輩の顔を見るやいなや、言い訳じみた声で呟いた。
「きちんと、今日の分は終わらせておきましたわ」
「ええ、そうでしょうとも。私の自慢のお嬢様が、よもや勉学を蔑ろにするなどという愚かな真似はなさいません」
「…………」
別に、責めたつもりで言った訳ではなかったが、思っていたよりも責めた口調になってしまった。項垂れるイザドラ・クリフトンに、妙に落ち着かない気持ちになりながらハーブティーを淹れる。
サイドテーブルに置けば、緩慢な動作ながらも優美な所作でもって指先がカップを持ち上げた。
「……アンナ」
「はい」
「……怒ってる?」
「何を怒ることがございましょう」
「…………やっぱり怒ってるのね?」
「誓って怒ってなどおりません。それに、私めが『怒る』時はお嬢様が尋ねるより早く怒り終わっております」
「そ、それもそうね」
何やら納得したらしいイザドラ・クリフトンがほっとした様子でハーブティーに口をつける。此方はなんだか納得がいかなかったが、別に本当に怒っている訳ではないので言葉にはせずに流した。
美味しいわ、と微笑みと共に頂戴した賛辞に礼を取る。イザドラ・クリフトンは、先程よりは気の抜けた様子で息を吐くと、いつものように隣に腰掛けるように私を促した。
生まれた時からの付き合いである。固辞するような間柄でもなく、素直に腰を下ろす。
そのまましばらく言葉を待てば、数分の間を空けたのち、イザドラ・クリフトンは恐る恐るといった様子で語り出した。
「もうヘンリーから聞いてしまっているかもしれないけれど……わたくしがあんな真似をした理由を話してもいいかしら……」
正確にはヘンリー・ソマーズから聞いてから知っていた訳ではないが、特に否定することもなく了承の意を返す。
おおよそ二十分をかけて語られたのは、要約すれば吾輩が掴んでいた情報とさほど変わりない話であった。ただ、そこにはイザドラ・クリフトンの――お嬢様の思いがあった。
自分が努力を重ねれば重ねるほど、第一王子の心が離れていくのが分かること。だが態度を今更変えるような真似は出来ないこと。周囲は勉学や魔術に関しては頑張れば認めてくれるのが常だったが為に、どうすればいいのか分からないこと。
学友は居れども、心を打ち明ける友人は作れなかったこと。カレン・オールストンが周囲に愛される理由は痛いほど分かるということ。自分が持たないものを持つ彼女が羨ましく、何度か意地の悪い物言いをしてしまったこと。
もしかしたら彼女のように煌性質の魔法を得れば、自分も周囲に愛されるのではないかと考えたこと。ヘンリーが煌の性質に詳しいと聞いて、相談に乗ってもらったこと。長年教育係として側に居た吾輩には、申し訳なくて言い出せなかったこと。カレンが羨ましくて、でも彼女のようにはなれないと分かってしまって、苦しくて仕方がないこと。
「……わたくしも、多くのものを持っていますわ。わたくしはとても恵まれていて、わたくしが今こうして持っている物を得たい、と望んでやまない方がいることも分かっております。それは深く理解しているし、そう育ててくれたお父様やお母様、アンナにも感謝しているの。本当よ。……でも、たまに思ってしまうの。あの方のような人間だったのなら、わたくしも愛されたのかしら、と」
「…………お嬢様、それは」
「分かっているのよ。本当に。あの方はあの方、わたくしはわたくし。無い物ねだりをするなんてはしたないことよね」
俯き、そう呟くお嬢様の声は少し震えていた。いつ何時も、感情を表に出さぬように努めているお嬢様が、声に出るほどの悲しみを覚えている。
そうしたのが、吾輩なのだと思うと、胸が締め付けられる思いだった。
「……申し訳ありません、お嬢様」
「? どうしてアンナが謝るの」
「教育係としてお嬢様の最も近くにいたのはこのアンナです。お嬢様が、高みへ立つ者として望ましくあるよう、お嬢様の意に沿わぬ事柄も多く伝えて参りました。お嬢様には人々に愛される才がある、と知りながら、周囲を退けるような指南をしたことさえあります。お嬢様の周りに、信頼できる者がいないというならば、それはこのアンナの責にございます。私にはその自覚がありました。分かっていてそうしたのです、お嬢様。どうかアンナに処罰を」
「…………アンナ」
心の底から頭を垂れたのは、初めてだった。
そうでもしなければ、胸の内から湧き上がる罪悪感に押し潰されそうだった。吾輩の、時に常軌を逸した指導に泣きながらもついてきたお嬢様。気づけば最も近くで、最も長い時を共に過ごした吾輩が、よもやお嬢様を裏切っていたなど、どれほどの苦しみだろうか。
「…………アンナ、顔を上げてちょうだい」
「ですが、」
「わたくし、信頼できる者が一人も居ないだなんて言っていませんわ。だってアンナがいるもの」
顔を上げた先には、笑顔のお嬢様が居た。
「だからいいの、貴方が気にするようなことじゃないのよ。ただ、少し弱気になってしまっていただけで」
お嬢様は、半身を隠すべく包帯で覆われた吾輩の頬に手を添えると、明日になればきっといつも通りのわたくしになるわ、と少し眉を下げて笑った。
胸の内に炎が灯ったような錯覚。彼女の、こういう、どれだけ冷徹に、孤高に見えても、その身には柔らかく暖かい心が宿っているところが堪らなく好きだったのだと、今更ながら気づいた。
大馬鹿者のフローラが、「アンナは本当にお嬢様が好きね」と呆れながらも嬉しそうに笑っていたのを、今更、本当に今更思い出したのだった。
「それに、ヘンリーもいるもの」
「あやつのことはお忘れ下さい、お嬢様」
じん、と痺れるような胸の熱が一瞬で掻き消え、真顔になった吾輩に、お嬢様はくすくすと楽しそうに笑った。
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