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第十話 〈4〉

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 一番後方についていた騎士団員の背も見えなくなった頃、お嬢様はようやく顔を上げ、大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出した。
 やはり同時に複数を治療するというのは使用者の負担が大きいらしい。もしくは、極度の緊張の中魔法を使ったことで一時的な混濁状態にあるか。どちらにせよ、快調とは言えない状態であることは確かだ。
 いつもよりも疲労の度合いが強いように見えるお嬢様は、差し伸べた俺の手を取って立ち上がると、何処か眠たげに目を瞬かせた。

 よろめくようにして歩き出そうとするお嬢様を一度止め、膝の辺りについた土や草を軽く払う。屈み込んだ俺を見下ろしていたお嬢様は、眠気を払うように眉を寄せてから瞼をきつく閉じ、目を開くと同時に小さく問いかけた。

「…………拠ん所ない事情、というのは何よ」
「その話は後にしましょう。話しても良いか、許可を得ておりませんので」
「許可? 話すだけことに、一体何の許可が要るのよ」

 それはまあ、旦那様と、国王陛下の、という言葉を、俺は今の所は飲み込んでおいた。曖昧な笑みを返した俺に、お嬢様は胡散臭いものを見るような目を向ける。

 陛下は兎も角、旦那様に関しては、最愛の娘に隠し事をしていたという状況になる訳だ。娘のためを思ってとはいえ、話し方を間違えれば家庭内で妙な軋轢が生まれかねない。ならばまだ、俺との軋轢の方がマシですらある。
 今の俺に出来るのは、出来る限り、決してお嬢様を軽んじている訳でも軽蔑している訳でもない、と態度で示すことだ。

「お嬢様。失礼ながら、抱えて運んでもよろしいでしょうか」
「………………は?」
「些か疲弊しているように見えますので。歩いて帰るよりはよろしいかと」
「…………お、お前に運ばれる方が不安だわ、ひょっ、ヒョロガリ!」

 やや覚束ない足取りで歩き出そうとしていたお嬢様は、勢い良く此方を振り返ると、震える指で俺を指差した。久方ぶりに聞いた蔑称に、幼少期を思い出して何処か懐かしくなってしまう。
 あの時の俺は確かにヒョロガリであった。だがしかし、今の俺はムキムキマッチョとは呼べずとも、一般的な十九歳男子よりは逞しいと言える。トレーニングの賜物だ。

「やはりお嬢様の目は節穴のようですね。私が未だにヒョロガリに見えるとは」
「…………それは……そういえば、そう、だけれど……い、いつの間に……」
「毎日見ていると変化には気づきにくいものです。とにかく、土魔法も併用して足場を確保しつつ進みますので、お嬢様は黙って私に運ばれていて下さい」

 ふらついて歩く主に黙って前を歩かせるような極悪非道な執事はいないだろう。一応、肩書きとしては極悪非道執事をやっているのだが、最近はその肩書きもハリボテっぷりが露呈している気もするし。かと思えば他国の間者的要素を勝手に足されているし。もはや何が何だか分からん。
 分からんが、とりあえず、お嬢様の執事であることだけは確かである。

 近づいた俺に、お嬢様は半ば逃げるように距離を取ったが、疲れているのは本当だったようで、照り付ける日差しに疲労感が増し始めた頃、諦めたように此方に身体を預けた。俺は蔦も駆使し、しっかりとお嬢様を背中に背負った。

「………………お前に期待したわたくしが馬鹿だったわ」
「おや、お嬢様が私に何か期待を? 明日は吹雪ですね」

 無言で頬を抓られてしまった。身体的な攻撃は珍しい。言葉を発する方が面倒なのかもしれない。
 しばらく互いに言葉もないまま、ならされた道をゆっくりと慎重に進む。脳裏に浮かぶのは、今回の件を旦那様にどう伝えるか、だ。
 流石にお嬢様自身が罵倒にショックを受けてしまった、ともなれば、事情を話すことも比較的前向きに検討してくれるだろう。恐らく、現時点でも三割くらいは『世界は私のもの』発言が出るかもしれないし、なんなら実行もするかもしれないが、そこはそれ、先程決めた覚悟のもとに、俺が責任を持ってお嬢様の側についていよう。どうせ、魂を共有したら共に生きねばならない身なのだ。

 しかしそうなると、魔王戦で死ぬかもしれない、という奇妙な予感が気になってしまう。単なる予感でしかないので今まで真剣に考えたことがなかったのだが、この辺できちんと対策なりなんなりを練っておいた方がいいかもしれない。相談相手はカコリスだな。

「…………ねえ、セバスチャン」
「なんでしょう、お嬢様」
「…………………………わたくし……その……」
「? どうかなさいましたか。身体に不調でも?」
「………………身体、といえばそうだけれど、その……つまり……」
「はい」
「……………………重くないかしら?」
「重いですが、運べない程ではないので問題はありませんね」

 無言で頭を叩かれてしまった。何故だ。ごく真剣に事実を述べただけだというのに。
 女性というのは体重を気にする生き物だとは知っているが、それならそもそも重いかどうかなど聞かなければいいのである。俺が嫌うデブは、食べ物を粗末にするくせに太り散らかしているデブだけだ。その他一切の人間がどんな体型や質量をしていようと知ったことではない。

 やや納得のいかない面持ちで歩いていた俺に、お嬢様は少しの間を空けてから、呆れの滲む声で「このウスノロ」とだけ零した。

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