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第二十七話 〈3〉 【白の間】

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 珍しいことに、ヒデヒサの方がやり込められている。きっと、完全に善意から言われているからだろう。彼は自分で思っているよりもずっと、人の善意と献身に弱い。いや、弱くなった、のかもしれない。

 傲慢にして残酷な暴君であったリーザローズがヒデヒサに出会って変わったように、ある種の孤独と諦観を抱えて生きてきたヒデヒサも、リーザローズに出会ったことにより変わっているのだ。
 人間は、関わり合うことで相互に作用する。何より、ラピス自身が彼らと関わったことで変化し始めているのだ、より深く関係を持つ二人が、これまでと変わらないでいられる筈がなかった。

『ですがお嬢様……一つ言わせて頂くのであれば、仮に友人になるとするなら私はリィラル様のような方が良いです。それに、クレイバー様もわざわざ私のようなものと友情を育みたいとは思っていないでしょう』
『あら、それはどうかしら?』
『…………と、言いますと』
『だってアザン様、お前に褒められるとなんとも言えない、そうね、嬉しく思って堪るものか、みたいな顔をするもの。ただ嫌いなだけなら、きっとあんな顔はしない筈だわ』
『……クレイバー様を褒めた記憶が無いのですが』
『褒めたと思ってはいないのではなくて? お前は研鑽を積む者には素直に賞賛を口にするでしょう、アザン様は間違いなく付与魔術では国一番の実力者だし、それに見合う努力もしているわ。それが垣間見えた時に意識せずとも褒めているのよ』

 リーザローズの語る言葉は紛れもない事実だった。ヒデヒサは基本的に努力を惜しまない人間を好ましく思う傾向にある。彼がアザンを気に食わないと思っているのは、アザンがリーザローズに対し『リーザローズ・ロレリッタは聖女だから優れている』と評価しているのが価値観からして許せないからだ。アザン・クレイバー自体の研鑽について、ヒデヒサはかなり素直に賞賛を送っている。
 全く意識せずに零している(これはリーザローズに対しても同じくである)ため、ヒデヒサ本人の記憶にはほとんど残っていない。だが、アザンは突然放られた評価に対し、毎度なんとも言えない顔をして受け止めている。
 一見苦虫を噛み潰したように見えるその表情が、実のところはどうにか唇が笑みの形を描かないように食い止めているだけであることなど、ヒデヒサ以外のパーティメンバーは全員気づいている。

 彼は一度自分を『嫌い』だと表した相手は、この先も一生自分のことを嫌いでいるものだ、と思い込んでいるのだ。それは恐らく、壊れた関係を一度も修復してこなかった人生に由来するのだろう。
 嫌いと言われたらそれがこの先も永遠に確定するなどと思っているから、リーザローズに対しても死ぬほど鈍いままなのである。そういう意味で『好かれる』という可能性を微塵も考慮していない。

 気づいた方がいいのか、気づかない方がいいのか。人間の心の機微にようやく触れ始めたばかりのラピスには判断をつけることは難しかった。よって、特にそれ以上考えることはなく、ただ二人の会話を聞くに留めた。
 ここでも観測を止めることはなかったのは、もしかしたら彼女の中に生まれた情緒の一端が関係しているのかもしれないが、少なくともラピスにはその自覚はなかった。

『お前がアザン様を逆撫でするようなことを言うのは、相手への実力を正当に評価せずに権威に流されてしまうからでしょう? 思うのだけれど、人というのは大なり小なりそういうものではないかしら? ほら、高名な画家と無名の画家だったら、やはり作品の評価には差が出てしまうのと同じよ』
『それは確かに、その通りではありますね。別に私とて、世間一般の評価基準にまでとやかく言うつもりはありませんよ。アザン様の問題点は、褒めているかのように振る舞いながら実質お嬢様を貶めている、ということに此処に来ても気づいていないということです』

 ヒデヒサのアザンに対するスタンスはいつもただ一つ。『お嬢様を正しく評価しろ』である。悪い点を無視してまで褒めたところでそれは正当な評価ではないというのに、アザンのそれは理想の聖女への賞賛でしかなく、ならば尚更、正当さなど欠片も生まれようがない。
 ヒデヒサにとってリーザローズとは、『欠点も無数にあれど、それを補えるだけの美点も備えた主人』なのだ。だからこそ、そこまでに至る努力が素晴らしいのだと、ヒデヒサは確信している。

 そしてリーザローズもヒデヒサがそのように自分を評価していると感じているからこそ、せめて努力にだけは誠実であろうとするのだ。
 誰だって、好きな人には失望されたくない。それも、こんなにも真っ直ぐに己を見てくれる想い人の前で、恥ずかしい真似が出来るはずもなかった。

『わたくしはこの二年の付き合いでアザン様がどういう方かきちんと分かっているもの。貶すつもりで口にした言葉などとは思いませんわ。それに、たとえこの世の誰にどんな風に言われたとしても、わたくしは何一つ気にならないわ。
 わたくしが疑いようもなく素晴らしい聖女であることには間違いがないのだし、それに……本当に評価してほしい人にはきちんと見てもらえているのですもの』

 やや居心地悪そうに、少し頬を赤くして咳払いを響かせたリーザローズは、そのまま逃げるように視線を逸らした。
 対面に立つヒデヒサが、そんなリーザローズを前にふと柔らかく微笑むと、小さく頷いてみせた。

『確かに、友情とは美しいものかもしれませんね』
『……え?』
『ルナ様とお嬢様の信頼を見ると、友とは良いものだと思えます。クレイバー様の件は些か半信半疑ですが、友好の手段を切り捨てるのもあまり褒められた態度ではありませんからね。一度検討してみます』
『…………え、ええ! そうね! 精々わたくしとルナの美しき友情を見て手本にするといいわ!』

 どうやらヒデヒサの中では、リーザローズの心の拠り所となる存在として浮かぶのがルナ・ウィステンバックただひとりに絞られているようだった。あるいはロレリッタ家の血縁者だけに限られるとでも思っている。

 ────いえ、貴方では? 今のは貴方の話では? 貴方では? あ、貴方の話では?

 ラピスは鐘を鳴らそうか五回ほど迷った後、黙って観測の窓を閉じた。これ以上見ていると自分の中の何かがどうにかなりそうだったのである。
 無茶な魔法を使った訳でも異界の神と契約を結んだ訳でもないのに、妙に胸が痛かった。名前を得たことによる副作用かもしれない。

「………………私は一体何を見せられたのでしょう……?」

 正確に言えば勝手に見ただけなのだが、ラピスはひとつの重労働でも終えたかのような気分で大きく深呼吸をした。
 そうして呼吸を整えたあと、そっと後方の棺へと足を進める。空間に溶け込むように鎮座する棺の傍らへ膝を突き、そっとその表面を撫でる。

 硬質で冷ややかな手触りは、温もりを失った彼女の肌を思わせるので少し苦手だ。だが、これに触れられるのもあと僅かだと思うと妙に名残惜しい。

「ミアス様……私は、貴方の望む通りに成せたのでしょうか……」

 答えはない。あるとしたら、それは存在の終焉のいう形でしか得られない。
 止めどない憎悪の円環から救いたいという願いと、このまま離れたくはないという想い。二つを抱えたまま、ラピスはしばらくの間棺の傍らに寄り添い続けた。




 ────白い棺が腐り落ちるかのように黒く染まったのは、それから一週間と四日後のことだった。


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